umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第74号:ローマのテベレ川近くに住む家族の話・・・「靴ひも」

もしも忘れているのなら、思い出させてあげましょう。私はあなたの妻です。

この強烈な手紙の一節から始まるドメニコ・スタルノーネ著の「靴ひも」を読みました。少し前に新聞各社の週末の書評に出ていたので気になっていました。やはりイタリア自体が好きなので、イタリア文学にはついつい目が行ってしまいます。

 

ある家族の40年近い歳月が刻み込まれた内容となっています。そして、家族にしかわからない出来事やエピソードというものはたくさんあるのですが、その出来事やエピソードが家族それぞれに一方的から見た視点で書かれています。「考え抜かれたプロット」と訳者が言う通り、伏線となるモチーフと話のテンポ、過去と現在が交錯するそれぞれのモノローグが読者を巻き込んでいきます。

 

第1の書、第2の書、第3の書という構成で、原書ではイタリア語で本という意味のLibroという言葉で表現されていると訳者あとがきにはありましたが、それぞれの書物が独立した手紙とモノローグでありながら、同じが家族であっても、これほどに見方が違うのかと思い知らされます。

 

第1の書は、妻であり母ヴァンダが、愛人のもとへ突然出ていってしまった夫アルドへ送った9通の手紙。

 

第2の書は、結婚してから52年が経ち、80代を前にしたヴァンダとアルド夫婦が海へ1週間のヴァカンスに行きます。ヴァカンスから帰宅後に家が荒らされているという出来事があり、荒らされた部屋の中で夫アルドのモノローグとして書かれています。かつて妻が夫へあてた第1の書で出てきた手紙の束を読み返し、キューブのオブジェに隠したポラロイドの写真の喪失などとともに諸々の回想が展開します。

 

第3の書では、40代になった娘のアンヌのモノローグとして書かれています。両親のヴァカンス中に留守宅での猫ラベスの餌やり当番を頼まれていた夫婦の2人の子どもの兄サンドロと妹アンヌ。仲たがいをしている兄妹ですが、アンヌが話を持ちかけ、ヴァカンス中の両親の家で会うことになり、兄妹の過去の記録の照らし合わせが行われますが、過去の出来事に対する食い違いが生じ、いつものごとく喧嘩になります。しかし、妹アンヌが気づいた父の名付けた猫の名前の意味や兄サンドロは昔から知っていた父の書斎のキューブに隠されたポラロイド写真の存在をきっかけに思わぬ方向へ展開します。

 

1970年代に愛人との生活を取ったアルドは約5年後に家族のもとに戻り、一見幸せそうに見える家族に戻りましたが、修復したようで「修復不能な禍根」を残しています。

 

クライマックスはお話できませんが、深淵と言うのはこういうものなのかと考えてしまいました。

 

この作品に出てくるのは1970年代のイタリアです。イタリアに仕事で行くことで、驚いたことがいくつかあるうちの1つですが、イタリアで離婚が法律として認められたのは1970年とのことです。この小説の中でも、女性が離婚をするということの難しさが文章ににじんでいます。

 

現代であれば、離婚すればという選択肢が易々と出るかもしれませんが、イタリアでは1970年に法律は成立したものの、世間の冷たい仕打ちがあり、女性が離婚することの難しさというのが宗教上の観点から多分に影響していたと聞いています。その話を聞いた時に日本に似ていると感じた記憶があります。イタリアの1970年代と言うのは、そんな時代だったと思って読むとなぜ妻ヴェンダが夫と家庭に執着したかもイメージしやすいかもしれません。

 

娘のアンナが大っ嫌いだという、家族の家があったテベレ川に近いマッツィーニ広場のあたり。

 

www.google.com

 

ローマは中心部から北側にパリオリ地区があったり、比較的閑静な住宅街は北側にあります。サンピエトロ寺院北側にあるマッツィーニ広場は、正式名所は”Fountain Piazza Mazzini”というだけあって、真ん中に噴水がある丸いラウンドアバウトのようになっている広場で、パリの凱旋門のように放射線上に通りがのびており、瀟洒な建物が立ち並ぶエリアで、夫アルドがテレビの仕事をし、ある程度の成功をおさめたと想像できるようなよい住宅街のイメージです。

 

新型コロナで旅にも出れませんが、Googleストリートビューでマッツィーニ広場を見ながら読んでみるとよりローマの家のイメージが自分の中でも湧いてきます。

 

頑張れ!イタリア。

 

靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

靴ひも / ドメニコ・スタルノーネ著 ; 関口 英子訳

東京 ; 新潮社 , 2019

208p , 19㎝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第73号:夢でも旅する・・・「美しいフィレンツェとトスカーナの小さな街」

新型コロナウィルスの影響で、旅に出たくても出れないという状況の方は多いのではないでしょうか。フィレンツェTwitterなどにアップされる動画をみるといま静けさの中にあるようです。

 

仕事柄、時間があるときには、旅番組はもちろん、旅のガイドブックや雑誌は一通りチェックしています。綺麗な写真やイラストが入っていると、仕事を忘れて行きたくなります。

 

イカロス出版のA5版サイズの旅のヒントBOOK・トラベルエッセイシリーズは、写真も綺麗ですし、現地在住の方が文章を書かれていて、なかなか行きづらい小さな街のことが書かれているのでチェックしています。

 

今回、奥村千穂著「美しいフィレンツェトスカーナの小さな街へ」を読んだのですが、写真もさることながら、読み物としても面白く、また観光客だけが行くようなところでなく地元の人に愛される店が多く、とても気に入って読みました。

 

この手のエッセイ&ガイドは、写真が綺麗でも意外と情報量が少なく、小さな街はとても素敵なのに肝心の行き方があまり詳しく書かれてないということが多いのです。私は仕事柄、そこら辺に特に目が行ってしまうのですが、この本は○○社のバスで、〇番の○○行きのバスで所要〇分、下車のバス停の名前は○○と、とても詳しく書いてあり脱帽します。地図でフィレンツェのおすすめの散策コースがいくつか示されていますがとても見やすいです。

 

フィレンツェからD.O.C.G.ワインとして知られるキャンティの産地であるキャンティの街と言われても、どこに行っていいかわかりずらいものですが、キャンティ街道(SR222)のフィレンツェから見ると一番手前にある町グレーヴェ・イン・キャンティ(Greve in Chianti)はフィレンツェS.M.N駅の近くからバスが出ており1時間で行けることも詳しく書かれています。

 

それがまたこの街が素敵なこと。ポルティコ(屋根付きアーケード)になっていて、手仕事の雑貨店等を紹介していますが、今すぐにでも行きたくなります。

 

この本を読みながら眠りについたせいか、今朝はとてもリアルな夢を見ました。

古い建物を改装して作られたホテルに私がいて、窓が大きくテラコッタの床と真ん中に大きなダブルベッド、部屋の内装はシックだけど無機質でなくベージュと茶とオレンジが配色された暖かくクラシカルな雰囲気の部屋で、ベランダから外に出て、ぐるっと回り階段を上がると反対側サイド出られるルーフトップテラスがあり、テラスに立つと目の前に大きな広場と大聖堂(Duomo)。大聖堂のある広場に面するとてもいいロケーションのホテルだとわかります。でもその大聖堂が大規模修復中でファサードはカバーがされて工事中。少し残念に思う夢でした。

 

フィレンツェの街とは違う、ミラノのようでもあり別の街のようでもありましたが、とてもリアルな夢でした。

 

夢でも旅ができるんだと妙に感じてしまいました。

 

美しいフィレンツェとトスカーナの小さな街へ (旅のヒントBOOK)

美しいフィレンツェトスカーナの小さな街 / 奥村 千穂著

東京 : イカロス出版 , 2018

172p   ; 21㎝

 

 

 

 

第72号:南仏プロヴァンスは永遠に不滅です!・・・「南仏プロヴァンスの25年 あのころと今」

前回、1999年に刊行したピーター・メイル「南仏プロヴァンスの昼下り」を紹介しましたが、今回2018年1月に発表された「南仏プロヴァンスの25年 あのころと今」を読みました。

 

リュベロンに住むきっかけになったエピソードから始まり、最近のリュベロンの町の様子を伝えています。物価が上がったり、夏のバカンスシーズンには大挙して人は訪れる場所にはなったものの、バカンスシーズンが終われば、いつものリュベロンの素顔に戻り、ピーター・メイル氏の眼差しも変わらないので、以前と全く変わっていないのではという錯覚に陥りそうです。

 

以前のエッセイと比べると、だいぶ文章のボリュームが減っていることと、前のめりの感じはなくなっていたのですが、それは長く住むことで著者がリュベロンで馴染んできたことによるものかなと思いながら読んでいましたが、あとがきを読むと、ニューヨークのアルフレッド・A・クノップ社で、この本は2018年に刊行されて、くしくもこの年の1月にピーター・メイル氏は亡くなっていたそうです。ご自宅のそばの病院で亡くなったようです。この本は絶筆にして遺作となってしまいました。

 

2018年から25年前というと、1993年となるので、彼の初のエッセイ(随筆)だった「南仏プロヴァンスの12か月」(1989年)、「南仏プロヴァンスの木陰から」(1991年)の発表年とも微妙に違うようなので、少し気になりました。彼がプロヴァンスに骨をうずめると決めた時から25年なのでしょうか・・・。その後、この本で書かれていますが、2002年にレジヨン・ド・ヌール勲爵士を受賞し、正真正銘プロヴァンスに受け入れられた喜びが書かれています。

 

今回の本では、現在に近いリュベロンの様子。街のイベントや英国でのコピーライター時代からの友人で、映画「グラディエーター」の監督であるリドリー・スコット氏のリュベロンの家がピーター・メイル氏の自宅の近くにあったことがわかり、映画「プロヴァンスの贈り物」が映画化されることになった逸話なども書かれています。

 

なるほど、それでラッセルクロウ。と腑に落ちたのですが、キュキュロンの村で撮影されたそうです。映画の監督がリドリー・スコットと聞いて、あれっと思ったことが腑に落ちました。

 

冬が終わり、アーモンドの花、新緑、蝶が飛び交い、鶯が鳴き、エニシダの花が咲き誇る、夜になるとアマガエルとフクロウがなきはじめるというような春から初夏にかけてのそのよろこびを表した文章が出てきます。

 

彼の知人であり、生粋のプロヴァンス人で誰よりもプロヴァンスを知るムッシュ・ファリグールの言葉を借りれば『神の恵みのささやかな贅沢』という季節が冬のあとには来るそうです。

 

緩慢、齷齪(あくせく)しないプロヴァンス人たちの生活、日本人の私にとっては、この本を読んで想像を巡らせることしかできません。

 

プロヴァンスで生活するのは現実的ではないかもしれないけれど、日本でもそういう風に生活できる土地があるのではないかしら、いやいやそういう心持ちで(場所はどこでも)日々生きられないかしら・・・と考えてしまいました。

 

多分ピーター・メイル氏も長嶋さんみたいに引退の言葉は、「南仏プロヴァンスは永遠に不滅です!」と言いたかったのではないかな・・・と勝手に思った私でした。

 

 

南仏プロヴァンスの25年 あのころと今

南仏プロヴァンスの25年 あのころと今 / ピーター・メイル

;池 央耿訳

東京 : 河出書房新書, 2019 

190p ; 20㎝

原書名: My Twenty-Five Years in Provence

著者原綴: Peter Mayle

 

 

 

第71号:リュベロン地方への誘(いざな)い・・・「南仏プロヴァンスの昼下り」

新型コロナウィルスの影響で、急激に仕事が減った私です。フリーランスだから収入も激減・・・。ですが、今までオーバーワークだったので、少し休業でもしたいと思っていたほどだったので、私にとっては思いがけないギフトをいただいた感じでもあります。

 

コロナ騒ぎの前に、プロヴァンスでも特にリュベロン地方の小さな町に行きたいという依頼が今年は珍しく多く、いろいろ調べていました。(まあ、この騒ぎでほぼ飛んでしまいました。)

 

リュベロンに行くならは、本当はミシュランガイド片手にレンタカーでのほうが動きやすいのですが、ハワイあたりはレンタカーがポピュラーですが、欧州となると日本人にはレンタカーは少しハードルが高いこともあり、公共バスやチャーター車などで行けるプランを考えていたのでした。

 

そんなこともあって、今回ピーター・メイル著「南仏プロヴァンスの昼下り( Encore Provance)」を読みました。といっても、この本が発刊されたのが、英国本国で1999年で、日本では翌年2000年に発表されました。だいぶ前の本です。

 

この「昼下り」の前2作で、ピーターメイル著の最初の2冊「南仏プロヴァンスの12か月」(1989年)、「南仏プロヴァンスの木陰から」(1991年)は、すでにだいぶ前に読んでいたのですが、この前2作から少し間をあけて発表されたこの本は読んでいませんでした。

 

もともと、最初の2冊が発表されてからだいぶ経ってから私は読んだのですが、それも確か添乗員を始めてからだったと思います。

 

フランスと言えば、パリ一辺倒だった日本人の目が南仏に向きだし、誰もが南フランスを南仏と言うようになったのもこの本のせいかと思った記憶があります。「12か月」の発表後に、BBCではドラマが製作されて、NHKでいち早く放映されたとのことで、なお日本でも早くからブームが起きたようです。これも私は後で知ったことですが。

 

今回読んだ「南仏プロヴァンスの昼下り」はピーター・メイル氏が南仏のメネルブに住んで、2作を発表して、その後、本に書かれたリュべロンの田舎町に観光客が大挙して訪れるようになります。数年後、著者自身、仕事の関係で、アメリカに4年間移り住んでいましたが、プロヴァンスに戻ってきたというところからスタートします。

 

4年経って、観光客がたくさん来ても、リュべロン(ヴォ―クリューズ周辺)は変わっていなかったとほっとする様子が書かれています。前作でのメネルブ近くの住処に戻ったのか、新しくどこかに居を構えたのか、この本ではあえて触れられていません。相変わらずいろんなことが不便で、厳しい自然もあり、住みやすいという土地柄ではなくても、やっぱりプロヴァンスがいい、離れてみてよりプロヴァンス愛が再燃している様子が感じられます。

 

この本の中では、トリュフの話やロクシタンの工場のあるラルディエで開校された「盲目児童のための調香技術教習所」の話、ラオギールという刃物の町の栓抜きナイフの話、オリーブオイルの話、アプトはかつては鉄道の要衝の町で、すでに廃線はしているものの一部手配機能が残った駅舎がある話(1999年現在)など、興味深い話がたくさん出てきます。

*その後、私が調べたところ、アプトに鉄道が走っていたのは1950-1960年頃でAvenue Victor Hugoに駅があったようです。Googleストリートビューで調べたましたが、それらしいものは見つけられませんでした。

 

ボニュー、アプト、メネルブ、ゴルド、ルールマラン、カヴァイヨンなどリュべロンには魅力的な町がいっぱいあります。私もとても行きたくなってしまいました。

 

ラッセルクロウ、マリオン・コティヤール主演の2006年に上映された「プロヴァンスの贈り物(A Good Year)」もピーター・メイル氏が原作だったと今回知りました。(少し驚き)この映画ではプロヴァンスの美しい映像が映し出されていた記憶がありますが、こちらももう一度見たくなりました。

 

7,8月のバカンスシーズンははずして、是非南仏へ。

 

南仏プロヴァンスの昼下り

南仏プロヴァンスの昼下り / ピーター・メイル著 ; 池 央耿訳

東京 : 河出書房新書, 2000 

297p ; 19㎝

原書名: Encore Provance

著者原綴: Peter Mayle

 

 

 

 

 

 

 

プロヴァンスの贈りもの  (字幕版)

プロヴァンスの贈りもの (字幕版)

  • 発売日: 2016/10/31
  • メディア: Prime Video
 

 

 

第70号:かごの中の本・・・「もうひとつのモンテレッジョの物語」

以前も、内田洋子さんが執筆されたイタリアの小さなモンテレッジョという本の行商の村について、このブログを書いていますが、今回「もうひとつのモンテレッジョの物語」が昨年のクリスマスに発刊されました。

 

本の装丁がとても素敵です。帯の写真と本表紙の子ども達の絵。

さらに縦書きでは内田洋子さんの「もうひとつのモンテレッジョの物語」が本の半分を、そして横書きでモンテレッジョの子供達の「かごの中の本 モンテレッジョ 本屋の村の物語」がもう半分となっており、両側から楽しめる仕組みです。

 

通常、図書館で借りる形で本を読むことが多い私もこれはやはり買っておかなくては、という気持ちになった1冊です。

 

先日、J-WAVEクリス智子さんの「GOOD NEIGHBORS」にも出演されており、本で書かれていた内容が一層リアルに伝わってきました。

 

内田洋子さんがモンテレッジョを調べていく中で子供達にもこの歴史ある村に住んでいることに誇りを持ってもらいたいと、小学校に持ち掛けます。といってもモンテレッジョには小学校はないので、モンテレッジョを含む広域の10を超えるの山村から通学してくる<リヴィオ・ガランティ>小学校のリッチ校長先生に持ち掛けます。そこでそのリッチ校長先生と内田さんが話す中で、その子供たちの調べたことを「本にしましょう」ということになります。

 

村に産業らしい産業がなく、商店も銀行の無い寒村で子供たちに、

「大きくなったら何になりたいですか?」

「・・・・・・」 

と内田さんが聞いても、なかなか答えが返ってこない状況です。 

この調べ物を行うのは、2-4年生の混合クラスの計23名。土曜日は本来は学校がお休みのところ、土曜日を使って、課外授業を含め、調べもの&本の製作に20回をあてました。子供たちはだれも休むことなく取り組みました。

最初は文章を書くこともままならなかった子供たちの語彙も広がってきます。

そして、子ども達の書いたこの本は、国際的なコンクールで賞をもらったり、イタリアの海の町から招待されたり、とても評価をうけました。

 

この子ども達の書いた本の前書きで、リッチ校長先生は下記のように書いています。

この経験のおかげで、子ども達は歴史の勉強を通じて自分たちの住む土地を好きになり、自分たちも郷土の歴史をかたどる一人であることを自覚し、それを誇りに思うだろう。もしもそのように子供たちを導くことができたなら、学校としての任務を果たせたことになる。なぜなら、子供たちは学んだ内容をただ繰り返して言うだけではなく、自分への揺るぎない自己への自信を得て実際に世界へ旅に出て、自由で斬新な視点と発想で、世の中をより楽しく変えていくことにつながるだろう。

 このモンテレッジョの物語は、私自身も内田さんの本を通じて経過に興味を持ってきましたが、この子ども達の本はとても素晴らしく、とてものびやかです。

この内田さんの持ち掛けた話に即答して本にしましょうと言ったリッチ校長先生、そしてこの教務担当をされたフランチェスカ先生はとても素晴らしいです。

 

とくにフランチェスカ先生の進め方や「何より優しいのに厳しい。正しく真面目で笑い上戸で、感激屋」と内田さんがフランチェスカ先生を評すように、心が通う指導をされたことがこの本を読むことで感じられます。

 

こんな先生に出会えて、こんな風に学ぶことができたら、その子どもの世界は大きく広がるのではないかと思いました。

 

2017年現在で村の人口は32人で限界集落であるのに周囲の建物は手入れされているというモンテレッジョ。周囲は栗の木ばかりの他の農作物がほとんど出来ないという土地柄のため、日常的に栗を粉末にして食してきました。栗の粉で作ったニョッキの味は滋味深いと書かれています。

 

あー、どんな町なんだろう。そして、栗の粉から作るニョッキの味は・・・とても気になってしまいます。

 

 第49号:本の行商人たちに捧ぐ・・・「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」 - umemedaka-style’s diary

 

第22号:モンテレッジョ・・・いにしえの本の行商人たち「十二章のイタリア」 - umemedaka-style’s diary

 

もうひとつのモンテレッジォの物語

 もうひとつのモンテレッジョの物語 / 内田 洋子著

東京 : 方丈社 , 2019

224p ; 19㎝

*『かごの中の本』の全訳をカップリングした1冊

 

第69号:車で行く那須の旅・・・「Red」

先日から公開が始まった映画「Red」の原作本を読みました。

先々週のNHKアサイチでは、作者の島本理生さんと今回の映画で監督をしている三島有紀子さんが出演しており、映画と小説では結末が違うということを話しており、その結末が島本さんはとても良かったと話していたので、映画自体も気になるところです。

 

文庫として約500ページになる長編ですが、ぐいぐい引き込まれて2日で読んでしまいました。

 

主人公塔子は30歳。娘と夫の真と夫の両親と世田谷で暮らしています。夫はイケメンで一流企業に勤め、経済的に不自由もなく、同居の母とも女友達のように仲が良く、幸せそうに見えます。

 

しかし、塔子は復職するはずが両親と同居というマイナスポイントもあり、保育園がなかなか決まらず、結局仕事を辞めて専業主婦をしていました。

 

友人の結婚式で、10年程前の大学生の頃に塔子がバイトをしていた会社の社長だった鞍田と再会します。

 

その後、以前の会社を離れ知人の会社を手伝っている鞍田がその会社で求人しているので塔子に働いてみないかと誘い、契約社員として塔子はその会社で働くようになりました。

 

 那須には、塔子の家族が熱海へ旅行に行っている週末に、塔子は社外研修が京橋であり、その足で鞍田の車で那須湯本の乃木将軍が来ていたいう宿に1泊ででかけます。

 

那須という午後からでも行ける近場感。東北道は週末でもだいたい道がすいているので、確かに時間のない塔子と束の間の旅に出かけるにはちょうどいい場所かもしれません。

 

この小説では、具体的には、那須と金沢と鎌倉という場所が出てきます。それによって、なにか空気感が変わり、距離的にも東京と離れ、塔子の気持ちが解放されていく感じとリンクしています。

 

同じ栃木でも日光は私も行くこともあったけれど、那須には友人の結婚式で友人とがやがや1回行ったきりでその後、行ったことがありません。那須湯本があることも、あの「那須与一」とゆかりがある土地だということもこの小説で今更知ったのでした。

 

那須というといい宿を目当てに、車で少ししっとりとした大人の旅がたしかに似合うかもしれません。

 

映画の宣伝を見てしまったので、映画で演じている夏帆さん、妻夫木さん、柄本佑さん、間宮祥太朗さんのイメージが色濃く、どうしても私の中でイメージ画像がそれで出来てしまったけれど、男女の生々しさの中に、問題提起も多く、なかなかおすすめです。主人公以外のセリフも深く、巧みな効果があり、うーんと唸ってしまうのでした。

 

ネタばれができないので、あまり書けませんが、柄本佑さん演じる塔子の同僚で癖の強い人物としてでてくる小鷹が、塔子の夫の真を「童貞マインド」と称するのですが、そればまさに言い当てて妙で、お若い方には、そういう「童貞マインド」の一見品行方正に見えるイケメンの好青年とおつきあるするときにはご注意くださいと私は強く申し上げたいです。

 

 

Red (中公文庫)

レッド(Red)/  島本理生

東京 : 中央公論     ,  2017

503p ; 16㎝

第68号:小学校のクラス会が行われる札幌・・・「田村はまだか」

すっかりご無沙汰しており、すみません・・・

 

ここにきて新型コロナウィルス(COVID-19)の影響がじわりと来ています。私が旅行業界に入ったのが2000年でしたので、その間にはいろいろなことがありました。2001年のアメリカの同時多発テロSARS、ユーロの暴騰など、そのたびに「また、キターッ」という感じで、数か月は影響を受け、そのすきに日ごろの忙しさを癒すべく心の洗濯をしてきた私です。SARSのときのマスコミの報道の始まりも確かこんな感じだったと思いおこすのでした・・・

 

さて、今日は朝倉かすみさんの書いた「田村はまだか」です。

舞台は深夜の札幌のバー「チャオ!」。小学校のクラス会の3次会で深夜のバーに集まった40歳になる男女5人。

 

「孤高の小6」と言われた同級生の田村。中学からは栃木の親戚の家に預けられ、豆腐屋に弟子入りし、店を店主から譲られ今ではパートを雇うほどになり豆腐屋をやっているという田村。

 

同級生の中村理香(一匹狼的な彼女)とその後結婚したという。クラス会には間に合わないが家族旅行を兼ねて札幌へきてこの3次会に出るという話だが、田村はなかなか現れません。

 

田村はシングルマザーの家庭で、遠足にお弁当も持たされなかったエピソードや中学から親戚の家に預けられたりと苦労人でしたが、それでも同級生は彼を気にかけており、ちょっと強気で誰にも迎合しない中村理香についても気になっていました。

 

話は後半から思いがけない展開になっていきますが、クラス会に参加した男女5人(永田♂、池内♂、千夏♀、坪田♂、班長♀)と「チャオ!」のマスターetc...、それぞれの約30年に歴史あり、絡みあり、そのエピソードがうまくまとまりをもって構成されています。田村の父ではないかと思わせる男性(ネタばれしたくないのであまり詳しく書けませんが)のエピソードが巧妙に挟み込まれています。

 

札幌と言えば、適度に都会、でも少し郊外にはレジャーもあって、住みやすそうなイメージ。帰省を利用して同級生に会うというのが、東京近辺の人間にはない感覚で、この感じがなんだか羨ましくも思います。

 

個人的な話を書けば、大学を卒業後初めての傷心のひとり旅は、札幌と小樽でした。寒くなりつつある11月初旬。

 

札幌ではクラーク博士で有名な羊ヶ丘に行き、岩井俊二監督の映画「Love Letter」の影響と村松友視の「海猫屋の客」に触発されて小樽ではひたすら街歩き。

 

その旅の最後になって、その彼との写真をまだ捨ててないことを思い出し、慌てて新千歳空港のゴミ箱に捨てた私でした。

 

私にとっては忘れ難い思い出です。

 

 

田村はまだか (光文社文庫)

田村はまだか / 朝倉 かすみ著

東京:光文社 , 2010

303p , 16㎝