umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第135号:引き寄せる?・・・「聖灰の暗号」

私がトゥールーズに行くに際して読んでいた帚木蓬生氏の「聖灰の暗号」ではローマ・カトリック教会に弾圧され消滅したとされるカタリ派について書かれていたが、トゥールーズを観光していた時に街の中心エリアにあるサンセルナンバジリカの近くで、サンレーモンド博物館で行われるこの「CATHARES(カタリ派)」の看板を見た。カタリ派について、とても関心を持っていたので、偶然の出会いに驚いた。でも、この展示会は私が帰国した後に行われるので見ることはできなかった。

 

このサンレーモンド博物館は、サンセルバンバジリカの隣に位置している。帰国してガイドブックを読みかえしてみると、サンセルバンバジリカには、「偶像崇拝を拒んで殉教した聖セルナンに奉献されている」と書かれていた。とても高い天井であるにも関わらずロマネスク様式でできており珍しいと思った。

 

Cathares. Toulouse in the crusade at the Musée Saint-Raymond


openagenda.com

 

このサンセルナンバジリカの近くには図書館がある。「聖灰の暗号」の中で、主人公アキラが最初に第1の手稿を地図の中に見つけるのが市立図書館であったが、現在は市立図書館という名の図書館はないようで、この街の中心にある図書館がそのモデルではないかと思っている。この図書館の名前は「Bibliothèque d’étude et du patrimoine」といい直訳すると「研究(学び)と文化遺産の図書館」という意味らしい。

 

www.bibliotheque.toulouse.fr

 

読書をいうのは不思議なもので、関心を持つと偶然にも更なるものに出会うことが多い。この「聖灰の暗号」を読んでいなければ、おそらくカタリ派の展示会があっても看板の脇を素通りしていたと思う。

 

 

 

 

 

第134号:カタリ派の地・・・「聖灰の暗号」

先日、出張でトゥールーズとその周辺のワイナリーを巡っておりました。

トゥールーズ周辺を舞台にした小説を読んでから行こうと思っていたのですが、結局、旅の移動の途中に読みつつ、帰国してから読み終えました。

 

カタリ派」という名前は、以前も聞いたことはあったのですが内容も分からず、この小説に出てきて始めてしりました。オクシタニ地方のトゥールーズから南西部がこの小説でも舞台になっており、フランスのカタリ派はアルビジョアとも呼ばれています。

 

カタリとは清浄を意味し、極めて禁欲的で質素な生活、偶像崇拝を好まず、教会がなくても洞窟や炭焼き小屋などで隠れて祈りを捧げ、伝道師は移動しながら伝道するかたちで、農民のみならず、その土地の領主も強く信仰していたことがこの本にも書かれています。1208年、ローマ教皇カタリ派を征伐するために、十字軍を開始し、それはアルビジョア十字軍としても知られています。特に、ベジエ、カルカソンヌ、アトランカヴェルは抵抗しました。最後には1244年3月16日のモンセギュール城では、カタリ派の信徒たちが尋問や拷問を受けましたが信仰を捨てることを拒否して火刑に処されました。

 

正直なところ、私はカルカソンヌにも何回か足を運びましたが、このあたりの歴史についてはあまりよくわかっておりませんでした。今年9月から、3㎞の城壁の全区間が観光できるようになったとのことでアルビジョア派が徹底的に守ろうとしたカルカッソンヌの強固な城壁を目の当たりにできるのではないかと思います。そして、歴史を知っていれば往時に思いをはせることができるのではないかと思います。

 

この小説では、ローマ・カトリック教会が残そうとしなかった尋問記録や火刑の様子を、教皇の傘下であるベネディクト会の修道僧が個人的には書き残した文書の一部が偶然にトゥールーズ市立図書館で見つかるところから始まります。主人公アキラは研究者ですが、その文書の一部をヒントにその続きとなる文書を探していきます。その文書を見つけ出そうとする別の組織とは?

 

その手稿を修道僧レイモン・マルティはローマ・カトリック教会大司教カタリ派への尋問をオクシタニ語で通訳をして記録を残す職務についていたベネディクト会の修道僧だということがわかります。そして、このラングドック地方(現:オクシタニ地方)のモンセギュール城の近くのモンフェリエの出身でした。

 

最後には、ローマ教会のカタリ派への尋問、火刑のみならず、この地で起こったことを記した修道僧レイモン・マルティの手稿に電車の中で読んでいたんですが、涙が止まらず・・・

 

この小説の中では、カタリ派と同じく弾圧された天草の隠れキリシタンについても言及されています。あらためてハッとさせられます。

 

700年近く前の出来事ですが、モンセギュール城は今も堅牢な城壁をもって聳え、実際にこの地にあったことを今も物語っています。

モンセギュール (アリエージュ県) - Wikipedia

 

エキサイティングな内容というだけでなく、歴史の中を見ても、今の世界情勢を鑑みても何が正義なのか、考えてしまいました。

 

聖灰の暗号(上)(新潮文庫)

聖灰の暗号〈上〉 / 帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)著

東京: 新潮文庫,  2009.12

362p, 15cm

 

 

 

聖灰の暗号(下)(新潮文庫)

聖灰の暗号〈下〉 / 帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)著

東京: 新潮文庫,  2009.12

396p, 15cm

第133号:家族の形いろいろ、ナポリ近郊の町・・・「イタリア発イタリア着 」

大変ご無沙汰しています。

 

1年延期して2021年に開催された東京オリンピックから3年。パリオリンピックが先日終わりました。

今年は、パリオリンピック期間中にパリへ行くお客様が結構あり、なんだか落ち着かない日々を過ごしていました。

 

久々に書いてみようと思ったのは、やはり内田洋子さん。

内田洋子さんの書いていた文章の中で、たまたま出会った老舗の本屋さん。

ぶらりと立ち寄ったときに「イタリア発イタリア着」と遭遇しました。

 

内田さんか最初に留学したナポリの話。この本には他にもナポリナポリ近郊に住む人の話が出てきますが、なかなか旅行では知ることのない話を興味深く読みました。

 

その中の一つ、「不揃いなパスタ」では、内田さんと同じ大学に通う、クールな印象のカルメンとそのカルメンに憧れるように甲斐甲斐しく彼女をいつも学校までエスコートするニーノの話でした。

 

カルメンは、ナポリの郊外の特徴のない田舎街で裕福な暮らしをしていて、両親の留守に友人を呼んでパーティーをして、郊外で知り合いばかり多く娯楽のない町で時々毒抜きをしていた。

 

そんなカルメンのパーティーに呼ばれることのないが、ナポリに通ってくる彼女を毎日送り迎えするニーノは公務員を2,3年してから中国語を学びたいとナポリ大学に入学した。彼は、他の学生たちよりも随分落ち着いていて、大人びた印象。真面目そのもので、Tシャツ姿を見たことがなく長袖の綿シャツで、ジーパンは履かず、いつもプレスの効いたスラックスを履いていた。

 

内田さんが彼の家に行くと、公務員の父母と妹と弟がいた。家の隅々まで案内してくれたニーノの母。地方公務員と言っても質素な暮らしぶりで、午前の仕事が終わったあとに、ニーノの父は近所のよろず仕事を、母は家庭教師をしていたという。それでも冷蔵庫のドアには、観光名所の磁石のミニチュアが飾られ「家族の過去の幸せな時間」が見られた。

 

夕食の後は、深夜までモノクロの映画をニーノの家族と一緒に見た。家族にとっては、セリフも言えるほどに見慣れた南部の俳優が出る映画だった。朝は簡単に食事をするイタリアの中で、朝からパスタを煮込む匂い。ニーノの家では、体の弱かった息子のために朝から豆入りのの不揃いのパスタを煮込み朝食にしていた。すっかり、息子は元気に育った。

 

1960年代頃のナポリではあちこちでパスタを打って売る店があり、様々な形状のパスタが売られていた。その折れたり切れたりして残ったパスタを集めて、<交ぜ合わせ>パスタとして安売りしたらしい。それは下町の救世食となった。地道な時を重ねて今につなぐ生き方をするニーノの家族。

 

ナポリ近郊といっても、いろいろな家族がいて、カルメンの家族とニーノの家族の対比があり、イタリアらしいエピソードでもあり、思わずこみ上げてしまった。

 

イタリア発イタリア着 (朝日文庫)

イタリア発イタリア着 /内田 洋子著
東京:朝日新聞出版, 2019.2
p.300 , 15cm

 

第132号:Z**町図書館・・・「街とその不確かな壁」

第131号からすっかりご無沙汰しておりまして、失礼いたしました。
本を読まなかったわけではないのですが、小説から少々離れており、いろいろなことが気になり、乱読というのでしょうか。いろいろなジャンルの本を読んでいました。例えば、仕事術やマインドフルネス関連や量子力学など。

私にとってはかなり難解でしたが、村上春樹さんの「街とその不確かな壁」をやっと読み終えました。
この本の中で出てくる会津若松まで行って、ローカル線に乗り換えて、おそらくイメージとしては30‐40分のところにあると思われる「Z**町」。主人公の「私」は図書館の仕事を求めてやってきます。その名は「Z**町図書館」。館長の子易氏が造り酒屋として持っていた元醸造所を図書館に改装したという。

とても居心地のよさそうな図書館。
小説を読みながら、その図書館を想像するのも楽しいし、その図書館に行く沿線の風景を想像するのも心地いいです。

個人的に会津若松という地は、以前からとても気になっている地です。
中学生の頃に一度、剣道部の合宿の途中に、目的地は山形の米沢だったのですが、なぜか立ち寄ったことがあります。
私の実家では、私の家は元々会津の出身だといわれて育ってきたので、何か特別に感じてきました。その後、行くこともなく今に至っていますが、台東区谷中の菩提寺の墓に刻まれている、ほとんど判然としない「会津藩士」や「文政」という文字を墓参で見るたびに気になり続けているのでした。

この小説自体は私にとって、とても難解でした。
壁のある街と実在している考えているこちらの世界、こちらに住む人とあちらに住む人を普通であれば、生きている人と死んでしまった人と分けて片付けるところを、そうではない世界観で、さらに境界がはっきりしない、まさに不確かな壁がある。これをどうやって捉えるのかは読者にゆだねられているのがと思うのですが、うーむ。

たまたま私の中でその時期、共鳴するように興味を持った「ゼロポイントフィールド仮説」でいうところのゼロポイントフィールドには過去、現在、未来のすべての情報が記録されているということなので、その話と重ねていくと、勝手な解釈ですが個人的にはとても興味深く、でもそのあたりの知識を多少かじっただけの私にはさらに頭を悩ませるものでした。重要な場所として図書館というのも、「宇宙図書館」と関連するキーワードかなと勝手考えたり、そんな時間が楽しかったです。

架空の「Z町」であるのですが、只見線かな・・・など、馴染みのない土地なのに想像してしまうのでした。

街とその不確かな壁 / 村上 春樹著
東京:新潮社, 2023.4
p.661 , 20cm

第131号:ペール・ラシェーズ墓地・・・「モンテ・クリスト伯」(Ⅶ)

第7巻(岩波文庫)で終了の「モンテ・クリスト伯」。

 

この1800年代中盤の物語(1844年から1846年新聞連載)でも、パリに住む貴族だったり、著名人たちは、亡くなるとペール・ラシェーズの墓地に眠ることが書かれています。

 

この物語でも、ヴィルフォールの家のヴァランティーヌが丸薬を飲んだ後に亡くなってしまうシーンが出るのですが(ネタバレするので詳しくは書けません)、ヴァランティーヌが埋葬されるのも、このペール・ラシェーズの墓地でした。

 

場所はパリの中心から東寄りの11区と20区の境にあります。

東京で言ったら、谷中霊園とか青山墓地とかいう感じで都会にあるけれど、そこだけとても静かで昔と変わらない姿を残す墓地です。

 

私がツアーを作っている会社にいた頃、やたらコースにペール・ラシェーズを入れたがる上司がいて、悪趣味だと感じたことがあります。誰かを偲ぶためにこっそり出かけていくにはいいと思いますが、興味がない人たちを連れて団体で行くなんてナンセンスだなと思いました。

 

だから、ペール・ラシェーズの名を聞くと、そんな上司にも一言意見もできなかった自分を思い出します。

 

モンテ・クリスト伯 7 (岩波文庫)

モンテ・クリスト伯 /  アレクサンドル・デュマ著 ;山内義雄
東京 ; 岩波書店 , 1956

 

第130号:ローマの山賊ルイージ・ヴァンパの占領地・・・モンテ・クリスト伯(Ⅲ)、(Ⅶ)

モンテ・クリスト伯」の読書会がついに終わりました。

岩波文庫は第七巻で物語が終わります。

 

個人的には、主人公モンテ・クリスト伯(ダンテス)から気持ちがすっかり離れてしまったので、ひたすら物語に出てくる地に思いを馳せるヴァーチャルトリップ専門家のような感じで読み進めました。

 

さて、第三巻はローマが舞台で、個人的にはとても好きな巻でした。

三七「サンセバスチャンの塋窟(えいくつ?)」という話があります。

塋には墓という意味があるようです。「塋窟」にカタコンプとルビがついていました。

 

ここではアルベールがローマの城壁の外に出て、山賊の捕らえられてしまうのですが、その山賊の首領がルイージ・ヴァンパです。

 

ローマの城壁の外は、カンパーニャ・ロマーナといい、ルイージ・ヴァンパの一味がいるのがサンセバスチャンのカタコンプ(カタコンペ)となっています。

サンセバスチャンのカタコンプは、旧アッピア街道付近にある地下墓地で、現存しています。

 

ルイージ・ヴァンパは、そこを巣窟として活動し、時には忠実なモンテ・クリスト伯の手下として働きをします。

 

そして、最終第七巻でも再度登場し、モンテ・クリスト伯の復讐の最終段階に手を貸すのでした。

 

山賊が住み着くのが、ローマの城壁の外の無法地帯にある髑髏(しゃれこうべ)がひしめくようなカタコンプというのは、なんとも不気味さがあります。

 

話が逸れますが、サンセバスチャンのカタコンプの近くを通るアッピア街道。

アッピア街道は、日本の松とはちょっと違う、背の高い松が街路樹となっています。

そのようすを見ると、作曲家オットリーノ・レスピーギ「ローマの松」の交響曲を思い出します。

 

サンセバスチャンのカタコンペに行ったときには、是非旧アッピア街道(アッピアアンティカ通り )にも足をのばしていただきたいです。

 

モンテ・クリスト伯 7 (岩波文庫)

モンテ・クリスト伯 /  アレクサンドル・デュマ著 ;山内義雄
東京 ; 岩波書店 , 1956

 

 

 

 

 

第129号:コンピエーニュの「鐘と罎のホテル」・・・「モンテ・クリスト伯(Ⅵ)」

第6巻の読書会が終わりました。変化があり、面白かったです。

 

さて、六巻の最後の九八話に出てきた「鐘と罎のホテル」 というコンピエーニュ(Compiègne)のホテルについて、 気になっていたのでその後調べました。


下記のリンク①のサイト「Alexandrine Editions」の文章から、どうもアレクサンドルデュマは、 オワーズ県にあるコンピエーニュを気に入って滞在していたような 記載が見られました。


そして、Hôtel de la Cloche et de la Bouteille(フランス語で「鐘と罎のホテル」) に滞在していたようで、そこがまさに「鐘と罎のホテル」でした。
残念ながら、現在はその名のホテルも後継のホテルもありません。
Google Mapを見ると現在「Le New Bell」というディスコ!?になっているようです。

 

場所は現在の美しい塔のある市庁舎の隣に位置しており、 下記のリンク②で今と昔の画像がみられます。◁▷ を左右にずらすと今と昔の画像を比較的できます。


私はフランス語がわからないので、はっきりわかりませんが、 リンク③でHôtel de la Cloche et de la Bouteille の動画で、昔のホテルの画像と解説らしきものが見られます。

 ①「Alexandrine Editions」サイトからの引用
https://www.alexandrines.fr/compiegne-alexandre-dumas/

②Hôtel de la Cloche et de la Bouteilleの今と昔の画像
https://www.geneanet.org/cartes-postales/view/43751#18119

③Hôtel de la Cloche et de la Bouteille の動画
https://www.youtube.com/watch?v=rGN70vg9WkM

 

ご興味がありましたら、御覧ください。

 

 

モンテ・クリスト伯 6 (岩波文庫)

モンテ・クリスト伯 /  アレクサンドル・デュマ著 ;山内義雄
東京 ; 岩波書店 , 1956