umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第108号:映画の舞台はトリノ・・・「素数たちの孤独」

昨年「コロナの時代の僕ら(原題 Nel Contagio)」を書いたパオロ・ジョルダーノの2008年に出版された処女作「素数たちの孤独」を読みました。久しぶりに、読みながら主人公の二人の先行きが気になってしかたのない小説でした。

 

この小説では、2人の男女が主人公です。冒頭の1話目では、子供時代のアリーチェ♀のスキー場で出来事から始まり、次の2話目では、子供時代のマッティア♂が友人の誕生会に呼ばれた日の出来事が出てきます。

 

それぞれに、その日の出来事をきっかけに、大きく人生はうねりを持ち、過去の出来事に捕らわれずには生きられないアリーチェとマッティアは高校生になります。そして、アリーチェがマッティアに興味を持ち、二人は出会います。その後、いろいろな出来事があり、他の友人は離れていっても二人はいつも一緒にいました。

 

大学卒業を前に、二人はお互いに相手を必要としているのに、その気持ちを確認できないまま、結局、数学者としてマッティアは北欧の大学院へ行ってしまいます。アリーチェはその間に結婚をして、それが破綻してしまって。道が分かれてしまった二人でしたが、再会します・・・

 

読み終わってみると、これで終わってしまうの?まだ続きがありそう・・・などと勝手に想像してしまいましたが、現在のところ、続編は出ていません。

 

文系の私は、素数と聞いてもピンとこないのですが、素数とは ”1と自分自身以外に約数を持たない数”とのことで、この小説の中では「隣り合う「素数」は未だこの世界に存在しない」という言葉が印象的に使われています。

 

以前も少し書きましたが、著者はイタリア人で、トリノ大学の大学院で物理学を学んでおり、この処女作ではイタリアで権威あるストレーガ賞を受賞しています。本書では、この小説の舞台設定は、どの町であるとか、そういうことは一切書かれていません。ですが、この小説は映画化され、その舞台はトリノになっているそうです

 

映画は見ることができていないのですが、youtubeなどで画像を一部を見たところ、映画もなかなか面白そうでした。

 

トリノといえば、ピエモンテ州の州都で4番目のイタリアの都市です。2000年の歴史を持つ古都で、16世紀にサヴォイア家がこの地を都としました。現在、サヴォイア王家の王宮群世界遺産に登録されており、バロックスタイルの建築物の美しい町並み、トリノ・エジプト博物館をはじめ美術館、博物館も多く、魅力ある町です。日本では、トリノオリンピックを境に多くの人に知られるようになった気がします。

 

大学生活をトリノのような美しい町で過ごせたら、どんなに素敵でしょう。

 

素数たちの孤独 (ハヤカワepi文庫)

素数たちの孤独 / パオロ・ジョルダーノ著 ; 飯田 亮介訳

東京 : 早川書房 , 2020

414p ; 20cm

 

 

 

第107号:ヘルシンキ周辺とタリンを一人旅・・・「考えごとしたい旅」

2020年12月、コロナ禍で発売された益田ミリさんの「考えごとしたい旅 フィンランドシナモンロール」を読みました。まさに、私が推奨する”バーチャル一人旅”にぴったりの本でした。

 

益田ミリさんが、2017年の6月末、2018年8月終わり、2019年の12月初旬に3回旅したヘルシンキを中心とした一人旅について綴っています。この旅の前にも、益田さんは2回フィンランドを旅したことはあったようですが、完全なる一人旅はこの2017年が初めてだったそうです。

 

私も2019年の3月に、ポルトガルの帰りに、ヘルシンキとタリンに3泊ほどで立ち寄ったので、「おお、同じルート!タリンへ渡る船もメガスターで同じ~!」などと、あの旅の情景を思い出しつつ、読みました。

 

旅をするときって、ホテルの選び方とか日程などには、性格がでますが、益田さんは無理せずに慎重にプランを立てている様子がわかります。旅も3回目となると、自由度の高い旅を楽しむようになり、すでに見つけてあったお気に入りのお店に再訪したり、急きょタリンに日帰りで出かけたり、でも思いがけず間違ったバスに乗ってしまったり、ちょっとしたトラブルがありながらも旅上手になっていくようすが手に取るようにわかります。

 

日本で調べておいた評判のいいカフェやレストランに出かけていって、おいしいものに舌鼓をうち、ときには疲れるとストックマンのデパ地下で惣菜を買って食べたり、ホテルに休憩に戻ったりしながら、自由自在に旅をしているようすは読んでいるこちらも楽しい気分になります。

 

一人だからこそ、ホテルの部屋で、街中のカフェで、タリンに行く船の中で、いつもは考えない、考えないようにしていたこと、たとえば、誰にでも訪れる死について、考えてみたりするようすに共感してしまいます。

 

1つご紹介すると、2018年の旅で、マリメッコのアウトレットに行った若い女の子たちに話しかけたら、洋服は高くて買えなかったと言われたエピソードもいいです。

若々しい女の子たち。マリメッコのウニッコ柄のワンピースなんかを着たら、よく似合うだろう。でも、そうか、買えなかったのか。わたしは大人だから買えるけれど、もうウニッコは似合わない。買えても、買わないのがわびしかった。

                  (本書 益田ミリ著「考え事をしたい旅」)

あー、分かるわーと思いました。ウニッコ、もう私も似合わないわ。でも、PUUTARHURIN PARHAAT (プータルフリン)なら似合わなくても、つい買いたくなっちゃうなぁなどと考えたりしました。

 

この本を読んで、今度はクリスマスの頃、行くのもいいかも!と思いました。前回は3月にポルトガルの帰りだったので、準備が悪かったこともあって、とても寒く感じてしまって活動的になれなかったけれど、クリスマスはやっぱり特別感があるし、ちゃんと準備していけば、楽しめるかもと思いました。

 

考えごとしたい旅 フィンランドとシナモンロール

考えごとしたい旅;フィンランドシナモンロール/益田ミリ

東京:幻冬舎 , 2020

195p ; 19cm

 

 

 

 

第106号:六甲山の上にあるホテルのカフェ・・・ウィズ・ザ・ビートルズ/With the Beatles

村上春樹さんの8つの短編からなる「一人称単数」を今更ながら読みました。2018年7月号の「文學界」で以前、3つの短編はすでに読んでいたのですが、今回再読し、残り5つの短編も読みました。

 

あらためて、短編小説もいいなあを思っていたのですが、そのなかでも特に「ウィズ・ザ・ビートルズ/With the Beatles」がとてもよかったです。

 

この短編で描き出される1965年の様子が、まだ1965年に生まれていない私としても、とてもよかったし、その当時のビートルズへの熱狂や映画「避暑地の出来事」とその映画のテーマ音楽をパーシー・フェイスがカバーした「夏の日の恋(Theme from A Summer Place)」の話も初めて聞く話ながら、その当時の若者の青春とオーバーラップする感じがとてもいいよかったです。

 

村上春樹さんの小説の最近の私の読み方は、YouTubeで話に出てくる映像や音楽をチェックしながら読むというのが習慣になっています。頭の中で、小説に映像や音楽までプラスされて、まるで自分がその小説の時代に入り込んだような気持ちになります。

 

私が好きな「サウンド・オブ・ミュージック」も1965年だったとことも盛り込まれていて、1965年って、すごいなどと単純に思ってしまったのでした。

 

この短編の本筋よりも、まわりの部分ばかり書いてしまいましたが、この小説では主人公僕が関西で高校時代に初めてのガールフレンドとして親密なつき合いをしたサヨコという女性が出てきます。

 

そして、何年もたって東京の渋谷の坂道で、かつで1度だけ会ったことのあるサヨコのお兄さんに声をかけられるというエピソードが出てきます。肝心な内容なので、詳しくはかけないのですが、なかなかセンセーショナルな内容の話をされます。

 

高校を卒業してから、僕はサヨコと1度だけ、この六甲山の上にあるホテルのカフェで会っています。それも別れ話で。

 

その場所で、東京の大学に行っていた僕が東京で好きな人ができたことをサヨコに告白します。そして、サヨコの運転する車で六甲山の上まで上がってきたものの、サヨコは別れ話をされて、何も言わず席を立って店を出ていってしまい、僕はケーブルカーに乗って山を降りてくるというようなくだりがあります。そのときのケーブルカーから見下ろす神戸の描写が短いセンテンスながらいいんです。

 

関東人にとっては、六甲山というのはあまりなじみがなく、でも港町からほど近いところに山があるというのもなんとも不思議でありながら、でも風光明媚なところなのだろう想像してしまいます。

 

関東人でも聞いたことのあった、六甲山ホテルも六甲山オリエンタルホテルもいまはホテルの名前が変わってしまったようで、そのあたりのホテルかなと勝手に想像するのですが・・・。六甲山というとなんとも素敵なイメージが先行します。

 

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 / 村上 春樹著

東京 : 文藝春秋 ,  2020

P235 ; 20cm

 

 

 

 

 

 

 

第105号:母娘の記憶の中の海の町は、もしやフィゲラス??・・・「銀の夜」

角田光代さんの「銀の夜」を読みました。

なぜ、この本に行き当たったのか、記憶にはないのですが、図書館からリクエストの本が届いたと連絡がきて、早速借りてきました。

 

著者らしく、それぞれの心の片隅にありそうで、他人(ひと)には話せない心理をうまく描いていて、でも最後にはちゃんと希望がある、という小説でした。

 

主人公である35歳のちづる、麻友美、伊都子は、私立中高の同級生で、高校生の時に、少女バンド「ディズィ」として、メジャーデビューしていました。その後、その活動を学校によって高校を退学処分となり、退学後も少し活動しましたが、それぞれに大学に行くなど、別々の進路を見つけ、この活動は過去のこととして生きてきました。麻友美はその時代が絶頂だったと思い、あとの二人は忘れたい過去として、思い出さないようにしているようでした。しかし、3人は境遇は違えど、食事に行ったり、連絡を取り合ってきました。

 

高校生の時に、一緒に時間を過ごし、何でも相談した仲間でも、35歳になった彼女たちは、自分の状況や思いを今では3人で共有は出来なくなっていました。

 

そんな折り、伊都子の母茉巳子に癌が見つかり、すでに良くない状態。伊都子は、母娘二人で生きてきました。母茉巳子は、翻訳の仕事をしており、国内だけでなく、海外でも伊都子と二人で暮らしました。伊都子は母茉巳子に褒められたいと思いながら大人になるまで生きてきました。

 

35歳になった伊都子は、母からの呪縛が自分で解かれつつあることを喜んでいましたが、母の病気を前にどうしていいのか分からなくなっていました。

 

母茉巳子が術後のせん妄の中で、海の町でのことを話します。二人はいくつかの海の町で過ごしたようですが、伊都子が回想した風景があります。

 

九歳だったか、十歳だったか。イギリスに住んでいた伊都子と茉巳子はスペインまで旅をした。マドリッドからバルセロナを経由し、フランス国境に近い町に滞在した。なんにもないようなところで、伊都子にはただ退屈だったのだが、茉巳子は気に入ったらしく、予定よりも長くいたように記憶している。有名な画家の生まれた町らしく、画家の作品を展示した、奇抜なかたちの美術館があった。伊都子はその建物が気味悪くて近づくまいと決めていた。

 

                     本書「銀の夜」から引用 

これを読んだときに、町の名は出ていないのに、「あ、フィゲラス(Figueres)だ」と思いました。バルセロナからフランスのほうへ向かって行った国境に近い町。あのダリの奇抜な美術館。

Inici - Visit Figueres

ca.visitfigueres.cat

フィゲラスの町から少し離れたところに、カダケスという漁村があります。入り江に、卵のオブジェのあるダリの別荘があり、私には一緒に連想されました。ダリには似つかわしくないようなシンプルな色使いの静かな入り江の別荘。

 

フィゲラスの町にはダリ美術館は、ほんとうに奇抜で、美術館内部の雰囲気も他にはない、唯一無二の感じがとても印象に残っています。

 

いまでこそ、バルセロナから日帰りで行くメジャー観光地ですが、私が行った頃はまだ日本人のツアーは少なくて、あの美術館に驚きを感じたことは今でも忘れられません。

 

ストーリーに戻りますが、伊都子は母に海を見せてあげたいと思い、ちづると麻友美も力を合わせるでした。

 

最後のところで、伊都子がスペインへ行くことが分かります。フィゲラスに行ったのかな・・・。

 

銀の夜

 

銀の夜 / 角田 光代著

東京 : 光文社 , 2020

300p  , 20cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第104号:鹿嶋への旅・・・「旅する練習」

東京は3度目の緊急事態宣言に入り、今年もまた旅にも出られないゴールデンウィークになってしまった。私にとっては、ここのところ、やらなければいけないことばかりが頭をもたげ、心がざわざわ、本が読めない日々だった。

 

ゴールデンウィークに入って、やっと気持ちの落ち着きを取り戻し、「旅する練習」を読んだ。

 

主人公私の姪っ子の亜美(アビ)が、鹿島でのサッカーの夏合宿のときに、合宿所から持ってきてしまった本を返し行くということを名目に、2人で旅に出ることにした。

 

コロナの状況が悪くなりはじめた2020年の3月。

姪っ子の亜美(アビ・鳥のアビから由来)の中学受験が終わり、サッカーの名門の私立中学に入ることになっている。この旅ではサッカーボールを持って、川沿いの道でリフティングをしながら歩いて、合宿所のある目的地の茨城県の鹿嶋を目指す。私は小説家なので、好きな鳥類のことや時折文豪の過ごした町やゆかりの地を通りながら文章をしたためていった。

 

千葉の我孫子駅から出発。まずは手賀沼のほとりを歩く。利根川につながる川沿いの道をサッカーボールと戯れながら、佐原、小見川と千葉側を歩き、茨城側へ入り神栖、鹿嶋と行くルートで描かれている。

 

旅の途中には、みどりという、ちょうど大学を卒業して内定が決まっているという女性と木下(きおろし)貝層で出会った。彼女も鹿嶋にあるカシマスタジアムを目指していた。そこで3人の旅が始まった。

 

旅とは、あらためて自分を振り返る時間でもある。みどりも、初めてそんな時間を持った1人だった。この旅では、年下の亜美がみどりを勇気づける存在であり、頼もしい。

 

歩き旅の時間の中では、時に自問し、自分の不甲斐なさを感じたり、将来について考えたりする。そして、旅は出会いと別れだと思いながら読んでいた。

 

しかし、そうすんなりとは終わらなかった・・・。

あとは、読んでみてほしい。

 

この小説で6日間で歩いたとされるルートをかいつまんで書くと、スタート地点の我孫子手賀沼のほとりの白樺派志賀直哉やバーナードリーチ、柳宗悦(三樹荘)、嘉納治五郎が住んだエリア。滝不動、滝井孝作の旧居跡、鳥の博物館。その先の布佐では柳田國男が住んだエリアがあり、木下には貝層があった。水郷の町佐原は小島信夫の「鬼」で描かれた場所で、小島信夫が教師として赴任していた時代もあったという。そのあと、利根川を越えて、千葉側から茨城側に入り、北上。

 

そして、最終目的地の鹿嶋には鹿島神宮があり、社殿のある霊験あらたかな雰囲気の森参道を思い出し、旅の最終地にふさわしいと思った。

 

私はこのルートを、歩きではないが、車で旅したことがある。宿泊したのは大洗だったが、途中のカシマスタジアムを見たときには想像していたよりも大きく、そして、周りに何もなくて、びっくりした記憶がある。

 

この小説とほぼ同じルートなので、なじみ深く、さらに滝井孝作や柳田國男小島信夫のゆかりの地があったことを知り、あらたな発見もあった。

 

歩いて旅するのもいいかもしれない。

 

旅する練習

旅する練習 / 乗代 雄介著

東京 : 講談社 , 2021

p170 ; 20cm

 

 

 

 

 

 

 

第103号:ミラノの旧コルシア・デイ・セルヴィ書店・・・「霧の彼方 須賀敦子」

もっとちゃんと須賀敦子さんの本を読んでおけばよかったのに・・・と思ったのは、2000年代後半になって、私が旅行会社でツアーの企画をするようになってからだった。2000年代前半、イタリアによく添乗に行っていた頃に読んでいたら、もう少し違った見方ができたかもしれない。

 

白水ブックスの薄ピンクのカバーの『ミラノ 霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『トリエステの坂道』、『ユルスナールの靴』の5冊は、今も私の宝物だ。

 

今回、若松英輔さんの『霧の彼方 須賀敦子』を読んだ。この本以外にも、須賀さんに関する本はたくさん出ている。彼女が作家として活躍した時期は、彼女の晩年にあたり、その期間はとても短かった。それ故か、須賀さんが亡くなった後、須賀さんの生きた道をたどるような本は多い。

 

この本は、須賀さんをたどる本の中でも、特に須賀さんの信仰や思想(哲学と言ったほうがいいのかもしれない)について、重点が置かれているように思う。

 

その中も書かれているが、ミラノの旧コルシア・デイ・セルヴィ書店は、『コルシア書店の仲間たち』で描かれた書店である。ミラノの大聖堂から程近いサンカルロ教会の建物にある書店で、現在はサンカルロ書店(Libreria San Carlo)という名になっている。著者も書いているように、現在は神学系の本が店頭に置かれ、コルシア書店時代の中心人物だったダヴィデ神父の本などがならび、コルシア書店時代への回帰へが感じられるという。

 

著者の若松氏が『コルシア書店の仲間たち』について、こう書いている。

『コルシア書店の仲間たち』は、単なる須賀の回想録ではない。それは「現代社会のかかえる問題から決定的にとりのこされている教会を、どうやって今日のわたしたちが生きている時間に合わせるか」という革命的な問題に直面し、そこに突破口を開いた者たちの挑みの歴史物語でもある。

         本書『霧の彼方 須賀敦子』より引用

それを読んで、私の改めて考えた。須賀さんの夫となったペッピーノさんも『コルシア書店の仲間たち』で一人であり、タイトルからすると、楽しい仲間たちとの話のように見えがちだが、単なる出会いの場でなく、須賀さんの思想に基づいた行動や実践につながる場であったことを。

 

須賀さんの言葉は、美しく、静かで、全く押しつけがましくない。彼女が求めた道や信仰は、頭でっかちなものではなく、リアルに生きることにむずびついた内なるものであったと思う。

 

この本を読みながら、須賀さんの住んでいた1960年頃のミラノはどんな風だったのかと想像していた。

 

霧の彼方 須賀敦子

霧の彼方 須賀敦子 / 若松 英輔著

東京 : 集英社 ,  2020

471p ; 20cm

 

余談ですが、この本のなかに出てくる須賀敦子さんの書いた童話「わるいまほうつかいブクのはなし」は、とても興味深く、本でよみたいと思いましたが見つからず。どなたかご存じでしたら、教えてください。

 

 

第102号:2020年ロックダウンのヴェネツィアで「DECAMERON」を読むところから始まる・・・デカメロン2020

COVID-19で、イタリアがはじめにロックダウンしたのが、2020年3月9日。

ヴェネチアに暮らすヴァレンティーナさんとジュリさんはルームメイト。外出できなくなってしまったロックダウン下での自宅での長い時間を前に、昔の人はペストのときにどう過ごしていたのか、古典であるボッカッチョの「DECAMERON」を読んでみようということになりました。

 

そして、早速本島のベルトーニ書店に出向くと、希望していたとおりの装丁の美しい本を店主のアルベルトさんが出してくれました。赤い表紙に金色の刻印がされた大判で、4巻からなる「DECAMERON」でした。

 

そこから、このドキュメンタリーが始まり、イタリア各地の若者たちがロックダウン下の日々の様子を文章にしており、日記のように3月10日~5月17日まで続きます。

 

私は、おとといの3月10日から毎日1年前の同じ月日の文章を読むことに決めました。私にとっての「デカメロン2021」ですね。

 

こちらの本ですが、私はクラウドファンディングで昨年購入しました。Instagramにあげましたが、本以外にトートバッグなどもいただきました。


f:id:yukingiida:20210313084906j:image

私なりに、この1年の自分を振り返りたいです。私の1年前のコロナに対する将来の見通しが、浅はかだったのか。こんな風にして、コロナ禍の生活が始まっていったことを覚えておきたいのです。

 

また、今の自分を来年の私が振り返るのかもしれません。

 

でも、この2人がこのインターネットでなんでも情報が得られる時代に、古典の本に目をつけたことって、素敵だと思いませんか?

 

 

デカメロン2020

 

デカメロン2020 / イタリアの若者たち ; 内田洋子企画・訳

東京 : 方丈社 , 2020

256p