umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第96号:淡水河の景色・・・「魯肉飯のさえずり」

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温又柔さんという著者の「魯肉飯(ロバプン)のさえずり 」 を読みました。ここのところ、新聞の書評でよく紹介されていました。魯肉飯をルーローハンと読むのは中国語で、台湾語ではロバプンだそうです。

 

主人公桃嘉(ももか)は、大学を卒業後すぐに聖司と結婚しました。誠司は美大生だった桃嘉が入った多大学からなるサークルで、かっこよくて人気のある存在でした。就職活動で全滅した桃嘉は、そんな人気のある彼からプロポーズされて、就職することもなく、結婚することにしました。

 

結婚早々、誠司の浮気が発覚。はっきりと彼にも自分の気持ちを言えず、自分の中に溜め込んでしまう性格で、彼との生活に違和感をじわりじわりと募らせています。

 

桃嘉の両親は、父は日本人で、母は台湾人でした。父が台湾転勤中に母と知り合い、日本に帰国する父と伴って、母は日本で新婚生活をスタートしました。そして、桃嘉が生まれました。

 

桃嘉は、聖司とのことを考えていた頃、親友の茜と台北へ旅行することになり、母の故郷である淡水(台北中心部からMRT・捷運で40分)に一人足をのばします。

 

母の姉妹である伯母たちが喜んで迎えてくれました。自分の知らなかった母のことも知り、伯母たちと淡水畔へ出かけていき、河を眺めながら語らいます。

 

桃嘉の母の両親である祖父母は、日本統治時代に生きた人たちなので、日本語ができ、桃嘉の父が母との結婚の申し出をしたときも、祖父は喜んだそうです。伯母たちは「魯肉飯」をもりもり美味しそうに食べる桃嘉の父モキチを見て、これなら大丈夫と思ったそうで、桃嘉が夫の聖司に「魯肉飯」を出したときの反応と桃嘉の失望の対照となるエピソードとして書かれています。

 

桃嘉は、思春期には日本語があまりできなかった母を疎ましく思っていた時期がありました。この淡水への旅で、あらためて異国で暮らした母について、思いを巡らすのでした。自分にいつも優しさと美味しい料理でこころを満たしてくれた母、そして父の包容力を知るのでした。その象徴として母の作る「魯肉飯」という料理が印象的です。

 

台湾が日本統治となったのは、日清戦争講和条約である下関条約(1895年)から第2次世界大戦終わりまでです。戦後(1949年)は蒋介石が中国本土で共産党に破れ、台湾に渡り、中華民国となり、いまに至ります。と最近、日本語教育の歴史を学んでいて、あらためて詳しく知ったのですが・・・約150年の日本だった時代については、日本であまり語られることがないように思います。

 

私は20年くらい前に、淡水に1度だけ行ったことがあります。ガイドさんは、日本語を流暢に喋っていました。そのときに、たしかに日本統治時代があったので、高齢の人は日本語を話せますと言っていて、そうかと思った記憶があります。いまはMRTという電車で、1時間弱で行かれる淡水河畔の観光地でもあります。河口のところでは夕日がきれいに見られて「東洋のベニス」と言われているそうです。 

 

 

魯肉飯のさえずり

魯肉飯のさえずり / 温 又柔著

東京 : 中央公論新社 , 2020

267p ; 20cm