2007年10月に単行本化された村上春樹著「走ることについて 語るときに 僕の語ること」を今さらながら読んだ。最近参加している読書会のメンバーの方の話に出てきて、読んでみようと思った。
いまから15年以上前に、村上さんが「マラソン」をテーマに各地のレースに出た話やトライアスロンの大会に出た話が書かれており、その中に時折、哲学的とも言える村上さんの経験則が書かれていて、それを読みながら拾っていくのがなかなかいい。
真夏のアテネからマラトンまでのルートを走ったという。マラソンの発祥となったオリジナル・マラソン・コースの逆ルート。実際は、42.195kmよりも短いルートを走ってしまったようだが、それは大きな問題ではない。
その道の名は『マラトン街道』。名前を聞くと一度は行ってみたくなるが、今は大型のバスやトラックがかなりのスピードで走る幹線道路といった風情のようだ。写真も掲載されているが、その当時の村上さんの走る姿は精悍でかっこいい。
この本を読んでいても、私にはまだまだ実感できないことが多いが、人は山があれば登りたくなるように、なぜ走るのかということを思わず考えてしまう。
この本の中に、こんな言葉があった。
(中略)
大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは、往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。僕はそう考える。実感として、そして経験則として。
マラソンだけでなく、あらゆることに通じる哲学だと思った。
つい最近は、何でもコスパ重視みたいなことを言ってしまうが、そうなんだよ、効率の悪い営為でしか得られないものってあるなあと、敬愛する村上さんに書かれてしまうと素直に受けとめる自分がいる。
走ることについて 語るときに 僕の語ること / 村上 春樹著
東京 : 文藝春秋 , 2010.6
p262 , 16cm