ワタクシゴトですが、先日まで大規模試験に向けた勉強をしており、それがやっと終わりまして、♫酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ~♫ ならぬ、♫本が読める 本が読める 本が読めるぞ~♫と歌いたくなるほどでした。今回、試験明けに一気読みをしたのが、石原燃さんの「赤い砂を蹴る」です。
主人公の私(千夏)が母恭子の友人だった芽衣子と二人、芽衣子が二十歳まで過ごしたブラジルのサンパウロ州にあるミランドロスへ旅する話です。
千夏は母を亡くし、芽衣子は夫を亡くしたあとの旅でした。サンパウロ州と言っても、サンパウロ空港からバスで9-10時間かかるというミランドロス。私は初めてその地名を聞きましたが、実際に存在しています。
その地に香月農場という日系人のコロニアがあり、そこで芽衣子は生まれ育ち、結婚を機に日本へ来ました。農場の人たちは自分たちの農場を「ヤマ」と呼び、多い時には300人ほど、いまは60人ほど暮らしていたとされています。
2人はこのブラジルへの旅の中で、それぞれにいままでの出来事を回想し、千夏はいままで気づかなかった母の想いを感じたり、芽衣子は自分の嫁いだ家族のそれぞれの複雑な想いを千夏に語ることで、言葉にしてみたりします。それは、とても辛い記憶であったり、重いものでもあります。
旅に出ることによって、いつもと違う時間の中で、ましてや移動するだけでも何十時間もかかる旅の道中には、忙しい日々の中で考える時間がなかったことや考えないようにしていたこともじっくりと考えることできたりします。
この物語もまさに、そんな長い道中があって、引き出されたような気がします。交錯する記憶や思い、主人公の中でいろいろな映像が重なり合うような感じは、なにかこたえを探し出そうとしている主人公の心の揺らめきのように私には感じました。そんな主人公と、母を亡くした私も少し自分と重ねてしまいました。
さて、ブラジルへ移民として渡った人々がこのようなコロニアで生活しているケースもあるんだ(いや、こういうコロニアが一般的なのか??)と、小説とはいえ、興味深いものでした。題名の”赤い砂”というのはこの土地の色ですが、農場の周辺にあるというさとうきび畑とともに、”赤い砂”とは、どんな色なのだろうと想像してしまいます。
私自身はブラジルには行きたいと思いつつ、機会を逃していました。リオのカーニバルも行ってみたいなあ。ボサノバも大好きだけど、イタリアでカンツォーネの話をすると、「あー、古い曲ね」と言われるように、ブラジルでも、ボサノバはそんな風に言われちゃうのかななどと、気になりながらいます。
赤い砂を蹴る / 石原 燃著
東京 : 文藝春秋 , 2020
158p ; 20cm