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本と旅をつなぐブログ

第101号:Camino Islandの書店ベイ・ブックス・・・「グレート・ギャツビーを追え」

2017年にアメリカで刊行されたジョン・グリシャムグレート・ギャツビーを追え」(原題「Camino island」)を読みました。訳者は村上春樹さんです。

 

読み終わって、一言いうなら、「あー、面白かった~」です。

 

久々に面白くて夢中になって読んだ本でした。ジャンルとして言えば、ミステリーなんですが、本筋以外の要素が私にとってはかなり魅力的でした。

 

物語は、プリンストン大学のファイアストーン図書館からスコット・フィッツジェラルドの直筆の5つの原稿が盗まれるという話からスタートします。

 

フロリダのCamino islandという海のリゾートでもあり、閑静な住宅が建ち並ぶ町で、主人公は独立系書店「ベイ・ブックス」を営むブルース・ケーブル♂。スランプに悩む新進気鋭作家のマーサー・マン♀。また、ブルースの妻でフランスからの輸入品を扱うアンティーク店を経営するノエル。Camino islandに住む、作家たちも魅力的に書かれています。

 

Camino islandは、架空の町のようで、ネット上では「アメリア島」ではないかなど、いろいろ言われていますが、それは大して重要ではありません。

 

私としては、ブルースはとても魅力的です。「ハンサム、やり手、知的で、業界における有名人、スマートなプレーボーイ、そしてなにより無類の本好き」これは訳者の村上氏が書かれていますが、まさにそんな人物です。スマートなプレーボーイなのに、無類の本好きというのが素敵です。

 

個人的な話ですが、以前このブログに書いた下の「古書店巡り」のシリーズで、はまってしまった希覯本の世界をまた思い出してしまいました。

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こんな風に、海沿いの町で古書店ができたら素敵だろうな。でも、海風と古書はまったく相性が悪そうですが・・。希覯本のコレクションへの興味もあります。

 

この本では、プリンストン大学のあるニュージャージーCamino islandがあるとされるフロリダ、ブルースの妻ノエルが出かけるフランスのアヴィニョン、後半でブルースとノエルが訪れるパリ、マーサーが勤める大学のあるノースカロライナ、南イリノイなど、広範囲に場面が動きます。旅をしているようで、これもまたいいです。

 

続編も出るそうで、楽しみです。

 

「グレート・ギャツビー」を追え (単行本)

グレート・ギャツビーを追え / ジョン・グリシャム著 ; 村上春樹

東京 : 中央公論新社 , 2020

413p , 20cm

書名原綴り : Camino island

 

第100号:ヴァーラーナシーに行ってから読みたい・・・「象牛」

石井遊佳さんの「象牛」を読みました。以前、TBSの深夜番組「ゴロウデラックス」という稲垣吾郎さん司会の読書バラティーがやっており、毎週楽しみにしていました。(その番組は惜しまれながら、SMAP騒動の少しあとに終了してしまいました・・・涙)

 

その番組で、「百年泥」で直木賞を受賞したこの石井遊佳さんが出演していたことが記憶にあります。インドで日本語教師をされていたということもあり、個人的には興味津々でした。

 

直木賞のあとの作品であるこの「象牛」を今回読みました。

大学院のインド哲学の研究室所属の主人公♀が、担当教官である片桐♂がインドのヴァーラーナシーで行われる学会に出席するということを聞き、急遽彼を追って、この地へやってきます。

 

現地へ来たものの片桐とは、連絡も取れずにいます。ヴァーラーナシーに滞在しながら、主人公「私」は片桐と初めての2人きりで会話したときに、彼に質問した<シヴァの三つの聖地>を一人巡っていきます。そんなおり、同じ研究室の岩本がヴァーラーナシーに現れて・・・。

 

この小説の中には、主人公「私」がたびたび遭遇する「象牛」という牛のような象のような架空の動物、ヴァーラーナシー周辺で目にするリンガ茸という物体など、なかなか想像が難しい、でもインドらしいようなカオスに満ちたものが出てきます。

 

ヒンドゥー教の最大聖地ヴァーラーナシーは、バナーラスやベナレスと言ったほうがイメージが湧きやすいかもしれません。テレビでガンジス川で沐浴をする様子を見たことがあると思いますが、そのガート(沐浴場)の周辺の様子も出てきます。

 

しかしながら、インド未踏の人にとっては、かなりイメージが湧きにくく、そこが読んでいてもどかしくなります。おそらく一度足を踏み入れた人には、もっともっとよくイメージできるのだと思います。

 

これを読むとやっぱり一度はインドに行かないと、と思います。インドは若いときに行け!と若い人には言いたい。でも、私も今からでも行きたいです。

 

このコロナ禍。インド、遠いなぁ。

 

象牛

象牛 / 石井 遊佳著

東京 : 新潮社 , 2020

195p , 20cm

 

 

 

 

第99号:聖地カイラス巡礼コルラ・・・「旅がなければ死んでいた」

坂田ミギーさんの「旅がなければ死んでいた」を読みました。センセーショナルなタイトルですが、旅っていいなあって思わせてくれる本でした。

 

著者は広告の制作会社で活躍していていましたが、30歳を前にしてうつ状態に陥ってしまいます。そこですっぱり会社を辞めて旅に出ます。付き合っていた彼とも別れてしまったタイミングでした。

 

彼女の旅は、少しマニアックで、一般的でない場所が多くて、彼女の感度の良さとバイタリティー、ハチャメチャさが旅先のチョイスからもあらわれていて、面白いです。

 

最後のロサンゼルスでの「犬顔さん」との出会いが、とても羨ましかったのですが、それはいい話すぎるので、ちょっと置いておいて。

 

チベットで聖地カイラス山の巡礼コルラについて書いていたところがとても印象的でした。カイラスは標高4675m~5660mあり、全長52kmある巡礼路で、タルチェン~ディラ・プク・ゴンパ(5,210 m)~ドルマ・ラ~タルチェンというルートでまわるのが一般的です。中国政府の許可書がないと巡礼できないという場所です。

 

ご存知のように中国とチベットとの関係は難しく、チベタンのガイドは許可書がない状態ではコルラに同行できません。そんな中、協力者のチベタンガイドもあり、コルラの巡礼を達成します。

 

日本ではチベット問題は多少は報道されますが、あまり知られていないと思います。ダライ・ラマの後継とされる、それぞれの政府が支持する2人の青年のことや政治弾圧されたチベタンやそれを怯えながらいまも暮らすチベタンなど、さほど長くない文章ですが、チベット問題の一端を垣間見ることができます。

 

チベタンのガイドのノブルさんの言葉は、歴史というものそのものの危うさを言い当てているように思いました。

 

「(前半略)ダライ・ラマ法王は『歴史はつくられている。だからそれを信じては行けない。自分で見たもの、感じたものを信じなさい』と言った。きみたちがチベットでも見たもの、感じたものこそが真実なんだ。だから、それを少しでもほかのみんなに伝えてほしい。それが、僕たちチベット人の願いなんだよ」

             本書「旅がなければ死んでいた」より引用

 

日本は過去の戦争を通して、この歴史が作られてしまう危うさをよく知っているのではないでしょうか。自分が「見たもの、感じたものこそが真実」というのは、コロナ禍のわたしたちにも言えることです。

 

ネットや文献だけだはわからない、旅に出て、その土地の人と会って感じることって、あると思います。特に政治については、文章で表すのが難しい部分もあり、実際にその土地に行って、聞いてみて、初めて知ることも多いと常々感じます。

 

チベット、一度行ってみたいなあ。

 

旅がなければ死んでいた (ワニの本)

旅に出なければ死んでいた / 坂田 ミギー著

東京 : KKベストセラーズ ,  2019

297p   , 19cm

 

 

 

 

第98号:2001年のグレート・ロサンゼルス・・・「夏への扉」

あけましておめでとうございます。昨年もお読みいただき、ありがとうございました。

昨年は、このブログと連動してInstagramも定期的に発信するようになり、皆さまに読んでいただき、反応を返していただきました。本好きの方がこんなにもいるんだと、密かに心が温まり、このコロナ禍の中でも、私の心の灯火(ともしび)となっています。大変感謝しております。

 

2021年になりました。今年の1冊目は、ロバート・A・ハインラインSF小説夏への扉』(新訳版)です。山崎賢人さん主演で実写映画化されるそうです。と、友人から教えてもらい、早速読みました。子どものときに夢中になって見た映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のモデルになった本であるということも。

 

この「夏への扉」は1957年に刊行されて、日本では1963年に翻訳出版されたそうです。この小説の舞台は、1970年のロサンゼルス。実際に刊行された1957年よりも先の未来の設定になっています。

 

主人公ダンは、技術者で「おそうじガール」や「まどふきウィリー」という機械をつくり、「おそうじガール社」を立ち上げていました。さらに、あらゆる家事をこなす完璧な自動機械(オートマトン)、「万能の召使い」(「ばんのうフランク」という名)や製図機などのいろいろなアイデアを構想したり、試作していました。

 

しかし、一緒に会社を経営していた友人のマイルズと会社の秘書であり恋人でもあったベルに裏切られて、株主総会で退陣させられる形で会社を取られてしまいした。そんな状況のダンは、保険会社の広告の低体温法睡眠(コールドスリープ)に興味を持ち、愛猫のピートともにコールドスリープで眠ってみるのもいいかもしれないと考えました。マイルズとベルを見ないでいい世界に行けるなら・・。そこで、70年いや、30年も眠ってしまえば、ベルはおばあさんになって、「痛快な復讐」ができるかもしれないなどと考えました。

 

コールドスリープの契約はしたものの、それはつかの間の思いで、やっぱりそんなことは取りやめることにしました。裏切ったマイルズとベルにこの詐欺的やり方に反論しに出かけていったときに、ベルに精神を麻痺させる注射を打たれて、コールドスリープの契約が彼らにわかってしまい、安息所(サンクチュアリ)に送り込まれてしまいました。ダンは、マイルズとベルに会いに行く前に危険を予期して、マイルズの前妻の継子で、愛猫のリッキーを可愛がっていた11歳のリッキーに「おそうじガール社」の株を譲渡する手紙を送っていたのでした。

 

そして、ダンが目覚めるとそこは2000年。彼の財産は、保険会社の倒産で無くなっていて、リッキーへ株も譲渡されておらず、リッキーがどこに住んでいるのかもわからない。自動車のスクラップの仕事をしながら、かつて暮らしていたロサンゼルス、2000年のグレート・ロサンゼルスへなんとかたどり着きました。紆余曲折、自分の作った「おそうじガール社(おそうじガール家庭機器・ギアリ工業k.k.)」で役員に迎えられます。そこでは、彼は広告塔の立場を求められましたが、技術屋として仲良くなった同僚から国家機密情報ではあるが、タイムトラベルができる話を聞き、その研究の権威トウィッチェル博士に会いに行きます。

 

ダンは、リッキーへの心残りがあり、どうしても30年前に戻り、したいことがあったのでした。そして、タイムトラベルをし、2001年のグレート・ロサンゼルスにまた戻ってくるのでした。このさきは是非本で読んでみてください。

 

それにしても、SFというのは馴染みのない私ですが、この本は面白かったです~。そして、1957年に書かれているのに、彼が開発していたとされる「おそうじガール」など、自動機械(オートマトン)はいま実際に実用化されている発想で、彼が目が覚めた世界の生活の快適さを彼は気に入るのですが、それも現代と重なるものがあり、これが60年も前に書かれたということに、本当にびっくりしてしまうのでした。

 

さらに、山下達郎さんの曲「夏への扉」の歌詞をあらためて見てみると、この本の事が書かれていて、これまたびっくりというか、自分の無知に少し呆然とするのでした。

 

ワタクシゴトですが、思いがけないコロナ禍。海外旅行の仕事が壊滅的な状況になりました。私は図書館司書の仕事や日本語教師の勉強という以前から興味があったことに着手はできたので、後退しつつ、少し前進するという暗中模索の毎日です。

 

この小説の猫のピートが各部屋の扉をダンに開けさせ「夏への扉」を探したように、ダンも「夏への扉」を探していました。そして、私も「夏への扉」を探しています。一つ時間をかけてわかってきたことは、私はやはり海外旅行の仕事が好きだと言う事でした。いやはや、私の「夏への扉」はいったいどこにあるのでしょう。

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

夏への扉[新訳版]

夏への扉 (新訳版) /  ロバート・A・ハインライン著 ;  小尾 芙佐訳

東京 : 早川書房 , 2009

350p ; 18cm

書名原綴 : The Door into Summer

著者原綴 :  Robert A.Heinlein

 

 

第97号:薄氷という名のお菓子・・・「好日絵巻」

森下典子さんの「好日絵巻」を読みました。読みましたというよりも、愛でて楽しんだという方が正しいかもしれません。

 

日日是好日」「好日日記」に続き、この「好日絵巻」は季節ごとに、森下さんが愛しく思う茶器やお茶菓子が描かれています。あとがきで、茶器の多くは、米寿を迎えた森下さんのお茶の師である武田先生がお持ちの茶器で、お菓子もお稽古にあわせて、武田先生が銀座、日本橋まで足をのばされたり、お取り寄せされたものだということがわかります。余談ですが、これ以前の本でも登場するこの武田先生がまた素晴らしいのです。

 

絵巻というタイトル通り、作者の森下さんが描かれた茶器や茶菓子はとても美しく、添えられた文章も美しく、季節ごとにめでたくなる本です。

 

「春」の章の中で、「薄氷」という干菓子がでてきます。「ほんのり甘い」「かすかな音をたてて、口の中でメリッと割れた」というこのお菓子。気になってしかたありませんでした。

 

そこで調べると、富山県小矢部市石動(いするぎ)の銘菓で「薄氷本舗五郎丸屋」さんというお店のお品のようです。加賀の前田家から徳川家の献上菓子として贈られ、茶席での菓子として茶人に愛されてきたそうです。石動は金沢と越中高岡を結ぶ交通の要衝だったそうです。ウェブサイトを見たところ、店構えも老舗らしい、とても素敵な佇まいで、献上菓子として、江戸に運ばれていたというイメージと重なるものでした。

 

もうすぐ冬至です。この本では、「ゆず饅頭」が登場します。

 

お茶をいただきながら、菓子で季節を感じるということ。そんな時間を過ごしたいと思いました。

 

好日絵巻 季節のめぐり、茶室のいろどり

好日絵巻 / 森下 典子著・絵

東京 : パルコ , 2020

125p ; 20cm

 

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

好日日記―季節のように生きる

 

 

 

 

第96号:淡水河の景色・・・「魯肉飯のさえずり」

温又柔さんという著者の「魯肉飯(ロバプン)のさえずり 」 を読みました。ここのところ、新聞の書評でよく紹介されていました。魯肉飯をルーローハンと読むのは中国語で、台湾語ではロバプンだそうです。

 

主人公桃嘉(ももか)は、大学を卒業後すぐに聖司と結婚しました。誠司は美大生だった桃嘉が入った多大学からなるサークルで、かっこよくて人気のある存在でした。就職活動で全滅した桃嘉は、そんな人気のある彼からプロポーズされて、就職することもなく、結婚することにしました。

 

結婚早々、誠司の浮気が発覚。はっきりと彼にも自分の気持ちを言えず、自分の中に溜め込んでしまう性格で、彼との生活に違和感をじわりじわりと募らせています。

 

桃嘉の両親は、父は日本人で、母は台湾人でした。父が台湾転勤中に母と知り合い、日本に帰国する父と伴って、母は日本で新婚生活をスタートしました。そして、桃嘉が生まれました。

 

桃嘉は、聖司とのことを考えていた頃、親友の茜と台北へ旅行することになり、母の故郷である淡水(台北中心部からMRT・捷運で40分)に一人足をのばします。

 

母の姉妹である伯母たちが喜んで迎えてくれました。自分の知らなかった母のことも知り、伯母たちと淡水畔へ出かけていき、河を眺めながら語らいます。

 

桃嘉の母の両親である祖父母は、日本統治時代に生きた人たちなので、日本語ができ、桃嘉の父が母との結婚の申し出をしたときも、祖父は喜んだそうです。伯母たちは「魯肉飯」をもりもり美味しそうに食べる桃嘉の父モキチを見て、これなら大丈夫と思ったそうで、桃嘉が夫の聖司に「魯肉飯」を出したときの反応と桃嘉の失望の対照となるエピソードとして書かれています。

 

桃嘉は、思春期には日本語があまりできなかった母を疎ましく思っていた時期がありました。この淡水への旅で、あらためて異国で暮らした母について、思いを巡らすのでした。自分にいつも優しさと美味しい料理でこころを満たしてくれた母、そして父の包容力を知るのでした。その象徴として母の作る「魯肉飯」という料理が印象的です。

 

台湾が日本統治となったのは、日清戦争講和条約である下関条約(1895年)から第2次世界大戦終わりまでです。戦後(1949年)は蒋介石が中国本土で共産党に破れ、台湾に渡り、中華民国となり、いまに至ります。と最近、日本語教育の歴史を学んでいて、あらためて詳しく知ったのですが・・・約150年の日本だった時代については、日本であまり語られることがないように思います。

 

私は20年くらい前に、淡水に1度だけ行ったことがあります。ガイドさんは、日本語を流暢に喋っていました。そのときに、たしかに日本統治時代があったので、高齢の人は日本語を話せますと言っていて、そうかと思った記憶があります。いまはMRTという電車で、1時間弱で行かれる淡水河畔の観光地でもあります。河口のところでは夕日がきれいに見られて「東洋のベニス」と言われているそうです。 

 

 

魯肉飯のさえずり

魯肉飯のさえずり / 温 又柔著

東京 : 中央公論新社 , 2020

267p ; 20cm

第95号:Seiji Ozawa Matsumoto Festivalに行く前に読んでおきたい1冊・・・「小澤征爾さんと、音楽について話をする」

2011年11月に刊行されていた「小澤征爾さんと、音楽について話をする」をいまさらながら読みました。クラシック音楽についての話が中心で、特に小澤征爾氏がバーンスタイン氏のアシスタントをしていた時代の話、カラヤン氏に師事していた時代の話、また小澤氏が中心となり、スイスレマン湖畔で世界の若手の才能ある音楽家を集めて合宿形式で行われる夏のアカデミーの話など、とても興味深いものがありました。

 

家にあるCDやYoutubeで、この本に出てくる音楽を片っ端からかけながら読書をした時間は本当に至福でした。これが読書の愉しみというのだと思いました。

 

村上氏はクラシックにも(ジャズにも)造詣が深く、素人の私としては、初めて知ることばかりでしたが、指南していただくという感じで音楽を聞きながら、なるほどと思いながら読み進めました。

 

この本は、国内外で場所を変えて数回に渡り行われた対談(もっとリラックスした雰囲気で行われた様子が感じられますが)について書かれています。

 

対談の頃、小澤征爾氏は食道がんの手術を受かられたあとで、やっと回復に向かっているというような状況でした。それまで多忙だった小澤氏がこのような村上氏と語り合う時間が取れたのも、時間をかけて術後療養をする必要がある時期だったということも大きいようです。

 

私個人としては、今回に関しては、村上氏よりも小澤氏に関心があり、2つのアプローチとして読もうと思っていました。

 

1つ目は、前回小澤征爾氏の父である開作氏にまつわる小説「満州ラプソディ」を読んでいたので、開作氏の三男として

2つ目は、世界で活躍するマエストロとして

 

どちらも読了後、裏切りがなかったです。

1つ目については、開作氏が満州で「五族協和」を理想とし、民族の隔てなく付き合っていたという姿と小澤征爾氏が重なりました。カラヤン氏やバーンスタイン氏など超巨匠に可愛がられるだけでなく、気難しい指揮者や音楽監督仲間とも親しくつきあう人柄は開作氏の話と重なりました。

2つ目については、個人的なものですが、私自身、指揮者とオーケストラの様子みたくてコンサートに行くので(そのため席はかぶりつきで前の席に)、小澤氏は指揮者として、こういう風に音楽を捉えるのかなどと素人ながら興味深く読みました。

 

この本の刊行から4年後、松本で例年行われていたサイトウ・キネン・フェスティバル松本(Saito Kinen Festival, SKF)は、2015年にセイジ・オザワ 松本フェスティバル (Seiji Ozawa Matsumoto Festival, OMF)と名前を変えて、開催されています。しかし、2020年は新型コロナウィルスの影響で、フェスティバルは中止となりました。

 

姉が数年前から松本の近くに住んでいるので、松本に行くたびにフェスティバルのポスターを目にして、行きたいなあと思いながら実現せずにいましたが、是非次は行きたいなあと思います。

 

セイジ・オザワ 松本フェスティバルに行く前には、一度この本を読まれてから行くことをお薦めします。

 

小澤征爾さんと、音楽について話をする(新潮文庫)

小澤征爾さんと、音楽について話をする / 小澤征爾村上春樹 共著

東京 : 新潮社 , 2011

375p ; 19cm