第41号:「母の遺産」に出てくる箱根のホテル

今日、たまたまテレビのチァンネルを変えていたら、BSで箱根のつつじの美しいホテルの庭が出ていた。旧三菱財閥岩崎彌太郎の別邸だったという。それを見ていて、水村美苗さんの新聞小説「母の遺産」に出てきたのは、あ、このホテルのことかと思った。

そのホテルは、「箱根山のホテル」だった。

 

主人公美津紀が、かつて訪れたことのあるこのホテルに一人長逗留するという場面がでてくる。季節外れの箱根で、長逗留する老婦人や妻を亡くして失意の中にいる男や、訳ありな夫婦、老婦人に付き添ってきた青年など、少し訳ありそうな人々がこのホテルに滞在している。そのホテルの庭がとても美しい描写があり、この小説を読んだときには、漠然と箱根の芦ノ湖畔のホテルね、くらいにしか思っていなかったので、具体的にホテルを調べる気もなかった。

 

私は、箱根とはなんとなく、相性が悪いのか、2,3年前に小田原の帰りに寄った時にも降りたとたんに大雨で、まったく車から降りる気も出ないほどの雨だった。初めて、高校生の時に、彼氏とデートで箱根に行ったときには、箱根彫刻の森に行って、お洒落なレストランに入ったけれど、高校生の私はなんとなく気後れしたことだけが記憶に残っている。その後、自分で運転してそのレストランの前を通るたびに、怖いもの見たさでそのレストランを見入ってしまうことがあったが、そのレストランも今はなくなってしまった。

 

新聞小説「母の遺産」は、2010年1月16日~2011年4月2日まで読売新聞で毎週土曜日の朝刊に連載されていて、掲載されているときから楽しみに読んでいたが、2011年3月11日の震災後、連載が中断され、新聞も震災の記事が中心でなんとなく見落としたまま連載が終わっていて、本が出版されてから、改めて私は読みなおした。

 

主人公美津紀の祖母は置屋に出され芸者のようなことをしていた。奉公に出されていた青年と駆け落ちしたがそれが祖父だった。祖父は15歳も上の祖母とは籍を入れなかったので、母紀子は私生児として生まれた。祖父母は、娘である(美津紀の)母のために心を砕き、母はそれにつけ込むように可能な限りのわがままと要求をしたという表現が使われている。

 

この表現からも美津紀の母への見方がわかるし、母紀子がどんな人物だったのか、少し想像できる。母は美津紀と姉の奈津紀を生む前に別の人と結婚し、離婚している。その後、再婚した美津紀の父と母は仲が良かった。しかし、そんな娘時代の記憶が忌まわしいものに変わったのは、母がシャンソン教室に通いはじめ、シャンソン教室の男とただならぬ仲になってからだった。父がそんな折に倒れて、長い闘病生活が始まり、次第に母は病院に娘たちを行かせ、足が遠のいた。父は誰にも看取られないまま亡くなり、美津紀と奈津紀にとっての後悔となった。

 

そんな母が骨折し、転げ落ちるように衰弱した。母は、病床でも娘たちにも、わがままと要求をした。美津紀も奈津紀も自分たちも具合が悪く看病はたいへんだった。やっと施設を見つけ、そこに母が入ることになり、母の好きな物を部屋にそろえた。母の介護生活が始まったころ、美津紀の夫哲夫が不倫していることがわかる。

 

夫と別れて生きていくことも決めた美津紀であるが、一人で生きていくには実際には、お金は重要だった。母が亡くなり、姉と分けることになった母の遺産に助けられることになった。

 

連載中に震災があったので、物語の中でも美津紀は震災に遭遇し、「自分は生かされている」と実感し、後半には、許せないと思っていた母や夫哲夫のことも許していた。

 

美津紀の祖母から母、そして奈津紀、美津紀の時代へ時が流れたように、この箱根のホテルもかつては華やかな時代があり、時を経て、変わっていく様子が、この小説の中で象徴的な存在だと思う。

 

それでも、お庭のつつじは見事で、より華やかになっているような気がした。

母の遺産 - 新聞小説(上) (中公文庫)

母の遺産 - 新聞小説(下) (中公文庫)

母の遺産 : 新聞小説 / 水村 美苗著

東京 ; 中央公論 ,   2012

(文庫化 2015年)