umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第23号:カンヌで再起をはかった男・・・「ビザンチウムの夜」

アーウィン・ショーの作品は、私の性に合っているようで、どれも好きだ。ニューヨーカー・スタイル(洗練された都会小説と言われる)を作り上げた作家の1人である。でも、日本ではあまり人気がないようで、以前、常盤新平さんが翻訳したことのある『サマードレスのおんなたち』の新訳が出た以外は、絶版になってしまった。

 

私は、ただ都会的で洗練されているからアーウィン・ショーが好きなのでなく、(彼の描く主人公はクールで確かにかっこいいが)友情に厚く、内省的な人が多い。そんなところにいつも惹かれるのである。

 

この『ビザンチウムの夜』は1970年、映画祭で盛り上がるカンヌが舞台になっている。主人公グレイグこと、ジェシーは脚本家として映画業界でかつて活躍していた。駄作といわれた作品の後、5年もの間、公の場には出ずに過ごしてきた。

 

カンヌ映画祭が行われるカンヌに彼は沈黙を破って現れ、カールトンホテルに長逗留した。「三つの地平線」という脚本を書いていた。その脚本を友人のマーフィーは駄作だと言った。偽名にしてあるその脚本を見た売れっ子のプロディーサーのクラインはそれを評価し、監督としても売れているトーマスと組んで映画化するという話に発展する。

 

そんなグレイグに、マッキノンという女がインタビューしたいと現れ、彼は次第に娘と同じ程の年齢のマッキノンの若さ、聡明さ、色気に魅了されていく。マッキノンがグレイグに近づいたのは、娘のマッキノンに興味を持たず、捨てていった母がグレイグのスクラップブックを持っていたことが理由にあった。

 

グレイグは21年連れ添った妻に離婚をしたいと言った。彼女はグレイグの友人と関係を持っていた。離婚理由はそれだけでなく、パリで自立した生活を送るコンスタンツという女性との出会いも理由にある。彼がカンヌにやってきたのも彼女が背中を押してくれからだった。

 

カンヌで再起をはかったグレイグはニューヨークに戻り、彼の脚本は映画化に向かって動き出す、しかし・・・。

 

1970年のカンヌ。その時代からカンヌ映画祭というのは、世界中の映画産業にかかわる人々にとって、大きなビジネスチャンスであったといえる。

 

1966年のクロード・ルルーシュ監督の、北フランスのドーヴィルの海が印象的で、フランシス・レイの音楽を聴くと誰もが思いだす「男と女」を見ていて、あのころのフランスは、電話は交換手に頼んでつないでもらう時代だったのだと思いながら見ていたが、この『ビザンチウムの夜』もまさにそんな時代のフランスのカンヌが舞台になっている。

 

ずいぶん前に、カンヌ映画祭の時期に、たまたま南仏のツアーの途中に、カンヌに立ち寄ったことがある。会場入口の階段にはレッドカーペットが敷かれていて、現地にきたなと感じた記憶がある。街でアメリカのQ監督を見かけたりした。是枝監督が柳楽優弥くんを起用して話題になって、キムタクもカンヌ入りしていると話題になった年だから、うーんいつだったかなと調べてみると、2004年だった。5月にカンヌ映画祭の話がでると、あのときにカンヌの雰囲気となかなか暮れない初夏の夜を思いだす。

 

ビザンチウムの夜 (ハヤカワ文庫 NV (363))

ビザンチウムの夜 (1979年) (Hayakawa novels)

ビザンチウムの夜 / アーウィン・ショー著 ; 小泉 喜美子訳

東京 : 早川書房 ,    1984

482p ;  16㎝

英文書名 : Evening in Byzantium

 

男と女 製作50周年記念 デジタル・リマスター版 [Blu-ray]

フランスのドーヴィルの海岸で二人の姿が印象的な映画「男と女」

監督クロード・ルル-シュとFrancis Lai の音楽♪「A Man And A Woman」

(♪ダバダバダ・ダバダバダ♪ のフレーズ)で数々の映画賞を取った作品。

1966年カンヌ映画祭のグランプリも。

60~70年をフランスを舞台のにしているので『ビザンチウムの夜』と合わせて見たい作品。

 

 

 

 

 

 

 

第22号:モンテレッジョ・・・いにしえの本の行商人たち「十二章のイタリア」

今年7月に出版された内田洋子さんの「十二章のイタリア」を読む。

 

ミラノに在住していた須賀敦子さんが亡くなられてだいぶ経つ。私はオンタイムで須賀さんを読んでいたわけではないけれど、須賀さんが書いていたイタリアの日常を映す文章は、なんとなく私の中で「イタリア通信」のような意味合いを持っていた。須賀さんの目を通したイタリアの情景は、いつも興味深く、次々と読みたくなった。

 

いま、実際に読むことができて、昔と今のイタリアとの比較を交え、今のイタリアを伝えてくれる私の中の「イタリア通信」を書いてくれているのは、須賀さん亡きあと、内田さんだと思う。そして、内田さんの「イタリア通信」も次々と読みたくなってしまう。

 

タイトル通り、12章からなるこの本の最終章に「本から本へ」という文章がある。それは、ベネチアに住んでいた内田さんが通った古書店のエピソードから始まっている。店主と四方山話をするために訪れるように見える客たち、内田さんが粗選びした本を「~これは持っておいた方がいい」「この本は、そのうち廉価版も入荷するな」「重さがあり過ぎるから~」(一部引用)と教えてくれて、家に持って帰りゆっくり決めていいと本を持たせてくれて、お代を受け取ろうとしない店主がでてくる。素敵なエピソードはさらに続き、その三代目の古書店主の故郷はトスカーナ州の、住人は30人いるかどうかの小さな町だと聞く。

 

その町の名は、モンテレッジョ。トスカーナの大理石で有名なカラーラの海とリグ―リア州のラスペッツァの軍港が眼下に控える場所にあるという。いまでも、本の祭りが開かれるそうだ。

 

内田さんは、ベネチア古書店主に紹介されて、常駐はしていないという村の理事の人とその山間のモンテレッジョに出かけていき案内してもらう・・・詳しくは、本でお読みくださいね。

 

どうも、古書店、本というキーワードが出てくると私は気になって仕方ない。そして、モンテレッジョという町が気になってしょうがない。発音から想像するに、Montereggioかなと検索してみると、それらしい町がヒットした。

「Montereggio paese dei librai」というタイトル。本の国モンテレッジョという感じだろうか。

http://www.montereggio.it/

ウェブサイトには、中世の装束を着て本を片手に持つ行商らしい男性の絵と、すでに終わった今年8月19-27日の本の祭りの告知等が出ている。

::.www.montereggio.it.::

町の画像が上記のリンクには出ているがなんともひなびた感じの山間の町である。ここから、時には命がけで本を背負って運んだのかと想像すると感慨深いものがある。どんな道を歩いて運んだのだろう。行ってみたい、モンテレッジョ。

十二章のイタリア

十二章のイタリア / 内田 洋子著

東京 : 東京創元社 , 2017

237p ; 20㎝

第21号:ニースにある"L’hôtel-Pension Mermonts"の建物は、今も健在。「夜明けの約束」

今年6月に、日本語訳の初版として発刊されたロマン・ガリ著「夜明けの約束」は、ロマン・ガリの自叙伝的小説であるにも拘わらず、著者の死後37年たった今年、日本で発売され話題となった。ロマン・ガリは小説家であり、映画監督、外交官でもあった。

 

1914年ロマン・ガリ(本名ロマン・カツェフ)は、現在リトアニア共和国のヴィリニュス、当時ロシア帝国のヴィリアと呼ばれた町で生まれた。この小説の中では、ヴィリアで、”私”ことロマン・ガリと母との2人の生活は、当初、けして豊かではなかったが、母は息子の生活を賄うため、仕事を変えながら、持ち前の商才を生かして、貴婦人たちのドレスを仕立てる高級サロンを開くまでになった。息子である”私”こと、ロマン・ガリの病気による療養でヴィリアを離れたことにより、店の経営がうまくいかなくなり、追われるようにポーランドワルシャワへ移り、そこでもあらゆる仕事をし、遂になんとか母の憧れであったフランスへ、移ることになったのであった。その場所は、地中海に面するニース。

 

父のことは、息子である”私”にはあまり語らなかったようだ。常に、一人息子に、多大なる期待し、褒めたたえた。息子の才能を見い出すためならば、スポーツ、芸術、様々なものを試させた。1人息子の将来への投資の為には、お金も惜しまなかった。いつしか母は息子は「フランス大使」になるといい、彼も母の期待に応え、ひとかどの人物になりたいと思い続けた。

 

ニースに移り、母はロシア時代からのサモワールを売ることで当座生活できると思っていたが、あては外れた。しかし、人をも動かす熱意の甲斐あり、骨董の委託販売や不動産仲介など仕事をし、その後、ビュファ市場へ続く、ダンテ通りを見下ろせるペンションホテル「Mermonts (メールモン)」を女主人として切り盛りするようになった。

 

ペンションホテルメールモン(L’hôtel-Pension Mermonts)。Merは海で、Montsは山。

小説の中でも出てくる、ロマン・ガリの母が切り盛りしていたペンションホテルだ。私はメールモンがまだニースにあるのかが気になった。そして、ビュファ市場?ダンテ通り。

 

今は便利で、Google MAPで調べれば、ホテルネグレスコの裏手を少し行ったところにあるダンテ通りもすぐに出てくる。ダンテ通りの先が、ビュファ通りと出ている。ビュファ市場は見つけられなかったが、おそらく、このあたりにペンションホテル「メールモン」があったのではないか考えながら、さらに調べていくと、ペンションホテル「Mermonts (メールモン)」の建物は、今も健在で、”イストラ・エージェンシー”という不動産の会社の持ち物となっているようだ。

 

その不動産会社のウェブサイトに掲載されている写真の建物は、ロマン・ガリ著のこの「夜明けの約束」で出てきたペンションホテル「メールモン」(L’hôtel-Pension Mermonts)ということが書かれているようだ。(フランス語はよくわからないので、翻訳ソフトで読んでみた)ロマン・ガリの名が大理石のプレートにも刻まれているようだ。

L’hôtel-Pension Mermonts

www.istra.fr

ロマン・ガリは、学生時代から文章を書くことが自分には合っていて、進むべき道だと理解し、執筆を始めていた。大学では、エクサンプロヴァンス大学で法学を学び、ニースを離れた。パリに移り、貧乏でどん底な時もあったが、雑誌に彼の文章が初めて掲載された。

 

その後、サロン・ド・プロヴァンスの空軍士官学校に進んだ。帰化してから時間が短い彼だけ士官になれないという挫折を味わう。時代は、ヒトラ―が台頭し、負けるはずのないフランスが苦戦を強いられ、戦地で多くの仲間が死んでいき、”私”は九死に一生を得て生き延びていた。母はペンションホテル「メールモン」を切り盛りしながら、遠い戦地で戦う息子を手紙で励まし続けた。

 

訳者のあとがきにもあったが、第42章の言葉は印象深い。

「おそらくたとえ母親であったとしてもたった一人の人間をあれほどまでに愛するのは許されないことだ。」 

過剰な程の惜しみない母の愛。一人息子を持つ母である私自身、何とも表現のしようのない、ため息のようなものがでてしまう。そして、息子と母との別れは必ずあり、この小説の中でも、それが訪れるわけであるが、そこにおいても、息子への母の愛情あふれるサプライズ待ち構えている。

 

ニースに行って小説の中にもでてくる、海沿いの大通りプロムナードザングレや彼が帰省すると出かけた”グランブルー”の海水浴場や、”L’hôtel-Pension Mermonts”だった場所から、ダンテ通りとビュファ通りを歩いてみたら、ロマン・ガリが見ていた小説の中の風景に近づくことができるかもしれない。

 

この小説の回想の中には、始終、母のいない喪失感のようなものが漂っている。これを読んだ母は、いったいどう感じるのだろう。

 

夜明けの約束 (世界浪曼派)

夜明けの約束 (世界浪曼派) /  ロマン・ガリ著 ; 岩津 航訳

東京 : 共和国 , 2017

333p ; 19㎝

書名原綴: La Promesse de l'aube

著者原綴: Romain Gary

 

 

第20号:『心変わり』・・・ローマへの列車の中で

先日、お客様のローマの旅の手配をしていて、ボッロミーニが設計したサン・カルロ・アッレ・クアトロファンターネ教会の近くのホテルを予約した。このクワトロフォンターネという名前の通り、4つの泉が四つ角にある近辺には、バロック全盛のころ、ボッロミー二とライバルとして争ったベルニーニが作った作品が多くある。

 

ベルニーニといえば、サン・ピエトロ広場を設計したことで有名であるが、このクワトロフォンターネに近いバルベリーニ広場のトリトーネの泉やバルベリーニ家の紋章の蜂を飾る蜂の噴水もベルニーニの作品である。

 

ボッロミー二を思いだすとき、いつもこのミッシェル・ビュトール著の『心変わり』を思いだす。1950年代半ばに書かれた小説で、2人称で構成されているところが珍しい。

 

パリに住む主人公「きみ」は、ローマのフランス大使館に勤務する「彼女」セシルに会いに行く。早朝発の21時間35分(パリ・リオン駅ーローマ・テルミニ駅間)の3等車室の中で、「きみ」が回想し、まさに”心変わり”を起こす過程が描かれている。

 

いつもは商用で1等車でローマまで来ていた。でも今回の旅は、3等車の旅で商用でなく、休暇を取った自腹の旅である。

 

「きみ」は妻アンリエットと別れて、「彼女」セシルと一緒に暮らすことができるように、パリでのセシルの仕事を見つけてきたことを言いに行くつもりだった。

 

しかし、「きみ」はこの1等車を利用していたときよりも、2時間55分もさらに時間がかかる窮屈な3等車室の中で、いろいろなことを回想し、思いを巡らし、ついに第3章で”心変わり”(LA MODIFICATION)と言葉をだす。

 

その言葉までたどり着くまでが、小説としても長く、この旅の長さがうかがえる。

その回想の中には、バロック好きだった2人がデートした様子が描かれ、ベルニーニとボッロミーに作品を見て歩いた日のことが書かれていたりする。2人の関係はローマ・カトリックの考えに背くと2人はヴァチカンを嫌っていた。

 

そして、「きみ」がこの結論に至るにあたって、「彼女」セシルへの愛は、ほかならぬローマという都市の魅力でもあったと悟るのであった。

 

ええっー、そんな結論??と女性の私は思ってしまうのだが、なんとなくわかるなーとも思うのだった。ローマのバロックを見て歩くデートとはどんなに素敵なものだっただろうと思う。ローマの眩しくあかるい日差しの中、バロックの両巨匠の作品を見て歩くデートか・・・。こんな風に素敵にローマの町自体を描く小説はなかなかないと思う。

 

1950年代、21時間半程かかったパリからローマへの列車の道のりは、いまでもミラノまたはトリノ乗換でも11~12時間かかる。ナポレオンも超えたとされるグラン・サンベルナール峠のあたりを通過する「きみ」が旅した列車の旅は、「心変わり」が起きても仕方ないほどの長い道のりだったのだろう。

心変わり (岩波文庫)

心変わり / ミシェル・ビュトール著 ; 清水 徹訳

東京 : 岩波書店  , 2005

482p ; 15㎝

書名原綴: Modification,La

著者原綴: Michel Butor 

 

 

 

 

 

 

 

第19号:はじまりの書「古書店めぐりは夫婦で」と「旅に出ても古書店めぐり」

何を隠そう私の老後の目標は、古書店の店主になること。

 

古書と古書店自体に関心を持ち始めたきっかけは、この本、ローレンス さんとナンシーさんの ゴールドストーンご夫妻が書いた「古書店めぐりは夫婦で」だった。この本を読んだとき、稲妻が落ちたような衝撃を受けたのだった。

 

お二人は西マサチューセッツバークシャーに引っ越した。誕生日のプレゼント交換でいつも高価なものを贈りあい、あまり喜ばれず、揉める。そんなことを繰り返していたある年、20ドルまでと決めてプレゼントを贈りあうことにした。それは厳守ということになった。その時のプレゼントが、『戦争と平和』だったという。こんなにすてきなものが20ドル以内で買えるなんて!という感動でとびあがる。それをきっかけに、お二人の古書店めぐりがはじまったというエピソードが冒頭で書かれている。

 

そして、お2人の古書店めぐりが始まり、足をふみ入れてみると古書の世界は奥が深いと気づく。初版や、装丁の美しさ等の価値を決めるファクターと値付けのしかたの奇妙さや、個性的な古書店主の面々。

 

もちろん、アメリカと日本では、ここで収集される対象になっている活版印刷の本の歴史の長さや出版のスタイルも違うので、日本なりの古書の収集のしかたがあるかもしれないが、でもこの古書好きの世界観というのは、とても共感できたし、この奥深い世界に入ってみたいと思ったのだった。

 

さらにもう1冊は、お二人が書いた続編『旅に出ても古書店めぐり』では、マサチューセッツからニュージャ―ジーに引っ越し、新しい古書店との出会い、個性的な古書店主とのさらなる出会いがあったりする。

 

日本ではあまり知られていない作家で、でもアメリカでは超有名で、コレクター垂涎の1冊みたいなものもたくさん出てくる。日本ではあまり知られていなかったり、日本ではとっくに絶版になってしまっている素晴らしい作家の本がたくさんあるということをあらためて知る機会にもなり、2冊とも興味深く、読んでいて、とても楽しくなる本である。

 

もっと英語の本が読めたらな・・・、アメリカの古書店めぐりもしてみたい。

 

古書店めぐりは夫婦で (ハヤカワ文庫NF)

 古書店めぐりは夫婦で / ローレンス ゴールドストーン (著), ナンシー ゴールドストーン (著) ;  浅倉 久志 (翻訳)

東京 : ハヤカワ文庫NF,  1999

342p ; 16㎝

著者原綴:  Lawrence Goldstone,  Nancy Goldstone 

旅に出ても古書店めぐり (ハヤカワ文庫NF)

旅に出ても古書店めぐり / ローレンス ゴールドストーン (著), ナンシー ゴールドストーン (著) ;  浅倉 久志 (翻訳)

東京 : ハヤカワ文庫NF,  2001

338p ; 16㎝

著者原綴:  Lawrence Goldstone,  Nancy Goldstone 

第18号:「リラとわたし」にみるナポリの素顔の一つ

エレナ・フェッランテ著の「リラとわたし(ナポリの物語)」で描かれるナポリは、私が観光で目にしてきた、サンタルチア海岸、ヌオーヴォ城、王宮、ムニチピオ広場や、スパッカナポリとも少し違うナポリだった。

 

この小説は、アメリカでも人気があったそうだ。これは、シリーズの第1巻であり、この先はまだまだ続くらしいが、日本ではこの1巻が出たところ。なので、話もリラの結婚というところで、ひとまず終わっている。

 

この小説の「わたし」こと、エレナは冒頭に中年の女性として登場し、リラが居なくなったとその息子から電話がくるシーンで登場している。そのあと、子供の頃のナポリの郊外の団地での幼少時代の話がスタートする。「わたし」と同い年のリラとの出会いや、彼女と過ごした出来事が書かれている。リラは、けんかも何もめっぽう強くて、悪ガキでとどまらず、語学をやらせれば飲み込みが良く、読書家という驚くべき2面性を持った少女だった。「わたし」は、リラに刺激されて、負けじとコツコツと勉学にはげむタイプだ。

 

2人は同じ団地に住み、生活は貧しい。そのために、上の学校に行って勉強を続けることさえ、家族は喜ばない。「わたし」はコツコツと勉強を続け、その地区の一握りの人が行く上の学校に進んだ。語学の天才的才能もあるリラはいつしか学校ヘは行かなくなり、それでも、やせっぽちだったリラは、だんだんと花がひらくように成長とともに周囲の男子を魅了するほどに美しくなっていく、そして貧しい地域の中でも成功したと言われる家の青年と婚約し、結婚式を迎える。

 

2人は常にお互いのことを思いながらも、徐々に生きる道が分かれていく。それでも、この団地での人間関係は濃密で、成長していく2人に因縁のように、その後もまとわりついている。

 

「わたし」とリラは、ナポリに住んでいるが、子ども時代に海も見たことがないという。王宮やら、ナポリの中心部には行ったこともない。やっと大人に近づき、地区の男の子が車を乗るようになって、ナポリでもその地区以外に出かけるようになるという感じである。

 

ふと、3月にナポリからアマルフィーへの高台の道で、ベスビオ山とナポリの町を見下ろしたときに、こんなに町が広がっていると思ったことを思いだした。

 

ナポリと一言に行っても、イタリア第3の都市なのだ。これはあくまでも、ナポリの素顔の一つなのかもしれないと思った。

 

この2人のその先の人生が気になる。次巻が出ることが楽しみでならない。

 

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アマルフィに行く途中、ベスビオ山とナポリの町を眺める。

リラとわたし (ナポリの物語(1))

リラとわたし  /  エレナ フェッランテ 著 ;  飯田 亮介訳

東京 : 早川書房 ,  2017

432p ,  19㎝. - (ナポリの物語)

著者原綴: Elena Ferrante

著書原綴:L'amica Geniale

第17号:「昔も今も」、気になるイーモラ

イタリアの中部、ボローニャから列車で30分の場所にあるイーモラ。小さな町ではあるが、車好きならばイーモラサーキットを思い起こすかもしれない。

 

この町に関心を持ったのは、この天野 隆司訳の、サマセット・モームの「昔も今も」と遭遇して読み始めてからである。この作品では、チェーザレボルジアがカテリーナ・スフォルツァから奪い取り手中におさめたすぐ後のイーモラが出てくる。

 

塩野七生さんの「チェーザレボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読んだ時には、イーモラの町よりも、チェーザレ自身のほうがイメージに強かったせいかこの町の名前は印象に残っていなかった。だから、この作品を読んで、イーモラに行ってみたいと思ったし、自分が企画したボローニャ滞在のツアーで、イーモラやフォルリを入れてツアーを作ったりした。でも、そのツアーは幻に終わり、人数が集まらず催行されず、1シーズンでお蔵入りになった。

 

サマセット・モーム自体は、ほとんど読んだことがなかった私が言うのもおこがましいが、訳者の天野氏は、いままで日本で翻訳されていなかったこの名作を発掘し、2011年に発刊された。この1冊は価値ある1冊だと思う。

 

物語は、『君主論』を書いたマキャベリフィレンツェ政府シニョーリアの書記官として、イーモラ(ボローニャの東)にいる教皇アレクサンドル6世の私生児、チェーザレ・ボルジアへの決裁権のない使節として出向いたときの話。

 

時代は1500年前後、チェーザレが公爵としてスフォルツァ家のイーモラ、ウルビーノなどのイタリア中部都市を手中に収め、フォルリの城からさらに他都市を攻めこもうとするあたりでマキャベリ使節としての役目を終えるが、チェーザレの類いまれなるリーダーシップ、礼節さと親切心を巧みに使いこなす手腕に、たびたびマキャベリは感心させられる。マキャベリフィレンツェの役人でありながら機知にとんだ姿と、一個人の男として、イーモラ商人バルトロメオの若妻アウレリアを狙う策略が面白い。

 

有名な『君主論』が実はチェーザレボルジアをモデルにマキャベリによって書かれたことが、この本を読み納得できる。

 

チェーザレボルジアと父アレクサンドル6世はルイ12世のジャンヌ・ド・フランシスの婚姻取り消しとアンヌ・ド・ブルターニュの再婚にも絡んでるいて、気になってはいたが、こんなにもすごい武将だったとは意外だった。

 
また、主人公であるマキャベリはとても才気あり、ユーモアあり、イタリア男らしさあり、この1冊を読むことで、とても身近に感じられる。
 
イーモラの町は、チェーザレが占領する前は、スフォルツァ家のカテリーナ・スフォルツァ塩野七生さんの「ルネサンスの女たち」でも出てくる)の土地だった。カテリーナは抵抗したが、チェーザレにイーモラを奪われる。チェーザレは、この土地を彼の軍事技術者であったレオナルド・ダ・ヴィンチに都市計画をさせようとしていた。その図も残されている。その後、チェーザレは失脚し、その都市計画は実現しなかった。
 
もしも、チェーザレがあと何十年か長生きをしていたら、イーモラは中部の中心都市となっていたかもしれないし、周辺の中部イタリアの都市の歴史も大きく変わっていたかもしれないと思う。
 

昔も今も (ちくま文庫)

昔も今も / サマセット・モーム著 ; 天野 隆司 訳

東京 : 筑摩書房 , 2011

371p ; 15㎝

書名原綴: Then and Now 

 

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷  / 塩野 七生著

東京 : 新潮文庫, 1982

334p , 15㎝

 

ルネサンスの女たち (新潮文庫)

 

ルネサンスの女たち  /  塩野 七生著

東京 : 新潮文庫 , 2012

443p ,  15㎝