第25号:「ボローニャ紀行」の赤い町

もう10年以上前に、友人がボローニャに留学していて、2週間弱遊びに行ったことがある。友人はもう間もなく帰国というところで、学校もお休みができない状況だったので、私はひとりボローニャの町と、その近隣の町へ毎日出かけた。ラヴェンナフィレンツェパルマなど。友人と学校のお休みの日に、ボローニャからチンクエテッレに遊びに行って、ラスペッツァとモンテロッソ・アル・マーレに泊まったのも懐かしい。

 

ボローニャから帰ってきて、5、6年近く経ってから、この井上ひさし著「ボローニャ紀行」が発売された。この本が発売された2010年に、井上ひさしさんはお亡くなりになられていたが、ボローニャに行く前に読みたかった一冊である。

 

「赤い町」と呼ばれるボローニャは、赤レンガでできた建物が多く、全体的に町が赤い色調である。それに、イタリアには左寄り、右寄りの町というのがあるが(日本人的には単純にそう言ってしまうがそんなに単純じゃないのかもしれないが)、ボローニャはそういう意味での「赤い町」でもある。独身の働く女性が多く住んでいるということも現地で聞いて、納得できた気がする。

 

ボローニャの町の中心には、マッジョーレ広場とネプチューンの噴水があり、いつも人が集まっていてにぎやかでな場所がある。その広場に面して市庁舎が立っていて、2000人近い人々のポートレート写真が壁にはめ込まれている。そのポートレートは、第2次世界大戦の時に、命を落としたレジスタンスの人々だと聞いた。あの前に立つと、誰もが忘れてはならないとあらためて強く感じるものがある。

 

この「ボローニャ紀行」には、サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ聖堂の司祭だったマレッラ神父のことが書かれている。

 

1940年代、ドイツにボローニャが占領されていたある日のこと、市民のパルチザンがドイツ兵を1人撃ってしまった。ドイツ兵1人に対し無作為に選んだ市民10人を射殺することを決めており、その中にお腹を空かせて泣く赤ん坊を抱いた母親がいて、ドイツ兵に乳をあげたいととりすがったが赤ん坊は取り上げられ許されなかった。その時、マレッラ神父が身代わりになりますと言って進み出た。神父を撃つわけに行かず、処刑は中止された。

 

神父は中心部にある大きな食料品店の壁の前に坐り、黒い帽子を差し出して喜捨を乞いそのお金で孤児院や母子寮をたくさん建てた。その場所は神父の背中でこすられてすっかり凹んでしまったという。マレッラ神父の精神がボローニャの他人の不幸を見過ごしにしない「ボローニャ方式」に結びついていると書かれている。

 

この本には、世界一のフィルム修復、映画館のある「チネテカ」や、廃品を集めて再生するホームレスの人が仕事したりする「大きな広場の道」組合本部や、半農半学の障害者の教育農園「COPAPS」などが書かれている。

 

2010年にこの本は発売されたのだから、井上ひさしさんの取材はもっと前に行われたものであると思う。この発想というのは素晴らしいと思った。根底には、マレッラ神父の「ボローニャ方式」というものがあるのだろう。

 

イタリア旅行といえば、ベネチアのあとは、フィレンツェに移動という感じで、いつも高速道路でボロ―ニャの脇を通り過ぎていた時代がある。自分が企画するようになってボローニャ滞在のコースを作ったが、前回も書いた通り、売れなかった。

 

でも、この本を読んでボローニャ行きたいと思った人は多いのではないかと思う。私がボローニャ滞在のツアーを売っていたころは時期尚早だったのか、日帰りの旅がチェーザレ・ボルジアゆかりのイーモラやフォルリなどマニアック過ぎたからだろうか。

 

さらに進化しているであろう今のボローニャに出かけたい。

ボローニャ紀行 (文春文庫)

ボローニャ紀行 / 井上 ひさし著

東京 : 文藝春秋 , 2010

253p ; 16㎝