第56号:プラハの春を知るきっかけに・・・『プラハの春』

先週の米原万里さんが子供時代に住んでいたプラハについて書きましたが、以前夢中になって読んだ春江一也さんの本を思い出しました。

 

三部作で、『プラハの春』『ベルリンの秋』『ウィーンの冬』。

最初の2作は、立て続けに夢中で読んで、3作目は発売になるのが楽しみで待っていた記憶があります。

 

外交官で作家だった著者らしく、主人公も外交官で、とてもリアルに描かれていて引き込まれていきました。東西に分かれていたドイツやソ連の政治的なことや、恋愛もストーリーの重要な要素となっていて、どんどん引き込まれます。

 

小説を読むうちに、1968年におこった革命「プラハの春」について、どういうものだったかということがわかります。結果で見ると、革命は失敗だったと片づけられるのかもしれませんが、この「プラハの春」の革命によって、人民による力で、その時の大統領は失脚させられ、”人間の顔をした社会主義”というスローガンのもとに、言論の自由、集会の自由を認めた”行動要綱”というものが作られました。人々は自由を勝ち取った喜びに満ち溢れた時に、ソ連は軍事介入を持って阻止しました。ヴァ―ツラフ広場の戦車が乗り込んできたそうです。

 

それに抗議したカレル大学の学生であったヤン・パラフとヤン・ザイーツがヴァ―ツラフ広場の聖ヴァーツラフ像の前で焼身自殺をしたことはよく知られています。

 

プラハには旧市街広場とそこから少し行ったところに、言われなければ大通りと思ってしまうような長方形のヴァ―ツラフ広場があります。

 

そこを通るたびに、この小説の中でのプラハの春と重ね合わせている私がいました。

子供の頃、今のようにロシアとは呼ばず、ソ連と呼んでいて、バレーボール選手がCCCPというロゴのユニフォームを着ていたことを思い出して、すごく昔の話でないんだと思った記憶があります。

 

プラハに行く前に、一度読んでみてもいいと思います。

 

プラハの春 上 (集英社文庫)

プラハの春 / 春江一也著

東京: 集英社  ,  初版 1997

ベルリンの秋 上 (集英社文庫)

ベルリンの秋 / 春江一也著

東京: 集英社  ,  1999

ウィーンの冬 (上)(下)巻セット (集英社文庫)

 

ウィーンの冬 / 春江一也著

東京: 集英社  ,  2005

 

第55号:ヨーロッパのおへそである中欧のプラハ・・・「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

昔、私が添乗員をしていたころ。プラハと一緒にベルリン、ドレスデンブダペストと合わせて行くツアーが多く、新しい国に入るときには、その国の歴史の概要を案内していた。

 

歴史といっても、それぞれに長い歴史がある国で、とても全部は話せないので、チェコに入るときには、1400年代のヤン・フス宗教改革と戦後史でもあるプラハの春ペレストロイカに端を発したビロード革命と呼ばれる民主化革命のことを中心にかいつまんで案内していた。それなのに、いまとなってはすっかり内容を忘れてしまった私がいる。

 

今回、以前から薦められていたのに、読まずにいた米原万里さんの『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読んだ。米原さんといえば、ロシア語同時通訳として活躍していて、数年前に亡くなられた。

 

米原さんは、日本共産党の幹部だったお父様が国際共産主義運動の編集員としてプラハに赴任していた1960~1964年まで約四年間を在プラハソビエト学校で学んだ。そのソビエト学校には50か国近い国の子弟が通っていたという。米原さんが9歳~14歳の間の時期だった。米原さんの帰国後、1968年にプラハの春が起こっている。

 

この本では、その学校での同級生のリッツァ、アーニャ、ヤースナの3人に、1980年代から1990年代に会いに行くという話が書かれている。

 

リッツァの両親の母国はギリシャ、アーニャはルーマニア、ヤースナは旧ユーゴスラビアボスニアヘルツェゴビナ)だった。

 

それぞれの子供自体のエピソードは個性的で面白い。子供時代とは違い、それぞれ米原さんにとっては意外な人生を辿り、職を得ていた。

 

共産圏であるプラハソビエト学校で、共産・社会主義ゆえに特権階級でなくても医師になれたと語ったリッツァや、ルーマニアチャウシェスク政権の幹部だった両親の特権によって海外に留学できたアーニャ、ソビエトと母国ユーゴスラビアとの関係悪化によって校長と衝突し、ソビエト学校を退学。その後も母国の解体、民族紛争によって翻弄されたヤースナ。米原さんがプラハを離れてからのそれぞれの人生は三者三様に波乱に富み、興味深い。

 

読み終えて、今この文章を書く頃になって、タイトルの『真っ赤な真実』って、そういう意味の「真っ赤」なのね~と我ながら気づくのが遅いなあと思ってしまった。

 

私がプラハの町を好きなのも、ヨーロッパの中心にあるという地政学的理由もあり、大きく翻弄された場所であるにもかかわらず、昔と変わらないカレル橋やブルタヴァ(モルダウ)川、そして百塔の町の美しさが失われないであることに惹かれたのかもしれない。

 

プラハの美しさは、チェコの歴史を知れば知るほど、心に染み入るものがある。

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 / 米原万里

東京 : 角川書店 , 2001

p283 , 20㎝

 

第54号:和解の家・・・「帰れない山(LE OTTO MONTAGNE)」

本年もよろしくお願いいたします。

昨年末に母が急逝し、ほぼ何も考えることができずに日々が流れていきました。

新年になり少しずつですが、自分自身で日常を取り戻していこうと思い始めた今日この頃です。

 

さて、今年1冊目の本は、すでに12月に入ってから読み始めていた本ですが、イタリア人作家のパオロ・コニェッティ著「帰れない山」です。

 

2016年に本国では発刊され30万部を超えベストセラーになり、イタリアの文学賞の最高峰<ストレーガ賞>なども受賞したそうです。

 

主人公の「僕」(友人ブルーノはのちに彼を「ベリオ」というあだ名で読みました)と両親は、ミラノに住んでおり、夏になると山が好きな両親とともに山に出かけて行っていました。両親は山を愛していましたが、母は低山が好きで、父は自分が踏破したことのない頂を目指して挑戦していくのが好きだったようです。

 

両親は、イタリアのグラーナ村に夏の家を手に入れました。そして、毎年夏になるとグラーナ村の家に出かけていく夏が続きました。母はそのもともとあった家を自分たちの使いやすいように手を入れて行き、父はメーカー勤めの休みの関係もあり、途中から合流し夏を過ごし、「僕」が大きくなってくると、父はその村に住む「僕」よりも1歳年上で、叔父の羊飼いの仕事を手伝う少年ブルーノの二人を連れて、稜線を目指すようになりました。

 

ブルーノは地元の子らしく足も強くたくましく、寡黙な少年でした。学校に通ううこともままならず、「僕」の両親が心配していたこともあり、父は山歩きには彼も連れ出し、徐々に僕と彼は意気投合していき、二人で山を駆け回り遊び、毎夏を過ごすのでした。

 

そんな毎夏の習慣だったグラーナ村通いも、「僕」が大人になっていることと引き換えに、「僕」と父との溝もあり、「僕」だけは足が遠のいてしまいました。

 

それから、何十年か経ち、62歳で父が亡くなり、「僕」は31歳になり、父が「僕」へ残したものに土地の売買契約書と登記書があり、見ても場所もよくわからないが、ブルーノが知っていると母がいい、「僕」は久しぶりにグラーナ村に出かけていきました。

 

ブルーノとの十数年ぶりの再会。彼は昔の印象を残しつつ、たくましく心根のまっすぐな大人になっていました。「僕」は最初は彼との距離を心配していましたが、いつの間にか昔のように心を開くことができ、関係性が変わっていないことを理解しました。

 

「僕」が村に通わなくなってからも両親は毎夏村に通い、ブルーノとは親しく付き合っており、「僕」の話は両親から聞いていたようです。といっても、「僕」は実家のミラノから離れ、トリノに気に入って住んでいたし、ヒマラヤなど海外にも仕事で出かけていて、母へ音信を伝えるものは手紙だったりしたのですが。

 

ブルーノが案内してくれた場所、父が残した土地は、グラーナ村のさらに奥にあるバルマと呼ばれる土地で朽ちている小屋がありました。そこには父の地図があり、踏破したルートに印がつけられていて、「僕」とブルーノと父の3人で踏破したところだけでなく、その後、ブルーノと父が二人だけで歩いた箇所もたくさん記されていました。最初は、そんなブルーノと父の関係に、自分にはなかった関係性を感じ軽く嫉妬もありましたが、次第に自分が失ってしまった父との時間に対しての悔恨の念に変わっていったようです。そして、二人はその朽ちていた小屋を修復していきました。

 

父は「人生のある時点において他人と交わることを放棄し、世界の片隅に自分の居場所を見出し、そこに籠ることにした男」であり、「車で独り死んでいった父には、いなくなったことを悲しんでくれる友もなかった」と「僕」は表現しています。母は、その全く逆の性格の人だったとも。

 

そんな両親が、生まれ育ったヴェネト州の農村を駆け落ち同然で離れたことも、山に関わる悲劇が関係していました。それが、彼の父に影を落としていたことも否めないでしょう。

 

ブルーノは、石工の仕事をしていましたが、叔父の荒れ果てた農場を買い取って、牧場を再建し、ラーラという妻も得て、子供も一人できましたが、牧場経営はうまくいかず破産し、妻とも離婚しました。そして、ブルーノは二人で再建した小屋に住むようになり、冬は雪に閉ざされとても厳しく人を寄せ付けないその場所で暮らし、山を下りないと決めたのでした。

 

詳しくは是非、本を読んでみてください。

 

その主人公ベリオの父が残したその家によって、彼はブルーノと再会し、心を開き、和解し、それだけでなく、生きているときに知りえなかった父・ジョヴァンニ・グアスティについて、この小屋とこの小屋から目指す頂に置いてある踏破したものだけが見ることのできる記帳ノートで知ることで、和解していったのではないかと思います。

 

主人公のベリオは1973年生まれという設定で、私と同い年ということもあり、とても身近に感じました。タイミングとしても、自分の知らないというか、知ろうとしなかった親という一人の人間について、感慨深く考える時間というのも、今の私にとっては実感を持って感じることができます。

 

ここにかかれるグラーナ村が文字通りで、Granaだとすれば、ワインで有名なアスティの北北東の辺に位置していますが、ここからだとモンテローザの麓のアオスタあたりまで、車で2時間くらいかかり、少しイメージと違うかなと思います。

そのため、グラーナ村の場所は判然としません。この小説でも描かれる通り、モンテローザ山群にもっと近いイメージの町だと考えると、このGranaではなく、別にそのような地名があるのかもしれません。もし、お分かりの方がいらっしゃれば、教えてください。

 

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)

帰れない山 / パオロ・コニェッティ著 ; 関口英子訳

東京 : 新潮社 , 2018

271p ,  19㎝. 

著書原綴:   Le otto mongtagne

著者原綴: Paolo Cognetti

 

 

 

第53号:ヴァカンツァはイスキア島へ・・・「ナポリの物語2 『新しい名字 (原題Storia del nuovo cognome)』」

エレナ・フェッランテ著のナポリ物語シリーズの第2巻の『新しい名字』(原題 Storia del nuovo cognome)を読みました。

 

待望の第2巻です。イタリアでは2012年に発刊されていたようですが、日本では今年2018年5月に発刊されました。私はうっかりリサーチ忘れで、すでに発刊されていたことを知らずに過ごしていました。

 

私のフランス語の先生(フランス人と日本人のハーフ)によると、フランスでもベストセラーだったようです。アメリカのHBOでもドラマ化されたという話も聞きました。彼女もこの本をすでにフランス語で読んでいたので、意気投合してしまいました。

 

以前、このブログでも書きましたが、第1巻は主人公エレナ・グレーコ(通称レヌッチャ)と幼なじみのリラの二人のナポリでの成長物語。後半はリラの結婚が中心となり終わりました。もちろん、そこへの道のりは読みごたえがあり、読者を飽きさせてない展開です。

umemedaka-style.hatenadiary.jp

第2巻は、その続きが展開します。リラは新婚旅行でアマルフィに出かけ、そこでも、夫と全てにおいて分かり合うことができない悟ってしまいます。不仲な状態は続き、子宝にも恵まれず周囲からも揶揄されます。(1960年代のナポリを舞台にしており、いまよりも保守的な考えが一般的だった時代の話です。)

妊娠できないリラには海がいいと医師に薦められて、夫ステファノも海に行くことを薦めるのでした。

 

リラは、学生をしているレヌッチャにも、その海での保養への同行を懇願します。当初予定のナポリ近郊の海岸ではなく、レヌッチャが行きたいと言ったイスキア島に家を借り、夏の間滞在することを決めました。

 

そこで、リラとリラの兄リーノと結婚して妊娠中の義姉ピヌッチャとリラの母で、ピヌッチャの義母であるヌンツァとレヌッチャの4人でイスキア島に出かけることになりました。夫のステファノと、リラの兄で、ピヌッチャの夫リーノの2人は週末に妻たちの元に通うという夏が展開します。

 

レヌッチャがイスキア島に行きたいと言ったのは、第1巻でも出てきましたが、同じ地区の出身で幼なじみでもあり(すでに地区は離れていましたが)、高校の先輩で学年一の成績で卒業したニーノがこの夏もイスキア島に行くからおいでと声を掛けられていたからでした。

 

そして、レヌッチャ、リラ、ピヌッチャが滞在したのはチターラの浜の近くで、毎日海に出かけていくのでした。そうするうちに、レヌッチャはどうしてもニーノと会いたくなり、彼の家族の持つ別荘のあるバラーノやマロンティの浜の近くに出かけていきます。そして、ニーノとの再会を果たします。

 

イスキアでは、ニーノは父親と不仲なため、フォーリオに別荘を持つ友人と過ごす日が多くなります。その友人でサラミ工場を経営する一族のブルーノともに、ニーノはレヌッチャやリラたちがいる浜まで遊びに来るようになります。

 

ほぼ毎日彼らと楽しく親しく過ごすうちに、ピヌッチャはブルーノへの恋心を自分自身で心配してナポリに帰ってしまい、リラとレヌッチャとニーノとブルーノで過ごす時間が始まります。レヌッチャが憧れていたニーノは、最初こそリラとは距離を保っていたものの、昔からリラのことを想っていたというニーノとリラは一気に距離を縮め、烈火のごとく愛し合うようになってしまうのでした。

 

ナポリに帰ってからも、二人の熱は冷めず、リラとニーノは密会を続け、ついに別の地区で駆け落ちのような生活を始めますが、1か月程で破綻。リラは夫ステファノの元に戻ります。そして、ニーノとの子供を妊娠、出産し、夫ステファノと諍いながらも母親業に専念します。でも、そんな時間も長くは続かず、歪みのできた夫婦の関係は元に戻ることもなく、ステファノにも愛人が出来てしまいます。(愛人も元カレも何も全部、もともと同じ地区に住む人たちの中で展開します)

 

レヌッチャは、ニーノへの想いがかなわぬものとなり、そんなおり成績の優秀だった彼女は、学生寮付きのピサの大学への入学が許可されます。そして、ナポリから離れ、単身ピサで大学生活を送ることになります。

 

リラとレヌッチャが会わなかった時間も長く、会わなかった時間に関しては、周囲の人々からの話を総合して、レヌッチャは知ることとなりますが、リラとレヌッチャは、レヌッチャの帰郷のタイミングで会うこともあれば、会わないこともあります。お互いの痛みを理解したり、時には批判的に思い距離を置いたり、でも再会するとわだかまりもなく受け入れられたり、という時期を繰り返しながら二人の関係は続いていくのでした。

 

第2巻もこの先の続きを感じさせる形で終わります。第1巻の冒頭が、リラが居なくなったことを、息子のリーノがレヌッチャに伝えてくる電話で始まっているので、この先、どんなことが起きて、第1巻の冒頭の電話までたどり着くのか、読者は気になってしょうがないのです。

 

そして、あの夏にリラとレヌッチャ(ピヌッチャとヌンツァと同行)がヴァカンツァのシーズンを過ごしたイスキア島は彼女たちにとって、とても美しく楽しい時期として、この物語で印象的に描かれるのでした。

 

このイスキア島について、少し。

イスキア島はナポリの沖にあり、温泉が湧くことでも有名です。

とはいっても日本の方には距離感がつかみずらいのでお伝えすると、ローマとナポリは車で約2時間程、ナポリの港からイスキア島へはフェリーで2時間程です。

 

距離感としてイメージすると、東京から少し離れた熱海をナポリとイメージすると、熱海から夏場だけ出ている神津島行きのフェリーに2時間弱乗船するようなイメージです。

 

さらに、熱海から陸路で海沿いの道を1時間半程、下田へ向かうのが、ナポリアマルフィの距離感に似ています。

 

このくらいの距離間でも、イタリア人はヴァカンツァ用の家を月単位で借りて、海辺で夏を過ごす。イタリア人の誰もがというわけではありませんが、何とも優雅な夏の習慣ですね。

 

日本人の生活もこのように変われば、もしかすると地方の活性化もあるのではないかとふと思います。

 

新しい名字 (ナポリの物語2)

新しい名字 / エレナ・フェッランテ著 ; 飯田 亮介訳

東京 : 早川書房 ,  2018

624p ,  19㎝. - (ナポリの物語 2)

著書原綴:Storia del nuovo cognome

著者原綴: Elena Ferrante

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第52号:I LOVE 神保町・・・「珈琲が呼ぶ」

片岡義男さんの「珈琲が呼ぶ」で、私にとっては、懐かしの神保町の「ミロンガ」と「ラドリオ」が出てきました。

 

大変勝手ながら私と神保町について。

神保町という町について、初めて他人から熱く語られたのは、埼玉の県立高校に通っていた高校生の時。その当時付き合っていた年上の彼氏が神保町が大好きだということで、その魅力を語られたのことが記憶に残っている。彼の大学が神保町からほど近いところにあり、文学青年であった彼は学生時代に足繁く神保町へ通っていて、その当時も時間があれば、神保町に行くという話だった。

 

でも、その当時の私は、今ほど本も読まなかったし、神保町にデートに連れていかれたこともない。私はたぶんそういう点では彼にとって不適格者だったのだと思う。

 

その後、何年かして、その彼とはすっかり別れたころに、私は3,4年になり、校舎が変わり、その彼が通っていた大学と目と鼻の先にある女子大へ通う。もちろん神保町にもほど近かった訳だけど、特に神保町へ行くこともなく大学時代を終えた。と書きながら、いやいや、大学時代のあらたな彼氏は、神保町駅を使って大学に通っていたので、神保町はよく通過していたが、水道橋側だったので、スズラン通り側に行くことはほとんどなかったと記憶している。

 

大学を卒業して、初めて就職した会社が神保町にあり、それから異動になるまでの2年間を神保町で自分的には濃密な時間を過ごしたと思う。

 

平日は毎日、朝9時半から23時近くまで猛烈に神保町で働いた。ランチはスズラン通り周辺にいそいそと出かけ、どうせ残業だからという感じで、営業に出るついでにゆっくりランチをしていた記憶があり、そんな昭和な働き方の時代だった。

 

懇意にしている先輩や同僚と、他の誰にも会わずに、安心して密談をするときに、よく「ミロンガ」が使われた。私の会社のあった一ツ橋方面から行くと路地の右手が「ミロンガ」で、左手が「ラドリオ」だった。両方の店は、はす向かいになっていて、数十歩程度の距離にある。

 

会社の人が「さぼうる」あたりにはいることが多いので、秘密の話は「ミロンガ」で、となるわけだ。若くて、モウレツ社員で、なにか熱かった20代の頃の話。

 

今回、この本の中の写真を見て、なんとも懐かしい神保町への気持ちが蘇ってしまった。この本の中には、(神保町ではないけれど)DISK UNIONの話も出てきて、神保町のDISK UNIONも当時ジャズ・ボサノバの品ぞろえよく、よく出かけたなあと懐かしく思う。

 

11月の文化の日の前後は、毎年「かんだ古本まつり」が行われる。この古本まつりは本だけでなく、食べ物の出店も出て面白い。思いがけない本に出会えて、出版社も周辺にあることもあって、新刊やガイドブックなども安く出ていることもある。

 

私も神保町の話を他人事として聞いていたころはなんとなく、古書店の足を踏み入れがたい雰囲気と相まって、自分から神保町へ足を踏み入れる気がしなかった。

 

期せずして勤務することになり、通ってみると、奥が深い。チェーン系列でないオリジナルな魅力的な店が多い。元は中華街だったこともあり、美味しい中華の店が多いのもいいし、本の町らしく、本を読むために立ち寄りたい喫茶店がもともと多い。

 

私の青春も詰まっていて、大好きです神保町。

 

珈琲が呼ぶ

珈琲が呼ぶ / 片岡 義男著

東京 : 光文社 , 2018

p347 ; 19㎝

 

 

 

 

 

 

 

第51号:「六月の雪」とは・・・台南

2018年5月に発刊された乃南アサさんの「六月の雪」。

 

台湾の台南を舞台にしている。

主人公杉山未來は、祖母と二人で東京で暮らしている。両親は仕事の関係で、福岡で暮らしている。

 

未來は、アニメの声優を目指していたが諦めて、派遣社員で働いていた。派遣の3年の契約が終わる日、帰宅をするとうたたね寝していた祖母は台南の夢を見ていたという。

 

祖母は台南で生まれ、終戦になる16歳までこの地で暮らしていた。その時の記憶をいとおしそうに話した祖母。未來は、その日初めて祖母の生い立ちを知る。写真を取りに行くと2階に上がろうとして転倒し、そこから入院することになってしまった。

 

未來は、台南に行くことにする。祖母が暮らした場所を祖母の代わりに未來が見つけて、写真などで祖母に見せてあげたいと考えていた。

 

父の知り合いで現地で迎えてくれたのは、季怡華(リイカ)だった。無表情で考えていることがわかりずらい。未來は、彼女のことが気に入らない。季怡華と旅がスタートしたものの、季怡華が急用で戻ることになり、その後、季怡華と対象的な明るく屈託のない洪春霞(コウシュンカ)が旅を手助けしてくれ、さらに春霞(未來はかすみちゃんと呼んでいた)の友達の建知(ケンチ)や彼の高校の先生だった林(リン)先生が日本統治時代の歴史に詳しいということで協力してくれた。

 

仲間たちができ、少しずつ、祖母が通った学校や住んでいたエリアを見つけることができる。祖母が住んでいたと思われる家に住む劉がこの家で波乱万丈の人生を送ってきたことも知ることになる。

 

そして、いろいろな人と出会い過ごしていくうちに、祖母が言っていた「六月の雪」に辿り着くことができる。

 

後半になって、季怡華(リイカ)がなぜ無表情になったかという訳を意味することを、彼女が未來に話し始める。

 

終戦とともに、50年続いた日本統治が終わり、中国大陸から国民党の人々が入ってきた。台湾の人々は「犬(日本人)が去ってブタ(国民党)が来た」と評したという。その時代から一気に反日教育が行われ、いままで使っていた日本語も台湾語も禁止となり、中国語を話すように統制された。38年間にも及んだ長い戒厳令で、人々は思っていることを人前では話させなくなったという。春霞よりも年上の季怡華(リイカ)の世代になるとそういう時代の習慣が身についてしまっていると言う。

 

夢に破れて、何かの目標もできないまま30代を迎えていた未來は、この旅で台南での人々との出会い、林先生への淡い恋心をはぐくみ、日本に帰国後も台湾に留学し、中国語を学ぶという目標ができ始めていた。

 

そして、暖かい台南を舞台に「六月の雪」とは?

これは読んでからのお楽しみです。

 

六月の雪

六月の雪 / 乃南 アサ著

東京 : 文藝春秋    ,  2018

509p ; 20㎝

 

 

 

 

 

 

 

第50号:知らなった台湾・・・「流」

2015年に芥川賞を又吉さんが受賞した時に、直木賞を受賞した東山彰良さん。

彼のルーツである台湾を舞台にした「流」。

 

その頃、お気に入りだったBS日テレの「久米書店」に東山さんが登場されていたので、この本を読んだのでした。

 

長期にわたり戒厳令が続く1975年の台北でかつて国共内戦で戦った主人公秋生(チョウシェン)の祖父が殺害される。

 

「高校生だった秋生の人生は大きく揺れ動き、秋生は日本、そして家族のルーツの中国へ流れていく。」

2015年5月17日掲載 読売新聞よみうり堂から引用

 

この本を読んで、一般的な日本人が思い描く、今の台湾に見る親日的で、かつては国民党の蒋介石が率いて中国大陸とは一線を画する民主的な国家を作ったと言う印象と、うーむ、それだけの印象とは、ちょっと違うのかもと思いはじめる。

 

この本の中では、戦争において、下々のものは、主義、主張、思想や哲学などなく、場当たりでどちらにつくか決めるものであったという。

 

そして、殺害された秋生の祖父も、国民党、共産党との戦いで、たまたま国民党についた。そして、ある村の人々を惨殺した首謀者だった。そして、台湾にわたり、平穏に生活していた、ある日突然殺害された。

 

殺害したのは、祖父が殺害した王一家の息子であり、祖父が家族にも事情は内密にし、育てた男だった。祖父はわかっていて、可愛がり、生きながらに罪を背負っていたという。

 

戦前、台湾が日本であったことも事実。沖縄についても、台湾についての歴史もちっとも知らない自分がいる。

 

流 (講談社文庫)

流 / 東山 彰良 著

東京 : 講談社(文庫) ,  2017

512p ,   15cm