第11号:「本格小説」で描き出される古き良き軽井沢

おはようございます。

梅雨の晴れ間というのは、なんとも気持ちが良く、とても好きなひと時です。

 

このブログを書くために、書きためてきた感想文ノートを何冊も見返しますが、そうすると不思議と仕事のストレスや、落ち込んでいたこともふっと消え、また歩き出す気持ちになります。

 

軽井沢は少し湿気が多いので、別荘が立ち並ぶ林の中では、晴れた日でも空気がひんやりしていて、木漏れ日が少しさしこみ、私のなかで、軽井沢らしいと思える風景があります。

 

今日は、水村美苗さんの書いた「本格小説」を紹介します。

この作品は私小説のスタイルをとっていて、あらすじは、著者(という想定)が家族でニューヨークに赴任していたときに出会った実業家東太郎の印象が書かれ、後年、壮年になった東太郎と軽井沢で出会った祐介という青年が、アメリカで講師をしていた著者に運んできた土屋冨美子が語った東太郎とよう子、そしてそれを取り巻く人々の話から展開します。

 

東太郎というアメリカンドリームをつかんだ日本人実業家を辿っていくうちに、そこに関わった人たちもこの物語の重要な登場人物となります。隣り合わせに住まいを構えていた三枝家と重光家、三枝家の次女夏絵が嫁いだ宇多川家の人々。その中でも、東太郎と深く関わったよう子(夏絵の娘)、宇多川家に“女中”として働いた土屋冨美子が東太郎とどのように関わり生きたのか、そんな女達の人生も書かれているのです。

 

東太郎が宇多川家の敷地の中の貸家に親戚家族と身を寄せて、程なくよう子と子供ながらにどんどんと二人の世界を広げていくことから始まります。親戚に引き取られた太郎はことごとく、虐げられ、友だちもおらず、いつもみすぼらしい姿でいるのでした。それを宇多川家の先代の後家であるおばあさまが太郎に愛情をかけ、他人とは思えないほどによう子と分け隔てなく、かわいがったのでした。

 

もちろん、よう子の母夏絵の実家の三枝家は身分違いの二人が兄弟のように過ごすのを良く思っていなかったのですが、それをさとられないようにサポートしていたのが”女中”の冨美子でした。太郎とよう子も高校生となり、太郎をかわいがった宇多川のおばあさまが亡くなり、北海道に転勤で移った宇多川家と太郎は離れ離れになりましたが、よう子と太郎は隠れて文通をしていたのでした。大人になって男女として惹かれあう二人ですが、軽井沢でのある“不始末”をきっかけに会わなくなってしまいます。そして、太郎はアメリカに発ったのでした。

 

その後、太郎はアメリカで飛ぶ鳥を落とすように、成功して行き、億万長者になったのでした。その太郎の話を祐介が著者に運んできたときには、すでに東太郎は行方知れずになっていたのです・・・。

  

登場人物たちの戦後からの長い歳月を描き出したこの「本格小説」は、かなりボリュームがあり、その展開にどんどんと引き込まれています。

 

三枝家と重光家は、成城、軽井沢の両住まいともに隣同士に構えており、長くそして密接なつきあいをしていました。

 

戦後、成城の家は一時期GHQに接収されたりした時代ですから、軽井沢は単なる夏の避暑としてでなく、戦火を逃れるために両家は軽井沢で過ごすわけですが、その生活は、時代を忘れさせるくらい、(庶民からみると)優雅で、穏やかで、古き良き美しい軽井沢が描かれているのです。

 

私自体が、軽井沢に初めて行ったのは小学生のころ、1980年代で、実際に1,2年おきによく行っていたのは高校生以降ですから、1990年代です。アウトレットが出来た以降は、私自身、軽井沢への目的はゴルフに変わってしましました。

 

年々、軽井沢の様子は変わり、旧軽を初めて歩いたころの高揚感はすっかり失くして久しくなりますが、それでも、こないだのドラマ「カルテッド」のように、生活の場として、冬の軽井沢を見ると、なんとなく行ってみたいと思うのでした。

 

初夏を過ぎると、夏の計画を考えますが、何年かに一度は、軽井沢が候補にあがります。結局は、私が軽井沢をイメージするとき、初めて行った80年代の旧軽のイメージとこの小説の古き良き軽井沢がオーバーラップして、ついその面影を探そうとしてしまうのでした。

 

本格小説〈上〉 (新潮文庫)

本格小説〈下〉 (新潮文庫)

本格小説  上 / 水村 美苗著

東京 : 新潮社, 2005

605p ; 15㎝  

 

格小説 下 /   水村 美苗著

東京 : 新潮社,  2005

540p ; 15㎝

 

 

 

第10号:「リーチ先生」がたどり着いた地

“リーチ・ポタリ―”と呼ばれるバーナード・リーチの窯があるイギリスのコンウォール州のセント・アイヴス。

 

以前勤めていた旅行会社で、コーンウォールを観光するツアーがあって、セント・アイヴスを入れていたことがある。バーナード・リーチを知る人にとっては是非とも行ってみたい場所(私もその1人)であるが、知らない人にとっては、「つまらなかった。時間の無駄。」となってしまうらしい。常々思うことだけど、旅の楽しみ方はひとそれぞれ。結局は、なにが自分の心に響くかというところだと思う。

 

この小説は、原田マハさんによるものであるが、物語の中で、バーナード・リーチがイギリスから来日し、どのように生活し、彼なりの芸術活動を行い、民藝運動の中心人物である柳宗悦らと知り合い、陶芸そして日本に魅せられていったのかということが描かれている。

 

登場人物の沖高市という青年が、大分県の小鹿田(おんた)焼の窯元に訪れたリーチ先生の世話係に任命されるところから話が始まる。高市の亡き父・亀乃介も、この小鹿田の隣の小石原という場所に自分の窯を持つ前の若き日に、リーチ先生の助手として、最も彼の身近にいた人物だった。

 

リーチ先生は亀乃介を伴い、陶芸の窯を求めて、いくつかの地を経て、千葉県我孫子の柳邸の近くに窯を構え、創作活動にはげみ、手賀沼の湖畔の風景を気に入っていた。そして、その地を後ろ髪を引かれながらも離れなければならず、東京の麻布に移り、その後、イギリス人の妻とともに、故郷のイギリスへ帰っていった。

 

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そして、リーチがイギリスでたどり着いた地が、セント・アイヴス。イギリスの地図の南西に突き出すように伸びるコーンウォール半島の突端に近い町である。そこで、彼は陶芸に合う土を見つけ出すためにさまよい歩き、やっと自分の理想とする窯をセント・アイヴスに築き上げたのだった。そして、物語の最後に、高市が向かう場所は・・・。

 

5年ぐらい前に、日本橋高島屋で、「バーナード・リーチ展」が開催されて、その展覧会の脇では、「用の美」という言葉が吊りさげられ、バーナード・リーチが訪れた全国各地の窯で焼かれた陶器、その他、家具や平たく言うと民芸品と呼ばれるものの販売も行われていた。私はその時、初めて、小鹿田(おんた)焼の飛び鉋と刷毛目の皿と波佐見焼のマグを買った。それ以来、民藝運動にご執心である。

 

もちろん、洋食器で好きなものもあるが、リーチが影響を与えたとされる全国各地の窯の作品は、なんとなく小粋さがあると思う。日常的に、それらの器を使うたびに、まさに「用の美」だなと実感できるのである。

 

リーチ先生

リーチ先生  / 原田 マハ [著]

東京 : 集英社, 2016

472p ; 20㎝

 

 

 

 

第9号:いつかは自分の足で歩いてみたいサンチャゴ巡礼道「巡礼コメディ旅日記」

1週間はあっという間に過ぎていきますね。年52週、第52号まであっという間かもしれません。

 

著者はドイツ人のコメディアンのハーペイ・カーケリングさん。2009年にドイツで発刊されてベストセラーになった「巡礼コメディ旅日記 僕のサンチャゴ巡礼の道」は、37歳だったカーケリングさんがサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道をフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポールを起点として進んでいった800kmの巡礼の記録。

 

はじめは、特に親しくなる人もなく孤独に歩き続け、他人に対して、やや懐疑的だった様子もある。しかし長い道のりを歩いて行くと、嫌でもたくさんの人と遭遇し、自己中心的な人物や、自分の泣き所をついてきて憤らせる人もいる。それは、自分を鏡を見ているとふと気づく。

 

長い道のりの中で、自分の人生をふりかえり、そんな人々との出会いさえも、自分への試練だと思えてきたりする。

 

時に、人は時間と自分の体をたっぷり使ってみないと気づけないことがあるのかもしれないとこの本を読んで思った。

 

もう1冊、女優としても大好きなシャーリ・マクレーンの書いた「The Camino カミ―ノ魂の旅路」。これも、サンチャゴ巡礼道の話であるが、カーケリングさんの話にも前世についての話が出てくるがこの本も前世についてのことが出てきて、よりスピリチャルな内容になっている。これまた、巡礼道を歩いていると、協力者が現れたり、裏切り者が現れたりする。

 

何とも2冊ともエキサイティングで、面白く読み進められる。そして、「自分は何者か」というところに行きつくようである。私はいったい何者なのだろう。

 

 

巡礼コメディ旅日記――僕のサンティアゴ巡礼の道

巡礼コメディ旅日記 : 僕のサンティアゴ巡礼の道  

/ ハーペイ・カーケリング (著) ;  猪股 和夫 (訳)

東京 ;  みすず書房  , 2010

368p  ;  19㎝

原書名: Ich bin dann mal weg 
著者原綴:  Hape Kerkeling

 

カミーノ ― 魂の旅路

カミーノ  : 魂の旅路 

/ シャーリー マクレーン (著) ;  山川 紘矢 (訳), 山川 亜希子 (訳)

東京 ; 飛鳥新書 ,  2001 

332p ; 19㎝

英文書名: The Camino

著者原綴: Shirley MacLaine 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8号:ボヴァリズム(bovarysme)という言葉の発端「ボヴァリー夫人」

フローベール著の「ボヴァリー夫人」を読んで、数年たってから、水村美苗さんの新聞小説「母の遺産」で、フランスへ留学していた学生時代に、夫とパリで出会い恋に落ち結婚した主人公が、夫の浮気や母の介護などに遭遇していく小説の中で、この”ボヴァリズム”という言葉が出てきたと記憶している。漠然と意味はわかっていたが、コトバンクで検索してみると、以下のように出ている。

デジタル大辞泉の解説

ボバリスム(〈フランス〉bovarysme)


《「ボバリズム」とも》フランスの作家フロベールの小説「ボバリー夫人」の主人公のように、現実と夢との不釣り合いから幻影を抱く精神状態。

あー、なるほど。と、思う方も多いのではないかと思う。

新潮社で出された生島遼一氏訳のものを読んでから、姫野カオルコさんの書いた絵本の「ボヴァリー夫人」を読んだが、どちらも同じ話なのに、切り口を変えて楽しめた。

 

絵本のほうから、簡単にあらすじを書くと、

184X年のフランス。のちにボヴァリー夫人になるエマは女子だけの寄宿舎で学校生活を終え、温和で免許医になったシャルルと結婚した。結婚生活は田舎の町トストで始まった。ボヴァリー夫人は田舎での退屈な生活と、冴えない夫を愛すことができずに、辟易しながら毎日を過ごしていた。

ボヴァリー夫人は妊娠した。夫のシャルルは妻の気持ちが晴れるようにトストよりも少し町であるヨンヴィルに引っ越した。そこでボヴァリー夫人は丘の上で一人で読書したり、ドイツ音楽に胸打たれる孤独な青年レオンと出会った。彼も彼女に憧れた。レオンは彼女にとって「絵や詩や音楽について話せる異性」だった。ヨンヴィルの町も、彼と並んで歩いただけで不道徳とされる地方の町だった。レオンは法律事務所で修行するとパリに旅立った。

そんなときに、夫のところに急患で運ばれた男の主人である町外れの大邸宅に住むロドルフ・ブーランジェと出会う。遊び人ともっぱらの噂の男。舞踏会の日に彼はボヴァリー夫人を誘惑した。ロドルフには簡単なことだった。ボヴァリー夫人とロドルフは逢瀬を重ねた。

ボヴァリー夫人は本気で彼を愛し、逃避行を提案した。ロドルフは厄介なことになったと思っていた。逃避行の当日、彼女はロドルフからの長い手紙を受け取った。彼は彼女と逃避行しなかった。ボヴァリー夫人は失意の中にいた。

夫のシャルルはふさぎ込む妻を心配し、彼は興味のないオペラであるが、ルーアンまで妻を連れ出した。そこでレオンと再会した。レオンはパリで洗練されていた。あっという間に火がついた。ボヴァリー夫人はピアノを習いに行くといい、ルーアンに毎週出かけ、レオンと愛を確認しあった。

しかし現実が待っていた。ボヴァリー夫人は人妻で、シャルルが相続した遺産を抵当にいれてまで浪費を繰り返していた。夫のシャルルは鈍感にも自分を許すだろうとボヴァリー夫人は思ったが、薬剤師の家に忍び込み毒薬を飲んで、自ら命を絶った。

それでも夫は妻を愛し、亡骸にすがって泣いた。半年後に彼も亡くなった。

こんな話だった。最後にこんなセリフがある。

 

わたしはただ境遇に身をまかせ、

境遇の波に自分の夢をさらわれてしまった。

失うだけの人生だった。

自分で拓くことなど何もせず。

この小説に出てくる主人公エマが、はじめに夫と住んだ町がルーアン近郊のトスト(tostes)の町、その後引っ越したのがヨンヴィルという町だった。小さな町からみれば都会であるルーアンの町にも時々出かけている。出かけるにしても駅馬車を使う時代。ヨンヴィルは見つけられなかったが、トストという町はルーアンから南に約30kmの場所だった。

 

本を読みながら、ルーアンの町は行ったことがあるので、イメージできたが、その時代の近郊の田舎町とはどんなところなんだろうと思って読んでいた。

 

本を読んでから少しして、フランスのオーガナイザーのツアーを頼まれて作っていた時に、リヨン・ラ・フォレという町を入れたことがあった。「ボヴァリー夫人」の映画が撮影されたとそのとき知った。写真を見る限りでは、私のイメージした通りの町だったので、なんとなく嬉しくなった。地図で見ると、リヨン・ラ・フォレはルーアンの東に約40kmの場所。

映画で「ボヴァリー夫人」は何作も作られたようだが、【AGIJ】フランス日本語ガイド通訳協会の公式サイトを読むと、このリヨン・ラ・フォレは「第2次大戦前には映画監督のジャン・ルノワールが、1990年にはクロード・シャブロールが監督した2作の<ボヴァリー夫人>の撮影が行われた場所」だそうだ。

 

小説から話が離れるようでもあるが、リヨン・ラ・フォレは「フランスの最も美しい村」の認定を受けている。

www.les-plus-beaux-villages-de-france.org

小説に書かれている本当の舞台に行くのもいいけれど、さらに展開して映画からインスピレーションを受けた地に行くのも悪くないかも。旅は自由自在だから。

 

 

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人  / ギュスターヴ・フローベール著 ; 芳川 泰久 訳

東京 : 新潮社 , 2015 , 660p ; 16㎝

英文書名: Madame Bovary

著者原綴: Gustave Flaubert 

 

 

ボヴァリー夫人 フローベール

ボヴァリー夫人  / ギュスターヴ・フローベール[著] ; 姫野 カオルコ[文] 

; 木村 タカヒロ [イラスト] - 東京 : 角川文庫 , 2003 ; 19㎝

 

母の遺産―新聞小説

母の遺産 : 新聞小説 / 水村 美苗[著] 

東京 : 中央公論新社 , 2012 ー 524p ; 20㎝

 

 

 

第7号:ヴィッラ・アドリア―ナに思いを馳せて…「ハドリアヌス帝の回想」

3月にローマに行ったときに、ほんとうは行きたかったのが、ローマの東30kmにあるヴィッラ・アドリア―ナ。ハドリアヌス帝(即位117-138年)が晩年に築いた別荘である。以前、私と同じように「ハドリアヌス帝の回想」を読んだお客様が、個人で行ったが交通の便があまり良くないために大変だったと聞いていたこともあり、断念してしまった。

 

でも、帰国してから調べていたら、このヴィッラ・アドリア―ナに、隣町ティボリのヴィッラ・デステとともに行く現地ツアーがあったのだ。古代ローマ皇帝の別荘と中世に活躍したエステ家の別荘が結果的に近いエリアに隣り合うよう残っていて、興味深い。

書いているとますます後悔と行きたい気持ちが強くなる。

 

ローマのテベレ川沿いに建つ、ローマのシンボルでもあるサンタンジェロ城は、このヴィッラ・アドリア―ナを築いたハドリアヌス帝の霊廟でもある。ローマ5賢帝であったハドリアヌス帝が活躍した時代は、ローマ帝国の領土が地中海を取り囲む沿岸全体に拡大し、中東の一部も属州とされていた。「ハドリアヌスの長城」が英国北部に残されていることをを考えると、広大なエリアだったことがわかる。平和と繁栄がもたらされたパスク・ロマ―ナという時代である。

 

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マルグリット・ユルスナール著「ハドリアヌス帝の回想」は、先帝トラヤヌスが長い治世を守りぬき、ハドリアヌス帝に引き継がれるところから物語が始まっている。晩年のトラヤヌス帝が気難しい人物であった様子や、ハドリアヌスとの関係、引き継がれた経緯が描かれている。ハドリアヌスは旅をした皇帝としてよく知られているが、どのように広大なローマ帝国とその属州に出向き治世を行ったかがよく描かれている。

 

ハドリアヌスは男色だったようであるが、後継者としようとしていた最愛の青年アンティノス、ルキウスに先立たれてしまった悲壮、自分の後継を狙うもの、地位を奪おうとするものに時に悩んだ。しかし、聡明さと行動力をもって彼は時に大ナタを振るった。

 

そんなハドリアヌス帝が、晩年、ローマから少し離れた地に、心身を休めるべく別荘を建てた。それが、このヴィッラ・アドリアーナ。それは美しいところであったに違いないと思う。 

 

 

 

 

 

 

私の中では、あこがれやロマンはあるけれど、とても遠い存在だった古代ローマが、ハドリアヌス帝の物語を読むことで、皇帝も今の時代の人間と変わらずに物事を思考し、時には苦悩や挫折感を味わったことを感じた。そして、2,000年近く前の古代ローマは、イタリアに行くたびに遺跡を見て、ガイディングを聞いてきたが、やはり進歩的で、いまと変わらない文化的な生活が行われていたことを実感する。それでも、2,000年前に??と、なんとなく不思議に感じていたことが、この物語で読むことで、だいぶ私のなかで理解できた気がする。

 

目を閉じると、広い庭園に柱廊が立ち並ぶ屋敷、燦々と降り注ぐ太陽、柑橘類の実る木々からの仄かな香り、そして静寂が私の中にイメージされる。そんな風に行ったこともないヴィッラ・アドリア―ナに思いを馳せる。

 

ハドリアヌス帝の回想 / マルグリット・ユルスナール 【著】 ; 多田 智満子【訳】

東京 : 白水社, 2008 , 379p ; 19㎝

原書名: Mémoires d'Hadrien

著者原綴: Marguerite Yourcenar

ハドリアヌス帝の回想

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6号:いざ鎌倉、ってほどでなくても鎌倉へ。「ツバキ文具店」

先日、NHK総合テレビでドラマが放送されている「ツバキ文具店」。原作は、小川糸さん。単行本自体は2016年4月に初版が発行された。ドラマの方では、副題に”鎌倉代書屋物語”となっている。ドラマは途中まで見たところ、本の筋書きとは、ちょっと違うよう。

 

主人公は、雨宮鳩子。ポッポちゃんと呼ばれている。

鎌倉で、文房具屋兼代書屋「ツバキ文具店」を営んでいた”先代”の祖母・かし子が亡くなり、海外に行ってたポッポは帰国したが、死に目には会えなかった。

 

ポッポは生まれてすぐに、母と引き離され、母とは会っていない。その詳しい理由はわからない。祖母の“先代”がポッポを乳飲み子のころから育ててくれた。書の鍛錬に関しては特に厳しく、幼いころから特訓させられたポッポは、思春期を過ぎ、先代に反抗するようになり、先代から逃げるように海外での放浪生活を始めてしまった。しかし、先代なき後、鎌倉に戻り、結果的には先代の店を引継ぎ、1人で切り盛りすることにした。

 

代書を頼みに来る人のキャラクターと、そして、その手紙の依頼内容がそれぞれに興味深い。その手紙ごとの書き方、さらに紙や封筒さらに切手、万年筆や筆など筆記具の選び方の根拠も、なるほど~と感心してしまう。

 

この本には、その依頼ごとの手紙、例えば、かつて披露宴に来てくれた人たちに離婚を知らせる活版印刷の手紙や、太字の万年筆で書いた借金の断り状など、一癖ある依頼をポッポが想像をめぐらしながら代書したものも載せられている。結果的には、これが確かにベストかも!と思わせる仕上がりになっていて、感心する。こうやって、手紙のアイテムと内容を相手を思いながら書けたら、どんなに素晴らしいだろうと思ってしまった。

 

また、ポッポの住む鎌倉での生活を暖かく見守ってくれるお隣のバーバラ婦人や男爵、パンティー、モリカゲさんと娘のQPちゃんなど、優しくて、素敵な人たちもこの物語を味わい深いものにしてくれている。

 

私自身の鎌倉についての話になるけれど、高校生から大学生の頃には(というと今からすでに20年以上も前のこと)実家の川口から遠路はるばる友人と足繫く、鎌倉に通った時期がある。学生で、かなり暇だったのかもしれない。この本を読んで久々に鎌倉に行きたいと本気で思ってしまった。その足繁く通った中でも、たまたま、この「ツバキ文具店」があるとされる鎌倉宮や荏柄天神あたりによく行っていたので、なんとも懐かしい気持ちになった。あのあたりで、正月早々、3回連続、おみくじで[凶]を引いたのも、なかなかない経験で印象深い。私は、あのころ、あの近辺に行くとレデンプトリスチン修道院のクッキー(鎌倉ユニオンでも売っていたが)をよく買いに立ち寄らせてもらった。いまでも時々、あの厚めで素朴なクッキーを思い出し、食べたくなる。北条高時の腹切りやぐらが、小路の奥にあることを指し示す看板をこの辺で目にしたが、なんとなく怖くて進んでみたことはない。

 

この本のはじめのページには、「ツバキ文具店」の所在を示す手書きの地図があって、「ツバキ文具店」は、材木座の方から見ると鎌倉宮の少し奥となっている。また、北鎌倉の建長寺を上のほうに進むと行ける天園ハイキングコース(行こうと思いながら言ったことがないが・・・)を降りてきたところに位置していることになる。

 

こないだ、たまたま旅番組で、この天園ハイキングコースのある大平山をやっていて、その昔、北条高時の斬首を敵陣にとられないために、家来がそれを持って、この大平山に逃げたという話をしていた。地形的にも、そういうことはあるだろうと納得した。最近、日本史をもう一度勉強しなおしていることもあって、さすがに鎌倉は幕府のあったところだけあって、歴史の観点から見ても、かなり面白いと思った。

 

東京から割と近いのに何か違う空気感とおしゃれっぽさ。この本を読んで、住みたくなる人も増えそう。たまには鎌倉に行ってみてはいかがでしょう。。

 

ツバキ文具店

ツバキ文具店 / 小川糸著

東京 ; 幻冬舎 , 2016 ; 269p ; 20㎝

 

 

鎌倉幕府があったころの鎌倉がわかる1冊>

私の実家の谷中の菩提寺日蓮宗なので、なんだか気になって読み始めたが、北条氏に滅亡させられた比企一族の住んでいた比企谷の話や、鎌倉時代に、幕府のお膝元である鎌倉で、日蓮が辻に立ち、一人説法を行って布教した話なども出てくる。鎌倉幕府における公認宗教、非公認宗教の待遇の違いや、鎌倉幕府の執権や政治手腕、元寇など時代的背景もわかる。

 

小説日蓮  / 大佛次郎

東京 ; 光風社書店  , 1974 ; 455p ; 19㎝

 

日蓮―小説 (1974年)

日蓮―小説 (1974年)

 

 

 

 

 

 

 

 

第5号:「日はまた昇る」を読むと、パンプロ―ナに行きたくなる。

ヘミングウェイ著「日はまた昇る」もまた、高見浩氏により2003年に新訳版が出されている。新訳版を読み直して、またあらためていいなあと思った。

 

主人公ジェイク・バーンズ♂はアメリカ人。アメリカが禁酒法の時代に、パリでは禁酒はなく、アメリカ人にとって、自由を謳歌できるとされていた。そのパリで彼は新聞記者をしていた。第1次大戦の時に負傷を追った過去がある。

 

パリで友人たちと酒を愉しみ、その延長でスペイン北部のパンプロ―ナで、毎年7月に行われるサン・フェルミン祭牛追い祭り)に行くことにした。そのメンバーの中には、かつて愛し合っていて、別れてしまったブレッド・アシュリー♀がいた。ブレッドはイギリス人との離婚が間もなく成立し、ジェイクと結婚する予定だった。そして、その頃は、ブレッドは友人のマイクとつきあっていた。

 

パンプローナまでの旅のようすや、パンプロ―ナの町でのことがたくさん書かれている。パンプロ―ナのホテルモトーヤやカフェイルーニャで過ごした享楽的なフィエスタの1週間。彼らは飲み明かし、闘牛に明け暮れた。

 

ブレッドが、若き闘牛士ペドロ・ロメロと出会い、俗世間に彼を巻き込みたくないと思っていたが、結局彼女は恋に落ちた。ブレッドは、パンプローナからロメロと消えてしまい、数日後マドリッドでロメロと別れたとジェイクに連絡してきた。

 

主人公ジェイクがブレッドと別れた理由は、本書を読んでほしい。複雑な胸の内がある。彼がロメロと別れたブレッドを迎えに行くことにした時の文章がある。とても皮肉だ。

これでいいのだ。恋人を旅立たせて、ある男と馴染ませる。次いで別の男を紹介し、そいつと駆け落ちさせる。そのあげくに彼女をつれもどしに行く。そして、電報の署名には“愛している”と書き添える。そう、これでいいのだ。

 

実際にこの小説は、1925年7月に、ヘミングウェイが友人7人とパンプローナに行ったときの実体験に基づいているという。その旅の仲間が、この小説の登場人物にほぼ当てはめられるようだ。だからこそ、リアルで、人間模様がおもしろく、サン・フェルミン祭のフィエスタの1週間の町の活気が伝わってくるのかもしれない。そして、読者はパンプローナに行ってみたくなる。

7月のパンプローナは、22時近くまで明るく、いつまでたっても日が沈まず、夏のヨーロッパの圧倒的な解放感に、私はいますぐにでも行きたくなる。

 

日はまた昇る (新潮文庫)

 

日はまた昇る  / アーネスト ヘミングウェイ [著] ; 高見 浩[訳]

東京 : 新潮社,  2003

487p ; 15㎝

英文書名: The Sun Also Rises