第48号:知らないとは恐ろしい・・・「サラの鍵」

久しぶりに、衝撃の内容とストーリーテリングの素晴らしさに感心した1冊でした。

 

タチアナ・ド・ロネ著「サラの鍵」。

2010年に日本で発行された時点で読もうと思いながらも、すっかり忘れて数年が経過していました。友人が読んだと教えてくれたことで思い出して、読みました。

 

この本の中では、フランス人でも知らない人が多いという“ヴェロドローム・ディヴェール(冬季自転車競技場)”(略してヴェルディブ)の一斉検挙にかかわる出来事が書かれています。

 

1942年7月16日にパリの中心で、ユダヤ人の女性、子供を中心に検挙された。それまで男性が検挙されるケースが多く、女性や子供にその検挙が及ぶとは思ってもいなかったという背景もある。この自転車競技場に一旦集められ、ボーヌ・ド・ロランド等の収容所を経由して、大人たちはアウシュビッツへ送られたという。12歳までの子供は、親と引き離され、パリ郊外のドランシー収容所に戻され、別のユダヤ人の収容された大人と組まされ家族に見せてアウシュビッツへ送られたという。世論の反感を買わないために巧妙に仕組まれていた計画だった。

 

その検挙を行ったのがナチスドイツのドイツ人でなく、市民を守ると信じていたフランス警察だったということ、両親がユダヤ人の外国籍だとしても、フランス生まれのフランス国籍である子供も検挙されたことが、このヴェルディブの大きな問題だった。

 

自由と博愛の国には似つかわしくない過去で、戦後、公にされることのない事実だった。それが、シラク政権の時に、正式に謝罪が行われた。

 

本書では、ユダヤ人でその検挙にあった10歳の少女サラ・スタジンスキと、アメリカ人でパリに移り住んだジャーナリストであるジュリア・ジャーモンドの目線で書かれた文章が交互に展開し、後半はこのヴェルディブとサラの後年について追求していくジュリアが語るという形になっている。

 

サラはボーヌ・ド・ロランドで収容所から逃げることができ、命は助かったのの、すべてを失ったといってもいい。サラについて知ることで、ジュリアを含め、その時代の過去とサラを知る人たちも大きく動揺し、何かが変わってしまうほどの力をこの出来事は持っていた。

 

サラは、一斉検挙の際に、すぐに戻ってこられると思って、弟を納戸に隠した。そして、すぐには帰ってこられなかった。やっとパリに戻ってきた時には、サラのアパルトマンの部屋には、ジュリアの婚家のテザック家の人々が住んでいた。サラは、後年単身アメリカに渡って一見幸せそうに暮らしたが、ずっと心の鍵をかけたままだった。

 

知られざる出来事の恐ろしさと、それでも最後まで目を背けずに読むことができるようにストーリーテリングされていることが本当にすごい1冊だと思った。

ユダヤ人の一斉検挙だけの内容であれば、その後の惨い結末を思って、もしかしたら、私は途中で読むことができなかったかもしれない。

 

それにしても、これもパリの顔。

でも、この出来事について書かれた銘碑が町の中に残されていることがフランスのすごいところだと思う。

 

また、この小説の中では、サラを助けたデュフォール夫妻という協力者があったように、「隠された子供たち」として少し前にテレビで、フランス人の協力者によって助けられた両親がユダヤ人であるがフランス国籍で、当時14歳だった男性のことが放送されていたが、そのような協力者がたくさんいたことも事実である。

 

 

 

サラの鍵 (新潮クレスト・ブックス)

サラの鍵 / タチアナ・ド・ルネ著 ; 高見 浩訳

東京 : 新潮社 ,   2010年

20cm ,    p423