umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第12号:今現在のテヘランは?「テヘランでロリータを読む」

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テヘランでロリータを読む」は、先日読んだ西加奈子さんの「i」にも重要な要素として出てきていたので、読んでみたいと思っていた。

 

 

タイトルからすると「ロリータ」と出てくると、なんとなくセンセーショナルで、1997年のジェレミー・アイアンズ主演の映画がぱっと浮かんできてしまう。

 

この著者アーザル・ナフィーシーさんは、もともとイランの英米文学の教授であり、自宅で数人の教え子と研究会(民主主義の国で、今の時代なら読書会というイメージを持った)をおこなっており、その研究会のテーマがナブコフ著の「ロリータ」だったのでである。この本は、1979年のイスラーム革命から18年間のテヘランでのことを書いている。

 

大学の授業のなかでは、他にもテーマは、フィッツジェラルド著の「ギャツビー」だったり、ヘンリー・ジェイムズ著「ワシントンスクエア」だったり、その他いろいろな作品が取り上げられている。イランという場所で、それらの小説は共感を持って受け入れられる一方、西洋文化の退廃的な思想があるとして絶対に受け入れられないという人(特に男子学生)たちもいて、根深さを感じざる得ない。

 

そう、1995年のテヘランで、発禁になっている「ロリータ」を含む英米文学を読むということはどういうことなのか。「i」にもあったように、“想像しみること”が大事なんだと思う。

 

私はこの本で、イランで起こったイスラーム革命について、イラン・イラク戦争について、初めて触れた気がする。

 

何も知らなかった自分がいる、1970年代後半のイスラーム革命前に構想されたとされる五木寛之氏の「燃える秋」を読んで、ペルシャ絨毯にひかれて、会社を辞めて、イランへ行ってしまう主人公亜紀がどんなところへ行くのか、本を読んでいても想像もつかなかったのだ。

 

1970年代中盤までは、もっとイランは自由な時代であったと考えられる。その頃のイランは一体どのように、この著者の描く1980ー90年代とどのように違ったのだろう。

 

そして今のイランを知りたくなった。前の会社でもイランのツアーは情勢次第で販売したり、しなかったりということがあったが、最近の状況を見ると、大手の会社でも、ツアーを出し始めているということは、情勢としては安定してきているのかもしれないと思う。旅行が販売されるか、されないかを情勢をみる基準にしている部分もある。日本の旅行会社は外務省の安全情報をもとに、判断している部分が大きいので、大手で販売しているとなれば、情勢から考えて旅行としては概ね問題ないのだろう。

 

著者がいたころのイランは、女性は地味な色合いの、すっぽりと体を覆うコートを着ていて、スカーフが頭からずれたり、髪がはみ出すことさえも、注意を受けたという。マニキュアはおろか化粧さえもしてはいけないという状況だったと書かれている。指導者が変わるごとにそれは緩和もされたりするのであるが・・・。

 

いまはそういう時代と比べれば、緩和されたようである。しかし、女性の地位はこの本の頃よりも改善されたのだろうか。こういうことは、実際旅に行ってみないとわからない。

 

この本を読むと、以下に、政治(イランにおいては指導者であるといえる)が大事であるかがわかるし、政教分離ということがいかに大事なのかがわかる。

 

自由(思想や表現の自由等)は一度手放すと、取り戻すことがものすごく大変なんだと思う。

 

 

テヘランでロリータを読む(新装版)

テヘランでロリータを読む / アーザル・ナフィーシー著 ; 市川 恵里訳

東京 : 白水社 ,  2017  

485p ; 19㎝

英文原綴: Reading Lolita in Tehran

著者原綴: Azar Nafisi

 

i(アイ)

 

i(アイ)  /  西 加奈子著 

東京 : ポプラ社 , 2016

298p ; 19㎝

 

燃える秋 (五木寛之の恋愛小説)

燃える秋  /  五木 寛之著

東京 : 角川書店 ,2008

207p ; 19cm