第11号:「本格小説」で描き出される古き良き軽井沢

おはようございます。

梅雨の晴れ間というのは、なんとも気持ちが良く、とても好きなひと時です。

 

このブログを書くために、書きためてきた感想文ノートを何冊も見返しますが、そうすると不思議と仕事のストレスや、落ち込んでいたこともふっと消え、また歩き出す気持ちになります。

 

軽井沢は少し湿気が多いので、別荘が立ち並ぶ林の中では、晴れた日でも空気がひんやりしていて、木漏れ日が少しさしこみ、私のなかで、軽井沢らしいと思える風景があります。

 

今日は、水村美苗さんの書いた「本格小説」を紹介します。

この作品は私小説のスタイルをとっていて、あらすじは、著者(という想定)が家族でニューヨークに赴任していたときに出会った実業家東太郎の印象が書かれ、後年、壮年になった東太郎と軽井沢で出会った祐介という青年が、アメリカで講師をしていた著者に運んできた土屋冨美子が語った東太郎とよう子、そしてそれを取り巻く人々の話から展開します。

 

東太郎というアメリカンドリームをつかんだ日本人実業家を辿っていくうちに、そこに関わった人たちもこの物語の重要な登場人物となります。隣り合わせに住まいを構えていた三枝家と重光家、三枝家の次女夏絵が嫁いだ宇多川家の人々。その中でも、東太郎と深く関わったよう子(夏絵の娘)、宇多川家に“女中”として働いた土屋冨美子が東太郎とどのように関わり生きたのか、そんな女達の人生も書かれているのです。

 

東太郎が宇多川家の敷地の中の貸家に親戚家族と身を寄せて、程なくよう子と子供ながらにどんどんと二人の世界を広げていくことから始まります。親戚に引き取られた太郎はことごとく、虐げられ、友だちもおらず、いつもみすぼらしい姿でいるのでした。それを宇多川家の先代の後家であるおばあさまが太郎に愛情をかけ、他人とは思えないほどによう子と分け隔てなく、かわいがったのでした。

 

もちろん、よう子の母夏絵の実家の三枝家は身分違いの二人が兄弟のように過ごすのを良く思っていなかったのですが、それをさとられないようにサポートしていたのが”女中”の冨美子でした。太郎とよう子も高校生となり、太郎をかわいがった宇多川のおばあさまが亡くなり、北海道に転勤で移った宇多川家と太郎は離れ離れになりましたが、よう子と太郎は隠れて文通をしていたのでした。大人になって男女として惹かれあう二人ですが、軽井沢でのある“不始末”をきっかけに会わなくなってしまいます。そして、太郎はアメリカに発ったのでした。

 

その後、太郎はアメリカで飛ぶ鳥を落とすように、成功して行き、億万長者になったのでした。その太郎の話を祐介が著者に運んできたときには、すでに東太郎は行方知れずになっていたのです・・・。

  

登場人物たちの戦後からの長い歳月を描き出したこの「本格小説」は、かなりボリュームがあり、その展開にどんどんと引き込まれています。

 

三枝家と重光家は、成城、軽井沢の両住まいともに隣同士に構えており、長くそして密接なつきあいをしていました。

 

戦後、成城の家は一時期GHQに接収されたりした時代ですから、軽井沢は単なる夏の避暑としてでなく、戦火を逃れるために両家は軽井沢で過ごすわけですが、その生活は、時代を忘れさせるくらい、(庶民からみると)優雅で、穏やかで、古き良き美しい軽井沢が描かれているのです。

 

私自体が、軽井沢に初めて行ったのは小学生のころ、1980年代で、実際に1,2年おきによく行っていたのは高校生以降ですから、1990年代です。アウトレットが出来た以降は、私自身、軽井沢への目的はゴルフに変わってしましました。

 

年々、軽井沢の様子は変わり、旧軽を初めて歩いたころの高揚感はすっかり失くして久しくなりますが、それでも、こないだのドラマ「カルテッド」のように、生活の場として、冬の軽井沢を見ると、なんとなく行ってみたいと思うのでした。

 

初夏を過ぎると、夏の計画を考えますが、何年かに一度は、軽井沢が候補にあがります。結局は、私が軽井沢をイメージするとき、初めて行った80年代の旧軽のイメージとこの小説の古き良き軽井沢がオーバーラップして、ついその面影を探そうとしてしまうのでした。

 

本格小説〈上〉 (新潮文庫)

本格小説〈下〉 (新潮文庫)

本格小説  上 / 水村 美苗著

東京 : 新潮社, 2005

605p ; 15㎝  

 

格小説 下 /   水村 美苗著

東京 : 新潮社,  2005

540p ; 15㎝