第43号:「ティラミスとエスプレッソ」が流行ったころの九十九里

今から思えば、80年代のバブルの頃には「イタ飯ブーム」というのがあって、その流れの延長で、90年代にティラミスが流行ったのかもしれない。

 

当時、「エスプレッソ」として、今まで飲んだことのない苦いコーヒーが日本でも市民権を得はじめたが、イタリアで一般的に「CAFE」と言われて、普通に飲まれているコーヒーが「エスプレッソ」という言葉にして、「日本女性」⇒「ゲイシャ」のように伝わったような感じがして、少し旧時代的なイメージで考えてみたりする。

 

そんな、バブルがはじけ、片岡義男の角川の赤い背表紙の本のシリーズの後期にあたる平成2年(1990年)に出版された片岡義男著「恋愛小説2」という短編集を久しぶりに読んだ。おそらく22,23年前だと思う。

 

この短編集を読んだのは、5つの短編の中の1つ、「ティラミスとエスプレッソ」を読みたかったからだった。20代の私が、とても気に入ったという記憶だけあった短編。

 

ライオンの像のある百貨店の前で待ち合わせた二人の男女。半年ぶりに会うという。その百貨店の吹き抜けのほとりにある3階のカフェで、ティラミスとエスプレッソを注文して語り合う。

 

広告代理店のCMを作るセクションに勤める彼女は仕事を抜け出して、束の間の時間を過ごすつもりでいたが、二人で話しているうちに、これから海に行こうという話になり、二人は地下の食料品売り場へ行き、ワインとバゲット2つ、水牛のモッツァレラチーズを買う。一旦、二人は別れ、男はキャデラックを、近くで仕事する姉から借りてきて、二人は一路、九十九里町を目指しドライブする。

 

江戸川を過ぎ、ディズニーランド、市川、宮野木から京葉道路に入り、波乗り道路を通り、九十九里へ。浜辺で海を眺めながら過ごす二人。

そんな話だった。

 

九十九里の海に初めて行ったときには、波乗り道路という名前がとても印象的だった。九十九里は波が強くて、少し泳ぐと水着の中も砂だらけ。泳ぐには向かないなと思った記憶のまま、アップデートされていない。ほんとにサーファー向きの海。

 

だから、九十九里には、だた海を見に行くか、ハマグリを食べに行く。ひたすら遠いけど行く価値はある。

 

今から読むと、この小説のなにが私にとって魅惑的だったのか、正直よくわからない。でも、このあとがきのような最後の章に「消えた彼女たちを悼みつつ」という文章がある。

 

著者は、1990年に日本での、大学入学者の総数のうちの、「女子大生」の数は百万をついに突破したという発表記事から、それには「短大生」も含まれており、女性の就労人口が増えていることにも触れ、それでもその数もまた「パートタイマー」の数が含まれており、体裁よく整えられた数字の中に、「女性たちがいかに低い位置におかれたままであるか、すぐにはっきりとわかる」と記している。

 

著者は、「教育をで半分以上、外国で受けた日本女性、つまりいまの日本という独特な土壌性から、少なくとも半分は脱出して自由になり得ている女性も、これからの小説の登場人物として有効だろう」と書いている。

 

この5つの短編に出てくる女性も「希釈」しているとはいえ、「彼女たちの鼻っ柱の強さはしっかり根拠を持っていて、充分強い」と書いている通り、昭和の過去の女性像とは少し違う、美しくて、芯の強い、新しい女性像がかかれていた気がする。

 

いま読むとさほど新鮮に感じなくなったのは、時代と私が変わってしまったからだろう。

 

それでも、1990年とさほど、女性の地位が向上したとも思えないことに、正直なところ、がっかりしてしまった。体裁のいい数字には気を付けないと。

主体はいつも私たちなのだから。

 

そうそう通称「波乗り道路」が九十九里有料道路という正式名称だったことも、言われてみればそうだけと忘れていた。

 

当時は一部区間だったが、昨年の暮れに、全線開通(長生郡一宮町新地地先~山武郡九十九里町片貝地先)したのとのこと。

 

なにも、知らなかったなあ。

  

恋愛小説〈2〉 (角川文庫)

恋愛小説2 / 片岡 義男著

東京 ; 角川書店 , 1990

15cm , 237p

 

ティラミスとエスプレッソ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第42号:小説の中の静謐な真鶴・・・「真鶴」

G.W.後半、真鶴のあたりは渋滞しているだろうなと、想像してみる。

以前は、小田原に泊まりに出かけることが結構あったので、そのついでに真鶴を横目に見ながら国道135号線をドライブしたりもした。それでも、真鶴半島の突端の三ツ石の方面まで足をのばしたのは、たったの2回だ。

 

大学4年の時に、湯河原の吉浜に実家のあった友人がいて、その時の旅では、真鶴のことを教えてもらった記憶がある。美味しいひもの屋さんや、中川一政美術館や、その当時ドラマに出ていた女優さんがその親族であることなど。

 

今回読んだ川上弘美さんの「真鶴」という小説では、主人公京(ケイ)♀の失踪した夫礼♂が日記に残した真鶴の文字、夫と何か関連すると想起させる場所として真鶴が出てくる。

 

京は、3度ほど真鶴に出かけていく。憑き物のような、目に見えない存在について敏感に感じ取ることのできる京は、真鶴に行くごとに、そういう者と徐々に会話をするようになる。だんだんと、その者たちとの距離が縮まっていく様子がわかる。

 

この小説の中で描かれる世界は、全体的に、静かで、京そのものからも出てくる落ち着きのようなものが漂っている。ここで描かれる真鶴も夏の騒めきや海の音も遠く聞こえるようで、無音に近い静謐な世界として描かれている。

 

主人公京が、高校生になる娘の百(もも)とは1度だけ真鶴に行くが、それ以外はいつも一人でかけていく。なんとなく子供を寄せ付けない世界観がそこにはある。

 

この小説では、真鶴は実際あるのに、京にしか見えない真鶴として描かれる部分が大きく、まるで「ナルニア国物語」のワードローブの中の世界のように、それは近いようで遠い。

 

「真鶴」を読み終わってから、Google MAPで、あらためて真鶴の地形を見たり、実際にストリートビューで見たりすると、なんとなく小説のイメージと違かった。でも、こういうのも読書と旅の楽しみ方なのかもしれない。

 

真鶴 (文春文庫)

 

真鶴 / 川上 弘美著

東京 : 文藝春秋 , 2009

p.271 ; 16㎝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第41号:「母の遺産」に出てくる箱根のホテル

今日、たまたまテレビのチァンネルを変えていたら、BSで箱根のつつじの美しいホテルの庭が出ていた。旧三菱財閥岩崎彌太郎の別邸だったという。それを見ていて、水村美苗さんの新聞小説「母の遺産」に出てきたのは、あ、このホテルのことかと思った。

そのホテルは、「箱根山のホテル」だった。

 

主人公美津紀が、かつて訪れたことのあるこのホテルに一人長逗留するという場面がでてくる。季節外れの箱根で、長逗留する老婦人や妻を亡くして失意の中にいる男や、訳ありな夫婦、老婦人に付き添ってきた青年など、少し訳ありそうな人々がこのホテルに滞在している。そのホテルの庭がとても美しい描写があり、この小説を読んだときには、漠然と箱根の芦ノ湖畔のホテルね、くらいにしか思っていなかったので、具体的にホテルを調べる気もなかった。

 

私は、箱根とはなんとなく、相性が悪いのか、2,3年前に小田原の帰りに寄った時にも降りたとたんに大雨で、まったく車から降りる気も出ないほどの雨だった。初めて、高校生の時に、彼氏とデートで箱根に行ったときには、箱根彫刻の森に行って、お洒落なレストランに入ったけれど、高校生の私はなんとなく気後れしたことだけが記憶に残っている。その後、自分で運転してそのレストランの前を通るたびに、怖いもの見たさでそのレストランを見入ってしまうことがあったが、そのレストランも今はなくなってしまった。

 

新聞小説「母の遺産」は、2010年1月16日~2011年4月2日まで読売新聞で毎週土曜日の朝刊に連載されていて、掲載されているときから楽しみに読んでいたが、2011年3月11日の震災後、連載が中断され、新聞も震災の記事が中心でなんとなく見落としたまま連載が終わっていて、本が出版されてから、改めて私は読みなおした。

 

主人公美津紀の祖母は置屋に出され芸者のようなことをしていた。奉公に出されていた青年と駆け落ちしたがそれが祖父だった。祖父は15歳も上の祖母とは籍を入れなかったので、母紀子は私生児として生まれた。祖父母は、娘である(美津紀の)母のために心を砕き、母はそれにつけ込むように可能な限りのわがままと要求をしたという表現が使われている。

 

この表現からも美津紀の母への見方がわかるし、母紀子がどんな人物だったのか、少し想像できる。母は美津紀と姉の奈津紀を生む前に別の人と結婚し、離婚している。その後、再婚した美津紀の父と母は仲が良かった。しかし、そんな娘時代の記憶が忌まわしいものに変わったのは、母がシャンソン教室に通いはじめ、シャンソン教室の男とただならぬ仲になってからだった。父がそんな折に倒れて、長い闘病生活が始まり、次第に母は病院に娘たちを行かせ、足が遠のいた。父は誰にも看取られないまま亡くなり、美津紀と奈津紀にとっての後悔となった。

 

そんな母が骨折し、転げ落ちるように衰弱した。母は、病床でも娘たちにも、わがままと要求をした。美津紀も奈津紀も自分たちも具合が悪く看病はたいへんだった。やっと施設を見つけ、そこに母が入ることになり、母の好きな物を部屋にそろえた。母の介護生活が始まったころ、美津紀の夫哲夫が不倫していることがわかる。

 

夫と別れて生きていくことも決めた美津紀であるが、一人で生きていくには実際には、お金は重要だった。母が亡くなり、姉と分けることになった母の遺産に助けられることになった。

 

連載中に震災があったので、物語の中でも美津紀は震災に遭遇し、「自分は生かされている」と実感し、後半には、許せないと思っていた母や夫哲夫のことも許していた。

 

美津紀の祖母から母、そして奈津紀、美津紀の時代へ時が流れたように、この箱根のホテルもかつては華やかな時代があり、時を経て、変わっていく様子が、この小説の中で象徴的な存在だと思う。

 

それでも、お庭のつつじは見事で、より華やかになっているような気がした。

母の遺産 - 新聞小説(上) (中公文庫)

母の遺産 - 新聞小説(下) (中公文庫)

母の遺産 : 新聞小説 / 水村 美苗著

東京 ; 中央公論 ,   2012

(文庫化 2015年)

 

 

 

 

 

 

第40号:葉山にショートトリップ・・・「黄色いマンション 黒い猫」

年齢を聞かれたときには、キョンキョンと同い年と答える友人が紹介してくれた本「黄色いマンション 黒い猫」。小泉今日子こと、キョンキョンが書いた本。

 

何の気なしに読み始めたけれど、短い文で綴られる34のエッセイは、どれもすっと入ってきて、興味深くて、キョンキョンの人柄が見えてくる。

 

この本の中に、「海辺の町にて」「逃避行、そして半世紀」という2つのエッセイがある。

 

「海辺の町にて」では、少し不便な海辺の町に、自分の育った少し不便な町と重なるものを感じたり、この海辺の町に来て、いろいろなことを思い出し、「眠っていたものが目を覚ますような感覚」を持ったりするという話。具体的な町の名は書かれていない。

 

もう一つ、そのあとにある「逃避行、そして半世紀」では、葉山の町に来ているところからエッセイが始まり、43歳から46歳までの3年間、猫と静かに暮らしていたと語られる。離婚をして、一人で暮らした町。前の「海辺の町にて」は、葉山のことなのかなと想像したりする。『逃避行』という子供の時に聞いた歌謡曲とほのかな憧れ。猫との突然の別れもあって、この町を離れた。そして、愛猫と別れた部屋で50歳の誕生日をたった一人で迎えたという。

 

かっこよすぎるよ。キョンキョン

 

私は、20代の時に、土日を利用して、1泊でサイプレス葉山によく出かけて行った。葉山だけでなく、その間に勝浦にも行ったりしていたから、実際はたいしていっていないのかもしれない。サイプレス葉山は今もあるのかどうか・・・。葉山といっても住所は実際は横須賀市秋谷だったけれど。コンドミニアムの部屋になっていて、海の目の前で波の音を聞きながら、ゆっくり過ごせた。

 

なにがいいって、その頃、とても気に入っていたレストラン「マーロウ」に歩いて夕食を食べに行けることだった。お酒も飲めるし、食事もおいしい。

 

そういえば、「マーロウ」に初めて立ち寄った時に一緒にいた友人から、今日、久しぶりに電話があった。お互いに若かったな。2人乗りのコンバーチブルで行ったっけ。

 

週末に葉山にショートトリップ、また行きたいな。

黄色いマンション 黒い猫 (Switch library)

黄色いマンション 黒い猫 / 小泉 今日子著

東京 : スイッチ・パブリッシング , 2016

20cm ; p165

 

 

 

 

 

第39号:続編は出ないまま、「くそったれ、美しきパリの12か月」

2006年に単行本で、日本語訳が発売された「くそったれ、美しきパリの12か月」(原題:A year in the MERDE )。スティーブン・クラークという著者になっているが、原文では、Stephen Clarkeという名ででている。

 

この本は、その後、続編が出ないまま、早10年。

 

主人公は、イギリス人のポール。ポールはあるフランス企業に、フランスでの英国式ティーサロンの事業展開のためにヘッドハンティングされた。それに伴い、単身パリに引っ越し、それをチャンスに「フランスの女性のはく申し分のない下着」に興味津々の彼のパリでの生活が始まるというストーリー。

 

(邦題にしたがって)著者スティーブン・クラークがたった200部を自費出版したところ口コミで広がり、フランスの新聞の書評に載ったことからベストセラーになったとのこと。

 

フランスならではの生活、恋愛、価値観。イギリス人の彼から見ると、はじめはとっても異文化に感じるが、そこで生きていると自分がそんな生活になじんで、すっかりパリジャンになりはじめていることも気づいたりする。

 

(この本の日本語訳は、2006年出版なので)その後、そのティーサロン事業はイラク戦争が始まって中止。オーナーで彼をヘッドハンティングしたフランス人は、政治の世界に踏み出そうとしておいたので、イギリス食材を積極的に輸入するというのは政治活動の支障になるということで、ポールはお払い箱。

 

最後には、オーナーに解雇されたポールはただでは転ばず、オーナーからティーサロンのネーミングと店舗を借りて、自分でティーサロンをオープンすることに決める。

 

この続きが続編で読めるはずだったが、続編は出ないまま・・・。

 

赤裸々な恋愛事情も面白い。この本だけでも十分面白かった。

パリに行くにしても、こういう日常のパリの話を読んでから出かけると旅も一層楽しめるのでは?

 

くそったれ、美しきパリの12か月

くそったれ、美しきパリの12か月 / スティーブン・クラーク著 ; 村井智之訳

東京 : ソニーマガジンズ , 2006

421p ; 19cm

書名原綴: A year in the MERDE 

第38号:壇奇放(泡)亭が住んだサンタクルス・・・「火宅の人」そして「壇」

先週は、お休みしまして大変失礼しました。

2月末から3月上旬にかけて、ヨーロッパは天候が大荒れでしたが、ようやく天候が回復してきた先週あたり、私の担当するお客様がどのグループも、バルセロナ、ロンドン、パリ、フィレンツェ、ローマ等に旅に出たところで、現地の情報を気になりながら、日本で過ごしていました。フライトの遅れもなく、トラブルもなく帰国されると、そのたびにほっとするという日々を送っていた先週でした。

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さて、話は変わりますが、春めいてくると、ポルトガルに行きたいなーとここ最近思っていて、来年の3月にはポルトガルに行くことをひそかに計画中です。ポルトガルは私にとっては、ヨーロッパの中でも一足先に春が来るというイメージです。

 

昭和50年に発刊された壇一雄著の「火宅の人」。今ではなんで読むことにしたのかわかりません。この本を読んだころ、池波正太郎新田次郎のエッセイ的なものもはまっていたので、そういう時期だったのかもしれません。

 

「火宅の人」は自伝的小説と言われていますが、あくまでも小説だと思いつつも、この壇一雄という人、妻や家族を置いて、愛人と東京で同棲、飽きると二人で旅にでる生活。ここだけ聞くと、今の不寛容社会ではまったく許されないのだろうけれど・・・。

 

最後にはこの小説で、主人公は愛人とも別れ、かりそめの愛人にも捨てられ、安ホテルで一人侘しい生活。「なーんだ!オレ、ヒトリボッチ!」というセリフが出てきて、思わず笑ってしまいます。

 

「火宅の人」は一気に書かれたものではなく、長年にわたって部分的に書かれたものを一冊にまとめたようです。豪快にして、繊細な一面を持つ壇一雄。美食と女と酒を愛した昭和の大作家。いつでもだれかにぬくもりを求めていた。金は右から左へ、飽きれば旅に出た。

 

奇遇にも祖母と同じ明治45年2月生まれだったので、私にとっては、壇一雄のこの自伝的小説にでてくる主人公のきっぷの良い生き方や、当時の風俗や東京の様子が祖母の生きた時間を知るうえで興味深かったのかもしれません。

 

平成7年に、沢木耕太郎著の「壇」は、70代になった妻が口述したという形式で書かれている小説で、「火宅の人」と合わせて是非読みたい1冊。

 

「火宅の人」への反論もあり、「火宅の人」のエピソードと並行して、小説という形で書かれています。主人公は桂一雄という名で登場します。この小説の終わりの部分では、「火宅の人」では書かれなかった主人公桂一雄(壇)の最期の日々が書かれています。日本を離れてヨーロッパの旅に出て、1年半ほど、ポルトガルサンタクルスという鄙びた漁村を気に入って居を構えた主人公。

 

ポルトガル行きの前から気になっていた主人公桂の体の不調は帰国後、徐々にひどくなり、福岡の対岸にある能古島で、期せずして療養生活になってしまいました。この島を気に入り、家まで購入しましたが、その後福岡の病院に入院することになり、東京には戻ることはできなかったといいます。

 

この「壇」の後半では、憑き物が落ちたようなやけにすっきりした主人公がいます。そして、この小説では、飽きっぽくて、熱しやすく、冷めやすく、今の自分から脱出したくて次々と夢見るという夫の性格を見抜いていて、それを受けいれた妻の聡明さにも脱帽してしまいます。

 

実際の壇がこの小説のようであったとすれば、そんな憑き物が落ちたあとの壇だからこそ、この鄙びた、当時何にもなかったであろうサンタクルスをとても気に入ったのではないかと思いました。

 

火宅の人 (上巻) (新潮文庫)

火宅の人 (下) (新潮文庫)

火宅の人 / 壇一雄

東京 : 新潮社 ,1981

15㎝ ; 上巻478p 下巻476p

檀 (新潮文庫)

壇 / 沢木 耕太郎著

東京 : 新潮社 ,2000

284p ; 16㎝

第37号:「存在の耐えられない軽さ」のプラハ、そして今

先日、NHKで「チョイ住みプラハ」という番組がやっていて、この番組は俳優やミュージシャン、料理人といったその世界で長年活躍してきた年配者と若手俳優が1週間程、海外のとある町で共同生活をするという番組。自炊をして、その町で名物を食べて、地元の人とふれあって、住むように暮らしてみるという内容で、だいたい対照的な全く違うタイプの2人の組み合わせで、なかなか面白い。この回も、若手俳優とミュージシャン(ELTのいっくん)が出ていた。

 

今のプラハの町は、美しく活気があって、出演者の二人がクリスマスマーケットの行われているの旧市街広場で、その美しさに感嘆の声をあげる。思わず見ている視聴者も私のようにうっとりしてると想像できてしまう。

 

ちょうど、プラハへ行くお客様の手配もしていて、いろいろプラハの本も改めて読んだりしていた。そして、以前読んだミシェル・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」や春江一也著「プラハの春」のメモを見返してみた。

 

美しいプラハが第2次大戦後、東西に分かれ、東側の国として共産圏に入り、「プラハの春」やいくつかの民主化のための革命が起きては、失敗し、暗い影をまとった時代が長く続いたことをプラハに行く考えたりする。旧市街の中に突如視界の開けるヴァ―ツラフ広場に立つたびに、革命時にソ連の戦車が武力介入したという話を幾度となく想像してみたりした。

 

1929年チェコスロバキア時代のブルノ出身のクンデラはパリで執筆している。彼もプラハの春のあと、ドプチェクが退陣し、ソ連のブレジネフ政権の傀儡政権となったフサーク大統領の‘再生’の時代に祖国を捨てざる得なかった。1998年の日本での文庫化の時代にもチェコではこの小説が出版されていない。

 

ストーリーはプラハで外科医だったトマーシュは前妻との間に子供が生まれてすぐに離婚した。彼の息子に会うために筋金入りの共産主義者の前妻に暴言をはかれてまで会う気はなかった。そして自分の人生と息子を決別した。


ある日、彼の上司の外科部長がいくはずの郊外での急患者に彼が出向くことになった。そこで彼の泊ったホテルのレストランで働くテレザと遭遇した。テレザの身の上はあまり幸せとは言えなかった。テレザの母は美しかったが、男らしさだけが取り柄の女ったらしの夫と結婚し、テレザが生れた。母はその父のもとを離れ、新しい夫と再婚しテレザのほかに兄弟がたくさんできた。母はテレザにつらく当たり、成績が一番良かった彼女は周りに残念がられたが、高校を途中でやめさせられた。彼女は兄弟たちの面倒をよく見た。恥も感じず、醜い姿をさらす母を自分の容姿に見るのは耐えられなかった。トマーシュとの偶然と必然の入り混じるような出会いに踏み出さずにはいられなかった。

 

トマーシュが渡した住所に重いトランクを持ち、母の家を飛び出し、向かわざる得なかった。トマーシュは離婚後、どの愛人も家には泊らせず、ある程度の距離を置いていた。テレザが突然押し掛けたときにも同じように接するはずだった。しかし、彼女はその日に熱をだし、彼の脇に寝ていた。不思議だった。

 

トマーシュの愛人であったサビナは画家で、彼をもっともよく理解した人物だった。彼女は修道院で教育を受けた後、父に共産党への入党を勧められた。彼女は絵を描き始めたが、本当はキュービズムのような抽象画を描きたかったが。その時代、形のないものを描くことは認められなかった。彼女はトマーシュと時々関係を持った。テレザはサビナにより週刊誌の写真係からカメラマンの仕事を紹介してもらったが、彼女にトマーシュのことで嫉妬した。

 

プラハの春の失敗の後、サビナはスイスへ出国した。トマーシュとテレザと犬のカレーニンとともにスイスのジュネーブへ出国した。平和なスイスでトマーシュはまた医師になった。しかし、すでにチェコでのことはこの国では関心事でなかった。テレザは園芸のカメラマンの仕事を勧められたが断った。そして、言葉の通じない国でトマーシュの帰りを待った。トマーシュの女癖は治らなかった。そして、テレザはプラハに戻った。

 

トマーシュは、また祖国に戻ることが意味することを考えて悩んだが、テレザを追いかけた。サビナはジュネーブを去り、パリからアメリカに渡った。

 

トマーシュは以前のオイディプスオイディプスは知らないうちに実の父を殺し、実の母と関係を持っていたことをしり、自分の目を刺し、旅立った。知らなければ許されるということはないということを彼は書いた。)の記事が当局に見つかり、撤回しなかったために職を失った。

 

テレザはバー働き、トマーシュは窓ふきになった。医師には戻れなかった。プラハを出て、自分たちで農産物をつくり暮らす田舎の農村で生きることに決めた。その農村でトマーシュとテレザとカレーニンや穏やかに暮らした。共産党は地方の農村をすでに見放していたため、彼らは当局の目を気にせず生きられた。そして、二人の死。

 

タイトルの『存在の耐えられない軽さ』という言葉はサビナの言葉でのみ、具体化されていた。サビナはこのスト―リーのキーになっている。

 

このタイトルがあるゆえに、読者は読みながら、作者の意図に思いめぐらせながら読むという感じになる。

 

それにしても、西側の国では、チェコの存在を忘れたように人々が自由に暮らし、祖国に戻ることにしたチェコ人は医師としても仕事を失い、当局の目が届かない地方の農村で暮らすことで、やっと普通に生きられる。

 

人間が自由を手にできるというのは素晴らしいことで、時代の流れの中で、自分の思いとは関係なく危うくなることを考えさせられる。

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ / ミラン・クンデラ著 ; 千野 榮一訳

東京 : 集英社 ,  1998

400p , 15㎝

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)