昔、私が添乗員をしていたころ。プラハと一緒にベルリン、ドレスデンやブダペストと合わせて行くツアーが多く、新しい国に入るときには、その国の歴史の概要を案内していた。
歴史といっても、それぞれに長い歴史がある国で、とても全部は話せないので、チェコに入るときには、1400年代のヤン・フスの宗教改革と戦後史でもあるプラハの春、ペレストロイカに端を発したビロード革命と呼ばれる民主化革命のことを中心にかいつまんで案内していた。それなのに、いまとなってはすっかり内容を忘れてしまった私がいる。
今回、以前から薦められていたのに、読まずにいた米原万里さんの『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読んだ。米原さんといえば、ロシア語同時通訳として活躍していて、数年前に亡くなられた。
米原さんは、日本共産党の幹部だったお父様が国際共産主義運動の編集員としてプラハに赴任していた1960~1964年まで約四年間を在プラハ・ソビエト学校で学んだ。そのソビエト学校には50か国近い国の子弟が通っていたという。米原さんが9歳~14歳の間の時期だった。米原さんの帰国後、1968年にプラハの春が起こっている。
この本では、その学校での同級生のリッツァ、アーニャ、ヤースナの3人に、1980年代から1990年代に会いに行くという話が書かれている。
リッツァの両親の母国はギリシャ、アーニャはルーマニア、ヤースナは旧ユーゴスラビア(ボスニアヘルツェゴビナ)だった。
それぞれの子供自体のエピソードは個性的で面白い。子供時代とは違い、それぞれ米原さんにとっては意外な人生を辿り、職を得ていた。
共産圏であるプラハのソビエト学校で、共産・社会主義ゆえに特権階級でなくても医師になれたと語ったリッツァや、ルーマニアのチャウシェスク政権の幹部だった両親の特権によって海外に留学できたアーニャ、ソビエトと母国ユーゴスラビアとの関係悪化によって校長と衝突し、ソビエト学校を退学。その後も母国の解体、民族紛争によって翻弄されたヤースナ。米原さんがプラハを離れてからのそれぞれの人生は三者三様に波乱に富み、興味深い。
読み終えて、今この文章を書く頃になって、タイトルの『真っ赤な真実』って、そういう意味の「真っ赤」なのね~と我ながら気づくのが遅いなあと思ってしまった。
私がプラハの町を好きなのも、ヨーロッパの中心にあるという地政学的理由もあり、大きく翻弄された場所であるにもかかわらず、昔と変わらないカレル橋やブルタヴァ(モルダウ)川、そして百塔の町の美しさが失われないであることに惹かれたのかもしれない。
プラハの美しさは、チェコの歴史を知れば知るほど、心に染み入るものがある。
東京 : 角川書店 , 2001
p283 , 20㎝