第31号:豪華旅行にポジターノ・・・「朝の歓び」
またまた、宮本輝さんの本です。ナポリから南下し、ティレニア海に面したソレント半島の付け根にあるポジターノが出てくる「朝の歓び」。アマルフィから夏は船、または通年バスで行くことができる。
この本、私は2005年に読んだのに、読んだことを全く忘れていて、2,3年前に上下巻買って読み始めたら、あー読んだことあったーと気づいて・・・、再読。
ここでは、主人公の良介45歳があてもなく会社を辞め、少し前に妻が亡くなり保険金が入ったこともあり、妻が亡くなったことをきっかけに別れた日出子と彼女の故郷の北陸の町で再会し、日出子が行きたがっていた南イタリアのポジターノに豪華旅行に行くことを良介が提案し、2人で旅に出ることにした。
日出子は、かつてポジターノに旅で訪れた時に、障害を持った少年パオロと出会った。そのパオロがどのように成長したか見たかったのである。
まずは、ローマに入ったが日出子の行動に一波乱、また、新婚旅行で、花婿に逃げれたさつきとも出会い、良介は日出子に内緒でさつきもポジターノに誘った。
ポジターノで、パオロは19歳になり、成長していた。決められた職場へのルートを往復することしかできないが、彼は革製品を作る工房で、決められた工程を作業し、自分でお金を稼ぐようになっていた。
良介はパオロの両親の苦労と、それでも惜しまない愛情をパオロから感じ、こんなセリフを言っている。
パオロを育てるにあたって、若かった夫婦には、前途は暗く、何もかもが絶望的で、頭を抱えて沈鬱にならざる得ないときばかりであったことだろう。
夫婦は、そのことに気づいて、自分たちがパオロという息子にしてやれることは、いかなる状況にあっても、笑顔で、明るく、陽気に接することだと決め、そのように努め、やがてその努力が、彼らに本来的な楽天性をもたらし、何もかもを突き抜けるような、真に幸福でありつづける人のような、陽気な笑顔の持ち主にしたのだ。きっと、そうに違いない・・・・。
パオロが通勤したポジターノへ向かうバス。アマルフィーからポジターノへ向かうバスの風景が思い浮かんでくる。海沿いのバスルート。たまに、無性に行きたくなったら、googleストリートビューで辿ってみると、少し楽しい気持ちになる。
便利な世の中だな。でも、やっぱり、実際に行きたいな。
朝の歓び / 宮本輝著
東京 : 講談社文庫 , 2014
15㎝
新装版ー講談社文庫上下巻
第30号:ハメーンリンナのサマーハウス・・・「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
村上春樹氏の作品は、ほぼ欠かさず読んでいるが、彼の作品自体を語ることは、私としてはおこがましくて、なかなかできない。今回も小説の内容は、ともかくとして、この小説の中に出てくる、多崎つくるが友人を訪ねたフィンランドのハメーンリンナについて書きたい。
私は、村上氏の長編も好きであるが、どちらかというと、この小説のように長編とまでいかないミドルの長さの作品がとても好きだ。
正直なところ、タイトルだけでも十分に興味がひかれるし、「巡礼の年」というのはリストの楽曲から来ているとなれば、なおさら、気になって仕方ないという作品だった。
この小説の中に、多崎つくるが高校時代をいつも一緒に過ごした友人4人が出てくる。それぞれに名前には色がついていた。アオ、アカ、シロ、クロ。
その中で、クロと呼ばれたエリは、結婚をしてヘルシンキに暮らしているが、多崎つくるが訪ねた時にはハメーンリンナにあるサマーハウスで過ごしていた。
36歳になった多崎つくるが、かつての友人に会うためにフィンランドのハメーンリンナへ、初めての海外旅行となる旅に出たというのは、それだけでも彼にとっては重要な旅であったことが想像できると思う。
ハメーンリンナはヘルシンキから列車で1時間。スオミ(湖沼)の国といわれるフィンランドらしさが感じられる湖沼地帯にある町で、夏には、ムーミン博物館があるタンペレからシルヴァ-ラインという船で湖沼巡りをしながらハメーリンナへいく航路もある。ハメーンリンナには、「フィンランディア」を作曲したシベリウスが誕生した家がいまも残っている。
小説から離れて想像してみる。いつもヘルシンキに住んでいて、夏になるとハメーンリンナのサマーハウスに住むというのはどんな感じなんだろうと。短い夏を謳歌するというのはそういう生活なのかもしれないなと思う。いつまで経っても暮れない夏の夜。
北欧の白夜を想像しながら、もう一度、この小説を読んで見ようと思う。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 / 村上 春樹著
東京 : 文春文庫 , 2015
421p ; 16㎝
<2013年単行本初版>
第29号:「ここに地終わり海始まる」・・・ロカ岬
宮本輝氏が書いた小説「ここに地終わり海始まる」。私がこの本を読んだのは、2005年で、ポルトガルのロカ岬がヨーロッパ最西端の岬であることは知っているけれど・・・という頃だった。
この小説では、ロカ岬の石碑に書かれた「ここに地終わり海始まる」という言葉が、冒頭から、とても印象的に使われていた。この詩は、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』の一節であるという。
ここに地終わり海始まる
(ポルトガル語:Onde a terra acaba e o mar começa)
この詩は、ポルトガルの人はいまでもみな教科書で学ぶほどの愛国的叙事詩で、大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマのことをうたっているという。
小説に話を戻すと、主人公である天野志穂子が、18年間結核の療養のためにいた北軽井沢の療養所で、ボランティアでコンサートに来た4人グループの1人である梶井から届いた絵葉書が、ロカ岬から出されたもので、岬にあるこの詩が刻まれた石碑が写っているものだった。
奇跡的に退院できた志穂子は、この1度しか見たことのない梶井に会いたくなった。この絵葉書に書かれていた「1日も早く病気に勝って下さい」と添えられた一文が病の志穂子を元気づけてくれていたからだった。
梶井は、その後紆余曲折ありながら、日本に帰ってきていた。志穂子が糸を手繰るように梶井を探していると、梶井の友人たちとも知り合いになり、志穂子は恋愛もしたが、いつも心の中で梶井が引っ掛かっていた。
あらすじを書くと長くなってしまうので割愛しますが、宮本輝氏らしい、読者を飽きさせないストーリーと、いつもながらに小説の中に差し込まれる言葉が(宮本氏からのメッセージと私は受け取っていますが)心を打ちます。
宮本氏の小説はたくさん読んでいますが、小説中に差し込まれたその言葉にいつもはっと気づかされることが多いです。特に「運」ということに関して、書かれていることがよくあります。
「運」が向こうからやってくる人というのはどういう人かということが書かれており、いつもはっとさせられるのです。この小説でも、「運が良くて愛嬌がある人間であること」や「不幸にならないための運」という言葉がでてきます。
話は、ロカ岬からそれましたが、大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマをうたった詩である「ここに地終わり海始まる」。当時、地球は丸いという知識もままならない時代に、果てしのない、終わりのない旅に出たヴァスコ・ダ・ガマへどんな思いが込められていたのでしょう。
主人公の志穂子の心をとらえたように、この叙事詩の一説は、大西洋の海原を目の前に、一度は、ロカ岬、その地に立ってみたいという気持ちを奮い立たせる魔力のようなものがあるのです。
ここに地終わり海始まる / 宮本 輝著
東京 : 講談社 , 2008
15㎝ ー 新装版 上下巻
第28号:1950年代のロサンゼルス・・・「ロング・グッドバイ」
昨日と今日と日経新聞の文化面に、「チャンドラー長編7作 翻訳終えて」として、村上春樹氏によるインタビュー記事が出ていた。
2007年に、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」の翻訳をして、今回の「水底の女」をもって、長編7作を翻訳し終えたそうだ。
私もチャンドラーの作品を読んだのは、やはり村上春樹氏翻訳の「ロング・グッドバイ」が最初だった。それまでの私といえば、主人公である私立探偵フィリップ・マーロウの名前は聞いたことはあるものの・・・、という感じだった。そういえば、20年前くらいによく休みになると行っていた南葉山のレストラン「マーロウ」(今はプリンの名店として有名らしい)の名が、フィリップ・マーロウから来ていてるというのも、なんとなくピンとこなかったくらいだ。
それに、探偵もの、ミステリーというものをほとんど読まなかったというのもあった。しかし、この作品を読んだときに、ただの謎解きではなく、もっと人間らしさのある、滋味深いものに感じたことは確かだった。
ノートに書き留めておいた、以前、村上春樹氏がこの「ロング・グッドバイ」について語ったことを思い出す。この小説には、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」に通じる、魅力のある人間がかかわっているといったことを。
フィリップ・マーロウはもちろんのこと、この小説で登場するテリー・レノックスという男。寂しげで、やさしさがあり、見た目にも格好いいが、人に頼らない、謎めいた男。
このテリー・レノックスはこの小説の肝とも言える人物である。他にも様々な興味のわく人物が登場している。それは戦友であったり、友情と人間味を持ち、権威主義に流されない同士だったり。
この小説の舞台は、西海岸のロサンゼルス街中やその郊外アイドルヴァレー(架空の地名らしい)という住宅地、国境を越えたメキシコ等が出てきたりする。
1950年台といえば、戦後それほど経っていないわけだが、アメリカは日本とは違って、びくともしておらず、豊かだったんだと、この小説を読みながら感じた。
そのころのロサンゼルスは、私の中ではアメ車がブルバードを今よりももっと悠々と走っているイメージ。郊外のお金持ちの住宅街はすでに切り開かれつつあって、メキシコから働きに来る人も多いというようなイメージが浮かんできた。あくまでも、私のイメージだけど。
もう、17,18年前のことだけれども、ロサンゼルスからやや南のトーレンスに友人が住んでいて、遊びに行ったことがある。そこからレンタカーで、グランドキャニオンまでに交代しながら8時間近いドライブ。なんとなく、そんな思い出と重ねて、この本を読んだ。また、ロスに行きたいかも。
ロング・グッドバイ / レイモンド・チャンドラー著 ; 村上 春樹訳
東京 : 早川書房 , 2010
645p ; 16㎝
第27号:「前世への冒険」に自分をかさねて、フィレンツェへ
「前世への冒険」は、著者の森下典子さんのノンフィクションのお話で、だいぶ以前に女優の杏ちゃんがこの原作の特番ドラマに出ていて、それに触発されて原作を読んだのでした。
ドラマを見た時もそうでしたが、原作を読んで、さらに引き込まれて、私も自分の前世をたどる旅をしたいと思ったのでした。できれば、私も前世はイタリア人、せめてヨーロッパ人がいいなと思い、最近では私も絶対前世はイタリア人だったと信じて疑わないようになってます。(笑)
森下さんは、前世を診ることのできる女性のもとに行き、その女性が言うことには、1人目は有名な僧侶の弟子である人物、2人目はこのルネサンス期にフィレンツェで活躍した彫刻家で、デジデリオという人物だと知るのでした。
森下さんは、彼の足跡をたどるべくフィレンツェへ出かけていきます。サンタマリアノヴェッラ駅から町の中心へ向かう途中のサンタマリアノヴッラ教会の説教壇、サンタ・クローチェ教会の『カルロ・マルズッピーニの墓碑』は、デジデリオが一人前の彫刻家として最初に仕事したものだそうです。
ノヴェッラ駅から徒歩三分ほどの二ツ星のペンショーネのARBERGO DESIREE(デジレ荘)のデジレはフランス語で、デジデリオという意味の名のペンショーネがあったりします。
彼は、ポルトガルのポルトの出身で、ポルトガル枢機卿と異母兄弟だったそうで、森下さんはポルトにも出かけていきます。
フィレンツェで、たくさんのデジデリオと関係のある場所を訪ねます。モンテ・アレ・クローチェにあるサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂には、デジデリオと従兄弟のように親しかったというアントニオ・ロッセリーノ作『ポルトガル枢機卿の墓碑』があります。デジデリオの住んでいた家やアトリエ、彼の墓などにも出かけていきました。
細い糸が絡まるようにつながっていて、それを1本1本たどっていくような旅で、なんとも自分の前世のように気になって仕方がないのです。
来年2018年に、森下典子さんの『日日是好日(にちにちこれこうじつ)』が映画化されるようです。それを聞いて、久々にこの本を思い出しました。
そして、初めて読んだときのように、フィレンツェを歩きたい気持ちになりました。
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今年の4月から、このブログを書き始めましたが、2017年も年末になってしまいました。読んでいただき、ありがとうございます。また、来年も宜しくお願いします。
前世への冒険ールネサンスの天才彫刻家を追って / 森下 典子著
東京 : 光文社 , 2006
303p ; 16㎝
第26号:「クリスマスのおはなし」のベツレヘム・・・2017年前のクリスマスを想像して
明日はクリスマス・イブですね。今週、小学校の読み聞かせに行き、その時に読んだ本です。絵と文はジェーン・レイという人が書いている「クリスマスのおはなし」。
日本人にとってはクリスマスは、イベントというイメージが強いのではないでしょうか?バブルの頃には、カップルで過ごす重要なイベントというイメージがいまよりも強かったですね。
いま、米大統領のエルサレムについての発言など、いつもイスラエルは大国の思惑と、長年そこに住むそれぞれの民族の思いなど、解決ということはなく続いているように思います。すごく難しい問題だと思います。
この本を読むと、2017年前にも人々の生活は、脈々とある中に、ベツレヘムで生まれた幼子、キリストの誕生をあらためて想像することができる気がします。
西暦は2017年前からスタートしましたが、それよりも前から民たちの生活は今と同じように行われていたのです。
この本では、ナザレに住んでいたマリアの元に天使ガブリエルが訪れ、神の子を身ごもったことが告げられるシーンからスタートします。
マリアと夫の大工ヨゼフは、故郷に帰れという命令を(国から)受けて、他の民たちと同様にヨゼフの生まれ故郷のベツレヘムへ帰ります。しかし、宿屋はいっぱいで、馬小屋に案内され、マリアはそこで幼子を出産し、かいばおけの中に幼子を寝かせたのです。そして、東方から3人の博士が星を道しるべにベツレヘムへやってきます。
よく知られたお話ですが、あらためて、子供向けに要約された絵本を読むと、よりこの行間のなかに想像が膨らむのでした。そして、これは2000年も前のお話。
たまには、2000年前のこの日のことに思いを馳せてみてもいいかもしれません。
では、よいクリスマスをお過ごしください。
Merry Christmas!
クリスマスのおはなし / ジェーン・レイ絵と文 ; 奥泉 光訳
東京 ; 徳間書店 , 1994 ; 30cm
第25号:赤い町・・・「ボローニャ紀行」
もう10年以上前に、友人がボローニャに留学していて、2週間弱遊びに行ったことがある。友人はもう間もなく帰国というところで、学校もお休みができない状況だったので、私はひとりボローニャの町と、その近隣の町へ毎日出かけた。ラヴェンナやフィレンツェ、パルマなど。友人と学校のお休みの日に、ボローニャからチンクエテッレに遊びに行って、ラスペッツァとモンテロッソ・アル・マーレに泊まったのも懐かしい。
ボローニャから帰ってきて、5、6年近く経ってから、この井上ひさし著「ボローニャ紀行」が発売された。この本が文庫化し発売された2010年に、井上ひさしさんはお亡くなりになられていたが、ボローニャに行く前に読みたかった一冊である。
「赤い町」と呼ばれるボローニャは、赤レンガでできた建物が多く、全体的に町が赤い色調である。それに、イタリアには左寄り、右寄りの町というのがあるが(日本人的には単純にそう言ってしまうがそんなに単純じゃないのかもしれないが)、ボローニャはそういう意味での「赤い町」でもある。独身の働く女性が多く住んでいるということも現地で聞いて、納得できた気がする。
ボローニャの町の中心には、マッジョーレ広場とネプチューンの噴水があり、いつも人が集まっていてにぎやかな場所がある。その広場に面して市庁舎が立っていて、2000人近い人々のポートレート写真が壁にはめ込まれている。そのポートレートは、第2次世界大戦の時に、命を落としたレジスタンスの人々だと聞いた。あの前に立つと、誰もが忘れてはならないとあらためて強く感じるものがある。
この「ボローニャ紀行」には、サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ聖堂の司祭だったマレッラ神父のことが書かれている。
1940年代、ドイツにボローニャが占領されていたある日のこと、市民のパルチザンがドイツ兵を1人撃ってしまった。ドイツ兵1人に対し無作為に選んだ市民10人を射殺することを決めており、その中にお腹を空かせて泣く赤ん坊を抱いた母親がいて、ドイツ兵に乳をあげたいととりすがったが赤ん坊は取り上げられ許されなかった。その時、マレッラ神父が身代わりになりますと言って進み出た。神父を撃つわけに行かず、処刑は中止された。
神父は中心部にある大きな食料品店の壁の前に坐り、黒い帽子を差し出して喜捨を乞いそのお金で孤児院や母子寮をたくさん建てた。その場所は神父の背中でこすられてすっかり凹んでしまったという。マレッラ神父の精神がボローニャの他人の不幸を見過ごしにしない「ボローニャ方式」に結びついていると書かれている。
この本には、世界一のフィルム修復、映画館のある「チネテカ」や、廃品を集めて再生するホームレスの人が仕事したりする「大きな広場の道」組合本部や、半農半学の障害者の教育農園「COPAPS」などが書かれている。
文庫化されたのが2010年だから、井上ひさしさんの取材はそのだいぶ前に行われたものであると思う。この発想というのは素晴らしいと思った。根底には、マレッラ神父の「ボローニャ方式」というものがあるのだろう。
イタリア旅行といえば、ベネチアのあとは、フィレンツェに移動という感じで、いつも高速道路でボロ―ニャの脇を通り過ぎていた時代がある。自分が企画するようになってボローニャ滞在のコースを作ったが、前回も書いた通り、売れなかった。
でも、この本を読んでボローニャ行きたいと思った人は多いのではないかと思う。私がボローニャ滞在のツアーを売っていたころは時期尚早だったのか、日帰りの旅がチェーザレ・ボルジアゆかりのイーモラやフォルリなどマニアック過ぎたからだろうか。
さらに進化しているであろう今のボローニャに出かけたい。
ボローニャ紀行 / 井上 ひさし著
東京 : 文藝春秋 , 2010
253p ; 16㎝