umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第13号:ほんとに「京都ぎらい」?

著者の井上章一さんが、以前BSの「久米書店」という番組に出ていました。「久米書店」自体が終わってしまったので、私としては寂しい限りなんですが、そこで著者自らこの本を紹介されていました。

 

生粋の京都人が言う、本当の「京都」という範囲は本当に狭いものだということが、この本にも書かれています。

 

関東人の私から見れば、京都市内は「京都」でしょ?という感じでいましたが、京都市内と言っても実際には広く、嵐山嵯峨野のほうもあれば、宇治寄りのエリアも長岡京市寄りのエリアも含まれており、そういう生粋の京都人の気持ちもわからなくもありません。またそこには、生粋の京都人ならではの、よそ者へのアイロニーも感じます。

 

そこらへんは、これまた大好きな番組(なのに、先日完結した様子・・・)、BSプレミアで不定期に放送されていた「京都人の密かな愉しみ」という番組にも嫌というほど、描かれていますね。

 

昨年の8月お盆の送り火のすぐ後に、私は京都に遊びに行きましたが、この本を読む前だったので、もっと早く読めでおけばよかったと後悔しきり・・・。

 

夜、嵐山の鵜飼いを見に行ったんですが、嵐山・嵯峨野近辺には、南北朝時代天皇と関連する地名が見られます。南北朝のきっかけとなったのは後嵯峨天皇ですし、その近くには南朝派の亀山天皇と同じ亀山という地名があったりという感じです。

 

南朝派(大覚寺統)が帰依した大覚寺があったり、北朝派(持明院統)側に付いて、その後室町幕府を開いた足利尊氏が、夢窓疎石によって作らせた天龍寺があり、天龍寺南朝派の鎮魂の寺という意味もあるそうです。

 

教科書で見ていた歴史が、現在と繋がってゆくような感じがして、歴史の奥深さを感じるのでした。

 

次行くときには、もう一度読んでから出かけてみよう!

 

<お知らせ>

来週からサマーバケーション(聞こえはいいのですが・・・)の為、

このブログはお休みさせていただきます。

 

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい / 井上 章一著

東京 : 朝日新書 , 2015

224p ; 18㎝

 

<これまた私にとっての京都ブームの火付け役>

鴨川食堂 (小学館文庫)

鴨川食堂  / 柏井 壽著

東京 : 小学館文庫 , 2015

253p ; 15㎝

 

 

 

 

第12号:今現在のテヘランは?「テヘランでロリータを読む」

テヘランでロリータを読む」は、先日読んだ西加奈子さんの「i」にも重要な要素として出てきていたので、読んでみたいと思っていた。

 

 

タイトルからすると「ロリータ」と出てくると、なんとなくセンセーショナルで、1997年のジェレミー・アイアンズ主演の映画がぱっと浮かんできてしまう。

 

この著者アーザル・ナフィーシーさんは、もともとイランの英米文学の教授であり、自宅で数人の教え子と研究会(民主主義の国で、今の時代なら読書会というイメージを持った)をおこなっており、その研究会のテーマがナブコフ著の「ロリータ」だったのでである。この本は、1979年のイスラーム革命から18年間のテヘランでのことを書いている。

 

大学の授業のなかでは、他にもテーマは、フィッツジェラルド著の「ギャツビー」だったり、ヘンリー・ジェイムズ著「ワシントンスクエア」だったり、その他いろいろな作品が取り上げられている。イランという場所で、それらの小説は共感を持って受け入れられる一方、西洋文化の退廃的な思想があるとして絶対に受け入れられないという人(特に男子学生)たちもいて、根深さを感じざる得ない。

 

そう、1995年のテヘランで、発禁になっている「ロリータ」を含む英米文学を読むということはどういうことなのか。「i」にもあったように、“想像しみること”が大事なんだと思う。

 

私はこの本で、イランで起こったイスラーム革命について、イラン・イラク戦争について、初めて触れた気がする。

 

何も知らなかった自分がいる、1970年代後半のイスラーム革命前に構想されたとされる五木寛之氏の「燃える秋」を読んで、ペルシャ絨毯にひかれて、会社を辞めて、イランへ行ってしまう主人公亜紀がどんなところへ行くのか、本を読んでいても想像もつかなかったのだ。

 

1970年代中盤までは、もっとイランは自由な時代であったと考えられる。その頃のイランは一体どのように、この著者の描く1980ー90年代とどのように違ったのだろう。

 

そして今のイランを知りたくなった。前の会社でもイランのツアーは情勢次第で販売したり、しなかったりということがあったが、最近の状況を見ると、大手の会社でも、ツアーを出し始めているということは、情勢としては安定してきているのかもしれないと思う。旅行が販売されるか、されないかを情勢をみる基準にしている部分もある。日本の旅行会社は外務省の安全情報をもとに、判断している部分が大きいので、大手で販売しているとなれば、情勢から考えて旅行としては概ね問題ないのだろう。

 

著者がいたころのイランは、女性は地味な色合いの、すっぽりと体を覆うコートを着ていて、スカーフが頭からずれたり、髪がはみ出すことさえも、注意を受けたという。マニキュアはおろか化粧さえもしてはいけないという状況だったと書かれている。指導者が変わるごとにそれは緩和もされたりするのであるが・・・。

 

いまはそういう時代と比べれば、緩和されたようである。しかし、女性の地位はこの本の頃よりも改善されたのだろうか。こういうことは、実際旅に行ってみないとわからない。

 

この本を読むと、以下に、政治(イランにおいては指導者であるといえる)が大事であるかがわかるし、政教分離ということがいかに大事なのかがわかる。

 

自由(思想や表現の自由等)は一度手放すと、取り戻すことがものすごく大変なんだと思う。

 

 

テヘランでロリータを読む(新装版)

テヘランでロリータを読む / アーザル・ナフィーシー著 ; 市川 恵里訳

東京 : 白水社 ,  2017  

485p ; 19㎝

英文原綴: Reading Lolita in Tehran

著者原綴: Azar Nafisi

 

i(アイ)

 

i(アイ)  /  西 加奈子著 

東京 : ポプラ社 , 2016

298p ; 19㎝

 

燃える秋 (五木寛之の恋愛小説)

燃える秋  /  五木 寛之著

東京 : 角川書店 ,2008

207p ; 19cm  

 

第11号:「本格小説」で描き出される古き良き軽井沢

おはようございます。

梅雨の晴れ間というのは、なんとも気持ちが良く、とても好きなひと時です。

 

このブログを書くために、書きためてきた感想文ノートを何冊も見返しますが、そうすると不思議と仕事のストレスや、落ち込んでいたこともふっと消え、また歩き出す気持ちになります。

 

軽井沢は少し湿気が多いので、別荘が立ち並ぶ林の中では、晴れた日でも空気がひんやりしていて、木漏れ日が少しさしこみ、私のなかで、軽井沢らしいと思える風景があります。

 

今日は、水村美苗さんの書いた「本格小説」を紹介します。

この作品は私小説のスタイルをとっていて、あらすじは、著者(という想定)が家族でニューヨークに赴任していたときに出会った実業家東太郎の印象が書かれ、後年、壮年になった東太郎と軽井沢で出会った祐介という青年が、アメリカで講師をしていた著者に運んできた土屋冨美子が語った東太郎とよう子、そしてそれを取り巻く人々の話から展開します。

 

東太郎というアメリカンドリームをつかんだ日本人実業家を辿っていくうちに、そこに関わった人たちもこの物語の重要な登場人物となります。隣り合わせに住まいを構えていた三枝家と重光家、三枝家の次女夏絵が嫁いだ宇多川家の人々。その中でも、東太郎と深く関わったよう子(夏絵の娘)、宇多川家に“女中”として働いた土屋冨美子が東太郎とどのように関わり生きたのか、そんな女達の人生も書かれているのです。

 

東太郎が宇多川家の敷地の中の貸家に親戚家族と身を寄せて、程なくよう子と子供ながらにどんどんと二人の世界を広げていくことから始まります。親戚に引き取られた太郎はことごとく、虐げられ、友だちもおらず、いつもみすぼらしい姿でいるのでした。それを宇多川家の先代の後家であるおばあさまが太郎に愛情をかけ、他人とは思えないほどによう子と分け隔てなく、かわいがったのでした。

 

もちろん、よう子の母夏絵の実家の三枝家は身分違いの二人が兄弟のように過ごすのを良く思っていなかったのですが、それをさとられないようにサポートしていたのが”女中”の冨美子でした。太郎とよう子も高校生となり、太郎をかわいがった宇多川のおばあさまが亡くなり、北海道に転勤で移った宇多川家と太郎は離れ離れになりましたが、よう子と太郎は隠れて文通をしていたのでした。大人になって男女として惹かれあう二人ですが、軽井沢でのある“不始末”をきっかけに会わなくなってしまいます。そして、太郎はアメリカに発ったのでした。

 

その後、太郎はアメリカで飛ぶ鳥を落とすように、成功して行き、億万長者になったのでした。その太郎の話を祐介が著者に運んできたときには、すでに東太郎は行方知れずになっていたのです・・・。

  

登場人物たちの戦後からの長い歳月を描き出したこの「本格小説」は、かなりボリュームがあり、その展開にどんどんと引き込まれています。

 

三枝家と重光家は、成城、軽井沢の両住まいともに隣同士に構えており、長くそして密接なつきあいをしていました。

 

戦後、成城の家は一時期GHQに接収されたりした時代ですから、軽井沢は単なる夏の避暑としてでなく、戦火を逃れるために両家は軽井沢で過ごすわけですが、その生活は、時代を忘れさせるくらい、(庶民からみると)優雅で、穏やかで、古き良き美しい軽井沢が描かれているのです。

 

私自体が、軽井沢に初めて行ったのは小学生のころ、1980年代で、実際に1,2年おきによく行っていたのは高校生以降ですから、1990年代です。アウトレットが出来た以降は、私自身、軽井沢への目的はゴルフに変わってしましました。

 

年々、軽井沢の様子は変わり、旧軽を初めて歩いたころの高揚感はすっかり失くして久しくなりますが、それでも、こないだのドラマ「カルテッド」のように、生活の場として、冬の軽井沢を見ると、なんとなく行ってみたいと思うのでした。

 

初夏を過ぎると、夏の計画を考えますが、何年かに一度は、軽井沢が候補にあがります。結局は、私が軽井沢をイメージするとき、初めて行った80年代の旧軽のイメージとこの小説の古き良き軽井沢がオーバーラップして、ついその面影を探そうとしてしまうのでした。

 

本格小説〈上〉 (新潮文庫)

本格小説〈下〉 (新潮文庫)

本格小説  上 / 水村 美苗著

東京 : 新潮社, 2005

605p ; 15㎝  

 

格小説 下 /   水村 美苗著

東京 : 新潮社,  2005

540p ; 15㎝

 

 

 

第10号:「リーチ先生」がたどり着いた地

“リーチ・ポタリ―”と呼ばれるバーナード・リーチの窯があるイギリスのコンウォール州のセント・アイヴス。

 

以前勤めていた旅行会社で、コーンウォールを観光するツアーがあって、セント・アイヴスを入れていたことがある。バーナード・リーチを知る人にとっては是非とも行ってみたい場所(私もその1人)であるが、知らない人にとっては、「つまらなかった。時間の無駄。」となってしまうらしい。常々思うことだけど、旅の楽しみ方はひとそれぞれ。結局は、なにが自分の心に響くかというところだと思う。

 

この小説は、原田マハさんによるものであるが、物語の中で、バーナード・リーチがイギリスから来日し、どのように生活し、彼なりの芸術活動を行い、民藝運動の中心人物である柳宗悦らと知り合い、陶芸そして日本に魅せられていったのかということが描かれている。

 

登場人物の沖高市という青年が、大分県の小鹿田(おんた)焼の窯元に訪れたリーチ先生の世話係に任命されるところから話が始まる。高市の亡き父・亀乃介も、この小鹿田の隣の小石原という場所に自分の窯を持つ前の若き日に、リーチ先生の助手として、最も彼の身近にいた人物だった。

 

リーチ先生は亀乃介を伴い、陶芸の窯を求めて、いくつかの地を経て、千葉県我孫子の柳邸の近くに窯を構え、創作活動にはげみ、手賀沼の湖畔の風景を気に入っていた。そして、その地を後ろ髪を引かれながらも離れなければならず、東京の麻布に移り、その後、イギリス人の妻とともに、故郷のイギリスへ帰っていった。

 

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そして、リーチがイギリスでたどり着いた地が、セント・アイヴス。イギリスの地図の南西に突き出すように伸びるコーンウォール半島の突端に近い町である。そこで、彼は陶芸に合う土を見つけ出すためにさまよい歩き、やっと自分の理想とする窯をセント・アイヴスに築き上げたのだった。そして、物語の最後に、高市が向かう場所は・・・。

 

5年ぐらい前に、日本橋高島屋で、「バーナード・リーチ展」が開催されて、その展覧会の脇では、「用の美」という言葉が吊りさげられ、バーナード・リーチが訪れた全国各地の窯で焼かれた陶器、その他、家具や平たく言うと民芸品と呼ばれるものの販売も行われていた。私はその時、初めて、小鹿田(おんた)焼の飛び鉋と刷毛目の皿と波佐見焼のマグを買った。それ以来、民藝運動にご執心である。

 

もちろん、洋食器で好きなものもあるが、リーチが影響を与えたとされる全国各地の窯の作品は、なんとなく小粋さがあると思う。日常的に、それらの器を使うたびに、まさに「用の美」だなと実感できるのである。

 

リーチ先生

リーチ先生  / 原田 マハ [著]

東京 : 集英社, 2016

472p ; 20㎝

 

 

 

 

第9号:いつかは自分の足で歩いてみたいサンチャゴ巡礼道「巡礼コメディ旅日記」

1週間はあっという間に過ぎていきますね。年52週、第52号まであっという間かもしれません。

 

著者はドイツ人のコメディアンのハーペイ・カーケリングさん。2009年にドイツで発刊されてベストセラーになった「巡礼コメディ旅日記 僕のサンチャゴ巡礼の道」は、37歳だったカーケリングさんがサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道をフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポールを起点として進んでいった800kmの巡礼の記録。

 

はじめは、特に親しくなる人もなく孤独に歩き続け、他人に対して、やや懐疑的だった様子もある。しかし長い道のりを歩いて行くと、嫌でもたくさんの人と遭遇し、自己中心的な人物や、自分の泣き所をついてきて憤らせる人もいる。それは、自分を鏡を見ているとふと気づく。

 

長い道のりの中で、自分の人生をふりかえり、そんな人々との出会いさえも、自分への試練だと思えてきたりする。

 

時に、人は時間と自分の体をたっぷり使ってみないと気づけないことがあるのかもしれないとこの本を読んで思った。

 

もう1冊、女優としても大好きなシャーリ・マクレーンの書いた「The Camino カミ―ノ魂の旅路」。これも、サンチャゴ巡礼道の話であるが、カーケリングさんの話にも前世についての話が出てくるがこの本も前世についてのことが出てきて、よりスピリチャルな内容になっている。これまた、巡礼道を歩いていると、協力者が現れたり、裏切り者が現れたりする。

 

何とも2冊ともエキサイティングで、面白く読み進められる。そして、「自分は何者か」というところに行きつくようである。私はいったい何者なのだろう。

 

 

巡礼コメディ旅日記――僕のサンティアゴ巡礼の道

巡礼コメディ旅日記 : 僕のサンティアゴ巡礼の道  

/ ハーペイ・カーケリング (著) ;  猪股 和夫 (訳)

東京 ;  みすず書房  , 2010

368p  ;  19㎝

原書名: Ich bin dann mal weg 
著者原綴:  Hape Kerkeling

 

カミーノ ― 魂の旅路

カミーノ  : 魂の旅路 

/ シャーリー マクレーン (著) ;  山川 紘矢 (訳), 山川 亜希子 (訳)

東京 ; 飛鳥新書 ,  2001 

332p ; 19㎝

英文書名: The Camino

著者原綴: Shirley MacLaine 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8号:ボヴァリズム(bovarysme)という言葉の発端「ボヴァリー夫人」

フローベール著の「ボヴァリー夫人」を読んで、数年たってから、水村美苗さんの新聞小説「母の遺産」で、フランスへ留学していた学生時代に、夫とパリで出会い恋に落ち結婚した主人公が、夫の浮気や母の介護などに遭遇していく小説の中で、この”ボヴァリズム”という言葉が出てきたと記憶している。漠然と意味はわかっていたが、コトバンクで検索してみると、以下のように出ている。

デジタル大辞泉の解説

ボバリスム(〈フランス〉bovarysme)


《「ボバリズム」とも》フランスの作家フロベールの小説「ボバリー夫人」の主人公のように、現実と夢との不釣り合いから幻影を抱く精神状態。

あー、なるほど。と、思う方も多いのではないかと思う。

新潮社で出された生島遼一氏訳のものを読んでから、姫野カオルコさんの書いた絵本の「ボヴァリー夫人」を読んだが、どちらも同じ話なのに、切り口を変えて楽しめた。

 

絵本のほうから、簡単にあらすじを書くと、

184X年のフランス。のちにボヴァリー夫人になるエマは女子だけの寄宿舎で学校生活を終え、温和で免許医になったシャルルと結婚した。結婚生活は田舎の町トストで始まった。ボヴァリー夫人は田舎での退屈な生活と、冴えない夫を愛すことができずに、辟易しながら毎日を過ごしていた。

ボヴァリー夫人は妊娠した。夫のシャルルは妻の気持ちが晴れるようにトストよりも少し町であるヨンヴィルに引っ越した。そこでボヴァリー夫人は丘の上で一人で読書したり、ドイツ音楽に胸打たれる孤独な青年レオンと出会った。彼も彼女に憧れた。レオンは彼女にとって「絵や詩や音楽について話せる異性」だった。ヨンヴィルの町も、彼と並んで歩いただけで不道徳とされる地方の町だった。レオンは法律事務所で修行するとパリに旅立った。

そんなときに、夫のところに急患で運ばれた男の主人である町外れの大邸宅に住むロドルフ・ブーランジェと出会う。遊び人ともっぱらの噂の男。舞踏会の日に彼はボヴァリー夫人を誘惑した。ロドルフには簡単なことだった。ボヴァリー夫人とロドルフは逢瀬を重ねた。

ボヴァリー夫人は本気で彼を愛し、逃避行を提案した。ロドルフは厄介なことになったと思っていた。逃避行の当日、彼女はロドルフからの長い手紙を受け取った。彼は彼女と逃避行しなかった。ボヴァリー夫人は失意の中にいた。

夫のシャルルはふさぎ込む妻を心配し、彼は興味のないオペラであるが、ルーアンまで妻を連れ出した。そこでレオンと再会した。レオンはパリで洗練されていた。あっという間に火がついた。ボヴァリー夫人はピアノを習いに行くといい、ルーアンに毎週出かけ、レオンと愛を確認しあった。

しかし現実が待っていた。ボヴァリー夫人は人妻で、シャルルが相続した遺産を抵当にいれてまで浪費を繰り返していた。夫のシャルルは鈍感にも自分を許すだろうとボヴァリー夫人は思ったが、薬剤師の家に忍び込み毒薬を飲んで、自ら命を絶った。

それでも夫は妻を愛し、亡骸にすがって泣いた。半年後に彼も亡くなった。

こんな話だった。最後にこんなセリフがある。

 

わたしはただ境遇に身をまかせ、

境遇の波に自分の夢をさらわれてしまった。

失うだけの人生だった。

自分で拓くことなど何もせず。

この小説に出てくる主人公エマが、はじめに夫と住んだ町がルーアン近郊のトスト(tostes)の町、その後引っ越したのがヨンヴィルという町だった。小さな町からみれば都会であるルーアンの町にも時々出かけている。出かけるにしても駅馬車を使う時代。ヨンヴィルは見つけられなかったが、トストという町はルーアンから南に約30kmの場所だった。

 

本を読みながら、ルーアンの町は行ったことがあるので、イメージできたが、その時代の近郊の田舎町とはどんなところなんだろうと思って読んでいた。

 

本を読んでから少しして、フランスのオーガナイザーのツアーを頼まれて作っていた時に、リヨン・ラ・フォレという町を入れたことがあった。「ボヴァリー夫人」の映画が撮影されたとそのとき知った。写真を見る限りでは、私のイメージした通りの町だったので、なんとなく嬉しくなった。地図で見ると、リヨン・ラ・フォレはルーアンの東に約40kmの場所。

映画で「ボヴァリー夫人」は何作も作られたようだが、【AGIJ】フランス日本語ガイド通訳協会の公式サイトを読むと、このリヨン・ラ・フォレは「第2次大戦前には映画監督のジャン・ルノワールが、1990年にはクロード・シャブロールが監督した2作の<ボヴァリー夫人>の撮影が行われた場所」だそうだ。

 

小説から話が離れるようでもあるが、リヨン・ラ・フォレは「フランスの最も美しい村」の認定を受けている。

www.les-plus-beaux-villages-de-france.org

小説に書かれている本当の舞台に行くのもいいけれど、さらに展開して映画からインスピレーションを受けた地に行くのも悪くないかも。旅は自由自在だから。

 

 

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人  / ギュスターヴ・フローベール著 ; 芳川 泰久 訳

東京 : 新潮社 , 2015 , 660p ; 16㎝

英文書名: Madame Bovary

著者原綴: Gustave Flaubert 

 

 

ボヴァリー夫人 フローベール

ボヴァリー夫人  / ギュスターヴ・フローベール[著] ; 姫野 カオルコ[文] 

; 木村 タカヒロ [イラスト] - 東京 : 角川文庫 , 2003 ; 19㎝

 

母の遺産―新聞小説

母の遺産 : 新聞小説 / 水村 美苗[著] 

東京 : 中央公論新社 , 2012 ー 524p ; 20㎝

 

 

 

第7号:ヴィッラ・アドリア―ナに思いを馳せて…「ハドリアヌス帝の回想」

3月にローマに行ったときに、ほんとうは行きたかったのが、ローマの東30kmにあるヴィッラ・アドリア―ナ。ハドリアヌス帝(即位117-138年)が晩年に築いた別荘である。以前、私と同じように「ハドリアヌス帝の回想」を読んだお客様が、個人で行ったが交通の便があまり良くないために大変だったと聞いていたこともあり、断念してしまった。

 

でも、帰国してから調べていたら、このヴィッラ・アドリア―ナに、隣町ティボリのヴィッラ・デステとともに行く現地ツアーがあったのだ。古代ローマ皇帝の別荘と中世に活躍したエステ家の別荘が結果的に近いエリアに隣り合うよう残っていて、興味深い。

書いているとますます後悔と行きたい気持ちが強くなる。

 

ローマのテベレ川沿いに建つ、ローマのシンボルでもあるサンタンジェロ城は、このヴィッラ・アドリア―ナを築いたハドリアヌス帝の霊廟でもある。ローマ5賢帝であったハドリアヌス帝が活躍した時代は、ローマ帝国の領土が地中海を取り囲む沿岸全体に拡大し、中東の一部も属州とされていた。「ハドリアヌスの長城」が英国北部に残されていることをを考えると、広大なエリアだったことがわかる。平和と繁栄がもたらされたパスク・ロマ―ナという時代である。

 

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マルグリット・ユルスナール著「ハドリアヌス帝の回想」は、先帝トラヤヌスが長い治世を守りぬき、ハドリアヌス帝に引き継がれるところから物語が始まっている。晩年のトラヤヌス帝が気難しい人物であった様子や、ハドリアヌスとの関係、引き継がれた経緯が描かれている。ハドリアヌスは旅をした皇帝としてよく知られているが、どのように広大なローマ帝国とその属州に出向き治世を行ったかがよく描かれている。

 

ハドリアヌスは男色だったようであるが、後継者としようとしていた最愛の青年アンティノス、ルキウスに先立たれてしまった悲壮、自分の後継を狙うもの、地位を奪おうとするものに時に悩んだ。しかし、聡明さと行動力をもって彼は時に大ナタを振るった。

 

そんなハドリアヌス帝が、晩年、ローマから少し離れた地に、心身を休めるべく別荘を建てた。それが、このヴィッラ・アドリアーナ。それは美しいところであったに違いないと思う。 

 

 

 

 

 

 

私の中では、あこがれやロマンはあるけれど、とても遠い存在だった古代ローマが、ハドリアヌス帝の物語を読むことで、皇帝も今の時代の人間と変わらずに物事を思考し、時には苦悩や挫折感を味わったことを感じた。そして、2,000年近く前の古代ローマは、イタリアに行くたびに遺跡を見て、ガイディングを聞いてきたが、やはり進歩的で、いまと変わらない文化的な生活が行われていたことを実感する。それでも、2,000年前に??と、なんとなく不思議に感じていたことが、この物語で読むことで、だいぶ私のなかで理解できた気がする。

 

目を閉じると、広い庭園に柱廊が立ち並ぶ屋敷、燦々と降り注ぐ太陽、柑橘類の実る木々からの仄かな香り、そして静寂が私の中にイメージされる。そんな風に行ったこともないヴィッラ・アドリア―ナに思いを馳せる。

 

ハドリアヌス帝の回想 / マルグリット・ユルスナール 【著】 ; 多田 智満子【訳】

東京 : 白水社, 2008 , 379p ; 19㎝

原書名: Mémoires d'Hadrien

著者原綴: Marguerite Yourcenar

ハドリアヌス帝の回想