この村上春樹さんの『遠い太鼓』は1986年からの3年間、村上春樹さん(正確にいうと村上さんご夫妻)がヨーロッパで暮らした時のことが描かれている。この期間に長編では『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』と短編では『TVピープル』を書いたという。
村上さんは40を前に、日本を離れた。1986年の10月からローマ、ギリシャのアテネ、スペッツェス島、冬のミコノス。翌1987年、シシリー、ローマ、ボローニャ、ギリシャのパトラス、ミコノスからクレタ。ヘルシンキ、ローマ、アテネマラソン、カヴォラ(テサロニキから3時間)、レスボス島、またローマ。ロンドン、また、ひとりローマ。1988年の空白の1年の間に、40歳の誕生日。1989年、ローマ、ロードス、ハルキ島、カルパドス島、トスカーナ、キャンティ。オーストリアのザルツブルク音楽祭、チロル街道、ロイッテ~秋、旅の終わり。
と、ざっと書いたけれど、ほんとうにこの本は読んでいて楽しかったし、珍しく村上さんの本でゲラゲラ笑いながら読んだ本。面白かった。
そして、旅は3年の間に、ずっと行ったきりの旅ではないので、途切れながらも必ずローマは入っていて、やっぱりローマに帰りたくなるのよねと思いながら読んだ記憶がある。
私はこの本を読んだ頃、33歳になって、老舗の旅行会社に転職した頃、どう人生の駒を進めていいのか、いつも傍らに悩みを抱えていた気がする。そんな中、この本を読んで、40を前にして日本を離れることにした37歳の村上さんの気持ちがなんとなくわかるような気になっていた気がする。
そして、村上さんの言葉にはっとさせられた。でも、いま読んでも、はっとさせられるのだ。
四十歳というのは、僕にとってかなり重要な意味を持つ節目なのではなかろうかと、僕は昔から(といっても三十を過ぎてから)ずっと考えていた。
<中略>
四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくこのなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。試してはみたけれどやはり気に入らないので、もう一度以前の状態に復帰します。ということはできない。それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。
精神的な組み換えというのは、おそらくこういうことではないだろうかと僕は思った。四十という分水嶺を越えることによって、つまり一段階歳を取ることによって、それまでは出来なかったことができるようになるかもしれない。それはそれですばらしいことだ。もちろん。でも同時にこうも思った。その新しい獲得物と引き換えに、それまで比較的簡単にできると思ってやっていたことが出来なくなってしまうのではないかと。
<中略>
歳を取ることは僕の責任ではない。誰だって歳はとる。それはしかたのないことだ。僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終ってしまうことだ。それは仕方のないことではない。
私もそろそろ旅に出なくちゃだめだなと思う。
遠い太鼓 / 村上 春樹 著
東京 : 講談社 , 1993
570p ; 15㎝