第29号:「ここに地終わり海始まる」・・・ロカ岬
宮本輝氏が書いた小説「ここに地終わり海始まる」。私がこの本を読んだのは、2005年で、ポルトガルのロカ岬がヨーロッパ最西端の岬であることは知っているけれど・・・という頃だった。
この小説では、ロカ岬の石碑に書かれた「ここに地終わり海始まる」という言葉が、冒頭から、とても印象的に使われていた。この詩は、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』の一節であるという。
ここに地終わり海始まる
(ポルトガル語:Onde a terra acaba e o mar começa)
この詩は、ポルトガルの人はいまでもみな教科書で学ぶほどの愛国的叙事詩で、大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマのことをうたっているという。
小説に話を戻すと、主人公である天野志穂子が、18年間結核の療養のためにいた北軽井沢の療養所で、ボランティアでコンサートに来た4人グループの1人である梶井から届いた絵葉書が、ロカ岬から出されたもので、岬にあるこの詩が刻まれた石碑が写っているものだった。
奇跡的に退院できた志穂子は、この1度しか見たことのない梶井に会いたくなった。この絵葉書に書かれていた「1日も早く病気に勝って下さい」と添えられた一文が病の志穂子を元気づけてくれていたからだった。
梶井は、その後紆余曲折ありながら、日本に帰ってきていた。志穂子が糸を手繰るように梶井を探していると、梶井の友人たちとも知り合いになり、志穂子は恋愛もしたが、いつも心の中で梶井が引っ掛かっていた。
あらすじを書くと長くなってしまうので割愛しますが、宮本輝氏らしい、読者を飽きさせないストーリーと、いつもながらに小説の中に差し込まれる言葉が(宮本氏からのメッセージと私は受け取っていますが)心を打ちます。
宮本氏の小説はたくさん読んでいますが、小説中に差し込まれたその言葉にいつもはっと気づかされることが多いです。特に「運」ということに関して、書かれていることがよくあります。
「運」が向こうからやってくる人というのはどういう人かということが書かれており、いつもはっとさせられるのです。この小説でも、「運が良くて愛嬌がある人間であること」や「不幸にならないための運」という言葉がでてきます。
話は、ロカ岬からそれましたが、大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマをうたった詩である「ここに地終わり海始まる」。当時、地球は丸いという知識もままならない時代に、果てしのない、終わりのない旅に出たヴァスコ・ダ・ガマへどんな思いが込められていたのでしょう。
主人公の志穂子の心をとらえたように、この叙事詩の一説は、大西洋の海原を目の前に、一度は、ロカ岬、その地に立ってみたいという気持ちを奮い立たせる魔力のようなものがあるのです。
ここに地終わり海始まる / 宮本 輝著
東京 : 講談社 , 2008
15㎝ ー 新装版 上下巻
第28号:1950年代のロサンゼルス・・・「ロング・グッドバイ」
昨日と今日と日経新聞の文化面に、「チャンドラー長編7作 翻訳終えて」として、村上春樹氏によるインタビュー記事が出ていた。
2007年に、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」の翻訳をして、今回の「水底の女」をもって、長編7作を翻訳し終えたそうだ。
私もチャンドラーの作品を読んだのは、やはり村上春樹氏翻訳の「ロング・グッドバイ」が最初だった。それまでの私といえば、主人公である私立探偵フィリップ・マーロウの名前は聞いたことはあるものの・・・、という感じだった。そういえば、20年前くらいによく休みになると行っていた南葉山のレストラン「マーロウ」(今はプリンの名店として有名らしい)の名が、フィリップ・マーロウから来ていてるというのも、なんとなくピンとこなかったくらいだ。
それに、探偵もの、ミステリーというものをほとんど読まなかったというのもあった。しかし、この作品を読んだときに、ただの謎解きではなく、もっと人間らしさのある、滋味深いものに感じたことは確かだった。
ノートに書き留めておいた、以前、村上春樹氏がこの「ロング・グッドバイ」について語ったことを思い出す。この小説には、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」に通じる、魅力のある人間がかかわっているといったことを。
フィリップ・マーロウはもちろんのこと、この小説で登場するテリー・レノックスという男。寂しげで、やさしさがあり、見た目にも格好いいが、人に頼らない、謎めいた男。
このテリー・レノックスはこの小説の肝とも言える人物である。他にも様々な興味のわく人物が登場している。それは戦友であったり、友情と人間味を持ち、権威主義に流されない同士だったり。
この小説の舞台は、西海岸のロサンゼルス街中やその郊外アイドルヴァレー(架空の地名らしい)という住宅地、国境を越えたメキシコ等が出てきたりする。
1950年台といえば、戦後それほど経っていないわけだが、アメリカは日本とは違って、びくともしておらず、豊かだったんだと、この小説を読みながら感じた。
そのころのロサンゼルスは、私の中ではアメ車がブルバードを今よりももっと悠々と走っているイメージ。郊外のお金持ちの住宅街はすでに切り開かれつつあって、メキシコから働きに来る人も多いというようなイメージが浮かんできた。あくまでも、私のイメージだけど。
もう、17,18年前のことだけれども、ロサンゼルスからやや南のトーレンスに友人が住んでいて、遊びに行ったことがある。そこからレンタカーで、グランドキャニオンまでに交代しながら8時間近いドライブ。なんとなく、そんな思い出と重ねて、この本を読んだ。また、ロスに行きたいかも。
ロング・グッドバイ / レイモンド・チャンドラー著 ; 村上 春樹訳
東京 : 早川書房 , 2010
645p ; 16㎝
第27号:「前世への冒険」に自分をかさねて、フィレンツェへ
「前世への冒険」は、著者の森下典子さんのノンフィクションのお話で、だいぶ以前に女優の杏ちゃんがこの原作の特番ドラマに出ていて、それに触発されて原作を読んだのでした。
ドラマを見た時もそうでしたが、原作を読んで、さらに引き込まれて、私も自分の前世をたどる旅をしたいと思ったのでした。できれば、私も前世はイタリア人、せめてヨーロッパ人がいいなと思い、最近では私も絶対前世はイタリア人だったと信じて疑わないようになってます。(笑)
森下さんは、前世を診ることのできる女性のもとに行き、その女性が言うことには、1人目は有名な僧侶の弟子である人物、2人目はこのルネサンス期にフィレンツェで活躍した彫刻家で、デジデリオという人物だと知るのでした。
森下さんは、彼の足跡をたどるべくフィレンツェへ出かけていきます。サンタマリアノヴェッラ駅から町の中心へ向かう途中のサンタマリアノヴッラ教会の説教壇、サンタ・クローチェ教会の『カルロ・マルズッピーニの墓碑』は、デジデリオが一人前の彫刻家として最初に仕事したものだそうです。
ノヴェッラ駅から徒歩三分ほどの二ツ星のペンショーネのARBERGO DESIREE(デジレ荘)のデジレはフランス語で、デジデリオという意味の名のペンショーネがあったりします。
彼は、ポルトガルのポルトの出身で、ポルトガル枢機卿と異母兄弟だったそうで、森下さんはポルトにも出かけていきます。
フィレンツェで、たくさんのデジデリオと関係のある場所を訪ねます。モンテ・アレ・クローチェにあるサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂には、デジデリオと従兄弟のように親しかったというアントニオ・ロッセリーノ作『ポルトガル枢機卿の墓碑』があります。デジデリオの住んでいた家やアトリエ、彼の墓などにも出かけていきました。
細い糸が絡まるようにつながっていて、それを1本1本たどっていくような旅で、なんとも自分の前世のように気になって仕方がないのです。
来年2018年に、森下典子さんの『日日是好日(にちにちこれこうじつ)』が映画化されるようです。それを聞いて、久々にこの本を思い出しました。
そして、初めて読んだときのように、フィレンツェを歩きたい気持ちになりました。
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今年の4月から、このブログを書き始めましたが、2017年も年末になってしまいました。読んでいただき、ありがとうございます。また、来年も宜しくお願いします。
前世への冒険ールネサンスの天才彫刻家を追って / 森下 典子著
東京 : 光文社 , 2006
303p ; 16㎝
第26号:「クリスマスのおはなし」のベツレヘム・・・2017年前のクリスマスを想像して
明日はクリスマス・イブですね。今週、小学校の読み聞かせに行き、その時に読んだ本です。絵と文はジェーン・レイという人が書いている「クリスマスのおはなし」。
日本人にとってはクリスマスは、イベントというイメージが強いのではないでしょうか?バブルの頃には、カップルで過ごす重要なイベントというイメージがいまよりも強かったですね。
いま、米大統領のエルサレムについての発言など、いつもイスラエルは大国の思惑と、長年そこに住むそれぞれの民族の思いなど、解決ということはなく続いているように思います。すごく難しい問題だと思います。
この本を読むと、2017年前にも人々の生活は、脈々とある中に、ベツレヘムで生まれた幼子、キリストの誕生をあらためて想像することができる気がします。
西暦は2017年前からスタートしましたが、それよりも前から民たちの生活は今と同じように行われていたのです。
この本では、ナザレに住んでいたマリアの元に天使ガブリエルが訪れ、神の子を身ごもったことが告げられるシーンからスタートします。
マリアと夫の大工ヨゼフは、故郷に帰れという命令を(国から)受けて、他の民たちと同様にヨゼフの生まれ故郷のベツレヘムへ帰ります。しかし、宿屋はいっぱいで、馬小屋に案内され、マリアはそこで幼子を出産し、かいばおけの中に幼子を寝かせたのです。そして、東方から3人の博士が星を道しるべにベツレヘムへやってきます。
よく知られたお話ですが、あらためて、子供向けに要約された絵本を読むと、よりこの行間のなかに想像が膨らむのでした。そして、これは2000年も前のお話。
たまには、2000年前のこの日のことに思いを馳せてみてもいいかもしれません。
では、よいクリスマスをお過ごしください。
Merry Christmas!
クリスマスのおはなし / ジェーン・レイ絵と文 ; 奥泉 光訳
東京 ; 徳間書店 , 1994 ; 30cm
第25号:赤い町・・・「ボローニャ紀行」
もう10年以上前に、友人がボローニャに留学していて、2週間弱遊びに行ったことがある。友人はもう間もなく帰国というところで、学校もお休みができない状況だったので、私はひとりボローニャの町と、その近隣の町へ毎日出かけた。ラヴェンナやフィレンツェ、パルマなど。友人と学校のお休みの日に、ボローニャからチンクエテッレに遊びに行って、ラスペッツァとモンテロッソ・アル・マーレに泊まったのも懐かしい。
ボローニャから帰ってきて、5、6年近く経ってから、この井上ひさし著「ボローニャ紀行」が発売された。この本が文庫化し発売された2010年に、井上ひさしさんはお亡くなりになられていたが、ボローニャに行く前に読みたかった一冊である。
「赤い町」と呼ばれるボローニャは、赤レンガでできた建物が多く、全体的に町が赤い色調である。それに、イタリアには左寄り、右寄りの町というのがあるが(日本人的には単純にそう言ってしまうがそんなに単純じゃないのかもしれないが)、ボローニャはそういう意味での「赤い町」でもある。独身の働く女性が多く住んでいるということも現地で聞いて、納得できた気がする。
ボローニャの町の中心には、マッジョーレ広場とネプチューンの噴水があり、いつも人が集まっていてにぎやかな場所がある。その広場に面して市庁舎が立っていて、2000人近い人々のポートレート写真が壁にはめ込まれている。そのポートレートは、第2次世界大戦の時に、命を落としたレジスタンスの人々だと聞いた。あの前に立つと、誰もが忘れてはならないとあらためて強く感じるものがある。
この「ボローニャ紀行」には、サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ聖堂の司祭だったマレッラ神父のことが書かれている。
1940年代、ドイツにボローニャが占領されていたある日のこと、市民のパルチザンがドイツ兵を1人撃ってしまった。ドイツ兵1人に対し無作為に選んだ市民10人を射殺することを決めており、その中にお腹を空かせて泣く赤ん坊を抱いた母親がいて、ドイツ兵に乳をあげたいととりすがったが赤ん坊は取り上げられ許されなかった。その時、マレッラ神父が身代わりになりますと言って進み出た。神父を撃つわけに行かず、処刑は中止された。
神父は中心部にある大きな食料品店の壁の前に坐り、黒い帽子を差し出して喜捨を乞いそのお金で孤児院や母子寮をたくさん建てた。その場所は神父の背中でこすられてすっかり凹んでしまったという。マレッラ神父の精神がボローニャの他人の不幸を見過ごしにしない「ボローニャ方式」に結びついていると書かれている。
この本には、世界一のフィルム修復、映画館のある「チネテカ」や、廃品を集めて再生するホームレスの人が仕事したりする「大きな広場の道」組合本部や、半農半学の障害者の教育農園「COPAPS」などが書かれている。
文庫化されたのが2010年だから、井上ひさしさんの取材はそのだいぶ前に行われたものであると思う。この発想というのは素晴らしいと思った。根底には、マレッラ神父の「ボローニャ方式」というものがあるのだろう。
イタリア旅行といえば、ベネチアのあとは、フィレンツェに移動という感じで、いつも高速道路でボロ―ニャの脇を通り過ぎていた時代がある。自分が企画するようになってボローニャ滞在のコースを作ったが、前回も書いた通り、売れなかった。
でも、この本を読んでボローニャ行きたいと思った人は多いのではないかと思う。私がボローニャ滞在のツアーを売っていたころは時期尚早だったのか、日帰りの旅がチェーザレ・ボルジアゆかりのイーモラやフォルリなどマニアック過ぎたからだろうか。
さらに進化しているであろう今のボローニャに出かけたい。
ボローニャ紀行 / 井上 ひさし著
東京 : 文藝春秋 , 2010
253p ; 16㎝
第24号:ベルニーニの道しるべ❝セーニョ❞・・・「天使と悪魔」
ダン・ブラウン原作の「天使と悪魔」は2009年に、トム・ハンクスを主役に映画化された。2006年には、同じくダン・ブラウン原作の映画「ダ・ヴィンチ・コード」がすでに大ヒットしていた。
「天使と悪魔」は小説としては、「ダ・ヴィンチ・コード」よりも先に書かれたものだった。私がこの小説を読んだのは、話題になっていた「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ後の2006年頃である。面白くて、あっという間に読んだと記憶している。
私のようなトラベルコンシェルジュの元に、いまも「天使と悪魔」をテーマにローマを旅したいという依頼はある。
主人公は、「ダ・ヴィンチ・コード」同様にハーバードの象徴学の教授ロバート・ラングドン。彼もとに送られてきたFAXに写る遺体の胸には、かつての科学者集団の”イルミナティ”の焼印が押されていた。その写真の人物は、スイスの科学研究所セルンの所長レオナルド・ヴェトラだった。娘のヴィットリアと共同開発した反物質(放射線を発生しながら、小さな質量で大きな熱量を発する破壊兵器として使うことのできる物質)がなくなっていた。
そんな折、ヴァチカンでは前教皇が逝去し、コンクラーヴェ(次期教皇を決めるための選挙のようなもの)が行われていた。
コンクラーヴェに当然来るべきプレフェリーティと呼ばれる有力候補者たちの4人が会場に現れない。
4人のプレフェリーティの枢機卿たちは1時間ごとに1人ずつ殺されるとあり、猶予は4時間。そして、反物質の爆発もそのすぐ後に起こるという予告があった。
ラングトンは謎解きを始める。イルミナティの4元素は、土、空気、火、水。殺人は一つ一つ行われる。このキーワードをなすのは、ヴァチカンにとって、屈指の芸術家だったベルニーニだとたどり着く。彼の道しるべ ”セーニョ(啓示の道)”がキーワードだった。
かつてイルミナティの会員だったベルニーニが、イルミナティの科学の精神に共鳴する科学者たちにだけわかるように高度な道しるべをローマ各所の自分の作品に込めたのだった・・・。
犯人は本書で読んでいただくとして、この”セーニョ”を辿るべく、ローマを旅するというのは、なかなか面白い。
先日もこのブログで、❝ 第20号:『心変わり』・・・ローマへの列車の中で ❞で、バロックの巨匠ベルニーニとボッロミーニについて書いたが、ベルニーニの作品は、ヴァチカンのサン・ピエトロ広場以外にもたくさんある。
もちろん、小説ではあるけれど、ベルニーニを単なるバロックの芸術家として見るだけでなく、裏にある象徴みたいなもの思い描きながら歩いてまわるというのも、面白いと思う。
ぜひ、ローマに行くときには読んでから出かけてほしい。
天使と悪魔 : ヴィジュアル愛蔵版 / ダン・ブラウン著 ; 越前 敏弥訳
東京 ; 角川書店 , 2006
703p ; 22cm
本はかなりボリュームがあるので、ちょっと無理という方にはこちらお薦め。
第23号:カンヌで再起をはかった男・・・「ビザンチウムの夜」
アーウィン・ショーの作品は、私の性に合っているようで、どれも好きだ。ニューヨーカー・スタイル(洗練された都会小説と言われる)を作り上げた作家の1人である。でも、日本ではあまり人気がないようで、以前、常盤新平さんが翻訳したことのある『サマードレスのおんなたち』の新訳が出た以外は、絶版になってしまった。
私は、ただ都会的で洗練されているからアーウィン・ショーが好きなのでなく、(彼の描く主人公はクールで確かにかっこいいが)友情に厚く、内省的な人が多い。そんなところにいつも惹かれるのである。
この『ビザンチウムの夜』は1970年、映画祭で盛り上がるカンヌが舞台になっている。主人公グレイグこと、ジェシーは脚本家として映画業界でかつて活躍していた。駄作といわれた作品の後、5年もの間、公の場には出ずに過ごしてきた。
カンヌ映画祭が行われるカンヌに彼は沈黙を破って現れ、カールトンホテルに長逗留した。「三つの地平線」という脚本を書いていた。その脚本を友人のマーフィーは駄作だと言った。偽名にしてあるその脚本を見た売れっ子のプロディーサーのクラインはそれを評価し、監督としても売れているトーマスと組んで映画化するという話に発展する。
そんなグレイグに、マッキノンという女がインタビューしたいと現れ、彼は次第に娘と同じ程の年齢のマッキノンの若さ、聡明さ、色気に魅了されていく。マッキノンがグレイグに近づいたのは、娘のマッキノンに興味を持たず、捨てていった母がグレイグのスクラップブックを持っていたことが理由にあった。
グレイグは21年連れ添った妻に離婚をしたいと言った。彼女はグレイグの友人と関係を持っていた。離婚理由はそれだけでなく、パリで自立した生活を送るコンスタンツという女性との出会いも理由にある。彼がカンヌにやってきたのも彼女が背中を押してくれからだった。
カンヌで再起をはかったグレイグはニューヨークに戻り、彼の脚本は映画化に向かって動き出す、しかし・・・。
1970年のカンヌ。その時代からカンヌ映画祭というのは、世界中の映画産業にかかわる人々にとって、大きなビジネスチャンスであったといえる。
1966年のクロード・ルルーシュ監督の、北フランスのドーヴィルの海が印象的で、フランシス・レイの音楽を聴くと誰もが思いだす「男と女」を見ていて、あのころのフランスは、電話は交換手に頼んでつないでもらう時代だったのだと思いながら見ていたが、この『ビザンチウムの夜』もまさにそんな時代のフランスのカンヌが舞台になっている。
ずいぶん前に、カンヌ映画祭の時期に、たまたま南仏のツアーの途中に、カンヌに立ち寄ったことがある。会場入口の階段にはレッドカーペットが敷かれていて、現地にきたなと感じた記憶がある。街でアメリカのQ監督を見かけたりした。是枝監督が柳楽優弥くんを起用して話題になって、キムタクもカンヌ入りしていると話題になった年だから、うーんいつだったかなと調べてみると、2004年だった。5月にカンヌ映画祭の話がでると、あのときにカンヌの雰囲気となかなか暮れない初夏の夜を思いだす。
ビザンチウムの夜 / アーウィン・ショー著 ; 小泉 喜美子訳
482p ; 16㎝
英文書名 : Evening in Byzantium
フランスのドーヴィルの海岸で二人の姿が印象的な映画「男と女」
監督クロード・ルル-シュとFrancis Lai の音楽♪「A Man And A Woman」
(♪ダバダバダ・ダバダバダ♪ のフレーズ)で数々の映画賞を取った作品。
1966年カンヌ映画祭のグランプリも。
60~70年をフランスを舞台のにしているので『ビザンチウムの夜』と合わせて見たい作品。