umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第83号:香櫨園の浜辺・・・「猫を棄てる」

村上春樹さんの「猫を棄てる (父親について語るとき)」を読みました。冒頭、このタイトルのエピソードが書かれています。

 

村上氏は父親と2人、当時住んでいた夙川から2キロほどの香櫨園の浜辺の防風林の雌猫を置いてくるシーンが出てきます。(その後について詳しくは本書をお読みください。)

 

その当時は、香櫨園の浜辺は埋め立たられておらず、海はきれいで、村上氏は毎日のように友だちと泳ぎに行ったそうです。その香櫨園の浜辺での冒頭エピソード。とてもインスピレーションを刺激する部分です。

 

その後、本書では父親の生い立ちがあり、ディテールについて、さらに村上氏が後年、自身で調べた様子があります。

 

非常にプライベート内容ですが、この本を読むことで、読者は自分自身の両親について、思いを馳せざる得ない気持ちになります。

 

人には、おそらく は誰にも多かれ少なかれ、忘れることのできない、そしてその実態を言葉ではうまく人には伝えることのできない重い体験があり、それを十全には語りきることのできないまま生きて、そして死んでいくものなのだろう。                                 

   「猫を棄てる 父親について語るとき」村上春樹著から引用

 

香櫨園に戻りますが、私は関東に住んでおり、谷崎潤一郎氏や宮本輝氏の作品で名前を目にする程度で、どんなところか実際には知りません。

 

グーグルMAPを見ると、たしかに香櫨園の浜辺の前方には、埋め立てられて人工島のようなものがあり、そこを高速道路が横切っていて、景色は浜辺と言うよりも、知らない人がみれば運河なのかな?とも思うし、なんとなく東京のお台場の人工浜を想起させるものがあります。

 

村上氏に関わるとても私的な話であるのに、読者である私も、読了後に私自身の父について考えたり、私と父にとってのエピソードに関わる場所はどこだろうと古い記憶をたぐり寄せながら、考えざる得ない気持ちになります。

 

猫を棄てる 父親について語るとき (文春e-book)

猫を棄てる : 父親について語るとき / 村上春樹

東京 : 文藝春秋 , 2020

101p , 18cm

 

 

第82号:第一牧志公設市場向かいの古本屋さん・・・「市場のことば、本の声」

こんにちは。

 

7月だと言うのに、この寒さってないですね。長袖のブラウスにカーディガンを着込んでも、まだ寒いほどです。気がつけば1カ月以上、このブログもお休みしておりまして、失礼いたしました。

 

今日、ご紹介する本は、那覇第一牧志公設市場の向かいにある「市場の古書屋ウララ」の店主であり、執筆活動もされている宇田智子さんの「市場のことば、本の声」です。

 

宇田さんは東京で新刊の書店でお勤めされていましたが、単身沖縄で古書店を開業されました。第一牧志公設市場の向かいにあり、もともと3軒漬物屋さんが並んでいたところの1軒が古本屋さんでそこが閉店されるので買い取って、ウララを始めたそうです。

 

そのエリアのお店は、水上店舗とも呼ばれていて、ガープ川という川が暗渠になって、その川の上にコンクリート製の水上店舗が完成して、50年建つそうです。なんだかブラタモリに出てきそうですね。

 

私も古書店を将来は始めたいので、この本はとても興味深く読みました。勝手ながら、宇田さんと共通した世界観を文章から感じたりしました。

 

宮古島のアパートの一室で子どもたち向けの図書館というか、私設文庫をやっている方の話では、お金を出さずに本を読ませてあげるほうがいいのかと考えたり、でも図書館の人から古書店があると教えてもらったというお客さんが来店し、「手元に置きたい本だけあとで買うの」(本書引用)と言われたり。

 

本の出張販売をしたときに、スーツケースに入れて重い本を持って会場に行き、軽くなったスーツケースを引いてを帰ってくるときに、「こんなふうに本を売りながら旅できたらと夢みつつ、来た道を帰る」(本書引用)なんて文章を読むと、同じこと考えてる~と思ったりしました。

 

第一牧志公設市場は、昨年6月から改築のための工事に入り、今は別の場所で仮設店舗で営業しているようです。2022年4月に新しい第一牧志公設市場が完成するようです。あの唯一無二な感じの第一牧志公設市場の雰囲気も良かったのですが・・・

 

10年くらいは、7月の後半には毎年沖縄に行くという3,4年もあったのですが、ここ最近は沖縄に行っていない私です。第一牧志公設市場は改築、沖縄三越は閉店したと聞き、ちょっぴり寂しいような気持ちにもなります。

 

グーグルのストリートビューで、「市場の古本屋ウララ」がみられました。本で読んでいたのと、実際グーグルで見てみると、私が想像していたのと少し違いましたが、屋根付きのアーケードで全天候型で、今日のような雨の日にはつい行きたくなってしまいそうです。

 

https://maps.app.goo.gl/mYhc4NYLvDiqFgqs5

 

市場のことば、本の声

市場のことば、本の声 / 宇田 智子著

東京 : 晶文社 , 2018

235p ; 20cm

第81号:エンナは季節のはじまりの地?・・・「ギリシャ神話」

ギリシャ神話は好きで、今までもいろいろな本を拾い読みしていました。

本によってディテールには違いがあり、話自体もやや奇想天外ではありますが、その世界観は日本人が「古事記」「日本書紀」を断片的にも知っているように、馴染んでいるようです。

 

今回読んだ「ギリシャ神話」は、児童文学の作家であり、翻訳家として知られる石井桃子さんの編・訳です。児童文学書なので、とても分かりやすく書かれています。

 

この本にも私が大好きなシチリアのエンナを舞台とする大地の母デメーテルの話が出てきます。以前、読んだものとディテールは違いますが、お話を読みながら高速道路を走りながら車窓からみたエンナの風景を懐かしく思い出しました。

 

なかなかエンナを目的に出掛けることはありませんが、アグリジェントからカターニャタオルミーナに移動する際に、A19という高速道路を通りますが、その車窓からエンナの草原が見られます。

 

高速から見えるエンナの景色を入れてみました。

www.google.com

 

それでは、かいつまんであらすじを少し・・・

 

メーテルは土から生まれたものの全ての母で、穀物を芽生えさせたり、果物を実らせる秘密を知っていました。

 

神々の父といわれるゼウスとの間にペルセポネという美しい一人娘がいました。ある日、ペルセポネはエンナの牧場でニンフたちと遊んでいました。とても美しく気になる、水仙のように見える、1つの花を見つけ、それを引っ張ると大地が割れ、大きな口をあけ、冥界の王ハデスの4頭立ての馬車が勢いよく飛び出し、連れ去られてしまいました。

 

母デメーテルはペルセポネを探し続けましたが見つからず、深く悲しみ、暗いほら穴へ姿を隠していまします。姿を消したデメーテルは人間の世界に降りていき、人を助けたり、旅をしていました。

 

大地の母デメーテルが畑の面倒を見なくなってから、作物は目を出すことも育つこともできなくなりました。

 

そこでゼウスはイリスという虹の女神に、デメーテルがいないと生き物は育たず、みんな死んでしまうので早く帰ってくるようにを伝えに行かせましたが、だめでした。他の神々を行かせても、デメーテルをなぐさめることは出来ませんでした。

 

そして、とうとうゼウスは、ヘルメスを冥界の王ハデスのもとに行かせ、母の手にペルセポネを返すかどうか確かめにいかせました。その話を耳にしたペルセポネの喜びようを見て、ハデスもヘルメスの申し出を聞き入れないわけには行きませんでした。

 

申し入れをしぶしぶ受けたハデスは、馬車に乗ろうとしたペルセポネにざくろの実を食べさせました。ペルセポネはそれを4粒だけ食べました。冥界のものを食べた者は冥界から出られないということを知らずに・・・。


ペルセポネはデメーテルのもとへ帰りました。しかし、喜んだのもつかの間、デメーテルはペルセポネが冥界の食べ物を食べたことを知ります。 

 

メーテルはゼウスに助けをもとめ、神々の父であるゼウスはデメーテルの頼みをきき、ペルセポネが冥界で過ごすのは食べたざくろの実の数、つまり4カ月でいいということになりました。

 

メーテルがペルセポネといられる8カ月は、美しいエンナの谷へ帰って、畑や果樹園で働き、農夫やパンを焼く女の手助けをしたり、いろいろな仕事の世話をしました。


ペルセポネが冥界にいる4カ月間、デメーテルはまたほら穴の暗い陰に隠れてしまいました。そのあいだ、生き物はまた眠ってしまいましたが、農夫たちは恐れませんでした。なぜなら大地の神デメーテルが戻ってくることを知っていたからです。

 

というお話です。

この本では、季節のはじまりの話とは出てきませんが、一般的には、このデメーテルの隠れてしまう4カ月が冬であり、この話は季節のはじまりの話といわれています。

 

このエンナは、シチリアなのに冬は雪が降り、厳しい冬が来るところとして知られています。まさにこのお話にぴったりです。

 

ギリシャ神話なのに、シチリアって思われるかもしれませんが、ローマ人よりも前に現在のイタリアあたりはギリシャ人が住んでいたわけで、シチリアには古代ギリシャの名残がいまでも見られます。

 

シチリアにも行きたくなります。

 

ギリシア神話

ギリシャ神話 ; 石井 桃子 編・訳

東京 : のら書房 , 2000

21cm , 341P

 

 

第80号:ローマ発信・・・「コロナの時代の僕ら」

パオロ・ジョルダーノ著の「コロナの時代の僕ら」を読みました。ここ最近話題の本です。

 

著者はイタリア人で、物理学を学んでいたこともあり、数学的な要素を盛り込んだ処女作の『素数たちの孤独』では、イタリアで権威あるストレーガ賞を受賞しています。プラス補足するとかなりのイケメンです。

 

さて、この「コロナの時代の僕ら」は、イタリアにおいて最も古くから発行しており、ミラノに本社のある新聞「Corriere della Sera(コリエーレ・デッッラ・セーラ)」に2月末~3月頭にかけて書き下ろした感染症にまつわるエッセイ27本をまとめたものです。ローマの自宅から発信しています。

 

新聞記事だったことを踏まえて読んだほうが、時間の経過が理解できます。日が経っていくにつれて、著者の今後への考え方が一貫して強くなっていく様子が伝わります。また、著者は日の経過とともに、コロナショックが始まった当初のことを回想し、政府の対応や周囲の人々、また自分の反応や態度を検証してみたりしています。

 

アフターコロナでは、著者もこの文章の中で「条件付きの日常と警戒が交互する日」が始まると書いています。

 

あとがきでは、イタリア全土でロックアウトされた後の3月20日付で寄稿されたものが載せられており、「コロナウィルスが過ぎたあとも、僕らが忘れたくないこと」というタイトルでとても熱く、強いメッセージが込められています。

 

著者は「僕は忘れたくない」という言葉からスタートする9つの決意みたいなものを書いています。

   

日本でも「ニューノーマル(新常態)」がはじまると言われています。私を含め、日本の読者もこれを読んで「私は忘れたくない」と書き出してみようと言う気持ちになるのではないかと思います。

 

3月20日付の新聞記事の発行後、日本語訳では出版元のウェブサイトでの一定期間の掲載を経て、わずか1ヶ月で単行本として発売されました。異例の早さでした。

 

「鉄は熱いうちに打て」というように、いまこの混沌の中で読むことは1つ意味があるのではないかと思います。

 

 

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら / パオロ・ジョルダーノ著 ; 飯田 亮介訳

東京 : 早川書房 , 2020

128p ; 19cm

原書名 : Nel Contagio

著者名原綴 : Paolo Giordano

 

イタリア語の原題は「Nel Contagio」であり、素直に訳すと「感染の中で」というような意味です。

 

「コロナの時代の僕ら」というと、個人的にはガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」と重ねてしまいましたが、原題と邦題には少し乖離を感じなくもありませんが、このタイトルはインパクトがあり、プロモーションとしては上手だなあと感心しました。

 

 

第79号:歴史的な日々の記録・・・小説『喝采』

皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。

コロナ禍以降、SNSでおもしろ動画や応援動画を送りあいシェアすることが流行っていますが、皆さんはいかがでしょうか。

 

今回は友人からの情報で教えてもらいましたが、コロナ禍によりロックダウンされたパリにいた原田マハさんが、SNSTwitter)発信で、18日間の連続小説「喝采」を連載されたので、紹介してみたいと思います。

 

下記の公式サイトから小説「喝采」を読むことができます。

 

haradamaha.com

 

旅行業という仕事柄、このコロナウィルスの拡がりをかなり注意を払ってウォッチングしてきた私ですが、当初1月末の春節の頃に武漢でのコロナウィルスが流行り始めて、日本にも感染が出始め、クルーズ船が横浜で沖止めになったまま何日も経って、現代とは思えない対応に、まさに14世紀のペストの流行の際にベネチアで40日間沖止めにした船から由来すると聞いた「quarantine」という言葉がまず頭に浮かびました。

 

2月には何とか大丈夫だった欧州が、3月初旬にイタリアを皮切りに感染者が出始め、あっという間に拡がっていく様子に驚きと自分のお客さまが3月からは全員欧州行きを断念していたことに胸をなでおろす日々でした。

 

例年であれば、イタリアではミモザの黄色い花を持った男性が歩く姿が見られ、女性解放デーでもあるFesta della donna(フェスタ・デラ・ドンナ)の3月8日に、イタリアの北部はロックダウンに入り、日本の外務省は感染症危険度レベル3(渡航中止勧告)に引き上げを行い、数日の間にそれに追随する形で欧州各国がレベル3になっていきました。20年近い旅行業において欧州の主要エリアにレベル3が出た体験をしたことがありませんでした。

 

この小説「喝采」についての メールインタビュー原田マハさんは下記のようにこたえています。

『暗幕のゲルニカ』や『美しき愚かものたちのタブロー』でも書きましたが、1940年にナチス・ドイツによるフランス侵攻とパリ占領という歴史的瞬間がありました。まさにそれに匹敵する瞬間に立ち会っていると気づいた時、私は自分ができる方法で、このことを記録に残したいと思い、リアルタイムで小説を書こうと思い立ちました。

 

歴史的な出来事が起きている中にいるとは私も思っていましたが、こういうときに現場でリアルタイムに記録をするというのは、後世においてもとても大事なことなのではないかと思いました。

 

原田マハさんはロックダウンが始まったパリでの様子を写真と小説として文章で18日間にわたってTwitterという手法で発信しました。この発信の仕方はまさに現代らしい手法です。でも、この状況はペストやスペイン風邪といった、かつて猛威を振るったウィルスと直面するという点では、歴史は繰り返すという言葉を思い出さざる得ません。

 

原田マハさんは、さらにインタビューの中で、

あらためて日本と欧米の文化や習慣の相違を見つめ直してみると、日本人には「公衆の面前」とか「人前」という意識、「恥」の文化があります。その感覚が欧米人と比べて相当強い。あくまでも私見ですが、それが今回のパンデミックでは有利に働いているのではないかと感じています。

 

このように書き綴っています。日本人は公衆衛生の意識が高く、欧米人にはわかりずらい重層的な独特の世界観があるのかもしれません。これが今回のウィルスには多少強みとなるのかもしれません。

 

コロナ禍よりも以前の話ですが、フランスにかなり長く在住していた年配の知人と話した際に、簡単に言うとフランスは「性悪説」で考えて、日本は「性善説」で物事を考えるという話を聞きました。今回の各国の政府の初動対応や対策の違いはなんぞやと考えていて、欧州諸国と日本の民度の違いや諸々の違いを考えていた時にこの話が思い出され、妙に端的で私としては腑に落ちました。

 

 

私は仕事上、特に欧州への旅行を中心としていたので、仕事の平常化を考えると長いトンネルに入ったばかりです。第2波、第3波もあるといわれ、トンネルの出口は全く見えてきません。

 

アフターコロナではどんな世界が広がっているのかと日々考える私がいます。でもその世界を見られなかった志村けんさんやたくさんの方々を思うとシュンとして、悲しくなる私もいます。

 

いつもは何かしらに物言いをしたり、辛口な私ではありますが、いまウィルスに立ち向かい平常に戻していくには、批判と分断ではなく、賛同と団結ではないかと個人的には思っています。日本人ならではの「喝采」の仕方があるかもしれません。

 

収束していつもの通りの日々を取り戻し、この日々のことをいつか冷静に振り返る日が来ますように。

 

小説「喝采」メールインタビュー vol. 1 | 原田マハ公式ウェブサイト

小説「喝采」メールインタビュー vol. 2 | 原田マハ公式ウェブサイト

小説「喝采」メールインタビュー vol. 3 | 原田マハ公式ウェブサイト

第78号:元祖マヨネーズ、その味は?・・・「さよならは小さい声で」

あっという間に1週間が過ぎていきます。片付けやら、なんやらやることは多いですね。

 

今回も松浦弥太郎さんのエッセイにしました。2013年に発行されたものを集めた「さよならは小さい声で」。2016年に文庫化されています。

 

最近、ご近所のマダムと松浦さんの本を交換しながら読んでいます。マダムは息子さんが松浦さんの本を沢山持っているということで、それらを私に又貸ししてくれます。

 

さて、このエッセイの中で、「夢を分かち合う」というタイトルのエッセイがあります。

 スペイン領、メノルカ島。18世紀、マヨネーズはここで生まれた。はるかな昔から、島ではマヨネーズ作りのコンテストが行われた。コンテストは島の娘や婦人だけでなく、スペイン本土からも挑戦者が現れるほどであった。

 2年続けて優勝者になった夫人にその秘訣を訊くと、「卵の温度を室温と同じにすること。あとは最後まで決まった方向と力でまぜること。」この島で生まれ、娘の頃から何年もマヨネーズを作り続けてきた夫人は、当たり前のことを、当たり前に行うことの大切さを語った。          

      「さよならは小さい声で」松浦弥太郎著から引用               

冒頭このような文章で始まります。

 

少し前に、NHK総合でJUJUさんと三浦春馬さんが司会をする「世界はほしいモノにあふれている」で、このメノルカ島(Menorca)がマヨネーズの発祥の島として、ほんの少し出ていたことがあり、マヨルカ島のすぐ隣にあるのにほとんど知らなかったこともあり、少し驚いた記憶があります。

 

www.menorca.es

マヨルカ島の隣(スペイン本土寄り)にはParty People にも人気のイビサ島があり、こちらには注目してきたのに、ノーマークでした。

 

さて、この松浦さんのエッセイには、「ひとつも信号機のないというメノルカ島のマヨネーズを一度でいいから食べてみたい。メノルカ島とはどんなところなのだろう。そんな夢をずっと抱き続けている」と書かれている。

 

私もこの文章を読んで、どんなところなのだろうと想像を膨らませて行きたくなった。

その後、松浦さんの夢は叶ったのだろうか。

 

松浦さんはこのエッセイで、知人女性から言われ、考えを変えたこととして「夢はたくさんの人に話したほうがいい」ということを書いています。

 

私も夢はたくさんの人が話したほうがいいのかなと思い始めました。それもあって、サイドバーにこのブログの「古書店を営むこと」という将来の夢を書いてみました。

 

松浦さんに影響されちゃってますね。

でも、「古書店」の夢は松浦さんの真似ではありません。 

 

さよならは小さい声で (PHP文庫)

さよならは小さい声で  / 松浦弥太郎 著

東京 : PHP研究所 , 2016

189p ; 15cm

 

 

第77号:東京砂漠ならぬ、パリの砂漠・・・「パリの砂漠、東京の蜃気楼」

自粛生活が長引いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 

時間があるのでいろいろやりたいことはあるのに意外と進まないので、朝目が覚めると無力感を感じたりもします。たとえば、夜になってやっと本が読めるとベッドに入ると、本も読まずに朝まで眠ってしまって、翌日も同じことを繰り返したり。

 

さて、金原ひとみさんの新刊エッセイ「パリの砂漠、東京の蜃気楼」を読みました。

私は金原さんの本をいままで読んだことがなかったので、金原さんというと、綿矢りささんと芥川賞同時受賞で、それもふたりとも20歳というインパクトだけが印象に残っていました。

 

少し前まで住んでいたというパリのことも含むエッセイがでると広告が出ていて、読んでみたいと思いました。結論からいうと、繊細な部分があり、感受性が強い金原さんを(何も知る由もない私ですが)彼女を好きになりました。彼女の書くこと、感じ方に共感するものがあったし、彼女が書いていることは十分に私に伝わってきました。

 

東日本震災後に、1歳と4歳のお嬢さんを連れて渡仏。パリでの母子生活をスタートさせました。夫も一緒に住むようになり、約6年のパリ生活を終えて、後半は日本へ帰国してからの生活が描かれています。

 

パリ生活の間には、2015年にシャルリー・エブド襲撃事件と後に呼ばれたテロがあり、その年には、大統領選でル・ペンに勝ってマクロンが大統領になりました。警報機が鳴るとテロかもしれないと身を固くし、近くのビルから飛び降りがあったと度々耳にする日々に、死を身近に感じる様子が伝わります。

 

もともとパリに永住するつもりで住み始めたわけでなく、自分で住むか、住まないかを職業柄(もちろん実績があって)決められる立場にあるというのは、一般人にはない境遇だと思います。だからこそ、家族もいて、フランス生活が長く馴染んでいる娘たちの生活もあり、どうするか悩む彼女の姿があります。しかし、実際問題パリでの生活は、個人主義という面があるのか、いろいろなことがサービス精神にかけることが多く、一度トラブルにあうと本当に面倒だったりするようです。

 

旅で行くと、ただただ素敵なパリも、住んでみるとまた見えてくるものはディープで、違うものが見えてくるのです。それでは日本は手放しで最高!となるかというとそう単純なものではないのだと思いますが、この本は旅する前にも読んでもらいたいなって思いました。

 

できれば、コロナ禍の今を金原さんにもまた書いてもらいたいなって思いました。

 

パリの砂漠、東京の蜃気楼

 

パリの砂漠、東京の蜃気楼 / 金原 ひとみ著

東京 : 集英社 , 2020

216p , 20cm