2017年に発行された内田洋子さんの「ボローニャの吐息」は、ジャケ買いならぬ表紙買い&タイトル買いしてしまった本である。
タイトルは、ボローニャ?と思い、よく見ると表紙はボローニャの屋根付きアーケード「ポルティコ」と煉瓦の聖堂の夜の様子を撮影したもの。
読んでみると、ボローニャの話は一向に出てこずに、ミラノやロードス島などの短編が続く、それはそれでどの話も滋味深く面白い。でも、それが全く関係ない話でなく、つながりがあるので、さすが内田さんだと思う。
そして、最後から2つ目の短編のタイトルに「ボローニャの吐息」が出てくる。
ボローニャは、ずいぶん前にもう14,15年前だろうか、友人が留学しているのでボローニャに出かけていって、2週間弱過ごした。ボローニャを起点に、ラヴェンナ、フィレンツェ、パルマ、チンクエテッレなどにショートトリップに出かけた。
3月の最後の週末にかかっていて、その年は、イースター(パスクワ)で、夏時間にも変わるというちょうど春を迎えるという雰囲気の時期だった。
友人とは、パスクワにチンクエテッレに1泊で出かけ、彼女は学校が忙しかったので、1人で近辺の町に右往左往と出かけた。
どこに行くにもボローニャ駅を利用して、この「ボローニャの吐息」に出てくる、1980年のボローニャ駅爆破テロの碑の脇を通りながら、この駅にそんな惨劇があったことが信じられないという思いで眺めつつ通り過ぎていた。
内田さんの「ボローニャの吐息」では、もう一つの同じく1980年にボローニャ発パレルモ行きのイタビア870便の「空対空ミサイル」による空中爆発の機材がボローニャ郊外に「鎮魂の芸術」として展示されている話を読んで、先週第59号で書いた初めて私が知ったイタリア統治後のリビアとの複雑な事情等があった1980年であったことが、線としてつながった。どちらも多くの命が無差別に奪われ、そこまでの主義主張とはどういう意味があったのかさえも判然とせず、どちらもいまだ解決しないまま時が経ったことを改めて知る。
「ボローニャの吐息」という一見するとセンチメンタルで甘い印象だったタイトルがこのような内容で、私にとっては先週の本とつながるのは何か意味があるのかなと考えてしまった。
ボローニャの吐息 / 内田洋子著
東京 : 小学館 , 2017
365p ; 20㎝