第37号:「存在の耐えられない軽さ」のプラハ、そして今

先日、NHKで「チョイ住みプラハ」という番組がやっていて、この番組は俳優やミュージシャン、料理人といったその世界で長年活躍してきた年配者と若手俳優が1週間程、海外のとある町で共同生活をするという番組。自炊をして、その町で名物を食べて、地元の人とふれあって、住むように暮らしてみるという内容で、だいたい対照的な全く違うタイプの2人の組み合わせで、なかなか面白い。この回も、若手俳優とミュージシャン(ELTのいっくん)が出ていた。

 

今のプラハの町は、美しく活気があって、出演者の二人がクリスマスマーケットの行われているの旧市街広場で、その美しさに感嘆の声をあげる。思わず見ている視聴者も私のようにうっとりしてると想像できてしまう。

 

ちょうど、プラハへ行くお客様の手配もしていて、いろいろプラハの本も改めて読んだりしていた。そして、以前読んだミシェル・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」や春江一也著「プラハの春」のメモを見返してみた。

 

美しいプラハが第2次大戦後、東西に分かれ、東側の国として共産圏に入り、「プラハの春」やいくつかの民主化のための革命が起きては、失敗し、暗い影をまとった時代が長く続いたことをプラハに行く考えたりする。旧市街の中に突如視界の開けるヴァ―ツラフ広場に立つたびに、革命時にソ連の戦車が武力介入したという話を幾度となく想像してみたりした。

 

1929年チェコスロバキア時代のブルノ出身のクンデラはパリで執筆している。彼もプラハの春のあと、ドプチェクが退陣し、ソ連のブレジネフ政権の傀儡政権となったフサーク大統領の‘再生’の時代に祖国を捨てざる得なかった。1998年の日本での文庫化の時代にもチェコではこの小説が出版されていない。

 

ストーリーはプラハで外科医だったトマーシュは前妻との間に子供が生まれてすぐに離婚した。彼の息子に会うために筋金入りの共産主義者の前妻に暴言をはかれてまで会う気はなかった。そして自分の人生と息子を決別した。


ある日、彼の上司の外科部長がいくはずの郊外での急患者に彼が出向くことになった。そこで彼の泊ったホテルのレストランで働くテレザと遭遇した。テレザの身の上はあまり幸せとは言えなかった。テレザの母は美しかったが、男らしさだけが取り柄の女ったらしの夫と結婚し、テレザが生れた。母はその父のもとを離れ、新しい夫と再婚しテレザのほかに兄弟がたくさんできた。母はテレザにつらく当たり、成績が一番良かった彼女は周りに残念がられたが、高校を途中でやめさせられた。彼女は兄弟たちの面倒をよく見た。恥も感じず、醜い姿をさらす母を自分の容姿に見るのは耐えられなかった。トマーシュとの偶然と必然の入り混じるような出会いに踏み出さずにはいられなかった。

 

トマーシュが渡した住所に重いトランクを持ち、母の家を飛び出し、向かわざる得なかった。トマーシュは離婚後、どの愛人も家には泊らせず、ある程度の距離を置いていた。テレザが突然押し掛けたときにも同じように接するはずだった。しかし、彼女はその日に熱をだし、彼の脇に寝ていた。不思議だった。

 

トマーシュの愛人であったサビナは画家で、彼をもっともよく理解した人物だった。彼女は修道院で教育を受けた後、父に共産党への入党を勧められた。彼女は絵を描き始めたが、本当はキュービズムのような抽象画を描きたかったが。その時代、形のないものを描くことは認められなかった。彼女はトマーシュと時々関係を持った。テレザはサビナにより週刊誌の写真係からカメラマンの仕事を紹介してもらったが、彼女にトマーシュのことで嫉妬した。

 

プラハの春の失敗の後、サビナはスイスへ出国した。トマーシュとテレザと犬のカレーニンとともにスイスのジュネーブへ出国した。平和なスイスでトマーシュはまた医師になった。しかし、すでにチェコでのことはこの国では関心事でなかった。テレザは園芸のカメラマンの仕事を勧められたが断った。そして、言葉の通じない国でトマーシュの帰りを待った。トマーシュの女癖は治らなかった。そして、テレザはプラハに戻った。

 

トマーシュは、また祖国に戻ることが意味することを考えて悩んだが、テレザを追いかけた。サビナはジュネーブを去り、パリからアメリカに渡った。

 

トマーシュは以前のオイディプスオイディプスは知らないうちに実の父を殺し、実の母と関係を持っていたことをしり、自分の目を刺し、旅立った。知らなければ許されるということはないということを彼は書いた。)の記事が当局に見つかり、撤回しなかったために職を失った。

 

テレザはバー働き、トマーシュは窓ふきになった。医師には戻れなかった。プラハを出て、自分たちで農産物をつくり暮らす田舎の農村で生きることに決めた。その農村でトマーシュとテレザとカレーニンや穏やかに暮らした。共産党は地方の農村をすでに見放していたため、彼らは当局の目を気にせず生きられた。そして、二人の死。

 

タイトルの『存在の耐えられない軽さ』という言葉はサビナの言葉でのみ、具体化されていた。サビナはこのスト―リーのキーになっている。

 

このタイトルがあるゆえに、読者は読みながら、作者の意図に思いめぐらせながら読むという感じになる。

 

それにしても、西側の国では、チェコの存在を忘れたように人々が自由に暮らし、祖国に戻ることにしたチェコ人は医師としても仕事を失い、当局の目が届かない地方の農村で暮らすことで、やっと普通に生きられる。

 

人間が自由を手にできるというのは素晴らしいことで、時代の流れの中で、自分の思いとは関係なく危うくなることを考えさせられる。

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ / ミラン・クンデラ著 ; 千野 榮一訳

東京 : 集英社 ,  1998

400p , 15㎝

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)