umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第90号:岡山弁を聞いてみたくなる・・・「でーれーガールズ」

台風が来ていますね。去年の今頃も大きいのが来たので心配です。

10月末に私にとってはちょっと大きな試験があるので、本はエクステンシブ・リーディング、簡単にいうと速読みですが、ブログには昔読んだ本ではなくて、今読み終わったという本について書きたいと思っています。

 

平成23年に刊行された原田マハさんの「でーれーガールズ」を読みました。映画化もされていたと今更ながら知りました。

 

さて、この原田マハさんの「でーれーガールズ」。いままでの原田さんの本は、美術に関連する話が多かったので、少し意外な気持ちで読みました。でもあとで調べてみると、原田さん自身が東京から岡山に引っ越し、高校は岡山の私立の女子高に通っていたようなので、そのあたりがモチーフになった小説なんだと思いました。

 

主人公は、漫画家として活躍する鮎子。27年ぶりに高校時代を過ごした岡山の母校で創立120周年記念の講演会があって、卒業生として登壇を依頼されます。その登壇を依頼してきた現役の女性教師が、実は高校の途中で転校してしまったかつての親友武美でした。

 

すでに岡山を離れて、東京で生活しており、岡山に訪れるのも約30年ぶりという主人公。岡山市内の様子は変わらない部分もあれば、変わってしまった部分もあります。高校時代に通ったという思い出の喫茶店「どんき」もすでになくなっていました。

 

物語は高校時代の話となり、東京から転校してきた鮎子は馴染めない時期もありましたが、少し大人びた美しい武美との出会いから段々と交友を深めていく様子が書かれています。

 

鮎子が漫画の世界の中で作り出したヒデホという神戸大学3年生の鮎子のイケてる彼氏は実際は存在しないのですが、武美の中ではヒデホが存在感を増していきます。そんな中、リアルに鮎子が他校の男子を好きになったりと、高校時代にある少し恥ずかしくなるような甘酸っぱい話が出てきます。話は素直には終わらないのですが、あとは本を読んでみてください。

 

私は、岡山には昔国内の添乗でしまなみ海道のツアーに行くときに、後楽園には立ち寄ったことが2回あります。へえ、これが後楽園ねーと、東京の後楽園しか知らない私はその違いにびっくりしたのでした。でも、岡山駅の周辺にも立ち寄ることはありませんでした。

 

この小説を読んでいると、岡山駅から出ているという鮎子が通学に使った路面電車やメインストリートの桃太郎大通り奉還町商店街、鮎子と武美が川を見ながら語り合った鶴見橋などの情景が浮かんでくるようで行ってみたくなります。

 

本書のタイトルの「でーれー」という言葉ですが、こう書かれています。

「でーれーって、なに?」と聞くと、「でーれーは、でーれーじゃが」とまた笑われる。

 そのうちに、「でーれー」というのが、「ものすごい」というような意味だとわかってきた。そして、「なんかヘン」というようなニュアンスで私に対して使われているんだ、ということも。

                 本書「でーれーガールズ」から引用

 

この話の時代背景は、47歳の私よりも10歳くらい上の世代ようですが、なんだかすごく自分の高校時代とオーバーラップしました。

 

高校時代に大きな失恋をした私は、大学は東京でなく兵庫あたりの大学に行きたいと考えていたこともあり(当時「都落ち」なんていう言い方されていましたが)、模試の第1希望に西日本の大学を書いていた時期もあります。結局、親からも反対され、東京にある大学に入りましたが・・。そんなことも、ふと思い出しました。

 

著者も書いていますが、岡山弁の響きもなんだかいいのです。

この本を読むと、主人公の鮎子のように歩いてみたくなります。

 

でーれーガールズ (祥伝社文庫)

でーれーガールズ / 原田 マハ

東京 : 祥伝社 , 2011

243p , 20cm

 

 

 

 

第89号:コロナ時代のはじまり in Paris・・・「なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない」

辻仁成さんの「なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない」を読みました。ご存知の通り、辻さんは現在パリ在住。

 

2月1日~6月6日までを日記形式で書いています。この時期パリは、ロックダウン開始前~解除後にあたります。現在の辻さんの日記はウェブサイト”Design stories”で、読むことが出来ます。

 

いままで遭遇したことがないコロナ禍。各国の対応はばらつきがあり、どこの国も手探りの状態が続いています。パリでは2月以降どのようなことが起きていたのかというのがわかりますし、国民性とかお国柄も感じます。

 

その2月~6月までの日々で、著者もたくさんの情報を得て、実際に街を歩いて、人と話して感じて、徐々に変化していく様子が読み取れます。私も同様に日本において、いろいろな情報を目にして、耳にして、時期が経つにつれて変化していく部分もあり、この未曾有の出来事の中で、誰もが考え、悩みながら前に進もうとしているんだと感じるものでした。

 

辻さんが息子さんと二人暮らしの中で、もともと家事(料理、掃除、洗濯など諸々全て)をやっており、ロックダウン後は、息子さんと2人自宅で過ごす時間が長くなり、食事を3食作り、食べる時間だけでなく、作る時間も大切にしている様子がわかります。

 

毎日、意地でも美味しいものをテーブルに並べたかった。こうやって美味しいものを食べていれば、きっといつか幸せがやって来る、と息子に教えてやりたかった。

                         (本書から引用)

 

インスタで辻さんの作る料理は美味しそうだなあと見ていたけれど、こういうことだったのかと思いました。私も日々の食事を大事にしたいと、今まで以上に思いました。

 

時には朝ごはんが作れない日もあったり、気持ちが塞ぐ日があることも書いているので、まさに同じ~と、思った主婦(主夫)は多かったのではないかと思いました。フェミニストを語るよりも、実際に全てやっている男性の方がよっぽど説得力があるし、信用できます。 

 

 

さて話は変わりますが、私は先日旅介という旅行会社が企画・実施した「【オンライン・アカデミー】フランスから生中継!辻仁成と歩くパリ」というタイトルの下記の2つのオンラインツアーに参加しました。ちなみに第2回目は無料にて実施してくれました。

 

第1回~シャイヨ宮からエッフェル塔へ(9月20日

第2回~華麗なるヴェルサイユを巡る(9月21日)

 

生中継で、第1回はトロカデロから左岸のエッフェル塔のたもと辺りまで、辻さんと現地ガイドさんとともに歩いてみるという内容でした。第2回のヴェルサイユ宮殿は一般の人が入らない貸し切りのような感じ状態で辻さんとガイドさんと見てまわるという内容でした。エッフェル塔ヴェルサイユ宮殿、そして辻さんの今の様子もみられて、とても良かったです。

 

私事ですが・・・、高校生の時なので30年も前に辻さん(当時は辻じんせいと呼んでいた)のECHOESのファンで渋公のライブにも行ったし、オールナイトニッポン2部(3:00a.m.~)を聞くために、その時間に起き出して受験勉強をしていたことが思い出されました。

 

時を経て、いま新たに”辻じんせい”に共感する私がいました。

 

 

なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない

 なぜ、生きるのかと考えてみるのが今かもしれない / 辻 仁成著

東京 : あさ出版 , 2020

287p  ; 19cm

 

 

 

第88号:ジュラ島へ行ってみたくなる・・・「村上T 僕の愛したTシャツたち」

猛暑の夏で、もう秋はこないんじゃないかと思っていた日もありましたが、一足飛びに秋になってしまいました。急に肌寒くなりましたね。

 

2020年6月に発行された「村上T」を読みました。ただのTシャツ本とあなどるなかれ。

さすが村上さんならではのTシャツとエピソードが書かれています。

 

ここに出ているTシャツは、高級なものでなく、1ドルで買えるものやそのノベルティーTシャツって、どこで貰ったのかしら?というものがたくさん出てきます。

 

Tシャツの画像はさる事ながら、面白いエピソードも多くて、それぞれ読んでいただいたほうがいいのですが、私は「ウィスキー」という章が印象に残りました。

 

村上さんがスコットランドアイラ島に行ったときに、地元の人に教えてもらったという「トゥワイス・アップ」という(水割り的な)飲み方を紹介しています。

 

そして、村上さんはこのように書いています。

とくにアイラ島現地の水には独特の香ばしさがあって、それがアイラのシングル・モルトにうまくマッチしている。

                   (本書「村上T」から引用)

また、アイラ島の隣にあるジュラ島には、有名な蒸留所があって(ジュラ蒸留所かと思うのですが)、そこで飲む水もおいしく、その水で割ったジュラのウィスキーも独特の味わいだったそうです。

蒸留所の ロッジに泊めてもらい、毎日好きなだけウィスキーを飲んで、土地の料理を食べて・・・そういう数日を送れただけでも、こうして今まで生きてきた甲斐があったかもなと思う。

                   (本書「村上T」から引用)

こんな 言葉を読んでしまうと、ジュラ島への旅心を誘われてしまいます。

ちなみにジュラ島は「鹿の島」という意味だそうです。これまた想像が膨らみます・・

 

Tシャツの話から、こんな風に旅心までも誘ってしまう村上さん。最近はTOKYO FM

の「村上RADIO」で、しばしばその渋くて素敵なお声を聞くことができるので、本を読んでいると村上さんの声で語りかけてくれているような錯覚にさえ陥ります。

 

いまは海外へ旅行にも行けない日々が続いていますが、アイラ島シングル・モルトをまずは楽しんで、船でジュラ島へ渡って、泊まって、ここでもシングル・モルトと地元の料理に舌鼓・・・、あー、なんていいんだろうと思います。まずは、私も一生懸命、日々生きますと村上さんにお返事したくなりました。

 

村上T 僕の愛したTシャツたち

村上T : 僕の愛したTシャツたち / 村上 春樹著 

東京 : マガジンハウス ,  2020

189p ; 18cm

第87号:上野の山・・・「夢見る帝国図書館」

中島京子さんの「夢見る帝国図書館」を読みました。友人がこの本を贈ってくれました。本を贈られたり、贈ったりって、すごく嬉しいし、ワクワクします。

 

さて、この「夢見る帝国図書館」は、かつて帝国図書館と呼ばれ、戦後GHQ主導で憲法制定してからは国立国会図書館の分館となり、現在は国立国会図書館国際子ども図書館となっている図書館のお話です。場所は上野の黒田記念館の隣に位置しています。

 

主人公「わたし」はフリーライターをしていて、上野公園の噴水の見えるベンチで喜和子さんという女性と出会いました。それから三月にいっぺん程度、2人は会うようになりました。喜和子さんは、図書館が主人公の話を書いているといいます。

 

物語は、「わたし」の目線と、図書館が主人公の「夢見る帝国図書館」という話と、交互に進んでいます。

 

「わたし」が語る方の話では、喜和子さんとの出会いやエピソード、喜和子さんが亡くなったあとには、彼女の生前語った言葉をヒントに生い立ちをたどっていきます。「わたし」は、孫の紗都や数少ない喜和子さんと交友のあった人々と喜和子さんをきっかけに出会うことになります。最後には、読者も、「喜和子さん、良かったね」と言いたくなる話でした。

 

さて、この小説には興味深い話がたくさん出てきます。私は図書館司書としても働いていることもあり(このコロナ禍で)、司書課程では近代図書館の歴史を勉強したので、この物語を読んで、そういうことだったのかと思うことがたくさん出てきます。GHQCIE図書館の担当だったキーニーが、本国のマッカーシー赤狩りの影響で更迭され、本国に帰ってしまう話などもあり、1950年~朝鮮戦争が始まる前の時期で、太平洋戦争は終わったものの、GHQにおいても難しい舵取りが行われた時期なのかもしれません。

 

上野周辺の歴史にも触れられていて、上野の山にはいまよりも広大な寛永寺墓所があったこと。戊辰戦争の戦いの一つである上野戦争彰義隊がこの上野の山で激しい戦いを繰り広げたこと。また、近代図書館の始まりとされる湯島聖堂内でできた書籍館(しょじゃくかん)やいまは使われていない京成電鉄博物館動物園駅などもでてきます。

 

そして戦後、喜和子さんが幼少期に迷子になって親と離れ離れになって住んでいたと言っていた上野山の、いまの西洋美術館や東京文化会館あたりにあったという葵部落というバラックの集落についても出てきます。

 

私はいつも菩提寺がある谷中を抜けて、上野桜木を通り、東京藝大正門の前を通り過ぎて上野公園を通りぬけ、上野駅公園口へ行くルートを歩くのですが、こんな歴史があったなんて・・・。これからは道を歩く速度をゆっくりして、もっとじっくり感じでみたくなりました。

 

夢見る帝国図書館

 

夢見る帝国博物館 / 中島 京子著

東京 : 文藝春秋 , 2019

404p  ; 20cm

 

注釈)

書籍館(しょじゃくかん)

明治時代に湯島聖堂内にあった図書館で、国立国会図書館支部上野図書館(旧帝国図書館)の前身と言われ、近代図書館の始まりと言われています。

 

デューイの十進分類

森清が、このデューイ十進分類法をもとに、日本十進分類日本十進分類法(NDC)を作成し、日本の図書館で広く使われている図書分類法です。

 

第86号:書店兼貸本屋兼出版社、のちに図書館別館・・・「アルジェリア、シェラ通りの小さな書店」

カウテル・アディミ著「アルジェリア、シェラ通りの小さな書店」を読みました。

実在の伝説的出版人であったエドモン・シャルロが、アルジェで初めに開いたハマニ通り2番地2(旧シェラ通り)の書店<真の富>に端を発したストーリーです。

 

話は、2つの時代を交互に展開していきます。

1つ目は、エドモン・シャルロが1935年に、21歳で本屋を始めようとしたきっかけから1961年までの話です。

2つ目は、2017年にこの旧書店(その時点では国立図書館別館)の中の本を取り去り、全てのものを廃棄するために、アルジェへやってきたパリ在住の21歳の読書に興味のないリヤドの話。大学の実習先(スタージュ)が見つからずに困っていたリヤドは父親の知り合いからこの旧書店の片付けを頼まれます。のちに図書館別館になってからも貸し出し係をしていたアブダラーが書店の前で毎日立ち尽くしており、2人は出会います。

 

 

この書店<真の富>の名前は、小説家ジャン・ジオノの本の表題が使われおり、ショーウィンドーに、「読書をする一人の人間には二人分の価値がある」(本書引用)という銘文が刻まれていると書かれています。

 

エドモン・シャルロは、アルジェの小さな書店、貸本屋にとどまらず、カミュの他、たくさんの作家と交流があり、次々と出版もしていきます。パリに進出し、友人とシャルロ出版を作り、書店<真の富>は弟夫婦に譲ります。時代は、第2次世界大戦、大戦がやっと終わったかと思うとアルジェリア独立戦争が起こり、シャルロはパリから撤退しアルジェに戻り、新しい書店を開きますがテロに攻撃されたり、激動の時代を通り抜けます。

 

2017年、書店<真の富>は弟の未亡人が手放し、図書館別館になりましたが、その歴史に幕が降りることになります。

 

アルジェリアについて、ほとんど知らない私にとっては、第2次大戦での宗主国フランスの勝利のために犠牲を払ったアルジェリア、民族解放戦線FLN、パリでのアラブ人狩り独立戦争チュニジア、モロッコよりも遅く独立することになったことについても、ほとんど知らずにいたことを実感しました。

 

旧シェラ通り、現ハマニ通り2番地2。ストリートビューでは見られないようで、いつかアルジェにも行ってみたいと思いました。

 

アルジェリア、シャラ通りの小さな書店

アルジェリア、シェラ通りの小さな書店 / カウテル・アディミ著 ; 平田紀之訳

東京 : 作品社 , 2019

237p ; 20cm

著書原綴 : Nos richesses

著者原綴 : Kaouther Adimi

 

 

 

 

第85号:続・やはりナポリ・・・「 ナポリの物語4『失われた女の子』」

おはようございます。

ついに、エレナ・フェッランテの「ナポリの物語」が今回読了した第4巻で完結となりました。第1巻の冒頭で、トリノに住むエレナとリラの息子リーノが電話でリラの不在について話す印象的なシーンが出てきます。そのシーンは謎のまま、話は過去に遡ったのですが、この巻の最後にそのシーンが繋がっていきます。

 

読み終えて、ため息のような思わず「おおー」という気持ちと、ついに終わったかという一抹の寂しさのようなものがこみ上げてきます。

 

戦後と言われる1950年代にナポリの貧しいある地区で生まれたリナ(リラ)とエレナという2人の少女の話です。この小説自体は、のちに作家となったエレナの目線で書かれています。4巻に渡る長編です。(各巻についてもこのブログでは書いてきました。)

 

小説の中には、リナとエレナの住んでいたというナポリ団地の具体的な地名は出てこないものの、Googleストリートビューをみながら、あのあたりかなと思ったりしながら読みました。

 

物語の中では、悪党として地区の人に恐れられていたソラーラ兄弟がマルティリ広場(Martiri=殉教者たちの意)に店を出したり、ニーノ(エレナが幼少時代から好きだった)が部屋を借りて、エレナと子どもたちと住むことになる海が見える高台のタッソ通り(Via Tasso)の地名なども出てきます。ストリートビューを見ると、その場所の雰囲気がイメージしやすくなります。

 

例にあげたマルティリ広場も、タッソ通りはどちらかというとナポリの中では山手なイメージに近い雰囲気がありました。後半、ナポリの歴史を調べていたリナから、彼女たちが子ども時代に遊んでいた場所からも近いというサン・ジョヴァンニ・ア・カルボナーラ教会、フォルチェッラ地区など、観光客が足を踏み入れるのには慎重になるようなエリアの地名も出てきます。リナとエレナ、ニーノたちが子ども時代に住んでいた場所について想像をかきたてられます。

 

同じ地区に生まれ、少女時代のリナとエレナは性格的にも正反対の2人です。高等教育まで突き進んでいったエレナ。リナは地区から出ずに小学校で学業を辞めてしまったけれど、第1巻の原題「L'amica Geniale」(天才の友人)はまさにリナのことです。幼い彼女の「青い妖精」という文章の類まれな才能に女性教師が気づき、早くから身近でそれを感じていたのはエレナでした。

 

第2巻、第3巻と彼女たちはそれぞれに成長し、青春時代、結婚や出産、離婚など、それぞれのステージ進みます。しかし、お互いを絶えず意識しながらも距離を取ったり、近づいたり、家族を増やし、歳を重ねていきます。

 

第3巻の最後では、エレナが同じ地区出身の昔から憧れていたニーノと再会し、夫ピエトロと娘2人も置いて数日逃避行しましたが、この第4巻では、その後のニーノとの蜜月、夫ピエトロとの離婚に向けての話し、家族と過ごしたフィレンツェからニーノが住むことを望んだナポリへ移ることを決めます。リナ(リラ)はナポリから出ることなくずっと暮らしており、ニーノは、第2巻でリナと深い仲となって、すでに別れた過去があり、さらに絡み合っていきます。

 

第4巻の時代は、1980年代から2005年頃となっていて、電話がない子ども時代から電話が引かれ、それでも手紙のやりとりも頻繁に行われます。さらに、後半には主人公たちがメールを使う姿も出てきます。

 

第1巻~4巻を通じて、イタリアの戦後史の中で印象に残る赤い旅団の事件やボローニャ駅爆破事件などの記述、1980年にナポリで起こった地震(イルピニア地震)もエピソードとして出てきます。

 

おそらく私は、エレナの娘たちと同世代ではないかと思いますが、自分自身が歳を重ねるように、時代が移りゆくさまを史実とともに読むことができます。日本においても、私の生まれた70年代の70年安保から80年代のバブル期に移行していくように、学生運動や世論、政治も変わっていく時代でした。そういったイタリアの歴史描写も読者にさらに関心を引き寄せさせ、物語の奥行きを深くしているのではないかと思います。

 

ネタバレができないため、あまり詳しく書くことができませんが、第4巻はもう目まぐるしい展開です。この第4巻では、メインとなっていた複数の登場人物の消失という驚きもあります。リナとエレナは、この4巻を通して、常に嫉妬したり、羨望したりする気持ちがお互いに巡っていて、ああー、女の友情ってめんどくさいとも思ってしまうのです。

 

でも、ふたりのことが気になって仕方なくて読んでしまいます。 

 

 失われた女の子 (ナポリの物語 4)

失われた女の子 / エレナ・フェッランテ著 ; 飯田 亮介訳

東京 : 早川書房 ,  2019

600p ,  19㎝ - (ナポリの物語)

著書原綴: Storia della bambina perduta 

著者原綴: Elena Ferrante

 

ナポリ物語シリーズ

4.失われた女の子      2019/12発行

3.逃れる者と留まる者    2019/03発行

https://umemedaka-style.hatenadiary.jp/entry/2019/06/29/191126

2.新しい名字        2018/05発行

https://umemedaka-style.hatenadiary.jp/entry/2018/12/07/093603

1.リラとわたし     2017/07発行

https://umemedaka-style.hatenadiary.jp/entry/2017/10/20/163911

 

 

 

第84号:サルデーニャの蜂蜜は、未知の味・・・「サルデーニャの蜜蜂」

今週はお盆ウィーク。いつもの夏とだいぶ違いますね。

遅ればせながら、内田洋子さんの「サルデーニャの蜜蜂」を読みました。

 

この本は、タイトルとなっている「サルデーニャの蜜蜂」含む、15編から成ります。ノンフィクションだそうです。いつもながら、内田さんの文章を読むとその情景がありありと目に浮かんできます。もちろん、全てが場所が特定されているわけではないですし、行ったことがない場所がほとんどで、その場所も登場人物も知るよしもない私なのですが・・・。

 

例えば、「どんなに寒くても必ず軍手のようなごつい手袋を外してから、荒れてガサガサの両手で私の手を包み込むようにして挨拶した」(本書「寡婦」から引用)のブルーナという女性のシーンは、まるで私も内田さんの横で、白い息を吐きながら握ってくる手の感覚さえ感じる気がします。

 

さて、このタイトルになっている短編「サルデーニャの蜜蜂」では、カリアリの港から人気のない道をひたすら車で走り、目印はユーカリの大木や赤い岩と言われて、訪ねていく養蜂家は古代ローマ時代から続いているといいます。古代ローマ皇帝もお気に入りだった蜂蜜で、一匙で万病を治すと珍重されたそうです。苦い、そして甘みだけ残して苦味が消えるそうで、どんな味なのか?タイムの密生する山裾とは?と、より強く想像し、最後にはやっぱり行ってみたくなります。だいぶ前に、サルデーニャ行くはずの計画が頓挫したことがあり、今更悔やんでみたり・・・。

 

以前、内田さんが船上生活をしていたという話をラジオ番組に出演されたときに知り、どうして?と思ったのですが、そのきっかけのような話もでてきます。ちょっとしたさりげない言葉に、船上生活の内田さんを想像してみたり。

 

それぞれの章には、印象に残る登場人物が出てきます。どの人物も興味深く、ときおり切なくなったりします。

 

余談ですが、内田さんがインスタに載せていてオリヴェッティの「Lattera32」というタイプライターが本書で出てきて、これだったのかと思ったり。本とSNSを活用する今ならではの読み方もできています。

 

内田さんは高名で、多忙にも関わらず、インスタの一般のフォロワーにもコメントしてくださったりします。以前よりも、より内田さんを近く感じるようになりました。そのせいもあって、言葉が素直にすっと入ってきて、情景がありあり浮かんでくる気がするんです。

 

いままであれば、本は作家が書いたという完了形もしくは過去形で、読者とある意味切り離されていたものだったのですが、SNSで内田さんという作家が離れたイタリアで(日本にいてもどこにいても)、いまも生きていて、活動しているって身近に感じながら読むと、血が通うというか、なにか心にあたたかいものを感じます。

 

これって、とても素敵なことですね。

 

サルデーニャの蜜蜂

サルデーニャの蜜蜂 / 内田 洋子著

東京 : 小学館 , 2020

253p ; 20cm