3月にローマに行ったときに、ほんとうは行きたかったのが、ローマの東30kmにあるヴィッラ・アドリア―ナ。ハドリアヌス帝(即位117-138年)が晩年に築いた別荘である。以前、私と同じように「ハドリアヌス帝の回想」を読んだお客様が、個人で行ったが交通の便があまり良くないために大変だったと聞いていたこともあり、断念してしまった。
でも、帰国してから調べていたら、このヴィッラ・アドリア―ナに、隣町ティボリのヴィッラ・デステとともに行く現地ツアーがあったのだ。古代ローマ皇帝の別荘と中世に活躍したエステ家の別荘が結果的に近いエリアに隣り合うよう残っていて、興味深い。
書いているとますます後悔と行きたい気持ちが強くなる。
ローマのテベレ川沿いに建つ、ローマのシンボルでもあるサンタンジェロ城は、このヴィッラ・アドリア―ナを築いたハドリアヌス帝の霊廟でもある。ローマ5賢帝であったハドリアヌス帝が活躍した時代は、ローマ帝国の領土が地中海を取り囲む沿岸全体に拡大し、中東の一部も属州とされていた。「ハドリアヌスの長城」が英国北部に残されていることをを考えると、広大なエリアだったことがわかる。平和と繁栄がもたらされたパスク・ロマ―ナという時代である。
マルグリット・ユルスナール著「ハドリアヌス帝の回想」は、先帝トラヤヌスが長い治世を守りぬき、ハドリアヌス帝に引き継がれるところから物語が始まっている。晩年のトラヤヌス帝が気難しい人物であった様子や、ハドリアヌスとの関係、引き継がれた経緯が描かれている。ハドリアヌスは旅をした皇帝としてよく知られているが、どのように広大なローマ帝国とその属州に出向き治世を行ったかがよく描かれている。
ハドリアヌスは男色だったようであるが、後継者としようとしていた最愛の青年アンティノス、ルキウスに先立たれてしまった悲壮、自分の後継を狙うもの、地位を奪おうとするものに時に悩んだ。しかし、聡明さと行動力をもって彼は時に大ナタを振るった。
そんなハドリアヌス帝が、晩年、ローマから少し離れた地に、心身を休めるべく別荘を建てた。それが、このヴィッラ・アドリアーナ。それは美しいところであったに違いないと思う。
私の中では、あこがれやロマンはあるけれど、とても遠い存在だった古代ローマが、ハドリアヌス帝の物語を読むことで、皇帝も今の時代の人間と変わらずに物事を思考し、時には苦悩や挫折感を味わったことを感じた。そして、2,000年近く前の古代ローマは、イタリアに行くたびに遺跡を見て、ガイディングを聞いてきたが、やはり進歩的で、いまと変わらない文化的な生活が行われていたことを実感する。それでも、2,000年前に??と、なんとなく不思議に感じていたことが、この物語で読むことで、だいぶ私のなかで理解できた気がする。
目を閉じると、広い庭園に柱廊が立ち並ぶ屋敷、燦々と降り注ぐ太陽、柑橘類の実る木々からの仄かな香り、そして静寂が私の中にイメージされる。そんな風に行ったこともないヴィッラ・アドリア―ナに思いを馳せる。
ハドリアヌス帝の回想 / マルグリット・ユルスナール 【著】 ; 多田 智満子【訳】
東京 : 白水社, 2008 , 379p ; 19㎝
原書名: Mémoires d'Hadrien
著者原綴: Marguerite Yourcenar