第132号:Z**町図書館・・・「街とその不確かな壁」
第131号からすっかりご無沙汰しておりまして、失礼いたしました。
本を読まなかったわけではないのですが、小説から少々離れており、いろいろなことが気になり、乱読というのでしょうか。いろいろなジャンルの本を読んでいました。例えば、仕事術やマインドフルネス関連や量子力学など。
私にとってはかなり難解でしたが、村上春樹さんの「街とその不確かな壁」をやっと読み終えました。
この本の中で出てくる会津若松まで行って、ローカル線に乗り換えて、おそらくイメージとしては30‐40分のところにあると思われる「Z**町」。主人公の「私」は図書館の仕事を求めてやってきます。その名は「Z**町図書館」。館長の子易氏が造り酒屋として持っていた元醸造所を図書館に改装したという。
とても居心地のよさそうな図書館。
小説を読みながら、その図書館を想像するのも楽しいし、その図書館に行く沿線の風景を想像するのも心地いいです。
個人的に会津若松という地は、以前からとても気になっている地です。
中学生の頃に一度、剣道部の合宿の途中に、目的地は山形の米沢だったのですが、なぜか立ち寄ったことがあります。
私の実家では、私の家は元々会津の出身だといわれて育ってきたので、何か特別に感じてきました。その後、行くこともなく今に至っていますが、台東区谷中の菩提寺の墓に刻まれている、ほとんど判然としない「会津藩士」や「文政」という文字を墓参で見るたびに気になり続けているのでした。
この小説自体は私にとって、とても難解でした。
壁のある街と実在している考えているこちらの世界、こちらに住む人とあちらに住む人を普通であれば、生きている人と死んでしまった人と分けて片付けるところを、そうではない世界観で、さらに境界がはっきりしない、まさに不確かな壁がある。これをどうやって捉えるのかは読者にゆだねられているのがと思うのですが、うーむ。
たまたま私の中でその時期、共鳴するように興味を持った「ゼロポイントフィールド仮説」でいうところのゼロポイントフィールドには過去、現在、未来のすべての情報が記録されているということなので、その話と重ねていくと、勝手な解釈ですが個人的にはとても興味深く、でもそのあたりの知識を多少かじっただけの私にはさらに頭を悩ませるものでした。重要な場所として図書館というのも、「宇宙図書館」と関連するキーワードかなと勝手考えたり、そんな時間が楽しかったです。
架空の「Z町」であるのですが、只見線かな・・・など、馴染みのない土地なのに想像してしまうのでした。
街とその不確かな壁 / 村上 春樹著
東京:新潮社, 2023.4
p.661 , 20cm
第131号:ペール・ラシェーズ墓地・・・「モンテ・クリスト伯」(Ⅶ)
この1800年代中盤の物語(1844年から1846年新聞連載)でも、パリに住む貴族だったり、著名人たちは、亡くなるとペール・ラシェーズの墓地に眠ることが書かれています。
この物語でも、ヴィルフォールの家のヴァランティーヌが丸薬を飲んだ後に亡くなってしまうシーンが出るのですが(ネタバレするので詳しくは書けません)、ヴァランティーヌが埋葬されるのも、このペール・ラシェーズの墓地でした。
場所はパリの中心から東寄りの11区と20区の境にあります。
東京で言ったら、谷中霊園とか青山墓地とかいう感じで都会にあるけれど、そこだけとても静かで昔と変わらない姿を残す墓地です。
私がツアーを作っている会社にいた頃、やたらコースにペール・ラシェーズを入れたがる上司がいて、悪趣味だと感じたことがあります。誰かを偲ぶためにこっそり出かけていくにはいいと思いますが、興味がない人たちを連れて団体で行くなんてナンセンスだなと思いました。
だから、ペール・ラシェーズの名を聞くと、そんな上司にも一言意見もできなかった自分を思い出します。
モンテ・クリスト伯 / アレクサンドル・デュマ著 ;山内義雄訳
東京 ; 岩波書店 , 1956
第130号:ローマの山賊ルイージ・ヴァンパの占領地・・・モンテ・クリスト伯(Ⅲ)、(Ⅶ)
「モンテ・クリスト伯」の読書会がついに終わりました。
岩波文庫は第七巻で物語が終わります。
個人的には、主人公モンテ・クリスト伯(ダンテス)から気持ちがすっかり離れてしまったので、ひたすら物語に出てくる地に思いを馳せるヴァーチャルトリップ専門家のような感じで読み進めました。
さて、第三巻はローマが舞台で、個人的にはとても好きな巻でした。
三七「サンセバスチャンの塋窟(えいくつ?)」という話があります。
塋には墓という意味があるようです。「塋窟」にカタコンプとルビがついていました。
ここではアルベールがローマの城壁の外に出て、山賊の捕らえられてしまうのですが、その山賊の首領がルイージ・ヴァンパです。
ローマの城壁の外は、カンパーニャ・ロマーナといい、ルイージ・ヴァンパの一味がいるのがサンセバスチャンのカタコンプ(カタコンペ)となっています。
サンセバスチャンのカタコンプは、旧アッピア街道付近にある地下墓地で、現存しています。
ルイージ・ヴァンパは、そこを巣窟として活動し、時には忠実なモンテ・クリスト伯の手下として働きをします。
そして、最終第七巻でも再度登場し、モンテ・クリスト伯の復讐の最終段階に手を貸すのでした。
山賊が住み着くのが、ローマの城壁の外の無法地帯にある髑髏(しゃれこうべ)がひしめくようなカタコンプというのは、なんとも不気味さがあります。
話が逸れますが、サンセバスチャンのカタコンプの近くを通るアッピア街道。
旧アッピア街道は、日本の松とはちょっと違う、背の高い松が街路樹となっています。
そのようすを見ると、作曲家オットリーノ・レスピーギ「ローマの松」の交響曲を思い出します。
サンセバスチャンのカタコンペに行ったときには、是非旧アッピア街道(アッピア・アンティカ通り )にも足をのばしていただきたいです。
モンテ・クリスト伯 / アレクサンドル・デュマ著 ;山内義雄訳
東京 ; 岩波書店 , 1956
第129号:コンピエーニュの「鐘と罎のホテル」・・・「モンテ・クリスト伯(Ⅵ)」
第6巻の読書会が終わりました。変化があり、面白かったです。
さて、六巻の最後の九八話に出てきた「鐘と罎のホテル」 というコンピエーニュ(Compiègne)のホテルについて、 気になっていたのでその後調べました。
下記のリンク①のサイト「Alexandrine Editions」の文章から、どうもアレクサンドルデュマは、 オワーズ県にあるコンピエーニュを気に入って滞在していたような 記載が見られました。
そして、Hôtel de la Cloche et de la Bouteille(フランス語で「鐘と罎のホテル」) に滞在していたようで、そこがまさに「鐘と罎のホテル」でした。
残念ながら、現在はその名のホテルも後継のホテルもありません。
Google Mapを見ると現在「Le New Bell」というディスコ!?になっているようです。
場所は現在の美しい塔のある市庁舎の隣に位置しており、 下記のリンク②で今と昔の画像がみられます。◁▷ を左右にずらすと今と昔の画像を比較的できます。
私はフランス語がわからないので、はっきりわかりませんが、 リンク③でHôtel de la Cloche et de la Bouteille の動画で、昔のホテルの画像と解説らしきものが見られます。
①「Alexandrine Editions」サイトからの引用
https://www.alexandrines.fr/
②Hôtel de la Cloche et de la Bouteilleの今と昔の画像
https://www.geneanet.org/
③Hôtel de la Cloche et de la Bouteille の動画
https://www.youtube.com/watch?
ご興味がありましたら、御覧ください。
モンテ・クリスト伯 / アレクサンドル・デュマ著 ;山内義雄訳
東京 ; 岩波書店 , 1956
第126号:舞台はパリへ・・・「モンテ・クリスト伯 (Ⅳ)」
モンテクリスト伯の第4巻の読書会が終わりました。
舞台は、ローマからパリへ移動します。
かつて婚約までしていたメルセデスやその夫でモルセール伯爵となったフェルナン、銀行家になったダングラール、検事となったヴィルフォール達、宿敵の住むパリです。
モンテクリスト伯は、怪しまれずに、かえって尊敬のまなざしを持って迎えられます。
メルセデスだけは、早々にモンテ・クリスト伯がかつてのダンテスであると見抜きます。
なぜか他の人たちは気づきもしない・・・
ここら辺は謎が多いのですが、いよいよ面白くなってきます。
モンテ・クリスト伯は、まずパリではシャンセリゼと比較的近い場所のオートゥイユ(Auteuil)に2つの屋敷を持ちます。
オートゥイユ(Auteuil)というと、16区。いまも閑静な住宅街という印象があります。この話が書かれたころも恐らく良いお屋敷町だったのではないでしょうか。
このあと、モンテ・クリスト伯はパリの社交界へ出ていくようです。
それは第5巻でのお楽しみです。
モンテ・クリスト伯 / アレクサンドル・デュマ著 ;山内義雄訳
東京 ; 岩波書店 , 1956
p403, 15cm
第121号:フランツとアルベールが訪れるローマの謝肉祭・・・「モンテ・クリスト伯(Ⅱ)」
「モンテ・クリスト伯」の第2巻の後半、物語には新しいキャストが登場します。そして、舞台はフランスからローマに変わります。ローマが大好きな私としては、急に面白くなり始め、ローマの地図を片手に読みました。
新キャストは、フランス貴族の子息のフランツとアルベールです。彼らはローマの謝肉祭(カーニバル)を見に遊びにきます。ローマの街に来て、彼らはテンションが上がっています。
コリゼー(コロッセオ)に行くのに、馬車でポポロ広場から(城壁外)外に出て、サンジョバンニ門から戻って、コロッセオ見物に行こうなどと言い、ホテルの人からそのルートは山賊が出るからそれはやめたほうがいいと本気でたしなめられます。
その時代の城壁の外というのは魑魅魍魎(ちみもうりょう)のいるような無法地帯だったのかもしれません。
確かに、随分前にテベレ川の西側の城壁外を車で夜通ったときに(ツアーでは通らない道)、映画「道」に出てくるような荒野のような草がぼうぼうと生えた荒れ地のようなところに立つ売春婦たちを見たときの光景を思い出し、その城壁の外の光景を想像したのでした。
ローマのカーニバルは、ベネチアに比べると日本人には知られていませんが、ローマでも仮装をしたりして、この「モンテ・クリスト伯」の話と同じように楽しむ習慣があるようです。
という私は、ローマでカーニバルに遭遇したことがないため、どんな物か見てみたくてうずうずします。
モンテ・クリスト伯 / アレクサンドル・デュマ著 ; 山内 義雄訳
東京:岩波書店 , 1956.2
353p , 15cm
赤533-2
第120号:実在する「モンテ・クリスト島(Isola di Montecristo)」・・・「モンテ・クリスト伯(Ⅱ)」
「モンテ・クリスト伯」の第2巻では、主人公ダンテスが牢獄の島シャトー・ディフで出会ったファリア神父から教養とともに、彼の仕えていたスパーダ家の財宝が”モンテ・クリスト島”に隠されていることを教授されます。
そして、彼は島を脱出して、その”モンテ・クリスト島”へ向かい、その財宝を見つけます。そして、この”モンテ・クリスト島”は実在する島です。
イタリア本土とコルシカ島の間にあり、エルバ島から真南に40kmほどの場所にあります。イタリアに所属する島です。
この物語でも無人島で、たくさんの羊が住むと書いてありますが、自然保護区でガイド付きで予約がないと上陸できないというようなことが書いてありました。
スパーダ家の財宝。
実際に現在も、スパーダ伯爵家の館がローマに残っており、スパーダ美術館(The Galleria Spada)として公開されています。16~17世紀にかけて造られた美しいバロックスタイル宮殿です。ベルニーニのライバルだったボッロミーニが作った遠近法の回廊もコレクションとともに見所です。
どちらも実在する物が出てくるので、ただのフィクションというよりも奥が深く感じられ、読者の興味をなおそそる効果があるようです。
モンテ・クリスト伯 / アレクサンドル・デュマ著 ; 山内 義雄訳
東京:岩波書店 , 1956.2
433p , 15cm
赤533-2