第19号:はじまりの書「古書店めぐりは夫婦で」と「旅に出ても古書店めぐり」
何を隠そう私の老後の目標は、古書店の店主になること。
古書と古書店自体に関心を持ち始めたきっかけは、この本、ローレンス さんとナンシーさんの ゴールドストーンご夫妻が書いた「古書店めぐりは夫婦で」だった。この本を読んだとき、稲妻が落ちたような衝撃を受けたのだった。
お二人は西マサチューセッツ・バークシャーに引っ越した。誕生日のプレゼント交換でいつも高価なものを贈りあい、あまり喜ばれず、揉める。そんなことを繰り返していたある年、20ドルまでと決めてプレゼントを贈りあうことにした。それは厳守ということになった。その時のプレゼントが、『戦争と平和』だったという。こんなにすてきなものが20ドル以内で買えるなんて!という感動でとびあがる。それをきっかけに、お二人の古書店めぐりがはじまったというエピソードが冒頭で書かれている。
そして、お2人の古書店めぐりが始まり、足をふみ入れてみると古書の世界は奥が深いと気づく。初版や、装丁の美しさ等の価値を決めるファクターと値付けのしかたの奇妙さや、個性的な古書店主の面々。
もちろん、アメリカと日本では、ここで収集される対象になっている活版印刷の本の歴史の長さや出版のスタイルも違うので、日本なりの古書の収集のしかたがあるかもしれないが、でもこの古書好きの世界観というのは、とても共感できたし、この奥深い世界に入ってみたいと思ったのだった。
さらにもう1冊は、お二人が書いた続編『旅に出ても古書店めぐり』では、マサチューセッツからニュージャ―ジーに引っ越し、新しい古書店との出会い、個性的な古書店主とのさらなる出会いがあったりする。
日本ではあまり知られていない作家で、でもアメリカでは超有名で、コレクター垂涎の1冊みたいなものもたくさん出てくる。日本ではあまり知られていなかったり、日本ではとっくに絶版になってしまっている素晴らしい作家の本がたくさんあるということをあらためて知る機会にもなり、2冊とも興味深く、読んでいて、とても楽しくなる本である。
もっと英語の本が読めたらな・・・、アメリカの古書店めぐりもしてみたい。
古書店めぐりは夫婦で / ローレンス ゴールドストーン (著), ナンシー ゴールドストーン (著) ; 浅倉 久志 (翻訳)
東京 : ハヤカワ文庫NF, 1999
342p ; 16㎝
著者原綴: Lawrence Goldstone, Nancy Goldstone
旅に出ても古書店めぐり / ローレンス ゴールドストーン (著), ナンシー ゴールドストーン (著) ; 浅倉 久志 (翻訳)
東京 : ハヤカワ文庫NF, 2001
338p ; 16㎝
著者原綴: Lawrence Goldstone, Nancy Goldstone
第18号:「リラとわたし」にみるナポリの素顔の一つ
エレナ・フェッランテ著の「リラとわたし(ナポリの物語)」で描かれるナポリは、私が観光で目にしてきた、サンタルチア海岸、ヌオーヴォ城、王宮、ムニチピオ広場や、スパッカナポリとも少し違うナポリだった。
この小説は、アメリカでも人気があったそうだ。これは、シリーズの第1巻であり、この先はまだまだ続くらしいが、日本ではこの1巻が出たところ。なので、話もリラの結婚というところで、ひとまず終わっている。
この小説の「わたし」こと、エレナは冒頭に中年の女性として登場し、リラが居なくなったとその息子から電話がくるシーンで登場している。そのあと、子供の頃のナポリの郊外の団地での幼少時代の話がスタートする。「わたし」と同い年のリラとの出会いや、彼女と過ごした出来事が書かれている。リラは、けんかも何もめっぽう強くて、悪ガキでとどまらず、語学をやらせれば飲み込みが良く、読書家という驚くべき2面性を持った少女だった。「わたし」は、リラに刺激されて、負けじとコツコツと勉学にはげむタイプだ。
2人は同じ団地に住み、生活は貧しい。そのために、上の学校に行って勉強を続けることさえ、家族は喜ばない。「わたし」はコツコツと勉強を続け、その地区の一握りの人が行く上の学校に進んだ。語学の天才的才能もあるリラはいつしか学校ヘは行かなくなり、それでも、やせっぽちだったリラは、だんだんと花がひらくように成長とともに周囲の男子を魅了するほどに美しくなっていく、そして貧しい地域の中でも成功したと言われる家の青年と婚約し、結婚式を迎える。
2人は常にお互いのことを思いながらも、徐々に生きる道が分かれていく。それでも、この団地での人間関係は濃密で、成長していく2人に因縁のように、その後もまとわりついている。
「わたし」とリラは、ナポリに住んでいるが、子ども時代に海も見たことがないという。王宮やら、ナポリの中心部には行ったこともない。やっと大人に近づき、地区の男の子が車を乗るようになって、ナポリでもその地区以外に出かけるようになるという感じである。
ふと、3月にナポリからアマルフィーへの高台の道で、ベスビオ山とナポリの町を見下ろしたときに、こんなに町が広がっていると思ったことを思いだした。
ナポリと一言に行っても、イタリア第3の都市なのだ。これはあくまでも、ナポリの素顔の一つなのかもしれないと思った。
この2人のその先の人生が気になる。次巻が出ることが楽しみでならない。
リラとわたし / エレナ フェッランテ 著 ; 飯田 亮介訳
東京 : 早川書房 , 2017
432p , 19㎝. - (ナポリの物語)
著者原綴: Elena Ferrante
著書原綴:L'amica Geniale
第17号:「昔も今も」、気になるイーモラ
イタリアの中部、ボローニャから列車で30分の場所にあるイーモラ。小さな町ではあるが、車好きならばイーモラサーキットを思い起こすかもしれない。
この町に関心を持ったのは、この天野 隆司訳の、サマセット・モームの「昔も今も」と遭遇して読み始めてからである。この作品では、チェーザレボルジアがカテリーナ・スフォルツァから奪い取り手中におさめたすぐ後のイーモラが出てくる。
塩野七生さんの「チェーザレボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読んだ時には、イーモラの町よりも、チェーザレ自身のほうがイメージに強かったせいかこの町の名前は印象に残っていなかった。だから、この作品を読んで、イーモラに行ってみたいと思ったし、自分が企画したボローニャ滞在のツアーで、イーモラやフォルリを入れてツアーを作ったりした。でも、そのツアーは幻に終わり、人数が集まらず催行されず、1シーズンでお蔵入りになった。
サマセット・モーム自体は、ほとんど読んだことがなかった私が言うのもおこがましいが、訳者の天野氏は、いままで日本で翻訳されていなかったこの名作を発掘し、2011年に発刊された。この1冊は価値ある1冊だと思う。
物語は、『君主論』を書いたマキャベリがフィレンツェ政府シニョーリアの書記官として、イーモラ(ボローニャの東)にいる教皇アレクサンドル6世の私生児、チェーザレ・ボルジアへの決裁権のない使節として出向いたときの話。
時代は1500年前後、チェーザレが公爵としてスフォルツァ家のイーモラ、ウルビーノなどのイタリア中部都市を手中に収め、フォルリの城からさらに他都市を攻めこもうとするあたりでマキャベリは使節としての役目を終えるが、チェーザレの類いまれなるリーダーシップ、礼節さと親切心を巧みに使いこなす手腕に、たびたびマキャベリは感心させられる。マキャベリのフィレンツェの役人でありながら機知にとんだ姿と、一個人の男として、イーモラ商人バルトロメオの若妻アウレリアを狙う策略が面白い。
有名な『君主論』が実はチェーザレボルジアをモデルにマキャベリによって書かれたことが、この本を読み納得できる。
チェーザレボルジアと父アレクサンドル6世はルイ12世のジャンヌ・ド・フランシスの婚姻取り消しとアンヌ・ド・ブルターニュの再婚にも絡んでるいて、気になってはいたが、こんなにもすごい武将だったとは意外だった。
チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 / 塩野 七生著
東京 : 新潮文庫, 1982
334p , 15㎝
ルネサンスの女たち / 塩野 七生著
東京 : 新潮文庫 , 2012
443p , 15㎝
第16号:「南国に日は落ちて」の南国とは?
須賀敦子さんの本を読んでいるときに、読書家の須賀さんがこの本について書いていた。須賀さんは、作家というだけでなく、イタリア語の翻訳も手がけていた。勝手にむすびつけるが、村上春樹さんとの共通点でもある。
私は村上主義者でもあり、須賀主義者。笑
マヌエル・プイグの「南国に日はおちて」は、リオデジャネイロのマンションに住む姉妹の話。姉の二ディアは現実的、妹のルシは夢想家で、正反対の二人。たわいもない世間話が展開していく。
妹ルシは同じアパートメントに住む隣人、精神科の女医であるシルビアの恋愛の相談相手だった。シルビアも現実的なタイプで、二ディアに似ていた。
仲良く暮らしていた姉妹だったが、妹のルシがスイスに住む息子の元に移って、ほどなくして亡くなった。息子たちは、姉二ディアが悲しまないように知らせなかった。二ディアはルシに手紙を書き続ける。
二ディアが住むマンションの夜警をしているロナルドが北の町から出稼ぎに来ていて、工事現場に住みながら働いていることを知り、妻ウィルマを呼び寄せ、ルシが住んでいたの部屋に住まわせようと、二ディアは自分の名義で部屋を借りてあげたのであるが、ロナルドは夜逃げし、ルシの大切にしていた高価なレースの白いドレスとケープもなくなってしまった。
二ディアにとってもその事件は大きく、ブラジルの貧困の根深さに気づかされたのだった。そして、ブエノスアイレスにいる息子の元に帰ってしまった。
しかし、シルビアから手紙をもらい、ロナルドの妻ウィルマがリオに来たことも知り、自分の善行にもう一度立ち返ってみようと思い、リオ行きの飛行機に乗った。
コルコバードの丘、イパネマ海岸、一度は行きたいと思いながら、結局行けずじまい。
ブラジリアンジャズ→ボサノバを聞きながら想像するだけ。ボサノバも現地の人にとっては、演歌みたいな感じなのかな??とか想像したりもする。イタリア人に、カンツォーネの話を聞いたら、あー古い曲ね。聞かないよって感じのことを言われたことがあるから。
ブラジルの歌手マリーザ・モンチの曲を聞くと、ブラジルの明るい日差しを感じる気がする。なんとも爽快感がある。今のブラジルを音楽からすごーく良いイメージで想像すると、こっちのほうが合っているのかな?あくまでも想像の域である。
書名原綴が「CAE LA NOCHE TROPICAL」。ブラジルが舞台だから、ポルトガル語?と思いましたが、NOCHEってスペイン語ですね。なんとなく、こちらの字面のほうがこの本のイメージに合っている気がする。
南国に日は落ちて / マヌエル・プイグ著 ; 野谷 文昭訳
東京 ; 集英社 , 1996
19㎝ ; 254P
書名原綴: CAE LA NOCHE TROPICAL
マリーザ・モンチなら、私はこれをよく聞きます。
バルセロナの海沿いに、「マリーナ・モンチョス」というレストランがあって、マリーザ・モンチとマリーナ・モンチョスを知ったのが同時期だったので、たまに混同しました。笑
申し訳ありません。今週も休刊です。
みなさん、こんばんは。
先週、今週ともに、どうしても立て込んでまして、お休みとさせていただいております。来週は少し落ち着いている予定ですので、必ず書きます!お許しください。
第15号:「リスボンへの夜行列車」に乗ってみようか
主人公のグレゴリウスは、スイスのベルンにあるギムナジウムでヘブライ語、ギリシャ語の教師をしていた。
ある雨の日に勤務するギムナジウムへ向かう途中のキルフェンフェルト橋から飛び降りようとした女を彼は引き留め、その女に「あなたの母国語はなんですか?」と問い、女は「ポルトゲ―シュ(ポルトガル語)」と答えた。彼のおでこに、忘れたくないという電話番号を書き残して。
そして、勉学に打ち込みギムナジウムでも最も信頼される教師としてやってきたグレゴリウスだったが、突然授業放棄し、古書店に立ち寄り、いままで唯一関係がなかったともいえるポルトガル語の1冊の本を買い、女を追いかけるように、ポルトガルを目指して、列車に飛び乗ってしまった。列車は、途中、ジュネーブ、別れた妻との苦い思い出の残るパリ(リヨン駅に着き、モンパルナスへ移動するタクシーで回想する)、イルン、ビアリッツを経由してリスボンへ。
リスボンに着き、グレゴリウスは、ベルンの古書店で買った「赤い杉」という本の著者のアマデウ・デ・プラドという医師だった男を知りたくなり、一つ一つ彼に近づく糸を辿っていく。
非の打ちどころがなく、優秀で慕われる医師だったアマデウが、医師として、独裁政治の体制のなかで虐殺者とよばれた人物を助けたことで、その日を境に人々が離れていった。そして、彼はレジスタンスとして生きることを決める。誰に知られることもなく、秘密裏に、彼が死んでからその事実が知られることになるわけだが。
グレゴリウスはなぜか、全く自分とは違う境遇(アマデウは上流階級ですべてに恵まれていた)の彼に興味を持ち、そして、彼を知る人々に逢い、彼らとも心を通わせながら、彼の人生を知ることで、自分の人生をもう一度見つめなおす。
旅には、たしかにグレゴリウスほどではなくても、自分を見つめなおすきっかけになることがあると思う。
この「リスボンへの夜行列車」の著者は、哲学者であるらしく、まさにすんなりと入っていかれる哲学書を読んだような読後感がある。そして、アマデウがとても愛した美しいリスボンに行きたくなる。
映画はまだ見ていないが、だいぶ前に日本でも公開していたようだ。ジェレミー・アイアンズがグレゴリウスを演じていて少し原作とは違うと友人から聞いている。
リスボンへの夜行列車 / パスカル・メルシェ著 ; 浅井 晶子訳
東京 ; 早川書房 , 2012
486p ; 20㎝
書名原綴: Nachtzug nach Lissabon
第14号:「優雅なハリネズミ」の住む場所?
サマーバケーションとして、7月7日の七夕の京都の記事からずっとお休みしていましたが、旧暦の七夕も過ぎて、そろそろバケーションも終わりでしょ、という時期になりました。
もうすっかり秋ですね。こんなに夏が短く、物足りなさを感じた夏って、ここ最近ありませんでした。なんとなく、さびしくなったりします。
ミュリエル・バルベリ著『優雅なハリネズミ』は、パリのグルネル通り7番地の高級アパルトマンで管理人をしているポルトガル出身のルネ(マダム・ミシェル)と、そのアパルトマンに住むジョゼ家の次女で12歳のパロマの文章で構成されています。それぞれの文章は字体が変えてあります。
ルネこと、マダム・ミシェルは、ポルトガル人で、管理人というイメージ(高級アパルトマンの住人は少し下に見ていて、ルネに対する慇懃無礼な様子が描かれています)よりも、とても知的で、音楽、絵画など芸術やあらゆることに造詣が深く、いつも知的な本を読んでいたりします。しかし、それが住人に見つからると面倒なこともあり、いつも誰からもわからないようにしています。夫が亡くなった後は一人暮らしをしていますが、唯一、マダム・ミシェルの知的で優雅な暮らしぶりを知るのは、同じくポルトガル人で、家政婦をしていて、最高の手作り菓子を作り、それを持ってマダム・ミシェルのところにお茶をしに来るマニュエラだけです。彼女も、貴婦人と呼ぶにふさわしい人物です。
パロマは、自殺願望があり、このアパルトマンに火をつけるつもりでしたが、ルネと、のちほど引っ越してくるオヅ氏(日本人)との出会いによって、その考えが変わってきます。
パロマがマダム・ミシェルと初めてちゃんと話をしたときに、パロマのかしこさと、ルネの知性はお互いに通じるものがありました。パロマは、マダム・ミシェルをこう評しています。
マダム・ミシェルは優雅なハリネズミです。外見は棘でがっちりした砦で覆っているけれども、心はとても高貴な人です。ものぐさなふりをして、頑として孤独を守り、すばらしく洗練されている。まさにハリネズミです。
アパルトマンの高名な料理評論家のアルサン氏(なんともいけ好かない人物でしたが)が急死し、売りに出された部屋を洗練された部屋に大改装し、引っ越してきたのがオヅ氏でした。
オヅ氏(小津監督の遠縁という設定)は、洗練されていて、しかもやさしく紳士的。
ルネの飼っているネコは、レオン・トルストイの名からとって、レオン。オヅ氏のネコは、レーヴィンとキティという名で、ロシアの大作家と彼が愛した女の名前。
オヅ氏は、マダム・ミシェルの知性をすぐに見破り、オヅ氏はマダム・ミシェルをよく知りたいと思うようになりました。オヅ氏とマダム・ミシェルがさらに親愛なる友人えとなるべく交友を深めていたある日・・・。
たまたま、この本を読んだすぐあとに、英国を扱った旅番組があり、英国では、「ハリネズミは美しい庭にしか現れない」と言われていると聞いて、この小説は舞台はパリですが、なるほど~と妙に納得してしまいました。
優雅なハリネズミ / ミュリエル・バルベリ著 ; 河村 真紀子訳
東京 : 早川書房, 2008
372p , 19㎝
原文書名: L'elegance du herisson
著者原綴: Barbery, Muriel