umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第45号:「アヴェンティーノの丘に行くのなら、朝でなければ」・・・『須賀敦子のローマ』

「彼女の書く文章がリアルタイムで読みたかった」と私が心から思う「彼女」というのは、須賀敦子さんのことである。

 

この『須賀敦子のローマ』は、須賀さんとも親交のあった大竹昭子さんが、須賀さんの書いたローマについての文章と、その場所を写真におさめている。ミラノ、ヴェネツィアのあとの3冊目として書かれ、今年3月、『須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京』として文庫化された。

 

須賀さんの書いた本の中で、断片的に綴られたローマの文章で、どこかで読んだのに、タイトルは思い出せずに、あとから見つけられないということが私は割と多い。なんとなくまた読みたいのに見つからなかったローマについての文章がまとめられていて、とても嬉しい。

 

ローマについては、須賀さんがフランスの留学から戻って、再度、踏みだした最初の地という印象がある。ローマの最初の学生寮は合わなくて、次にテルミニ駅の近くの寮に移って過ごした日々があり、その後も何度となく、友を訪ねたり、再訪した地である。

 

「アヴェンティーノの丘というのは、いうまでもなく、いわゆるローマの七つの丘の一つですが、他の丘にくらべ、比較的昔のままの静かな雰囲気の残っている、朝のひかりの清々しい高台です。アヴェンティーノの丘に行くなら、朝でなければ、と、ローマっ子のいうのも、いってみればすぐうなずけます。前にいった、サンタ・サビナの横の公園の見晴らし台から、テヴェレ川をへだてて、朝の陽光のなか、ずっと遠くに、しずかに息づいている、サンピエトロの白い大理石の円屋根にいたる甍の波を見る度に、この永遠の気高さに、その豊かな美しさに、思わず手をうって喜びのこえをあげたくなるのは、私だけでしょうか」 

(全集第八巻『聖心の使徒』「ローマの聖週間」)

この文章を読むだけで、陽光に輝く対岸の様子が浮かんでくるよう。アヴェンティーノの丘には、マルタ騎士団の館やいくつかの教会がある。須賀さんはサンタンセルモ教会に通っていたという。

 

ローマは私にとっても、何度行っても飽きることがなく、少し行かないでいると、また恋しくなってしまう場所である。

 

地図を見ながら、次に行くときには、アヴェンティーノの丘にあるホテルに泊まって、朝、テヴェレ河と対岸を望む高台に立って、思い切り、朝のひかりを浴びてみようと思う。観光客が来る前に、騎士団の館近くの「鍵穴」を覗いて、サンピエトロ大聖堂を見てみようと思う。

 

須賀敦子のローマ

須賀敦子のローマ / 大竹昭子

東京 : 河出書房新書 ,  2002

121cm ; 150p

 

須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京 (文春文庫)

須賀敦子の旅路 ; ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京

/ 大竹 昭子著

東京 : 文春文庫 , 2018

16㎝ ; 487p

 

第44号:五行山の大理石のすり鉢・・・「平松洋子の台所」

 

旅に出る度に、キッチングッズを記念に買ってきていた。

 

2001年のパリでは、ル・クルーズの青の琺瑯鍋、グアムのKマートではマーサスチュワートのキッチングッズ、北京ではお茶のポットに、いかにも普通で中国っぽいスープボールとレンゲ、ソウルではチゲ鍋用の小さい土鍋、リュブリアーナではチーズおろしとレモン絞りの棒タイプのもの、アムステルダムではチーズスライサー、ベトナムではベトナムコーヒー用のフィルターなどなど、スパチュラーも各地でよく買った。

 

平松洋子さんの本を読んでいると、旅先でキッチングッズを買うっていうのは、他にもやっている人がいるんだと思ったし、平松さんの買ってきたものを見るのもなかなか面白い。

 

先日久しぶりに「平松洋子の台所」をみて、買おうか散々迷って、買わずに帰ってきてちょっぴり後悔していた記憶が、この本をきっかけに引き出されてしまった。

 

2000年になったばかりの頃、ベトナムには、バックパッカーで、そしてツアーの添乗で何度か行った。個人的にあの混沌とした感じが好きだった。当時は、バイクか自転車ばかりで車はほとんど見かけず、どこに行くにもトゥクトゥクを利用したり、バイクタクシー(いまから思えば、かなりスリリング)で出かけた。

 

南北にベトナムは長いから、だいたい南~北へという旅をすることが多かった。中部の中核都市であるダナンから少し奥に入ったところに五行山という大理石の産地がある。バックパッカーとしてまわっていた時には立ち寄らなかったのだけど、ツアーの添乗で行ったときに、その五行山に立ち寄って、大理石を採掘し加工しているところなども見学した。

 

そこで、大理石のすり鉢が売られていて、当時5ドル(その当時だいたいドルを使っていた)くらいで立派なすり鉢とすり棒が売られていて、小さいものなら3ドル程度。散々、買おうか、買うまいか、悩んだ末に、重さがかなりあるので諦めて帰ってきた。

 

その後、五行山に行くことはなく、ベトナムにも行かなくなってしまった。

 

バジルペーストの松の実を潰しているときに、「あ~、やっぱり五行山のすり鉢を買っておけば良かった・・・」と、平松さんの本を見てから、また感じるようになってしまった。

 

平松洋子の台所

平松洋子の台所 / 平松洋子 著

東京 : ブックマン社 , 2001

21㎝ ; 252p

 

 

 

 

 

 

第43号:「ティラミスとエスプレッソ」が流行ったころの九十九里

今から思えば、80年代のバブルの頃には「イタ飯ブーム」というのがあって、その流れの延長で、90年代にティラミスが流行ったのかもしれない。

 

当時、「エスプレッソ」として、今まで飲んだことのない苦いコーヒーが日本でも市民権を得はじめたが、イタリアで一般的に「CAFE」と言われて、普通に飲まれているコーヒーが「エスプレッソ」という言葉にして、「日本女性」⇒「ゲイシャ」のように伝わったような感じがして、少し旧時代的なイメージで考えてみたりする。

 

そんな、バブルがはじけ、片岡義男の角川の赤い背表紙の本のシリーズの後期にあたる平成2年(1990年)に出版された片岡義男著「恋愛小説2」という短編集を久しぶりに読んだ。おそらく22,23年前だと思う。

 

この短編集を読んだのは、5つの短編の中の1つ、「ティラミスとエスプレッソ」を読みたかったからだった。20代の私が、とても気に入ったという記憶だけあった短編。

 

ライオンの像のある百貨店の前で待ち合わせた二人の男女。半年ぶりに会うという。その百貨店の吹き抜けのほとりにある3階のカフェで、ティラミスとエスプレッソを注文して語り合う。

 

広告代理店のCMを作るセクションに勤める彼女は仕事を抜け出して、束の間の時間を過ごすつもりでいたが、二人で話しているうちに、これから海に行こうという話になり、二人は地下の食料品売り場へ行き、ワインとバゲット2つ、水牛のモッツァレラチーズを買う。一旦、二人は別れ、男はキャデラックを、近くで仕事する姉から借りてきて、二人は一路、九十九里町を目指しドライブする。

 

江戸川を過ぎ、ディズニーランド、市川、宮野木から京葉道路に入り、波乗り道路を通り、九十九里へ。浜辺で海を眺めながら過ごす二人。

そんな話だった。

 

九十九里の海に初めて行ったときには、波乗り道路という名前がとても印象的だった。九十九里は波が強くて、少し泳ぐと水着の中も砂だらけ。泳ぐには向かないなと思った記憶のまま、アップデートされていない。ほんとにサーファー向きの海。

 

だから、九十九里には、だた海を見に行くか、ハマグリを食べに行く。ひたすら遠いけど行く価値はある。

 

今から読むと、この小説のなにが私にとって魅惑的だったのか、正直よくわからない。でも、このあとがきのような最後の章に「消えた彼女たちを悼みつつ」という文章がある。

 

著者は、1990年に日本での、大学入学者の総数のうちの、「女子大生」の数は百万をついに突破したという発表記事から、それには「短大生」も含まれており、女性の就労人口が増えていることにも触れ、それでもその数もまた「パートタイマー」の数が含まれており、体裁よく整えられた数字の中に、「女性たちがいかに低い位置におかれたままであるか、すぐにはっきりとわかる」と記している。

 

著者は、「教育を半分以上、外国で受けた日本女性、つまりいまの日本という独特な土壌性から、少なくとも半分は脱出して自由になり得ている女性も、これからの小説の登場人物として有効だろう」と書いている。

 

この5つの短編に出てくる女性も「希釈」しているとはいえ、「彼女たちの鼻っ柱の強さはしっかり根拠を持っていて、充分強い」と書いている通り、昭和の過去の女性像とは少し違う、美しくて、芯の強い、新しい女性像がかかれていた気がする。

 

いま読むとさほど新鮮に感じなくなったのは、時代と私が変わってしまったからだろう。

 

それでも、いまも1990年とさほど、女性の地位が向上したとも思えないことに、正直なところ、がっかりしてしまった。体裁のいい数字には気を付けないと。

主体はいつも私たちなのだから。

 

そうそう通称「波乗り道路」が九十九里有料道路という正式名称だったことも、言われてみればそうだけと忘れていた。

 

当時は一部区間だったが、昨年の暮れに、全線開通(長生郡一宮町新地地先~山武郡九十九里町片貝地先)したのとのこと。

 

なにも、知らなかったなあ。

  

恋愛小説〈2〉 (角川文庫)

恋愛小説2 / 片岡 義男著

東京 ; 角川書店 , 1990

15cm , 237p

 

ティラミスとエスプレッソ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第42号:小説の中の静謐な真鶴・・・「真鶴」

G.W.後半、真鶴のあたりは渋滞しているだろうなと、想像してみる。

以前は、小田原に泊まりに出かけることが結構あったので、そのついでに真鶴を横目に見ながら国道135号線をドライブしたりもした。それでも、真鶴半島の突端の三ツ石の方面まで足をのばしたのは、たったの2回だ。

 

大学4年の時に、湯河原の吉浜に実家のあった友人がいて、その時の旅では、真鶴のことを教えてもらった記憶がある。美味しいひもの屋さんや、中川一政美術館や、その当時ドラマに出ていた女優さんがその親族であることなど。

 

今回読んだ川上弘美さんの「真鶴」という小説では、主人公京(ケイ)♀の失踪した夫礼♂が日記に残した真鶴の文字、夫と何か関連すると想起させる場所として真鶴が出てくる。

 

京は、3度ほど真鶴に出かけていく。憑き物のような、目に見えない存在について敏感に感じ取ることのできる京は、真鶴に行くごとに、そういう者と徐々に会話をするようになる。だんだんと、その者たちとの距離が縮まっていく様子がわかる。

 

この小説の中で描かれる世界は、全体的に、静かで、京そのものからも出てくる落ち着きのようなものが漂っている。ここで描かれる真鶴も夏の騒めきや海の音も遠く聞こえるようで、無音に近い静謐な世界として描かれている。

 

主人公京が、高校生になる娘の百(もも)とは1度だけ真鶴に行くが、それ以外はいつも一人でかけていく。なんとなく子供を寄せ付けない世界観がそこにはある。

 

この小説では、真鶴は実際あるのに、京にしか見えない真鶴として描かれる部分が大きく、まるで「ナルニア国物語」のワードローブの中の世界のように、それは近いようで遠い。

 

「真鶴」を読み終わってから、Google MAPで、あらためて真鶴の地形を見たり、実際にストリートビューで見たりすると、なんとなく小説のイメージと違かった。でも、こういうのも読書と旅の楽しみ方なのかもしれない。

 

真鶴 (文春文庫)

 

真鶴 / 川上 弘美著

東京 : 文藝春秋 , 2009

p.271 ; 16㎝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第41号:「母の遺産」に出てくる箱根のホテル

今日、たまたまテレビのチァンネルを変えていたら、BSで箱根のつつじの美しいホテルの庭が出ていた。旧三菱財閥岩崎彌太郎の別邸だったという。それを見ていて、水村美苗さんの新聞小説「母の遺産」に出てきたのは、あ、このホテルのことかと思った。

そのホテルは、「箱根山のホテル」だった。

 

主人公美津紀が、かつて訪れたことのあるこのホテルに一人長逗留するという場面がでてくる。季節外れの箱根で、長逗留する老婦人や妻を亡くして失意の中にいる男や、訳ありな夫婦、老婦人に付き添ってきた青年など、少し訳ありそうな人々がこのホテルに滞在している。そのホテルの庭がとても美しい描写があり、この小説を読んだときには、漠然と箱根の芦ノ湖畔のホテルね、くらいにしか思っていなかったので、具体的にホテルを調べる気もなかった。

 

私は、箱根とはなんとなく、相性が悪いのか、2,3年前に小田原の帰りに寄った時にも降りたとたんに大雨で、まったく車から降りる気も出ないほどの雨だった。初めて、高校生の時に、彼氏とデートで箱根に行ったときには、箱根彫刻の森に行って、お洒落なレストランに入ったけれど、高校生の私はなんとなく気後れしたことだけが記憶に残っている。その後、自分で運転してそのレストランの前を通るたびに、怖いもの見たさでそのレストランを見入ってしまうことがあったが、そのレストランも今はなくなってしまった。

 

新聞小説「母の遺産」は、2010年1月16日~2011年4月2日まで読売新聞で毎週土曜日の朝刊に連載されていて、掲載されているときから楽しみに読んでいたが、2011年3月11日の震災後、連載が中断され、新聞も震災の記事が中心でなんとなく見落としたまま連載が終わっていて、本が出版されてから、改めて私は読みなおした。

 

主人公美津紀の祖母は置屋に出され芸者のようなことをしていた。奉公に出されていた青年と駆け落ちしたがそれが祖父だった。祖父は15歳も上の祖母とは籍を入れなかったので、母紀子は私生児として生まれた。祖父母は、娘である(美津紀の)母のために心を砕き、母はそれにつけ込むように可能な限りのわがままと要求をしたという表現が使われている。

 

この表現からも美津紀の母への見方がわかるし、母紀子がどんな人物だったのか、少し想像できる。母は美津紀と姉の奈津紀を生む前に別の人と結婚し、離婚している。その後、再婚した美津紀の父と母は仲が良かった。しかし、そんな娘時代の記憶が忌まわしいものに変わったのは、母がシャンソン教室に通いはじめ、シャンソン教室の男とただならぬ仲になってからだった。父がそんな折に倒れて、長い闘病生活が始まり、次第に母は病院に娘たちを行かせ、足が遠のいた。父は誰にも看取られないまま亡くなり、美津紀と奈津紀にとっての後悔となった。

 

そんな母が骨折し、転げ落ちるように衰弱した。母は、病床でも娘たちにも、わがままと要求をした。美津紀も奈津紀も自分たちも具合が悪く看病はたいへんだった。やっと施設を見つけ、そこに母が入ることになり、母の好きな物を部屋にそろえた。母の介護生活が始まったころ、美津紀の夫哲夫が不倫していることがわかる。

 

夫と別れて生きていくことも決めた美津紀であるが、一人で生きていくには実際には、お金は重要だった。母が亡くなり、姉と分けることになった母の遺産に助けられることになった。

 

連載中に震災があったので、物語の中でも美津紀は震災に遭遇し、「自分は生かされている」と実感し、後半には、許せないと思っていた母や夫哲夫のことも許していた。

 

美津紀の祖母から母、そして奈津紀、美津紀の時代へ時が流れたように、この箱根のホテルもかつては華やかな時代があり、時を経て、変わっていく様子が、この小説の中で象徴的な存在だと思う。

 

それでも、お庭のつつじは見事で、より華やかになっているような気がした。

母の遺産 - 新聞小説(上) (中公文庫)

母の遺産 - 新聞小説(下) (中公文庫)

母の遺産 : 新聞小説 / 水村 美苗著

東京 ; 中央公論 ,   2012

(文庫化 2015年)

 

 

 

 

 

 

第40号:葉山にショートトリップ・・・「黄色いマンション 黒い猫」

年齢を聞かれたときには、キョンキョンと同い年と答える友人が紹介してくれた本「黄色いマンション 黒い猫」。小泉今日子こと、キョンキョンが書いた本。

 

何の気なしに読み始めたけれど、短い文で綴られる34のエッセイは、どれもすっと入ってきて、興味深くて、キョンキョンの人柄が見えてくる。

 

この本の中に、「海辺の町にて」「逃避行、そして半世紀」という2つのエッセイがある。

 

「海辺の町にて」では、少し不便な海辺の町に、自分の育った少し不便な町と重なるものを感じたり、この海辺の町に来て、いろいろなことを思い出し、「眠っていたものが目を覚ますような感覚」を持ったりするという話。具体的な町の名は書かれていない。

 

もう一つ、そのあとにある「逃避行、そして半世紀」では、葉山の町に来ているところからエッセイが始まり、43歳から46歳までの3年間、猫と静かに暮らしていたと語られる。離婚をして、一人で暮らした町。前の「海辺の町にて」は、葉山のことなのかなと想像したりする。『逃避行』という子供の時に聞いた歌謡曲とほのかな憧れ。猫との突然の別れもあって、この町を離れた。そして、愛猫と別れた部屋で50歳の誕生日をたった一人で迎えたという。

 

かっこよすぎるよ。キョンキョン

 

私は、20代の時に、土日を利用して、1泊でサイプレス葉山によく出かけて行った。葉山だけでなく、その間に勝浦にも行ったりしていたから、実際はたいしていっていないのかもしれない。サイプレス葉山は今もあるのかどうか・・・。葉山といっても住所は実際は横須賀市秋谷だったけれど。コンドミニアムの部屋になっていて、海の目の前で波の音を聞きながら、ゆっくり過ごせた。

 

なにがいいって、その頃、とても気に入っていたレストラン「マーロウ」に歩いて夕食を食べに行けることだった。お酒も飲めるし、食事もおいしい。

 

そういえば、「マーロウ」に初めて立ち寄った時に一緒にいた友人から、今日、久しぶりに電話があった。お互いに若かったな。2人乗りのコンバーチブルで行ったっけ。

 

週末に葉山にショートトリップ、また行きたいな。

黄色いマンション 黒い猫 (Switch library)

黄色いマンション 黒い猫 / 小泉 今日子著

東京 : スイッチ・パブリッシング , 2016

20cm ; p165

 

 

 

 

 

第39号:続編は出ないまま、「くそったれ、美しきパリの12か月」

2006年に単行本で、日本語訳が発売された「くそったれ、美しきパリの12か月」(原題:A year in the MERDE )。スティーブン・クラークという著者になっているが、原文では、Stephen Clarkeという名ででている。

 

この本は、その後、続編が出ないまま、早10年。

 

主人公は、イギリス人のポール。ポールはあるフランス企業に、フランスでの英国式ティーサロンの事業展開のためにヘッドハンティングされた。それに伴い、単身パリに引っ越し、それをチャンスに「フランスの女性のはく申し分のない下着」に興味津々の彼のパリでの生活が始まるというストーリー。

 

(邦題にしたがって)著者スティーブン・クラークがたった200部を自費出版したところ口コミで広がり、フランスの新聞の書評に載ったことからベストセラーになったとのこと。

 

フランスならではの生活、恋愛、価値観。イギリス人の彼から見ると、はじめはとっても異文化に感じるが、そこで生きていると自分がそんな生活になじんで、すっかりパリジャンになりはじめていることも気づいたりする。

 

(この本の日本語訳は、2006年出版なので)その後、そのティーサロン事業はイラク戦争が始まって中止。オーナーで彼をヘッドハンティングしたフランス人は、政治の世界に踏み出そうとしておいたので、イギリス食材を積極的に輸入するというのは政治活動の支障になるということで、ポールはお払い箱。

 

最後には、オーナーに解雇されたポールはただでは転ばず、オーナーからティーサロンのネーミングと店舗を借りて、自分でティーサロンをオープンすることに決める。

 

この続きが続編で読めるはずだったが、続編は出ないまま・・・。

 

赤裸々な恋愛事情も面白い。この本だけでも十分面白かった。

パリに行くにしても、こういう日常のパリの話を読んでから出かけると旅も一層楽しめるのでは?

 

くそったれ、美しきパリの12か月

くそったれ、美しきパリの12か月 / スティーブン・クラーク著 ; 村井智之訳

東京 : ソニーマガジンズ , 2006

421p ; 19cm

書名原綴: A year in the MERDE