第35号:ケレット氏が教えてくれた少し前のザグレブ・・・「あの素晴らしき七年」

イスラエルのテルアビブ生まれで在住のエトガル・ケレット著の「あの素晴らしき七年」。この本にたどり着いたのは、なぜだろうと思い返していたが、結局わからなかった。去年の私の手帳の読みたい本のリストにこの本の名前が書かれていた。

 

ケレット氏の本は、イスラエルだけでなく、世界中で翻訳され、アメリカでもとても人気のある作家のようだ。私は彼の本を読んだのは、これが初めてだった。

 

彼のエッセイは、サラっとしていて、ときにユーモラス、そして、はっとさせられる。私が好きなタイプの作家だった。

 

彼は世界を股にかけという感じで、各地のブックフェスやブックイベントに出かけている。このエッセイの中には、家族の話、現在も爆撃やテロのあるイスラエルのこと、仕事で出かけた町でのこと、ユダヤ人の風習や行事、ポーランドにルーツを持つユダヤ人が東ヨーロッパに出かけることなどが書かれていて、日本にいるとユダヤ人への偏見というものが、まずないので、実際には当事者たちにはそういうものが感じられる世界がいまだにあることに、驚かざる得ない。さらっとしたエッセイを読みながら、私は自分の無知を感じることが多くあった。

 

ケレット氏の息子が生まれた年から、ポーランドホロコーストを生き抜いた父が亡くなるまでの7年間を1年ごとに区切り、短いエッセイがいくつか挟み込まれている。

 

たくさん興味深い文章があるが、その中の1つ。「六年目」のところで、クロアチアザグレブで、作家フェスがあり、出かけて行った時のことが書かれている。

 

フェスの後、文化プロジェクトの一環で、地元の美術館に一泊することを承諾してしまっていたケレット氏。あまり気乗りしない感じで出かけたが、巨大な部屋には、予想外に綺麗に寝具をセットしたベッドが用意してあったが、イベントが終わり、地元のバーで飲んだ後の彼は疲れとともにぐっすり眠るのかと思いきや、美術館の中を見て回った。

 

そして、1994年の(内戦のころ)ボスニアの美しい少女と、そこに書き殴られた国連保護軍のオランダ兵が残したスプレーでの(ショッキングな)落書きをみて、ザグレブのカフェのウェイターが話してくれたことを思い出す。

戦争中店に入ってくる人々は、コーヒーを注文するちょうどいい言葉を見つけるのに難儀したのだという。「コーヒー」を指す言葉はクロアチア語ボスニア語とセルビア語でそれぞれ異なっていたため、それぞれの言語では他意のない言葉の選択も、険悪な政治的含意があるように受け取られかねなかったのだそうだ。「トラブルを避けるためにですね」とウェイターは説明してくれた。「みんなエスプレッソを注文しはじめました。それなら中立なイタリアの言葉ですから。そして一夜にして、ここではコーヒーではなくエスプレッソのみを出すようになったんです」

 

オープンカフェの立ち並ぶ、ザグレブのメインストリート・トゥカルチチェヴァ通りを思い出しながら、ケレット氏が少女の写真をみながら考えたという「ぼくが住んでいる場所と今いる場所での外国人嫌悪と差別ついて」とはどういうことだろうと考える。そして、ザグレブに行っても知らなかった事実について考える。

 

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 / エトガル・ケレット著 ; 秋元 孝文訳

東京 : 新潮社 ,  2016

p190 ; 20cm

 

 

 

 

 

 

第34号:やっぱり、ローマ?・・・「遠い太鼓」

この村上春樹さんの『遠い太鼓』は1986年からの3年間、村上春樹さん(正確にいうと村上さんご夫妻)がヨーロッパで暮らした時のことが描かれている。この期間に長編では『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』と短編では『TVピープル』を書いたという。

 

村上さんは40を前に、日本を離れた。1986年の10月からローマ、ギリシャアテネ、スペッツェス島、冬のミコノス。翌1987年、シシリー、ローマ、ボローニャギリシャパトラス、ミコノスからクレタヘルシンキ、ローマ、アテネラソン、カヴォラ(テサロニキから3時間)、レスボス島、またローマ。ロンドン、また、ひとりローマ。1988年の空白の1年の間に、40歳の誕生日。1989年、ローマ、ロードス、ハルキ島、カルパドス島、トスカーナキャンティオーストリアザルツブルク音楽祭、チロル街道、ロイッテ~秋、旅の終わり。

 

と、ざっと書いたけれど、ほんとうにこの本は読んでいて楽しかったし、珍しく村上さんの本でゲラゲラ笑いながら読んだ本。面白かった。

 

そして、旅は3年の間に、ずっと行ったきりの旅ではないので、途切れながらも必ずローマは入っていて、やっぱりローマに帰りたくなるのよねと思いながら読んだ記憶がある。

 

私はこの本を読んだ頃、33歳になって、老舗の旅行会社に転職した頃、どう人生の駒を進めていいのか、いつも傍らに悩みを抱えていた気がする。そんな中、この本を読んで、40を前にして日本を離れることにした37歳の村上さんの気持ちがなんとなくわかるような気になっていた気がする。

 

そして、村上さんの言葉にはっとさせられた。でも、いま読んでも、はっとさせられるのだ。

 

四十歳というのは、僕にとってかなり重要な意味を持つ節目なのではなかろうかと、僕は昔から(といっても三十を過ぎてから)ずっと考えていた。

 

<中略>

 

 四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくこのなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。試してはみたけれどやはり気に入らないので、もう一度以前の状態に復帰します。ということはできない。それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。

 精神的な組み換えというのは、おそらくこういうことではないだろうかと僕は思った。四十という分水嶺を越えることによって、つまり一段階歳を取ることによって、それまでは出来なかったことができるようになるかもしれない。それはそれですばらしいことだ。もちろん。でも同時にこうも思った。その新しい獲得物と引き換えに、それまで比較的簡単にできると思ってやっていたことが出来なくなってしまうのではないかと。

 

<中略>

 

歳を取ることは僕の責任ではない。誰だって歳はとる。それはしかたのないことだ。僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終ってしまうことだ。それは仕方のないことではない。

 

私もそろそろ旅に出なくちゃだめだなと思う。

 

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 / 村上 春樹 著

東京 :  講談社 , 1993
570p ; 15㎝

 

第33号:ゴッホ終焉の地オーヴェール・シュル・オワーズ・・・「たゆたえども沈まず」 

2017年10月に単行本化された原田マハさんの小説「たゆたえども沈まず」。

揺蕩う(たゆたう)という言葉は、あまり使わないが、「物がゆらゆら動いて定まらない。ただよう。」ようすを表す言葉で、「動揺する」「ためらう」など、心の動きも表す言葉である。

 

この言葉は、この小説の中では、研究家のシキバ氏が登場するプロローグの部分と、ゴッホが描きたかたセーヌ川になぞりながら「たゆたいはしても、決して流されることなく、沈むことのない。……そんな船に。」と再起をはかったゴッホに語りかけたする林のセリフとして登場する。

 

この小説の舞台は主にパリで、日本からパリにわたり日本の古美術の販売を行ったパリの日本人林忠正の商いを手伝うために渡仏した後輩の加納重吉を中心に語られる。重吉は、フィンセント・ファン・ゴッホの弟で、林の経営する『若井・林商会』と競合するとも言える画商『グーピル商会』に勤めるテオこと、テトオドロスと出会い、二人は気が合い個人的な付き合いがスタートする。そうしている間に、絵を描いているという兄フィンセントとも出会うことになり、林とともにゴッホ兄弟と交友を深めていく。

 

フィンセントの絵は、まだ印象派でさえ、やっと認められ始めたばかりの19世紀後半にはまだ早かった。彼は、誰にも評価されず、悶々と暮らしていた。そして、日本の浮世絵に傾倒した彼は日本に行きたがったと言う。林の助言でアルルで、日本を見出すべく移り住んだが、ゴーギャンとも仲たがいし、耳切事件などトラブルを起こし、サンレミ療養院での精神療養などを経て、画家たちを支援し、自らも絵を描いたガシェ医師が住むパリの郊外オーヴェール・シュル・オワーズに移ることになる。

 

小説の中では、オーヴェール・シュル・オワーズに行く途中、パリに立ち寄り、結婚して子供が生まれたばかりのテオの家に3日間ばかり滞在して、オーヴェールに向かっていく場面が後半に出てくる。そして、オーヴェールに移って、2か月少しで、フィンセントがオーヴェールで銃で胸を打ち、瀕死の状態となり、テオが急いで出かけていき、最期を看取ったとされている。

 

私がオーヴェール・シュル・オワーズを訪れたのは、もう10年近く前のこと。セーヌの支流であるオワーズ川のほとりにある静かな美しい村である。(画像はそのときのもの)

 

そこに行く前に、すでにゴッホの絵は、パリの美術館やクレラーミュラーゴッホ美術館で見ていたので、とても感激した記憶がある。

 

この小説の冒頭にも出てくる、ゴッホが寝泊まりしていたラブー亭に立ち寄り、オーヴェールの教会や坂道、カラスの飛ぶ麦畑、フィンセントとゴッホの墓、そしてオワーズ川にも立ち寄ったことは、いつまでも記憶から離れることはない。

 

あの「カラスの飛ぶ麦畑」の印象は忘れがたい。ゴッホの描いた絵そのままで全く変わらず、そして何か胸に迫るものがあったからだ。

 

そして、この小説を読んで、またあの時の記憶がありありと蘇ってきた。ゴッホが自分で銃を撃った場所はいまだはっきりしていないが、私はあの村を歩いて、ここではないかと感じてしまう場所があったことも。

 

もう一度、オーヴェールを歩きたい。

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オーヴェール

 

たゆたえども沈まず

たゆたえども沈まず / 原田マハ

東京 : 幻冬舎 , 2017

408p ; 20㎝

 

 

第32号:パリの元“ムルロー工房”・・・「ロマンシェ」

原田マハさんの「ロマンシェ」は、ラブストーリーと聞いて読み始めた気がするけれど、少しコメディタッチで奇想天外なストーリーの中に、パリのリトグラフ工房 “idem ”が出てきて、その絡め方が上手だなと思ってしまった。

 

主人公の美智之輔は美大を卒業して、美大時代の憧れの同級生高瀬♂に思いを伝えられないまま、パリに留学にきた。かつて日本のアルバイト先のカフェで出会った超人気ハードボイルド小説の作者羽生美晴♀と偶然再会。美晴は訳あって、歴史あるリトグラフ工房“ idem ”に匿われていた。

 

そのリトグラフ工房“ idem ”はパリのモンパルナス界隈にあって、かつて“ムルロー工房”と呼ばれていた。長年ピカソなどの有名な芸術家の作品のリトグラフを職人たちの手でプレス機を使い、製作してきた。

 

今まで、深く考えることなしに、漠然とリトグラフ=複製くらいにしか思っていなかった私はこの本を読んで、リトグラフの奥深さに驚き、少し反省した。

 

この本を読んだのは2016年初頭の出版されて間もないころで、この本の出版と合わせて、東京ステーションギャラリーで、「idem展」(2015.12.4~2016.2.7)という企画展が行われていた。作中で、美智之輔が憧れていた高瀬が企画したことになっていて、この小説を読んで、さらに2度楽しめるような仕組みになっていた。

 

それから、月日が流れて、昨年2017年の夏頃、私はフランスの広告ポスターを描いていた、晩年フランスのトゥルーヴィル(ドーヴィルの対岸)に住んでいたレイモン・サヴィニャックリトグラフを手に入れた。

 

そして、その1980年代のリトグラフも、この“idem ”こと、元“ムルロー工房”で刷られたものだった。この本を読んだときに感じた奥深さもすっかり忘れ、リトグラフを買うう頃になって、リトグラフというものの特性をあらためて知ることになった。

 

美術展でポスターや絵葉書を私はよく買い、気に入ったものを部屋に飾ることが結構あるが、何年かすると驚くほどに色褪せしている。でも、リトグラフは、色褪せないように作られている。もちろん、値段も一般的なプリントやオフセット印刷よりも高い。

 

原画を買うことまではできなくても、もっと手軽に、原画に近いものを自分の近くに置き、長年にわたり日々楽しみたいという庶民のニーズがリトグラフができたことによって実現されたと思う。

 

今は私自身、このサヴィニャックリトグラフを購入したことで、この本を読んでいるときに感じたリトグラフの奥深さをリアルに体験できていると思う。

 

ロマンシエ

ロマンシェ /  原田 マハ著

東京 : 小学館 , 2015

333p ; 19cm

 

 

 

 

 

 

 

第31号:豪華旅行にポジターノ・・・「朝の歓び」

またまた、宮本輝さんの本です。ナポリから南下し、ティレニア海に面したソレント半島の付け根にあるポジターノが出てくる「朝の歓び」。アマルフィから夏は船、または通年バスで行くことができる。

 

この本、私は2005年に読んだのに、読んだことを全く忘れていて、2,3年前に上下巻買って読み始めたら、あー読んだことあったーと気づいて・・・、再読。

 

ここでは、主人公の良介45歳があてもなく会社を辞め、少し前に妻が亡くなり保険金が入ったこともあり、妻が亡くなったことをきっかけに別れた日出子と彼女の故郷の北陸の町で再会し、日出子が行きたがっていた南イタリアポジターノに豪華旅行に行くことを良介が提案し、2人で旅に出ることにした。

 

日出子は、かつてポジターノに旅で訪れた時に、障害を持った少年パオロと出会った。そのパオロがどのように成長したか見たかったのである。

 

まずは、ローマに入ったが日出子の行動に一波乱、また、新婚旅行で、花婿に逃げれたさつきとも出会い、良介は日出子に内緒でさつきもポジターノに誘った。

 

ポジターノで、パオロは19歳になり、成長していた。決められた職場へのルートを往復することしかできないが、彼は革製品を作る工房で、決められた工程を作業し、自分でお金を稼ぐようになっていた。

 

良介はパオロの両親の苦労と、それでも惜しまない愛情をパオロから感じ、こんなセリフを言っている。

パオロを育てるにあたって、若かった夫婦には、前途は暗く、何もかもが絶望的で、頭を抱えて沈鬱にならざる得ないときばかりであったことだろう。

夫婦は、そのことに気づいて、自分たちがパオロという息子にしてやれることは、いかなる状況にあっても、笑顔で、明るく、陽気に接することだと決め、そのように努め、やがてその努力が、彼らに本来的な楽天性をもたらし、何もかもを突き抜けるような、真に幸福でありつづける人のような、陽気な笑顔の持ち主にしたのだ。きっと、そうに違いない・・・・。

パオロが通勤したポジターノへ向かうバス。アマルフィーからポジターノへ向かうバスの風景が思い浮かんでくる。海沿いのバスルート。たまに、無性に行きたくなったら、googleストリートビューで辿ってみると、少し楽しい気持ちになる。

 

便利な世の中だな。でも、やっぱり、実際に行きたいな。

 

新装版 朝の歓び(上) (講談社文庫)

新装版 朝の歓び(下) (講談社文庫)

朝の歓び / 宮本輝

東京 : 講談社文庫 , 2014

 

15㎝

新装版ー講談社文庫上下巻

 

第30号:ハメーンリンナのサマーハウス・・・「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

村上春樹氏の作品は、ほぼ欠かさず読んでいるが、彼の作品自体を語ることは、私としてはおこがましくて、なかなかできない。今回も小説の内容は、ともかくとして、この小説の中に出てくる、多崎つくるが友人を訪ねたフィンランドのハメーンリンナについて書きたい。

 

私は、村上氏の長編も好きであるが、どちらかというと、この小説のように長編とまでいかないミドルの長さの作品がとても好きだ。

 

正直なところ、タイトルだけでも十分に興味がひかれるし、「巡礼の年」というのはリストの楽曲から来ているとなれば、なおさら、気になって仕方ないという作品だった。

 

この小説の中に、多崎つくるが高校時代をいつも一緒に過ごした友人4人が出てくる。それぞれに名前には色がついていた。アオ、アカ、シロ、クロ。

 

その中で、クロと呼ばれたエリは、結婚をしてヘルシンキに暮らしているが、多崎つくるが訪ねた時にはハメーンリンナにあるサマーハウスで過ごしていた。

 

36歳になった多崎つくるが、かつての友人に会うためにフィンランドのハメーンリンナへ、初めての海外旅行となる旅に出たというのは、それだけでも彼にとっては重要な旅であったことが想像できると思う。

 

ハメーンリンナはヘルシンキから列車で1時間。スオミ(湖沼)の国といわれるフィンランドらしさが感じられる湖沼地帯にある町で、夏には、ムーミン博物館があるタンペレからシルヴァ-ラインという船で湖沼巡りをしながらハメーリンナへいく航路もある。ハメーンリンナには、「フィンランディア」を作曲したシベリウスが誕生した家がいまも残っている。

 

小説から離れて想像してみる。いつもヘルシンキに住んでいて、夏になるとハメーンリンナのサマーハウスに住むというのはどんな感じなんだろうと。短い夏を謳歌するというのはそういう生活なのかもしれないなと思う。いつまで経っても暮れない夏の夜。

 

北欧の白夜を想像しながら、もう一度、この小説を読んで見ようと思う。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 / 村上 春樹著

東京 : 文春文庫 ,  2015

421p ; 16㎝

<2013年単行本初版>

 

 

第29号:「ここに地終わり海始まる」・・・ロカ岬

宮本輝氏が書いた小説「ここに地終わり海始まる」。私がこの本を読んだのは、2005年で、ポルトガルのロカ岬がヨーロッパ最西端の岬であることは知っているけれど・・・という頃だった。

 

この小説では、ロカ岬の石碑に書かれた「ここに地終わり海始まる」という言葉が、冒頭から、とても印象的に使われていた。この詩は、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイス叙事詩ウズ・ルジアダス』の一節であるという。

 

ここに地終わり海始まる

ポルトガル語:Onde a terra acaba e o mar começa)

 

この詩は、ポルトガルの人はいまでもみな教科書で学ぶほどの愛国的叙事詩で、大航海時代ヴァスコ・ダ・ガマのことをうたっているという。

 

小説に話を戻すと、主人公である天野志穂子が、18年間結核の療養のためにいた北軽井沢の療養所で、ボランティアでコンサートに来た4人グループの1人である梶井から届いた絵葉書が、ロカ岬から出されたもので、岬にあるこの詩が刻まれた石碑が写っているものだった。

 

奇跡的に退院できた志穂子は、この1度しか見たことのない梶井に会いたくなった。この絵葉書に書かれていた「1日も早く病気に勝って下さい」と添えられた一文が病の志穂子を元気づけてくれていたからだった。

 

梶井は、その後紆余曲折ありながら、日本に帰ってきていた。志穂子が糸を手繰るように梶井を探していると、梶井の友人たちとも知り合いになり、志穂子は恋愛もしたが、いつも心の中で梶井が引っ掛かっていた。

 

あらすじを書くと長くなってしまうので割愛しますが、宮本輝氏らしい、読者を飽きさせないストーリーと、いつもながらに小説の中に差し込まれる言葉が(宮本氏からのメッセージと私は受け取っていますが)心を打ちます。

 

宮本氏の小説はたくさん読んでいますが、小説中に差し込まれたその言葉にいつもはっと気づかされることが多いです。特に「運」ということに関して、書かれていることがよくあります。

 

「運」が向こうからやってくる人というのはどういう人かということが書かれており、いつもはっとさせられるのです。この小説でも、「運が良くて愛嬌がある人間であること」や「不幸にならないための運」という言葉がでてきます。

 

話は、ロカ岬からそれましたが、大航海時代ヴァスコ・ダ・ガマをうたった詩である「ここに地終わり海始まる」。当時、地球は丸いという知識もままならない時代に、果てしのない、終わりのない旅に出たヴァスコ・ダ・ガマへどんな思いが込められていたのでしょう。

 

主人公の志穂子の心をとらえたように、この叙事詩の一説は、大西洋の海原を目の前に、一度は、ロカ岬、その地に立ってみたいという気持ちを奮い立たせる魔力のようなものがあるのです。

 

ここに地終わり海始まる 上 新装版 (1) (講談社文庫 み 16-20)

ここに地終わり海始まる (下) (講談社文庫 (み16-21))

ここに地終わり海始まる / 宮本 輝著

東京 : 講談社 ,  2008

15㎝ ー 新装版 上下巻