umemedaka-style’s diary

本と旅をつなぐブログ

第8号:ボヴァリズム(bovarysme)という言葉の発端「ボヴァリー夫人」

フローベール著の「ボヴァリー夫人」を読んで、数年たってから、水村美苗さんの新聞小説「母の遺産」で、フランスへ留学していた学生時代に、夫とパリで出会い恋に落ち結婚した主人公が、夫の浮気や母の介護などに遭遇していく小説の中で、この”ボヴァリズム”という言葉が出てきたと記憶している。漠然と意味はわかっていたが、コトバンクで検索してみると、以下のように出ている。

デジタル大辞泉の解説

ボバリスム(〈フランス〉bovarysme)


《「ボバリズム」とも》フランスの作家フロベールの小説「ボバリー夫人」の主人公のように、現実と夢との不釣り合いから幻影を抱く精神状態。

あー、なるほど。と、思う方も多いのではないかと思う。

新潮社で出された生島遼一氏訳のものを読んでから、姫野カオルコさんの書いた絵本の「ボヴァリー夫人」を読んだが、どちらも同じ話なのに、切り口を変えて楽しめた。

 

絵本のほうから、簡単にあらすじを書くと、

184X年のフランス。のちにボヴァリー夫人になるエマは女子だけの寄宿舎で学校生活を終え、温和で免許医になったシャルルと結婚した。結婚生活は田舎の町トストで始まった。ボヴァリー夫人は田舎での退屈な生活と、冴えない夫を愛すことができずに、辟易しながら毎日を過ごしていた。

ボヴァリー夫人は妊娠した。夫のシャルルは妻の気持ちが晴れるようにトストよりも少し町であるヨンヴィルに引っ越した。そこでボヴァリー夫人は丘の上で一人で読書したり、ドイツ音楽に胸打たれる孤独な青年レオンと出会った。彼も彼女に憧れた。レオンは彼女にとって「絵や詩や音楽について話せる異性」だった。ヨンヴィルの町も、彼と並んで歩いただけで不道徳とされる地方の町だった。レオンは法律事務所で修行するとパリに旅立った。

そんなときに、夫のところに急患で運ばれた男の主人である町外れの大邸宅に住むロドルフ・ブーランジェと出会う。遊び人ともっぱらの噂の男。舞踏会の日に彼はボヴァリー夫人を誘惑した。ロドルフには簡単なことだった。ボヴァリー夫人とロドルフは逢瀬を重ねた。

ボヴァリー夫人は本気で彼を愛し、逃避行を提案した。ロドルフは厄介なことになったと思っていた。逃避行の当日、彼女はロドルフからの長い手紙を受け取った。彼は彼女と逃避行しなかった。ボヴァリー夫人は失意の中にいた。

夫のシャルルはふさぎ込む妻を心配し、彼は興味のないオペラであるが、ルーアンまで妻を連れ出した。そこでレオンと再会した。レオンはパリで洗練されていた。あっという間に火がついた。ボヴァリー夫人はピアノを習いに行くといい、ルーアンに毎週出かけ、レオンと愛を確認しあった。

しかし現実が待っていた。ボヴァリー夫人は人妻で、シャルルが相続した遺産を抵当にいれてまで浪費を繰り返していた。夫のシャルルは鈍感にも自分を許すだろうとボヴァリー夫人は思ったが、薬剤師の家に忍び込み毒薬を飲んで、自ら命を絶った。

それでも夫は妻を愛し、亡骸にすがって泣いた。半年後に彼も亡くなった。

こんな話だった。最後にこんなセリフがある。

 

わたしはただ境遇に身をまかせ、

境遇の波に自分の夢をさらわれてしまった。

失うだけの人生だった。

自分で拓くことなど何もせず。

この小説に出てくる主人公エマが、はじめに夫と住んだ町がルーアン近郊のトスト(tostes)の町、その後引っ越したのがヨンヴィルという町だった。小さな町からみれば都会であるルーアンの町にも時々出かけている。出かけるにしても駅馬車を使う時代。ヨンヴィルは見つけられなかったが、トストという町はルーアンから南に約30kmの場所だった。

 

本を読みながら、ルーアンの町は行ったことがあるので、イメージできたが、その時代の近郊の田舎町とはどんなところなんだろうと思って読んでいた。

 

本を読んでから少しして、フランスのオーガナイザーのツアーを頼まれて作っていた時に、リヨン・ラ・フォレという町を入れたことがあった。「ボヴァリー夫人」の映画が撮影されたとそのとき知った。写真を見る限りでは、私のイメージした通りの町だったので、なんとなく嬉しくなった。地図で見ると、リヨン・ラ・フォレはルーアンの東に約40kmの場所。

映画で「ボヴァリー夫人」は何作も作られたようだが、【AGIJ】フランス日本語ガイド通訳協会の公式サイトを読むと、このリヨン・ラ・フォレは「第2次大戦前には映画監督のジャン・ルノワールが、1990年にはクロード・シャブロールが監督した2作の<ボヴァリー夫人>の撮影が行われた場所」だそうだ。

 

小説から話が離れるようでもあるが、リヨン・ラ・フォレは「フランスの最も美しい村」の認定を受けている。

www.les-plus-beaux-villages-de-france.org

小説に書かれている本当の舞台に行くのもいいけれど、さらに展開して映画からインスピレーションを受けた地に行くのも悪くないかも。旅は自由自在だから。

 

 

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人  / ギュスターヴ・フローベール著 ; 芳川 泰久 訳

東京 : 新潮社 , 2015 , 660p ; 16㎝

英文書名: Madame Bovary

著者原綴: Gustave Flaubert 

 

 

ボヴァリー夫人 フローベール

ボヴァリー夫人  / ギュスターヴ・フローベール[著] ; 姫野 カオルコ[文] 

; 木村 タカヒロ [イラスト] - 東京 : 角川文庫 , 2003 ; 19㎝

 

母の遺産―新聞小説

母の遺産 : 新聞小説 / 水村 美苗[著] 

東京 : 中央公論新社 , 2012 ー 524p ; 20㎝

 

 

 

第7号:ヴィッラ・アドリア―ナに思いを馳せて…「ハドリアヌス帝の回想」

3月にローマに行ったときに、ほんとうは行きたかったのが、ローマの東30kmにあるヴィッラ・アドリア―ナ。ハドリアヌス帝(即位117-138年)が晩年に築いた別荘である。以前、私と同じように「ハドリアヌス帝の回想」を読んだお客様が、個人で行ったが交通の便があまり良くないために大変だったと聞いていたこともあり、断念してしまった。

 

でも、帰国してから調べていたら、このヴィッラ・アドリア―ナに、隣町ティボリのヴィッラ・デステとともに行く現地ツアーがあったのだ。古代ローマ皇帝の別荘と中世に活躍したエステ家の別荘が結果的に近いエリアに隣り合うよう残っていて、興味深い。

書いているとますます後悔と行きたい気持ちが強くなる。

 

ローマのテベレ川沿いに建つ、ローマのシンボルでもあるサンタンジェロ城は、このヴィッラ・アドリア―ナを築いたハドリアヌス帝の霊廟でもある。ローマ5賢帝であったハドリアヌス帝が活躍した時代は、ローマ帝国の領土が地中海を取り囲む沿岸全体に拡大し、中東の一部も属州とされていた。「ハドリアヌスの長城」が英国北部に残されていることをを考えると、広大なエリアだったことがわかる。平和と繁栄がもたらされたパスク・ロマ―ナという時代である。

 

f:id:yukingiida:20170527093332j:plain

マルグリット・ユルスナール著「ハドリアヌス帝の回想」は、先帝トラヤヌスが長い治世を守りぬき、ハドリアヌス帝に引き継がれるところから物語が始まっている。晩年のトラヤヌス帝が気難しい人物であった様子や、ハドリアヌスとの関係、引き継がれた経緯が描かれている。ハドリアヌスは旅をした皇帝としてよく知られているが、どのように広大なローマ帝国とその属州に出向き治世を行ったかがよく描かれている。

 

ハドリアヌスは男色だったようであるが、後継者としようとしていた最愛の青年アンティノス、ルキウスに先立たれてしまった悲壮、自分の後継を狙うもの、地位を奪おうとするものに時に悩んだ。しかし、聡明さと行動力をもって彼は時に大ナタを振るった。

 

そんなハドリアヌス帝が、晩年、ローマから少し離れた地に、心身を休めるべく別荘を建てた。それが、このヴィッラ・アドリアーナ。それは美しいところであったに違いないと思う。 

 

 

 

 

 

 

私の中では、あこがれやロマンはあるけれど、とても遠い存在だった古代ローマが、ハドリアヌス帝の物語を読むことで、皇帝も今の時代の人間と変わらずに物事を思考し、時には苦悩や挫折感を味わったことを感じた。そして、2,000年近く前の古代ローマは、イタリアに行くたびに遺跡を見て、ガイディングを聞いてきたが、やはり進歩的で、いまと変わらない文化的な生活が行われていたことを実感する。それでも、2,000年前に??と、なんとなく不思議に感じていたことが、この物語で読むことで、だいぶ私のなかで理解できた気がする。

 

目を閉じると、広い庭園に柱廊が立ち並ぶ屋敷、燦々と降り注ぐ太陽、柑橘類の実る木々からの仄かな香り、そして静寂が私の中にイメージされる。そんな風に行ったこともないヴィッラ・アドリア―ナに思いを馳せる。

 

ハドリアヌス帝の回想 / マルグリット・ユルスナール 【著】 ; 多田 智満子【訳】

東京 : 白水社, 2008 , 379p ; 19㎝

原書名: Mémoires d'Hadrien

著者原綴: Marguerite Yourcenar

ハドリアヌス帝の回想

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6号:いざ鎌倉、ってほどでなくても鎌倉へ。「ツバキ文具店」

先日、NHK総合テレビでドラマが放送されている「ツバキ文具店」。原作は、小川糸さん。単行本自体は2016年4月に初版が発行された。ドラマの方では、副題に”鎌倉代書屋物語”となっている。ドラマは途中まで見たところ、本の筋書きとは、ちょっと違うよう。

 

主人公は、雨宮鳩子。ポッポちゃんと呼ばれている。

鎌倉で、文房具屋兼代書屋「ツバキ文具店」を営んでいた”先代”の祖母・かし子が亡くなり、海外に行ってたポッポは帰国したが、死に目には会えなかった。

 

ポッポは生まれてすぐに、母と引き離され、母とは会っていない。その詳しい理由はわからない。祖母の“先代”がポッポを乳飲み子のころから育ててくれた。書の鍛錬に関しては特に厳しく、幼いころから特訓させられたポッポは、思春期を過ぎ、先代に反抗するようになり、先代から逃げるように海外での放浪生活を始めてしまった。しかし、先代なき後、鎌倉に戻り、結果的には先代の店を引継ぎ、1人で切り盛りすることにした。

 

代書を頼みに来る人のキャラクターと、そして、その手紙の依頼内容がそれぞれに興味深い。その手紙ごとの書き方、さらに紙や封筒さらに切手、万年筆や筆など筆記具の選び方の根拠も、なるほど~と感心してしまう。

 

この本には、その依頼ごとの手紙、例えば、かつて披露宴に来てくれた人たちに離婚を知らせる活版印刷の手紙や、太字の万年筆で書いた借金の断り状など、一癖ある依頼をポッポが想像をめぐらしながら代書したものも載せられている。結果的には、これが確かにベストかも!と思わせる仕上がりになっていて、感心する。こうやって、手紙のアイテムと内容を相手を思いながら書けたら、どんなに素晴らしいだろうと思ってしまった。

 

また、ポッポの住む鎌倉での生活を暖かく見守ってくれるお隣のバーバラ婦人や男爵、パンティー、モリカゲさんと娘のQPちゃんなど、優しくて、素敵な人たちもこの物語を味わい深いものにしてくれている。

 

私自身の鎌倉についての話になるけれど、高校生から大学生の頃には(というと今からすでに20年以上も前のこと)実家の川口から遠路はるばる友人と足繫く、鎌倉に通った時期がある。学生で、かなり暇だったのかもしれない。この本を読んで久々に鎌倉に行きたいと本気で思ってしまった。その足繁く通った中でも、たまたま、この「ツバキ文具店」があるとされる鎌倉宮や荏柄天神あたりによく行っていたので、なんとも懐かしい気持ちになった。あのあたりで、正月早々、3回連続、おみくじで[凶]を引いたのも、なかなかない経験で印象深い。私は、あのころ、あの近辺に行くとレデンプトリスチン修道院のクッキー(鎌倉ユニオンでも売っていたが)をよく買いに立ち寄らせてもらった。いまでも時々、あの厚めで素朴なクッキーを思い出し、食べたくなる。北条高時の腹切りやぐらが、小路の奥にあることを指し示す看板をこの辺で目にしたが、なんとなく怖くて進んでみたことはない。

 

この本のはじめのページには、「ツバキ文具店」の所在を示す手書きの地図があって、「ツバキ文具店」は、材木座の方から見ると鎌倉宮の少し奥となっている。また、北鎌倉の建長寺を上のほうに進むと行ける天園ハイキングコース(行こうと思いながら言ったことがないが・・・)を降りてきたところに位置していることになる。

 

こないだ、たまたま旅番組で、この天園ハイキングコースのある大平山をやっていて、その昔、北条高時の斬首を敵陣にとられないために、家来がそれを持って、この大平山に逃げたという話をしていた。地形的にも、そういうことはあるだろうと納得した。最近、日本史をもう一度勉強しなおしていることもあって、さすがに鎌倉は幕府のあったところだけあって、歴史の観点から見ても、かなり面白いと思った。

 

東京から割と近いのに何か違う空気感とおしゃれっぽさ。この本を読んで、住みたくなる人も増えそう。たまには鎌倉に行ってみてはいかがでしょう。。

 

ツバキ文具店

ツバキ文具店 / 小川糸著

東京 ; 幻冬舎 , 2016 ; 269p ; 20㎝

 

 

鎌倉幕府があったころの鎌倉がわかる1冊>

私の実家の谷中の菩提寺日蓮宗なので、なんだか気になって読み始めたが、北条氏に滅亡させられた比企一族の住んでいた比企谷の話や、鎌倉時代に、幕府のお膝元である鎌倉で、日蓮が辻に立ち、一人説法を行って布教した話なども出てくる。鎌倉幕府における公認宗教、非公認宗教の待遇の違いや、鎌倉幕府の執権や政治手腕、元寇など時代的背景もわかる。

 

小説日蓮  / 大佛次郎

東京 ; 光風社書店  , 1974 ; 455p ; 19㎝

 

日蓮―小説 (1974年)

日蓮―小説 (1974年)

 

 

 

 

 

 

 

 

第5号:「日はまた昇る」を読むと、パンプロ―ナに行きたくなる。

ヘミングウェイ著「日はまた昇る」もまた、高見浩氏により2003年に新訳版が出されている。新訳版を読み直して、またあらためていいなあと思った。

 

主人公ジェイク・バーンズ♂はアメリカ人。アメリカが禁酒法の時代に、パリでは禁酒はなく、アメリカ人にとって、自由を謳歌できるとされていた。そのパリで彼は新聞記者をしていた。第1次大戦の時に負傷を追った過去がある。

 

パリで友人たちと酒を愉しみ、その延長でスペイン北部のパンプロ―ナで、毎年7月に行われるサン・フェルミン祭牛追い祭り)に行くことにした。そのメンバーの中には、かつて愛し合っていて、別れてしまったブレッド・アシュリー♀がいた。ブレッドはイギリス人との離婚が間もなく成立し、ジェイクと結婚する予定だった。そして、その頃は、ブレッドは友人のマイクとつきあっていた。

 

パンプローナまでの旅のようすや、パンプロ―ナの町でのことがたくさん書かれている。パンプロ―ナのホテルモトーヤやカフェイルーニャで過ごした享楽的なフィエスタの1週間。彼らは飲み明かし、闘牛に明け暮れた。

 

ブレッドが、若き闘牛士ペドロ・ロメロと出会い、俗世間に彼を巻き込みたくないと思っていたが、結局彼女は恋に落ちた。ブレッドは、パンプローナからロメロと消えてしまい、数日後マドリッドでロメロと別れたとジェイクに連絡してきた。

 

主人公ジェイクがブレッドと別れた理由は、本書を読んでほしい。複雑な胸の内がある。彼がロメロと別れたブレッドを迎えに行くことにした時の文章がある。とても皮肉だ。

これでいいのだ。恋人を旅立たせて、ある男と馴染ませる。次いで別の男を紹介し、そいつと駆け落ちさせる。そのあげくに彼女をつれもどしに行く。そして、電報の署名には“愛している”と書き添える。そう、これでいいのだ。

 

実際にこの小説は、1925年7月に、ヘミングウェイが友人7人とパンプローナに行ったときの実体験に基づいているという。その旅の仲間が、この小説の登場人物にほぼ当てはめられるようだ。だからこそ、リアルで、人間模様がおもしろく、サン・フェルミン祭のフィエスタの1週間の町の活気が伝わってくるのかもしれない。そして、読者はパンプローナに行ってみたくなる。

7月のパンプローナは、22時近くまで明るく、いつまでたっても日が沈まず、夏のヨーロッパの圧倒的な解放感に、私はいますぐにでも行きたくなる。

 

日はまた昇る (新潮文庫)

 

日はまた昇る  / アーネスト ヘミングウェイ [著] ; 高見 浩[訳]

東京 : 新潮社,  2003

487p ; 15㎝

英文書名: The Sun Also Rises

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第4号:「コレラの時代の愛」のコレラの時代って?

GW真っ只中、今年は圏央道も開通して常磐道が例年になく渋滞しているとか。休日だと曜日の感覚もなくなってしまいますね。今日は、2014年に87歳で逝去したG・ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」について。

 

私の好きな俳優の5位以内に入るジョン・キューザック主演の映画「Serendipity”(セレンディピティ)」<2001年公開>で、ニューヨークとサンフランシスコという遠く離れた地に住む男女2人が、また再会するキーアイテムとして、5ドル紙幣と路上で売られていたこの「コレラの時代の愛」の本が登場する。そこで、初めてこの本のタイトルを知った私、その後、この本を読んでみて、劇中で、この「コレラの時代の愛」がキーアイテムとして使われるのが、ストーリーと相まって、“気が利いてる”と、後になって感じた。

 

コロンビアの地方都市を舞台にしたこの作品。私はコロンビアには行ったことがないので、ガルシア・マルケスが過ごしたというコロニアル様式の家の並ぶカルタヘナの町を想像しながら読んだ。(実際には具体的な町の名前は挙げられていなかった。)

 

冒頭フベナル・ウルビーノ博士の死から話が始まる。そして、博士はその妻フェルミ―ナ・ダーサとの夫婦生活を振り返り、夫婦として冷戦の時期も経たが彼女を愛していたと確信して亡くなっていく。

妻のフェルミ―ナ・ダーサは結婚する前、文通を重ね、フロレンティーノ・アリーサという男と婚約していた。しかし、結婚の日が近づいてきたころ、ある出来事をきっかけにこんなはずじゃなかったと婚約を破棄した。

映画の宣伝にも使われていたが、”51年9ケ月と4日、男は女を待ち続けた・・・”。その”男”というのは婚約を破棄されてしまったフロレンティーノのこと。その長い歳月の間に、フォロレンティーノは仕事で、船会社の社長となり成功をおさめ、夜の快楽の館に出入りすることで、数多くの女とかかわりを持った。

 

フェルミ―ナが夫の死後やっと、フロレンティーノを受け入れ、彼と2人で、川船で目的地「金の町」まで旅に出るシーンが特に印象的。そこで、コレラ時代というタイトルと結びつき、この本の描かれた1860年代~1930年代にかけての時代がこんな時代だったんだと納得する。

 

この本を読みながら、2階建て、ないしは3階建てくらいの白い外輪船が、茶色い水が流れる大河を航行していくのを想像する。読者は、まだ未知なコロンビアへ思いを馳せることができる。

 

読後、映画「コレラの時代の愛」を見たら、この小説の舞台となるコロンビアの地が、鮮やかに映っていた。でも、登場人物が、映画という短い時間の中で年老いていく姿は、あまりにもビジュアルにおいてもリアリティが強すぎて、正直がっかりする。まずは、本を読むのをお薦めしたい。

 

【51年9ケ月と4日】。こんなことって、あるのかな??と思いながらも、たしかに人の人生には思いもよらないことがあるものだと、大作家の力を借りて、考えてみたりする。

 

コレラの時代の愛

 

コレラの時代の愛 / ガブリエル・ガルシア・マルケス著 ; 木村 榮一訳

東京 : 新潮社, 2006 , 528p ; 20㎝

原文書名: El amor en los tiempos del colera

 

ガルシア・マルケスを知るためのもう1冊>

謎ときガルシア=マルケス / 木村 榮一著

東京 ; 新潮社, 2014 , 250p ; 19cm

謎ときガルシア=マルケス (新潮選書)

 

 

 

第3号:サラエボ・ハガタ―は何処に?「古書の来歴」

ジェラルディン・ブルックス著のこの「古書の来歴」で、初めて「サラエボ・ハガタ―」というものを知った。

 

 「ハガタ―」はユダヤ教のすぎこしの祭りの晩餐で使われる書物であり、それはユダヤ教の人々にとって、大変重要なものであることがわかる。といっても、なかなかわかりずらかったので、「コトバンク」で調べてみると、世界大百科事典(第2版)内の「ハラハー」の解説にそのヒントがあった。

第1はミドラシュmidrash(注解)という方法で,旧約聖書,特に律法(トーラー)の本文の解釈である。第2のハラハーHalakhah(原意は〈歩き方〉)は,法規を意味するが,その権威の基盤は,成文律法だけではなく,古代から受け入れられてきた慣習,権威ある律法学者の判定,学者たちの多数決など,要するにユダヤ人共同体成員の正しい〈歩き方〉を律すると考えられたすべての権威を含んでいた。第3はハガダーHaggadah(説話)で,聖書の中の非法規的物語や,民話,伝説などに基づく教えである。…

 

 さらに、「ミドラシュ」について、同様に調べると、以下のようにあった。

ミドラシュは内容によって,口伝律法を扱った〈ハラハーHalakhah〉(法規)的なものと,それ以外の〈ハガダーHaggadah〉(説話)的なものに分類される。叙述形式としては,聖書の一句一句を解釈する注解型,特定の聖句に基づく説教型,聖書物語を主題とする物語型がある。…

 

この物語では、そのハガタ―が発見されたのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争といわれる内戦後の首都サラエボだった。そして、そのハガタ―がイスラム教の人によって、救い出されたという冒頭に「何故?」と思いながら、物語がスタートする。

 

主人公の古書鑑定家のハンナ♀が、この発見されたハガタ―を鑑定することで、この書物が、どのような時代にどんな人の手から手へ渡り、この地まで旅してきたかという話がシンクロされている。時にきっかけは、本の間に挟まった小さな羽であったり、修復された痕だったり。また、ハガタ―の作り手である職人の思いというものが書かれ、この本が何百年にも渡り、大切に守られる価値を感じられる。

 

サラエボには、まだ私は行ったことがない。ヨーロッパを学ぶ上て、サラエボというのは第1次世界大戦のきっかけの場所でもあり、旧ユーゴスラビア解体や、内戦など、歴史を大きく動かす出来事が起こる地であるという印象を持ってきた。隣国の旧ユーゴであったクロアチアスロベニアに行ったときに、あらためて旧ユーゴの歴史的背景を勉強したが、それまで知らないことが多かったと実感した。このボスニア・ヘルツェコビナの隣国の旧ユーゴの地を旅してみて、多民族、多宗教、多言語の土地ではあるが、実際に共存しながら、生きてきた市井の人々の歴史を見ることができ、百聞は一見しかずずだと思った。この本で、他教徒の人々が、このユダヤ教徒にとって大切なハガターを守ったことも、私にとっては、なんとなく腑に落ちる。

 

この本では、さらにそのハガタ―を巡って、陰謀やロマンス、ミステリー的な要素も含まれていて、ストーリー的にもおもしろい。この本がヨーロッパの広域を動いて、サラエボにたどり着いたというルートも、読者はこの古書とともに旅している気分になれる。

 

余談であるが、この本を知ったのは、「さよならまでの読書会: 本を愛した母が遺した『最後の言葉』」 という本で、著者と余命宣告された母との二人の読書会でこの本が出てきたことによる。日本で売れる本と、アメリカで売れる本は違うなと、この本や、「プリズン・ブック・クラブ」など読書会関連の本を読んで感じてしまう。それらの読書会で、取り上げられる本は結構いい本が多くて、私としては本を選ぶ良い情報源にもなっている。

古書の来歴

 

 

古書の来歴 /   ジェラルディン ブルックス 著  ;   森嶋 マリ 訳

東京 : 武田ランダムハウスジャパン,  2010, 508p ; 20㎝

英文書名: The book

 

さよならまでの読書会 : 本を愛した母が遺した「最後の言葉」

/ ウィル・シュワルビ 著 ;  高橋 知子 訳
東京 :  早川書房 , 2013 , 408p ; 20㎝

英文書名: The end of tour life book club

 

 

プリズン・ブック・クラブ : コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

/ アン ウォームズリー 著 ;  向井 和美 訳
東京 : 紀伊國屋書店 , 2016, 445p ; 19㎝

英文書名: The prison book club

 

 

第2号:「ローマは光のなかに」

3月末に、久しぶりにローマに行った。いろいろな都市に行ったけれど、結局一番好きな都市は、やっぱりローマだなと思う。

そんなとき、映画「ローマの休日」のラストの記者会見のシーンで、オードリー・ヘップバーンが演じるアン王女が、一番良かった街を訊かれ、少し間をおいて、「ローマです」と確信をもってこたえるシーンが、思いだされる。「そう、私もローマです」と思わず画面につぶやきそうになる。

 

今年、2017年3月末のローマは、アーウィン・ショーのこの小説のタイトル「ローマは光のなかに」と何度もつぶやきたくなるほど、光にあふれていた。

 

この小説のあらすじを少し・・・、

昔、ジェイムズ・ロイヤルという名で、アメリカで活躍していた俳優だった主人公ジャック・アンドラスは、2回の離婚を経て、アメリカでの生活を捨て、3回目の結婚を機にパリで暮らしていた。彼は俳優の仕事をやめ、NATOの官僚をしていたが、そんなある日、アメリカを離れてから疎遠になっていた古い友人で、映画監督のデラニーがローマ(確かシネチッタ)で撮影をしていて、その吹替の仕事を秘密裏に依頼され、ジャックが引き受けた。

ジャックは長年疎遠にしていた友情にこたえるべく、ローマに来た。戦前(第2次世界大戦)、デラニーとジャックが組んでいたころの映画は素晴らしかった。そして、ジャックは、駄作しか作れなくなってしまったかつての親友デラニーが、起死回生をはかって、自分を呼び寄せたことを知り、2週間のつもりだったが、(デラニーが大怪我をしたこともあり)彼の為に働きたいと思っていた。自分に合わない官僚の仕事を辞めて、家族をローマに呼び寄せて、自分なりの仕事を始めてもいいのではないかと思っていた。そして、デラニーを疎遠にしていた裏切りなような日々を償いたかった。彼と組んで仕事をしていたころが、ジャックにとっても人生で最良の時代だったから。

しかし・・・。

 これ以上書いてしまうと読む意味がなくなってしまうので、やめておきます。

 

この小説の良さは、あらすじというだけでなく、ちりばめられた主人公にかかわるエピソードやセリフも素晴らしいのです。

 

たとえば、ジャックがカリフォルニアで小さな果物乾燥工場を経営していた父について語るシーンではこのように書かれている。

「いや、生活の手段だと割りきっていたよ。彼は事業をごたいそうなものとは考えていなかった。家族を養い好きな本が買えるだけ稼げば充分というのが親父の考え方だった。」

短いフレーズながら、ジャックから見た父とはどういう人で、彼がこう表現した意味を考えたりする。

 

また、2度目の離婚をした元妻カーロッタとヴァチカンに行き、システィーナ礼拝堂を見に行くまでのやり取りや空気感は、なんとも言えない緊張感と皮肉な言葉、そして共鳴のようなものがあり、昔夫婦だった男女の不思議さがあらわれていたりする。

読み終わる頃には、主人公のジャックという人物を敬愛さえしてしまうものがあるのです。

 

戦後の雰囲気の残るローマの話。きっと、その頃のローマも光があふれていたのだろう。

 

 

ローマは光のなかに / アーウィン・ショー ; 工藤政司 

東京 : 講談社 , 1994 , 599p ; 16㎝

英文書名: Two Weeks in Another Town  

 

ローマは光のなかに (講談社文庫)

ローマは光のなかに (講談社文庫)