第81号:エンナは季節のはじまりの地?・・・「ギリシャ神話」

ギリシャ神話は好きで、今までもいろいろな本を拾い読みしていました。

本によってディテールには違いがあり、話自体もやや奇想天外ではありますが、その世界観は日本人が「古事記」「日本書紀」を断片的にも知っているように、馴染んでいるようです。

 

今回読んだ「ギリシャ神話」は、児童文学の作家であり、翻訳家として知られる石井桃子さんの編・訳です。児童文学書なので、とても分かりやすく書かれています。

 

この本にも私が大好きなシチリアのエンナを舞台とする大地の母デメーテルの話が出てきます。以前、読んだものとディテールは違いますが、お話を読みながら高速道路を走りながら車窓からみたエンナの風景を懐かしく思い出しました。

 

なかなかエンナを目的に出掛けることはありませんが、アグリジェントからカターニャタオルミーナに移動する際に、A19という高速道路を通りますが、その車窓からエンナの草原が見られます。

 

高速から見えるエンナの景色を入れてみました。

www.google.com

 

それでは、かいつまんであらすじを少し・・・

 

メーテルは土から生まれたものの全ての母で、穀物を芽生えさせたり、果物を実らせる秘密を知っていました。

 

神々の父といわれるゼウスとの間にペルセポネという美しい一人娘がいました。ある日、ペルセポネはエンナの牧場でニンフたちと遊んでいました。とても美しく気になる、水仙のように見える、1つの花を見つけ、それを引っ張ると大地が割れ、大きな口をあけ、冥界の王ハデスの4頭立ての馬車が勢いよく飛び出し、連れ去られてしまいました。

 

母デメーテルはペルセポネを探し続けましたが見つからず、深く悲しみ、暗いほら穴へ姿を隠していまします。姿を消したデメーテルは人間の世界に降りていき、人を助けたり、旅をしていました。

 

大地の母デメーテルが畑の面倒を見なくなってから、作物は目を出すことも育つこともできなくなりました。

 

そこでゼウスはイリスという虹の女神に、デメーテルがいないと生き物は育たず、みんな死んでしまうので早く帰ってくるようにを伝えに行かせましたが、だめでした。他の神々を行かせても、デメーテルをなぐさめることは出来ませんでした。

 

そして、とうとうゼウスは、ヘルメスを冥界の王ハデスのもとに行かせ、母の手にペルセポネを返すかどうか確かめにいかせました。その話を耳にしたペルセポネの喜びようを見て、ハデスもヘルメスの申し出を聞き入れないわけには行きませんでした。

 

申し入れをしぶしぶ受けたハデスは、馬車に乗ろうとしたペルセポネにざくろの実を食べさせました。ペルセポネはそれを4粒だけ食べました。冥界のものを食べた者は冥界から出られないということを知らずに・・・。


ペルセポネはデメーテルのもとへ帰りました。しかし、喜んだのもつかの間、デメーテルはペルセポネが冥界の食べ物を食べたことを知ります。 

 

メーテルはゼウスに助けをもとめ、神々の父であるゼウスはデメーテルの頼みをきき、ペルセポネが冥界で過ごすのは食べたざくろの実の数、つまり4カ月でいいということになりました。

 

メーテルがペルセポネといられる8カ月は、美しいエンナの谷へ帰って、畑や果樹園で働き、農夫やパンを焼く女の手助けをしたり、いろいろな仕事の世話をしました。


ペルセポネが冥界にいる4カ月間、デメーテルはまたほら穴の暗い陰に隠れてしまいました。そのあいだ、生き物はまた眠ってしまいましたが、農夫たちは恐れませんでした。なぜなら大地の神デメーテルが戻ってくることを知っていたからです。

 

というお話です。

この本では、季節のはじまりの話とは出てきませんが、一般的には、このデメーテルの隠れてしまう4カ月が冬であり、この話は季節のはじまりの話といわれています。

 

このエンナは、シチリアなのに冬は雪が降り、厳しい冬が来るところとして知られています。まさにこのお話にぴったりです。

 

ギリシャ神話なのに、シチリアって思われるかもしれませんが、ローマ人よりも前に現在のイタリアあたりはギリシャ人が住んでいたわけで、シチリアには古代ギリシャの名残がいまでも見られます。

 

シチリアにも行きたくなります。

 

ギリシア神話

ギリシャ神話 ; 石井 桃子 編・訳

東京 : のら書房 , 2000

21cm , 341P

 

 

第80号:ローマ発信・・・「コロナの時代の僕ら」

パオロ・ジョルダーノ著の「コロナの時代の僕ら」を読みました。ここ最近話題の本です。

 

著者はイタリア人で、物理学を学んでいたこともあり、数学的な要素を盛り込んだ処女作の『素数たちの孤独』では、イタリアで権威あるストレーガ賞を受賞しています。プラス補足するとかなりのイケメンです。

 

さて、この「コロナの時代の僕ら」は、イタリアにおいて最も古くから発行しており、ミラノに本社のある新聞「Corriere della Sera(コリエーレ・デッッラ・セーラ)」に2月末~3月頭にかけて書き下ろした感染症にまつわるエッセイ27本をまとめたものです。ローマの自宅から発信しています。

 

新聞記事だったことを踏まえて読んだほうが、時間の経過が理解できます。日が経っていくにつれて、著者の今後への考え方が一貫して強くなっていく様子が伝わります。また、著者は日の経過とともに、コロナショックが始まった当初のことを回想し、政府の対応や周囲の人々、また自分の反応や態度を検証してみたりしています。

 

アフターコロナでは、著者もこの文章の中で「条件付きの日常と警戒が交互する日」が始まると書いています。

 

あとがきでは、イタリア全土でロックアウトされた後の3月20日付で寄稿されたものが載せられており、「コロナウィルスが過ぎたあとも、僕らが忘れたくないこと」というタイトルでとても熱く、強いメッセージが込められています。

 

著者は「僕は忘れたくない」という言葉からスタートする9つの決意みたいなものを書いています。

   

日本でも「ニューノーマル(新常態)」がはじまると言われています。私を含め、日本の読者もこれを読んで「私は忘れたくない」と書き出してみようと言う気持ちになるのではないかと思います。

 

3月20日付の新聞記事の発行後、日本語訳では出版元のウェブサイトでの一定期間の掲載を経て、わずか1ヶ月で単行本として発売されました。異例の早さでした。

 

「鉄は熱いうちに打て」というように、いまこの混沌の中で読むことは1つ意味があるのではないかと思います。

 

 

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら / パオロ・ジョルダーノ著 ; 飯田 亮介訳

東京 : 早川書房 , 2020

128p ; 19cm

原書名 : Nel Contagio

著者名原綴 : Paolo Giordano

 

イタリア語の原題は「Nel Contagio」であり、素直に訳すと「感染の中で」というような意味です。

 

「コロナの時代の僕ら」というと、個人的にはガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」と重ねてしまいましたが、原題と邦題には少し乖離を感じなくもありませんが、このタイトルはインパクトがあり、プロモーションとしては上手だなあと感心しました。

 

 

第79号:歴史的な日々の記録・・・小説『喝采』

皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。

コロナ禍以降、SNSでおもしろ動画や応援動画を送りあいシェアすることが流行っていますが、皆さんはいかがでしょうか。

 

今回は友人からの情報で教えてもらいましたが、コロナ禍によりロックダウンされたパリにいた原田マハさんが、SNSTwitter)発信で、18日間の連続小説「喝采」を連載されたので、紹介してみたいと思います。

 

下記の公式サイトから小説「喝采」を読むことができます。

 

haradamaha.com

 

旅行業という仕事柄、このコロナウィルスの拡がりをかなり注意を払ってウォッチングしてきた私ですが、当初1月末の春節の頃に武漢でのコロナウィルスが流行り始めて、日本にも感染が出始め、クルーズ船が横浜で沖止めになったまま何日も経って、現代とは思えない対応に、まさに14世紀のペストの流行の際にベネチアで40日間沖止めにした船から由来すると聞いた「quarantine」という言葉がまず頭に浮かびました。

 

2月には何とか大丈夫だった欧州が、3月初旬にイタリアを皮切りに感染者が出始め、あっという間に拡がっていく様子に驚きと自分のお客さまが3月からは全員欧州行きを断念していたことに胸をなでおろす日々でした。

 

例年であれば、イタリアではミモザの黄色い花を持った男性が歩く姿が見られ、女性解放デーでもあるFesta della donna(フェスタ・デラ・ドンナ)の3月8日に、イタリアの北部はロックダウンに入り、日本の外務省は感染症危険度レベル3(渡航中止勧告)に引き上げを行い、数日の間にそれに追随する形で欧州各国がレベル3になっていきました。20年近い旅行業において欧州の主要エリアにレベル3が出た体験をしたことがありませんでした。

 

この小説「喝采」についての メールインタビュー原田マハさんは下記のようにこたえています。

『暗幕のゲルニカ』や『美しき愚かものたちのタブロー』でも書きましたが、1940年にナチス・ドイツによるフランス侵攻とパリ占領という歴史的瞬間がありました。まさにそれに匹敵する瞬間に立ち会っていると気づいた時、私は自分ができる方法で、このことを記録に残したいと思い、リアルタイムで小説を書こうと思い立ちました。

 

歴史的な出来事が起きている中にいるとは私も思っていましたが、こういうときに現場でリアルタイムに記録をするというのは、後世においてもとても大事なことなのではないかと思いました。

 

原田マハさんはロックダウンが始まったパリでの様子を写真と小説として文章で18日間にわたってTwitterという手法で発信しました。この発信の仕方はまさに現代らしい手法です。でも、この状況はペストやスペイン風邪といった、かつて猛威を振るったウィルスと直面するという点では、歴史は繰り返すという言葉を思い出さざる得ません。

 

原田マハさんは、さらにインタビューの中で、

あらためて日本と欧米の文化や習慣の相違を見つめ直してみると、日本人には「公衆の面前」とか「人前」という意識、「恥」の文化があります。その感覚が欧米人と比べて相当強い。あくまでも私見ですが、それが今回のパンデミックでは有利に働いているのではないかと感じています。

 

このように書き綴っています。日本人は公衆衛生の意識が高く、欧米人にはわかりずらい重層的な独特の世界観があるのかもしれません。これが今回のウィルスには多少強みとなるのかもしれません。

 

コロナ禍よりも以前の話ですが、フランスにかなり長く在住していた年配の知人と話した際に、簡単に言うとフランスは「性悪説」で考えて、日本は「性善説」で物事を考えるという話を聞きました。今回の各国の政府の初動対応や対策の違いはなんぞやと考えていて、欧州諸国と日本の民度の違いや諸々の違いを考えていた時にこの話が思い出され、妙に端的で私としては腑に落ちました。

 

 

私は仕事上、特に欧州への旅行を中心としていたので、仕事の平常化を考えると長いトンネルに入ったばかりです。第2波、第3波もあるといわれ、トンネルの出口は全く見えてきません。

 

アフターコロナではどんな世界が広がっているのかと日々考える私がいます。でもその世界を見られなかった志村けんさんやたくさんの方々を思うとシュンとして、悲しくなる私もいます。

 

いつもは何かしらに物言いをしたり、辛口な私ではありますが、いまウィルスに立ち向かい平常に戻していくには、批判と分断ではなく、賛同と団結ではないかと個人的には思っています。日本人ならではの「喝采」の仕方があるかもしれません。

 

収束していつもの通りの日々を取り戻し、この日々のことをいつか冷静に振り返る日が来ますように。

 

小説「喝采」メールインタビュー vol. 1 | 原田マハ公式ウェブサイト

小説「喝采」メールインタビュー vol. 2 | 原田マハ公式ウェブサイト

小説「喝采」メールインタビュー vol. 3 | 原田マハ公式ウェブサイト

第78号:元祖マヨネーズ、その味は?・・・「さよならは小さい声で」

あっという間に1週間が過ぎていきます。片付けやら、なんやらやることは多いですね。

 

今回も松浦弥太郎さんのエッセイにしました。2013年に発行されたものを集めた「さよならは小さい声で」。2016年に文庫化されています。

 

最近、ご近所のマダムと松浦さんの本を交換しながら読んでいます。マダムは息子さんが松浦さんの本を沢山持っているということで、それらを私に又貸ししてくれます。

 

さて、このエッセイの中で、「夢を分かち合う」というタイトルのエッセイがあります。

 スペイン領、メノルカ島。18世紀、マヨネーズはここで生まれた。はるかな昔から、島ではマヨネーズ作りのコンテストが行われた。コンテストは島の娘や婦人だけでなく、スペイン本土からも挑戦者が現れるほどであった。

 2年続けて優勝者になった夫人にその秘訣を訊くと、「卵の温度を室温と同じにすること。あとは最後まで決まった方向と力でまぜること。」この島で生まれ、娘の頃から何年もマヨネーズを作り続けてきた夫人は、当たり前のことを、当たり前に行うことの大切さを語った。 

 冒頭このような文章で始まります。

 

少し前に、NHK総合でJUJUさんと三浦春馬さんが司会をする「世界はほしいモノにあふれている」で、このメノルカ島(Menorca)がマヨネーズの発祥の島として、ほんの少し出ていたことがあり、マヨルカ島のすぐ隣にあるのにほとんど知らなかったこともあり、少し驚いた記憶があります。

 

www.menorca.es

マヨルカ島の隣(スペイン本土寄り)にはParty People にも人気のイビサ島があり、こちらには注目してきたのに、ノーマークでした。

 

さて、この松浦さんのエッセイには、「ひとつも信号機のないというメノルカ島のマヨネーズを一度でいいから食べてみたい。メノルカ島とはどんなところなのだろう。そんな夢をずっと抱き続けている」と書かれている。

 

私もこの文章を読んで、どんなところなのだろうと想像を膨らませて行きたくなった。

その後、松浦さんの夢は叶ったのだろうか。

 

松浦さんはこのエッセイで、知人女性から言われ、考えを変えたこととして「夢はたくさんの人に話したほうがいい」ということを書いています。

 

私も夢はたくさんの人が話したほうがいいのかなと思い始めました。それもあって、サイドバーにこのブログの「古書店を営むこと」という将来の夢を書いてみました。

 

松浦さんに影響されちゃってますね。

でも、「古書店」の夢は松浦さんの真似ではありません。 

 

さよならは小さい声で (PHP文庫)

さよならは小さい声で  / 松浦弥太郎 著

東京 : PHP研究所 , 2016

189p ; 15cm

 

 

第77号:東京砂漠ならぬ、パリの砂漠・・・「パリの砂漠、東京の蜃気楼」

自粛生活が長引いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 

時間があるのでいろいろやりたいことはあるのに意外と進まないので、朝目が覚めると無力感を感じたりもします。たとえば、夜になってやっと本が読めるとベッドに入ると、本も読まずに朝まで眠ってしまって、翌日も同じことを繰り返したり。

 

さて、金原ひとみさんの新刊エッセイ「パリの砂漠、東京の蜃気楼」を読みました。

私は金原さんの本をいままで読んだことがなかったので、金原さんというと、綿矢りささんと芥川賞同時受賞で、それもふたりとも20歳というインパクトだけが印象に残っていました。

 

少し前まで住んでいたというパリのことも含むエッセイがでると広告が出ていて、読んでみたいと思いました。結論からいうと、繊細な部分があり、感受性が強い金原さんを(何も知る由もない私ですが)彼女を好きになりました。彼女の書くこと、感じ方に共感するものがあったし、彼女が書いていることは十分に私に伝わってきました。

 

東日本震災後に、1歳と4歳のお嬢さんを連れて渡仏。パリでの母子生活をスタートさせました。夫も一緒に住むようになり、約6年のパリ生活を終えて、後半は日本へ帰国してからの生活が描かれています。

 

パリ生活の間には、2015年にシャルリー・エブド襲撃事件と後に呼ばれたテロがあり、その年には、大統領選でル・ペンに勝ってマクロンが大統領になりました。警報機が鳴るとテロかもしれないと身を固くし、近くのビルから飛び降りがあったと度々耳にする日々に、死を身近に感じる様子が伝わります。

 

もともとパリに永住するつもりで住み始めたわけでなく、自分で住むか、住まないかを職業柄(もちろん実績があって)決められる立場にあるというのは、一般人にはない境遇だと思います。だからこそ、家族もいて、フランス生活が長く馴染んでいる娘たちの生活もあり、どうするか悩む彼女の姿があります。しかし、実際問題パリでの生活は、個人主義という面があるのか、いろいろなことがサービス精神にかけることが多く、一度トラブルにあうと本当に面倒だったりするようです。

 

旅で行くと、ただただ素敵なパリも、住んでみるとまた見えてくるものはディープで、違うものが見えてくるのです。それでは日本は手放しで最高!となるかというとそう単純なものではないのだと思いますが、この本は旅する前にも読んでもらいたいなって思いました。

 

できれば、コロナ禍の今を金原さんにもまた書いてもらいたいなって思いました。

 

パリの砂漠、東京の蜃気楼

 

パリの砂漠、東京の蜃気楼 / 金原 ひとみ著

東京 : 集英社 , 2020

216p , 20cm

 

 

 

第76号:気になる書店・・・「場所はいつも旅先だった」

松浦弥太郎さんといえば、『暮らしの手帖』の現在の編集長から2つ前の編集長です。文筆家であり、書籍商となっていますが、ご本人はカテゴライズされるのはお好きでないようで、そういうところに私も共感しています。

 

さて、『場所はいつも旅先だった』は2009年に出版されました。旅に関わるエッセイのようなショートストーリーが収録されています。

 

私がこの本を購入したときは、装幀がカバーにシールが貼ったもので、なんだか味がある手作り感のある中の髪質といい、ペーパーバック風だったのですが、その後集英社で文庫本が発売されたようです。ちなみ私が購入したそのペーパーバック風のものはブルース・インターアクションズという会社が発行元となっています。

 

f:id:yukingiida:20200405114135j:plain

場所はいつも旅先だった

 

松浦さんが20代に過ごしたサンフランシスコ近郊のカルフォルニアバークレーが出てくるストーリーが多いのですが、ほかにもマルセイユやパリ、ロスなどの旅の話がでてきます。

 

その中でも印象に残ったのは、古書店の話でした。この本の中には何軒か古書店がでてきますが、その中でも特に印象に残ったのは、バークレーの「セレンディピティ・ブックス」とニューヨークきっての古書店「ストランド書店」。

この2つのお店のことは、『ご機嫌な習慣』という本の第5章「大好きなモノ語り」の最後の2編にも書かれています。

 

どちらも店主が個性的。

セレンディピティ・ブックス」の店主ピーターさんからは、ブローティガン著『アメリカの鱒釣り』の初版本を購入。サンフランシスコ中の書店を探して見つからなかったのに、この店には初版本がずらりと並んでおり、ピーターさんは日本から松浦さんに鉛筆で700ドルに線を引いて60ドルにして譲ってくれたそうです。酒の樽の看板に店名が書かれており、壁一面をアイビーの蔦に覆われ平屋の建物で古びた木でできたドアをカランコロンという音とも開けると中はだだっぴろい古書店だったそうです。その店の様子を想像しただけでも風情が感じられますね。

 

「ストランド書店」の店主フレッドさんには、1950年発行のグラフィックマガジンの『PORTFOLIO』全3号を別の古書店で難ありを掴まされたトラブルを救ってもらい、素晴らしいコンディションの『PORTFOLIO』を譲ってもらうというエピソードが書かれています。

 

久しぶりに私の中の眠っていた古書への思いが動き出す気がしました。そうそう私の将来の夢は未だに古書店を開くことだから。

 

以前このブログに書きましたが、古書の魅力に飲み込まれていくアメリカ人のローレンスとナンシーのゴールドストーン夫妻(「古書店めぐりは夫婦で」と「旅に出ても古書店めぐり」の著者)を思い出しました。彼らも稀覯本を探して、いろいろな古書店を巡り、これまた個性的な店主に出会っていきます。

 

すっかり古書店の話になってしまいましたが、本と旅って、やっぱりいいなあって思います。いまのこの状況だといずれも平和産業だと実感してしまいます。

 

ニューヨークの「ストランド書店」はやっぱり絶対行きたいなあと思ってしまいました。この本の出版当時、ストランド書店地下1階から4階までが売り場となっており、その蔵書を並べると18マイルというコピーに変わったところだったそう。大都会のニューヨーカーに愛される本屋の魅力をこの目で是非見てみたいです。

 

雑貨やオリジナルトートバッグも種類が豊富という話は聞いていて、稀覯本のコーナーもあるといいます。ああー、いますぐにでも行きたい「ストランド書店」。

でもいまは「ストランド書店」も臨時休業中。

 

頑張れ!「ストランド書店」!

 

Strand Bookstore

https://www.strandbooks.com/

 

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

場所はいつも旅先だった / 松浦 弥太郎著

東京 : 集英社 , 2011

256p ; 16㎝

 

ご機嫌な習慣 (単行本)

 ご機嫌な習慣 / 松浦 弥太郎著

東京 : 中央公論新社 ,  2018

196p ; 20cm

 

第75号:ジュデッカ島にて・・・「対岸のヴェネツィア」

内田洋子さんの「対岸のヴェネツィア」を読みました。以前ブログに書いた「十二章のイタリア」を読んだあとにこの本を買っていたのに、カバーをかけたままなぜか本棚に入れっぱなしになっていて・・・。

 

「今さらヴェネツィアでもないでしょうに。」と周りの人にあきれられながらも、ミラノに住んでいた内田さんがヴェネツィアに住むことを決め、物件を探します。雨宿りに立ち寄った美術館で思いがけない出会いがあり、紹介されたいくつもの物件の中から、ジュデッカ島の岸壁に面した物件に巡り会います。 

 

ジュデッカ島の岸壁へ居を移した内田さんですが、それまでも何度もヴェネツィアに訪れていた内田さんですが、ジュデッカ島に暮らしてみて、あらたに知ることがことも多かったようです。内田さんの目を通して、ヴェネツィア本島だけがヴェネツィアでないことを読者も知ることができます。ヴェネツィア本島がハレであれば、ジュデッカはケというように、対岸の本島とはまた違う姿があるのでした。 

 

内田さんの行くところ、行くところ、ストーリーがあり、まるで歩く引き寄せの法則のような内田さんですが、その1つ1つがとても興味深いです。

 

たとえば、ジュデッカ島の近所の青果店地産地消の商品を売りにしていて、その店を切り盛りする3姉妹はペッレストリーナ島の出身とのこと。ヴェネツィア地産地消??と思うと思うのですが、その野菜はサンテラズモ島で作られているというのです。どちらも私自身聞いたこともなかったので、少しびっくりしました。

 

内田さんがそのサンテラズモ島に出かけていくと、その島は第1次大戦下はオーストリアの管轄下にあり、非常用の火薬庫がいくつかあったことがわかり、その土地を守ってきたのは法曹界の重鎮を務めてきたと想像できる弁護士の紳士だったり、思いがけない出会いが待ち受けていたりします。野菜の島と弁護士と一見結びつかないようですが、それがまた面白いです。

 

また、ジュデッカ島には元煙草専用の倉庫だったところに古文書のデジタル化を行っている国立古文書館分館があったり、Zitelle ヅィテッレ(行かず)という名の教会と女子修道院があり、そこへ定期的に本を届ける市立図書館の存在があったりもします。

 

その市立図書館では、イタリア全土で行われている読書推進計画として『読むために生まれてきた』という活動を行っています。近くには寄贈された屋敷を自分たちで手を入れて運営している市営保育園があり、イタリア語のしゃべれない両親もいて、いろいろな肌の色の子どもがいて、問題を抱えたケースもあり、内田さんが書かれているように「本が子供を救う糸口となるケース」もあるのかもしれません。

 

水に囲まれた島と紙の本というと、相性が悪そうに思いますが、ヴェネチアにおいては昔を伝える文書もいまを生きる人たちにも本が伝えるものは大きいのではと嬉しくなります。

 

くしくも、この新型コロナウィルスの影響で私は仕事と収入が激減したので、数年前に取得しておきながら活用できていなかった司書の資格を生かして、週に数時間だけ図書館司書の仕事することにしたので(もちろん現在閉鎖中でいつ再開するかは未定です)、このジュデッカ島の市立図書館の職員のアンナとアンジェラの活動も私にとっては興味深いものでした。

 

ジュデッカ島というと、私が添乗でよくヴェネツィアへ出かけていた頃、ヴェネツィア本当のローマ広場でバスを降りて、その後プライベートボートでサンマルコ広場へ向かうときに、大運河と呼ばれるカナルグランデではなく、ジュデッカ島と本島との間のジュデッカ運河を通ってアプローチしていました。

 

ジュデッカ島の脇を通過すると、サンマルコ寺院と鐘楼が見えてきます。ヴェネツィア本島の玄関口であるローマ広場やサンタルチア駅から中心のサンマルコ広場はいろいろなアプローチの仕方はありますが、このジュデッカ運河を通るルートで南側からサンマルコ広場へアプローチするのが一番感動があるように感じられます。

 

いつもであれば、人が行き交うヴェネツィア本島も今は新型コロナウィルスのために、外出禁止令がでて、人が出歩ける状態ではありません。昨年12月の記録的なアクアアルタ(高潮)により、大きな被害が出て、今年のカーニバルはヴェネツィアを応援する気持ちにあふれるものでしたが、カーニバルの時期に新型コロナウィルスが拡がりを見せたこともあり、今年のカーニバルは期間が短縮され終了しました。

 

かつてのペストで人々の意識と生活が徐々に変わったように、新型コロナウィルスにより良くも悪くも何かしら変わるものもあるのではないかと思います。

 

対岸のヴェネツィア

対岸のヴェネツィア / 内田洋子著

東京 : 集英社 , 2017

209p ; 19㎝