umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第119号:主人公ダンテスの元婚約者メルセデスの住んでいたカタロニア村・・・「モンテ・クリスト伯(Ⅰ)」

長編である「モンテ・クリスト伯」を私はある読書会に参加して、読書会メンバーとともに読み進めました。このプログがアップされる頃には、その読書会はすでに終わっている頃かと思います。

 

モンテ・クリスト伯」というと、一般的に復讐劇よね。とか、私よりもう少し上の世代だと、「あー、巌窟王の!」という方が多いのですが、読んでみるとそんな単純な話でもないようです。

 

今回まず1巻目を読んでみて、主人公ダンテスの数奇な運命の始まりと、その周辺で暗躍する人、ダンテスを心配する善良な人びと、賢者との出会いなど、悲喜こもごものストーリーが展開しました。

 

舞台はマルセイユ

主人公ダンテスは航海から戻り、愛するメルセデスという女性にプロポーズします。メルセデスも高鳴る気持ちでOKしてダンテスは彼女との婚約式の日を迎えました。しかし、その最中、えん罪により連行されてしまうのです。

 

そのメルセデスと、メルセデスの幼なじみで恋心をずっと抱いていたフェルナンの住んでいた村がカタロニア村という名前です。

 

いきなり出てくるカタロニア村。スペインのカタロニア(カタルーニャ)にしては遠い、じゃあフレンチ・カタロニア?いやそれでもかなり遠い。どこだろう???と考えていました。

 

そうしたところ、マルセイユ在住の人と仕事で会うことがあり、聞いたところ、マルセイユの中心エリアのすぐ近くに、現在カタロニア海岸(プラージュ・デ・カタラン
Plage des Catalans)と呼ばれるビーチがあり、ここには15世紀頃スペインのカタロニアの人が住み始めたという歴史があるようです。

 

どおりで作中に主人公ダンテスが牢獄の島である”シャトーディフ”に船で連れて行かれるときに、カタロニア村の明かりが見えたと書いてあるわけだと理解できたのでした。

 

最後に、余談にですが「モンテ・クリスト伯」の読書会に参加することにしたことを書きます。以前、パリ郊外のポール・マルリーという小さな町のアレクサンドル・デュマが多額の資金を投じて作った日本名でいうと”モンテ・クリスト城”に以前ツアーの添乗で行ったことがきっかけでした。

 

実は、私、「巌窟王」知らなければ、「三銃士」さえも、マンガや人形劇でもちゃんと見たことがなく、作者のアレクサンドル・デュマについて、この場所に行くまで全く知りませんでした。添乗員でありながら、誠にみっともない話で、それが自分の中に印象に残っていて、読書会に参加しました。

 

マルセイユに行ったときにも、沖に見えるイフ島がこの「モンテ・クリスト伯」に出てくる”シャトー・ディフ”のモデルになっているとガイドさんに聞いたこともあったのに、その時は、全然興味も持たなかったです。

 

そんなことを何十年がぶりにふと思いだし、参加しました。

 

モンテ・クリスト伯 1 (岩波文庫)

モンテ・クリスト伯 / アレクサンドル・デュマ著 ; 山内 義雄訳

東京:岩波書店 , 1956.2

353p , 15cm

赤533-1

 

 

 

 

 

第128号:フォーブル・サントノレ通りのヴィルフォール邸・・・「モンテ・クリスト伯」(Ⅴ)

アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」の読書会は、第5巻が終了しました。いよいよ、あと2巻です。いまさらながら、このような長編の愛憎劇の繰り広げらる話をいままでの私は読んでこなかったと実感しています。

復讐のための立ち回る主人公モンテ・クリスト伯から気持ちが離れてしまった自分というのを時々感じますし、今まで見ていないもの・見たくなかったものを見ることは、時に苦痛を伴います。でも、見たくないものを見て考えることというのが、この小説に限らず、今の時代には大切なのではないかと思います。

 

さて、『モンテ・クリスト伯』の話に戻りますが、舞台はマルセイユ、ローマ、3巻以降パリとなっています。

 

マルセイユでの裏切り、その当事者を追いかけるようにモンテクリスト伯はパリの社交界に現れるのですが、その宿敵の一人ヴィルフォールの邸宅はフォーブル・サントノレ通りにあります。

 

フォーブル・サントノレ通りといえば、ルーブルから近く、ルーブルの横を通るリヴォリ通りと並行する通りで、高級ブランドのお店が連なるパリを代表する品の良いショッピングストリートです。

 

モンテ・クリスト伯』がJournal des débats (ジュルナル・デ・デバ)という新聞に連載されていた時期は1844~1846年です。

物語としては、それよりも20-30年前の時代を舞台にしているので、その時代はヴィルフォールのような代々財を築いてきた人たちが住む高級邸宅街だったのかもしれません。この小説の中では、屋敷の裏は広い庭があり、隣接する土地は野菜畑というので、想像もできませんが、昔はそんなふうだったのかなと考えてみるものいいかもしれません。

 

モンテ・クリスト伯 5 (岩波文庫)

モンテ・クリスト伯 5 / アレクサンドル・デュマ著 ; 山内義雄

東京 : 岩波書店 , 1956.8

353p ; 15cm 

 

 

 

第127号:キオッジャの町の美しいワンシーンと本・・・「パパの電話を待ちながら」

Netflixで、クリスマスに『イル・ナターレ: クリスマスなんて大嫌い(原題:Odio il Natale)』を見ました。とてもいいドラマでした。笑って、泣いて、ハッピーエンド。

このドラマは、ベネチアの町が舞台になっています。でも、主人公が自転車に乗っているので(本島など観光エリアは自転車乗り入れ禁止なので)、どこかなと調べたところ、大陸側にあるキオッジャ(Chioggia)であることがわかりました。

 

このドラマの中で、主人公ジャンナがクリスマスの古本の露店で、本に手を伸ばしたところ、カルロという知人男性も手を伸ばし、偶然再会する場面があります。

 

その時、二人が出にしたのが、ジャンニ・ロダーリの「Favole al Telefono」でした。

日本では内田洋子さん訳で「パパの電話を待ちながら」というタイトルで出版されています。ジャンニ・ロダーリの本はイタリア人ならば子どもの時に必ず1度は読んでいるはず、という話を聞いたことがありました。

 

このドラマの最終話で、ジャンナがこの本を手に取りながら「眠る前に母がいつも読んでくれた」というとカルロが「僕も同じだ」といいます。そして、ジャンナがお気に入りは「どこにもつながっていない道」だといい、カルロがそのストーリーについて話します。

この「Favole al Telefono」の本と、キオッジャの町は関係ありませんが、このドラマの美しい1シーン。石頭のマルティーニだけが進んだ「どこにもつながっていない道」。「望みのある人だけが世界で一番美しい場所にたどりつく」とカルロは言いました。

 

パパの電話を待ちながら (講談社文庫)

パパの電話を待ちながら / ジャンニ・ロダーリ著 ; 内田洋子訳

東京:講談社 , 2009

書名原書綴:Favole al Telefono

著者現綴:Gianni Rodari

 

www.youtube.com

 

 

 

第125号:旧李王家東京邸・・・「李王家の縁談」

2021年11月に発刊された林真理子さんの「李王家の縁談」を読みました。

明治末期から戦後までを、梨本宮伊都子の目線で書かれた小説です。梨本宮伊都子は日記を残したことで知られています。

 

現在は断絶した梨本宮ですが、伊都子は鍋島家から梨本宮守正の元へ嫁いでいます。この小説の中では、伊都子には2人の娘がおり、出来れば宮家との縁談をと望みながら、妥協もしながら、縁談相手を見つけていきます。宮家の縁組みというのは、その双方の年格好や家の格やその他複合的な要素があり、なかなか難しいことがうかがえます。

 

そして、長女の方子(まさこ)を本当は日本の宮家へ嫁がせたいとは思いつつ、朝鮮王朝の李王家の王世子の元へ嫁がせることにします。日韓併合を機に王世子は日本におり、日本語も堪能です。「日朝融合の証」という大義と日本と本国から潤沢なる資金が送られているのも魅力の一つだった様子がうかがえます。

 

しかし、時代は明治から大正へ移り、関東大震災なども起こり、朝鮮人への差別やデマが強くなっていく様子があり、なかなか難しい立場にあることがわかります。

 

王世子と方子のチューダー様式の洋館はいまも残っています。旧赤坂プリンスホテル、現在の東京ガーデンテラス紀尾井町の東側に現存し、赤坂プリンス クラシックハウスと呼ばれ、ウエディングなどで使われています。ここは太平洋戦争の時にも壊れることがなかったそうです。

 

V字型をした旧赤坂プリンス(赤プリ)が建て直されてから、もうだいぶ建ちますが、赤プリといえば、私は大学の卒業謝恩会の会場でした。大学が中途半端なせいか、会場も少し中途半端感があり、らしいなあと思った記憶があります。

 

でも、その裏手にこんな素敵な洋館があったなんて、この本を読むまで知るよしもありませんでした。

 

私の祖父の代には東京にいたようですが、さらに系図を辿ると会津若松につながります。賊軍とされてしまった会津藩、それ以外の東北の藩の人たちの事も考えてしまいました。

 

李王家の縁談

李王家の縁談 / 林 真理子著

東京 : 文藝春秋 , 2021.11

p247 ; 20cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第124号:世界一の本の街 神田神保町・・・「古本食堂」

原田ひ香さんの本は2冊目です。1冊目に読んだ「三千円の使いかた」がとても面白かったので、この2冊目「古本食堂」を読みました。なんといっても、私の将来の夢は古書店を経営することなので、古本、古書というキーワードには反応してしまいます。

 

さて、この本には2人の女性が出てきます。大学院生の美希喜ちゃんと、彼女の大叔母にあたる珊瑚さん。

 

珊瑚さんのお兄さんの滋郎さん(美希喜ちゃんの大叔父)がこの神保町(スズラン通りから1本入ったところ)で古書店を経営していましたが、独身のまま急に亡くなってしまって、その店をどうするかという状態になり、妹の珊瑚さんが帯広から出てきました。

 

珊瑚さんは、滋郎さんの住んでいた高円寺の家に住み、神保町のこの古書店をとりあえずは再開させます。美希喜ちゃんは、神保町にほど近い大学院に通っていて、もともと滋郎さんの時にもこの店にも来ており、珊瑚さんをサポートします。

 

そんなにたくさんお客さんが来るわけでもないのですが、ちゃんとお店は支持されていて、周りの人びとの言葉から滋郎さんがとても愛されていたことがわかります。亡くなっても、みんなが口にする滋郎さんのいろいろエピソード。そんな風に生きたいものです。珊瑚さんも、美希喜ちゃんもなかなかの読書家で、なかなか素敵です。

 

そして、神保町の名店の料理がたくさん出てきます。コロナ禍の時代ということもあるせいか、テイクアウトで古書店の中で食すシーンも結構出てきます。ボンディのカレー、揚子江菜館の焼きそば、ろしあ亭と思われるピロシキなど。

 

珊瑚さんと珊瑚さんの気になっていた東山さんが、東京で再会するシーンでは靖国通りにあるランチョンが出てきます。

 

あー、麗しの神保町。今すぐにでも行きたくなります。

 

最後に、私がこの本を読んで少し驚いたことは、この本に出てくる美希喜ちゃんの通う「神保町の近くにある、O女子大」。それって、私の母校??と思い、原田ひ香のWikipediaをみたら、なんと私の少し上の先輩にあたる方でした。

 

私は大学の3,4年を神保町に程近い校舎で過ごし、新卒の時には一ツ橋にオフィスがあったので、よくスズラン通りで過ごしたのでした。ランチの時間も楽しかったし、古書店の軒先を見て回るのも楽しかった。ランチの後のお茶には、ブックカフェに行ったり、老舗ラドリオやミロンガ、さぼうるにも行きました。仕事帰りに寄る神保町交差点のディスクユニオンは、ジャズやボサの品揃えがよくて、よく行きました。

 

もし、また通勤したい街を問われれば神保町とこたえると思います。

 

古本食堂

古本食堂 / 原田 ひ香著

東京 : 角川春樹事務所 , 2022.3

p290 , 19cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第123号:松本の包装紙・・・「松本十二か月」

片道2キロちょっとの図書館までウォーキングして、あてどもなく本を見て過ごすのが週末の楽しみです。

 

今年の夏は久しぶりに長野の姉のところに行こうと思っています。姉が白馬から引っ越し、いまは松本に比較的近いエリアに住んでいるので、以前よりも中央線を使ったりして松本に立ち寄ることも増えました。

 

大学時代の親友Aちゃんの実家が諏訪なので、お互いに長野に行っているときにうまくタイミングがあえば、松本で待ち合わせて会うということも出来るようになりました。

 

今回、図書館で見つけた2011年4月発行の伊藤まさこさんの「松本十二か月」を読みました。表紙はとても冬っぽいけど、内容は1月から12月までの季節の移り変わりとともに、松本やその周辺のことが書かれています。

 

このころ、伊藤まさこさんは5回目の松本での春を迎えようとしていて(いまは松本にいるのかどうかわかりませんが)、松本の風土、そして民芸を含む文化を写真とともに紹介しています。

 

特に、私が注目したのは松本の老舗店の包装紙。

民芸の陶器等を販売する「ちきり屋工芸店」さん、おもちゃ屋「ぴあの」さん、和菓子の「開運堂」さん、「梅月」さんなど、民芸運動に貢献した方々が描いた包装紙が今も使われています。

 

この本にはありませんが、私の大好きな石垣サブレを発売している洋菓子の「マサムラ」さんの東郷青児さんの包装紙もとても印象に残る包装紙です。

 

昭和レトロブームですが、そんなブームどうのでなく、ずっとみんなに愛されているっという感じが伝わってきて、なんだかほっこりします。

 

現在は、「クラフトフェア松本」もあり、クラフトの町として知られており、民芸の精神は、作家たちの新しいエッセンスを加えて新しい形でひろがりをみせています。

 

今年も夏には、セイジ・オザワ 松本フェスティバル が行われますが、音楽、民芸やクラフトという文化、そして松本城を中心とした歴史ある城下町、こんなに揃っている町はなかなかないのではないでしょうか。

 

ほんとうにこの本のどの部分も興味深いのですが、民芸はやっぱりいいですね。私は柳宗悦バーナード・リーチがとても好きなので、この町についてももっと深掘りしたいです。

 

松本の七夕は、ひと月遅れの8月7日だそうです。七夕人形というのを飾るそうですよ。

 

松本十二か月

松本十二か月 / 伊藤 まさこ著

東京 : 文化出版社 , 2011.4

p166 , 21cm

 

 

 

 

 

第122号:鎌倉と牛久、二つの大仏・・・「やさしい猫」

中島京子さんの「やさしい猫」を読みました。

特に最後の100ページくらいは、ボロボロ泣きながら読んで、こんなに嗚咽しながら読む本って、ここ最近出会っていません。

 

この話はスリランカ人のクマラさんとミユキさんと、ミユキさんの娘のマヤちゃんの話。東京の片隅住む普通の家族の話。

でも、クマラさんはスリランカ人で、就労ビザが切れてしまったから、入管に収容されて大変な目に遭うんだけれど・・・。

 

二つの大仏。

一つは、クマラさんが見たがっていた鎌倉の高徳院の大仏。

”大仏に向かって左手の木陰にひっそりと、人の顔のレリーフをつけた赤い石碑”

があります。そこには、ジャヤワルデネ前スリランカ大統領が言った言葉が彫ってあるそうです。

人はただ愛によってのみ

憎しみを越えられる

人は憎しみによっては

憎しみを越えられない

               法句経五

この大統領は、終戦後のサンフランシスコ講和条約で日本の自治権を認めるかどうかというときにこの言葉を演説で言い、会議の出席者に”日本に寛容さを示すべきだ”と説得してくれたそうです。

 

もう一つの大仏は、東日本入国管理センターの近くにある牛久大仏

窓もない部屋に収容されて、クマラさんはもちろん大仏様を見ることも出来なかったわけだけれど・・。

 

スリランカは70%が仏教を信仰しているので、大仏様のところにスリランカの大統領の言葉の石碑があるのもそのあたりが関係しているのかなと思いますが、そのあたりは実際に鎌倉に行って確認したいです。

 

牛久の大仏様は高さ120m、鎌倉の大仏様は11.31m。大仏様は慈悲深く、人びとを包みこむ存在だと思います。

 

くしくも、この二つの大仏様の近くには不寛容な組織の施設と寛容な言葉のレリーフという対比があるのではないかと思いました。

 

また、この話の中に出てくるクマラさんが話してくれる「やさしい猫」というスリランカ民話の猫とねずみ。大きな者(強い者)と小さい者(弱い者)という対比も印象的です。

 

この小説は構成も完璧ですし、静かに、穏やかに話が進んでいくのに、読者をぐいぐいを巻き込んでいき、本当にすごいです。そして、日本という国は、私たちはと考えざる得ません。

 

スリランカ人のウィシュマさんが入管で収容されて亡くなったことは記憶に新しいところですが、そういうことがウィシュマさんだけが例外でなく起こっていることを考えざる得ません。

 

私には何ができるでしょう。深く考えてしまいます。

 

やさしい猫

やさしい猫 / 中島 京子著

東京 : 中央公論新社 , 2021.8

410p , 20cm