umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第23号:カンヌで再起をはかった男・・・「ビザンチウムの夜」

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アーウィン・ショーの作品は、私の性に合っているようで、どれも好きだ。ニューヨーカー・スタイル(洗練された都会小説と言われる)を作り上げた作家の1人である。でも、日本ではあまり人気がないようで、以前、常盤新平さんが翻訳したことのある『サマードレスのおんなたち』の新訳が出た以外は、絶版になってしまった。

 

私は、ただ都会的で洗練されているからアーウィン・ショーが好きなのでなく、(彼の描く主人公はクールで確かにかっこいいが)友情に厚く、内省的な人が多い。そんなところにいつも惹かれるのである。

 

この『ビザンチウムの夜』は1970年、映画祭で盛り上がるカンヌが舞台になっている。主人公グレイグこと、ジェシーは脚本家として映画業界でかつて活躍していた。駄作といわれた作品の後、5年もの間、公の場には出ずに過ごしてきた。

 

カンヌ映画祭が行われるカンヌに彼は沈黙を破って現れ、カールトンホテルに長逗留した。「三つの地平線」という脚本を書いていた。その脚本を友人のマーフィーは駄作だと言った。偽名にしてあるその脚本を見た売れっ子のプロディーサーのクラインはそれを評価し、監督としても売れているトーマスと組んで映画化するという話に発展する。

 

そんなグレイグに、マッキノンという女がインタビューしたいと現れ、彼は次第に娘と同じ程の年齢のマッキノンの若さ、聡明さ、色気に魅了されていく。マッキノンがグレイグに近づいたのは、娘のマッキノンに興味を持たず、捨てていった母がグレイグのスクラップブックを持っていたことが理由にあった。

 

グレイグは21年連れ添った妻に離婚をしたいと言った。彼女はグレイグの友人と関係を持っていた。離婚理由はそれだけでなく、パリで自立した生活を送るコンスタンツという女性との出会いも理由にある。彼がカンヌにやってきたのも彼女が背中を押してくれからだった。

 

カンヌで再起をはかったグレイグはニューヨークに戻り、彼の脚本は映画化に向かって動き出す、しかし・・・。

 

1970年のカンヌ。その時代からカンヌ映画祭というのは、世界中の映画産業にかかわる人々にとって、大きなビジネスチャンスであったといえる。

 

1966年のクロード・ルルーシュ監督の、北フランスのドーヴィルの海が印象的で、フランシス・レイの音楽を聴くと誰もが思いだす「男と女」を見ていて、あのころのフランスは、電話は交換手に頼んでつないでもらう時代だったのだと思いながら見ていたが、この『ビザンチウムの夜』もまさにそんな時代のフランスのカンヌが舞台になっている。

 

ずいぶん前に、カンヌ映画祭の時期に、たまたま南仏のツアーの途中に、カンヌに立ち寄ったことがある。会場入口の階段にはレッドカーペットが敷かれていて、現地にきたなと感じた記憶がある。街でアメリカのQ監督を見かけたりした。是枝監督が柳楽優弥くんを起用して話題になって、キムタクもカンヌ入りしていると話題になった年だから、うーんいつだったかなと調べてみると、2004年だった。5月にカンヌ映画祭の話がでると、あのときにカンヌの雰囲気となかなか暮れない初夏の夜を思いだす。

 

ビザンチウムの夜 (ハヤカワ文庫 NV (363))

ビザンチウムの夜 (1979年) (Hayakawa novels)

ビザンチウムの夜 / アーウィン・ショー著 ; 小泉 喜美子訳

東京 : 早川書房 ,    1984

482p ;  16㎝

英文書名 : Evening in Byzantium

 

男と女 製作50周年記念 デジタル・リマスター版 [Blu-ray]

フランスのドーヴィルの海岸で二人の姿が印象的な映画「男と女」

監督クロード・ルル-シュとFrancis Lai の音楽♪「A Man And A Woman」

(♪ダバダバダ・ダバダバダ♪ のフレーズ)で数々の映画賞を取った作品。

1966年カンヌ映画祭のグランプリも。

60~70年をフランスを舞台のにしているので『ビザンチウムの夜』と合わせて見たい作品。